7万8000社を2万1000人で守る、神社の現実
樋口さんは、今回の番外編を太宰府天満宮と神社神道の未来について話す回だと位置づけます。深井さんは宮司の西高辻信宏さんに、いまの神社がどんな時代を迎えているのかを尋ねました。
西高辻さんがまず挙げたのは、人口の移動です。神社のお祭りや存在そのものは、近代に入るまで農耕社会と強く結びつき、作物の実りを祈り、収穫を感謝して供えるというサイクルの中にありました。
神社はまた、村の人が集う場所でもありました。ところが都市部へ人が移ると、地方の神社を周りで支える人が減り、一人の宮司が多くの神社を見なければならない状況が生まれていると西高辻さんは話します。
西高辻さんによれば、最新の統計で神社の数は約7万8000社、神職の数は約2万1000人です。深井さんはすかさず「一人3つ以上かけ持たないと」と反応しました。
西高辻さんによると、大きな神社ほど神職が集まるため、地方では一人が数十社を受け持つこともあります。普段は本務の神社にいて、春や秋の祭りのときだけ出向き、ふだんは氏子や地域の人が守っている状態ですが、その体制さえ難しくなってきているといいます。
樋口さんは、なぜ後を継ぐ神職が少なくなっているのかを率直に尋ねました。西高辻さんの答えは「本当に激務」だというものです。一人で神社を守る宮司には休みがほとんどなく、毎朝境内を清めて清浄な空間を保つため、起きる時間も固定されているそうです。
西高辻さん自身は職員が複数いるため、祭りの日を避けて出張することができます。しかし一人で守る神社では、近隣の神職に一時的に手伝ってもらう互助の仕組みも成り立たなくなりつつあると話しています。
修繕費と運営は、企業経営と何が違うのか?
深井さんが気になっていたのは、木造の神社の遷宮 ── 社殿を建て替えたり修繕したりして、ご神体を移すこと。伊勢神宮の式年遷宮が有名で、大規模な神社では多額の費用がかかりますのような大きな工事の費用です。数億、数十億という額をどう賄っているのかを尋ねました。
西高辻さんによれば、中心になるのは寄付集めです。文化財に指定された部分には補助が出ることもありますが、指定のないものはすべて自前で賄う必要があります。30年に1回手を入れるなら、毎年少しずつ積み立てていくという長期の視点が求められます。
木造の建物は定期的に手を入れれば持ちますが、放っておくと一気に傷み、その後の修繕費がさらに膨らむといいます。地域によっては積み立ても難しく、なんとか頑張っている神社が多いというのが西高辻さんの見立てです。
樋口さんが「企業経営の感覚も必要になるのか」と問うと、西高辻さんは、宮司は祭祀の最高責任者であると同時に運営の責任者でもあると答えました。神職養成の学校では歴史や作法、祈りを中心に学ぶため、運営面は外部の心ある人の応援があるとよいかもしれない、と話しています。
収入について、西高辻さんは宗教的な祈りに関わる部分と、駐車場などの収益事業の2つを挙げます。ただし祈りの部分だけで成り立つ神社も多く、地域の人の気持ちに支えられているため、運営が苦しい神社が多いといいます。
楊さんは、企業なら新規事業やマーケティング、海外展開もできると指摘しました。深井さんは、祭祀がある以上、神社は単純に効率化できないと続けます。
祭祀って効率じゃないから。
深井さんは、お賽銭のキャッシュレス化はあり得ても、祈りをVRにしたりAIに祝詞の文章を作らせたりはできないと話します。そのうえで楊さんは、企業経営と神社の決定的な違いを語りました。
企業って例えば潰れるとしても、人類の歴史にとって別にどうでもいいんですよね。ある意味ね。
でも信仰が一つ潰れるっていうのが結構でかいことだと思うんですよ。
深井さんは、正月に初詣へ行き神棚のある家もまだ多く、信仰そのものは消えていないと指摘します。それなのに神社だけがなくなっていくことに、何か問題が起こりそうだという感覚を示しました。
コロナ禍を支えた、明治12年の社務日誌
楊さんは、人が集まって何かが行われる場である神社にとって、コロナ禍の影響は大きかったのではないかと尋ねました。
西高辻さんによると、太宰府天満宮がまず考えたのは、どんな状況でも神社を閉じずに祈りを続けることでした。大変な時期だからこそ、多くの人の心のよりどころになればと考えたといいます。深井さんは、当時の空気を考えると勇気ある決断だったと受け止めています。
実務面では、職員を接触しないA班・B班に分け、片方で何かあってももう片方でカバーできるようにしました。神事の担い手も複数人用意し、神社と祈りを止めない体制を整えたそうです。
西高辻さんの支えになったのが、和紙に墨で毎日の出来事を記録してきた社務日誌 ── 神社の日々の業務や出来事を記録した日誌。長く続く神社では、何代にもわたって書き継がれ、歴史資料にもなりますです。明治12年の日誌をめくると、コレラが流行した時期にも毎日の神事を止めず、大きな祭典は延期しながらも後に再興した記録が見つかりました。
西高辻さんは、当時の人たちも悩みながら決断していたと知って勇気づけられ、歴史の持つ意味はこういうところにあると感じたと話しています。
太宰府天満宮では現在もデジタルで記録を残す一方、当直の職員が和紙に墨で社務日誌を書き続けています。100年後に何かあったとき参考になるかもしれないと考え、コロナ禍の記録もすべて残しているそうです。
僕らからしたら紙は燃えてなくなりそうだから、デジタルに残しておこうと思うんですけど。
1000年とかで考えると、デジタルはもう見れるデバイスがなくなっちゃってて、紙の方が残るみたいなこともあるから、両方残すっていう考え。
紙とデジタルを並べて残す考え方は、時間の尺度で見ると次のように整理できます。
燃える心配がなく手軽だが、長い年月の中で読むためのデバイスや形式が残るかはわからない
燃えるおそれはあるが、ちゃんと保管すれば長く残る。美術品でも和紙や絹に書かれたものは強い
「百年前と変わらない」景色は、誰がつくるのか
深井さんは、現代人にとって神社はどういう存在だと考えているかを西高辻さんに尋ねました。
西高辻さんがいちばん大事にしているのは、祈りの場として多くの人の心のよりどころになることです。深い悩みを抱えた人にも応え、旅行で来た人には元気になって帰ってもらいたいと話します。
もう一つは、季節感や歳時記を感じられる場所であることです。文化や歴史が息づく場所は今とても少なく、ふと神社に行ったときにそれを感じ、普段の生活に良い影響が生まれればと西高辻さんは考えています。
深井さんは、神社が季節感を手放せば、季節の行事は一般家庭からほとんど失われるかもしれないと指摘しました。樋口さんも、ビル街では見られない日本的な風景について触れています。
西高辻さんによれば、太宰府天満宮は御本殿周りなどで、100年前に撮った写真と見比べて「変わらないね」と言ってもらえる景色を目指しています。ただ、100年経てば環境も植物の伸び方も変わるため、手を入れ続けることで初めて変わらない景色がつくられるといいます。
親や祖父母と来た場所に、大人になって自分の子どもを連れて来る。そうした記憶や思い入れを世代でシェアできる場所は、神社や歴史のある場所くらいしかない、と西高辻さんは話しています。
起業家とかスタートアップとかで働いてきた自分たちは、どんどん入れ替わる、新しいもの、新しい技術っていう感覚をめちゃくちゃ持ってるけど、世界が全てそれだったらめっちゃ嫌だわ。
深井さんは、石の建物が多いヨーロッパと違い、木で建てる東アジアでは、誰かが強い意志を持って残さない限り放っておけば残らないと続けました。西高辻さんも、そこはかなり強い意志を持って取り組んでいると応じています。
日本っぽい風景とかってパッと思いつくんですけど、あれってたまたまそうなってるわけじゃなくて、やってるからそうなってるんですね。
西高辻さんは、木も植物も伸びていくため、手を入れ続けなければ景色はどんどん変わってしまうと話します。変わらないと思ってもらえる風景を保つために、見えないところで大きな労力を使っているそうです。
おじいさんの家が更地になったときの喪失感
深井さんは、変わらない景色の話を聞いて、太宰府天満宮が幼稚園を運営する意義がよくわかったと話します。子どもの頃から、季節や守り続けられてきた文化を感じられる場所の近くで育つことが大事だというのです。
西高辻さんも、子どもが知らず知らずのうちに触れたものが原風景になり、遠くへ移り住んでも戻ってきたときに懐かしいと思える場所であってほしいと話しています。
番組では、懐かしさとは安心感であり、歴史とのつながりを意識したときに人は安心を覚えるのではないか、という見方も語られました。そこから深井さんは、自身の体験を打ち明けます。
僕、おじいさんの家(が)なくなったんですよ、この前。ハードウェアとして更地にしたんですよね。すごい感情なんですよ。
夏休みの間とかそこにいたりしてたから、1ヶ月間。その(おじいさんの家が)僕の原風景なんですよね。
深井さんは、小中学校が新校舎になった人ならわかるはずだとして、原風景の中にあるのにもう訪れられない寂しさを語ります。
別にあったところでそんなに訪れないかもしれないんだが、二度と訪れられないという事実を突きつけられると、えも言われぬ感情になるんですけど。
この喪失感について、樋口さんは時間軸でつながっていない感覚ではないかと考えました。
だからなんか不安定になってるというか、縦の線が切れちゃった感覚というか。
深井さんは、神社がこうした精神性の部分を支える役割を自覚して担っていることが、よくわかったと話します。西高辻さんも、神社の側がこうした感覚を言語化して伝える機会は少ないため、多くの人に同じように感じてもらえれば、全国の神社も少しずつ良い方向に向かうのではないかと応じています。
人が地方へ散らばる時代、神社は集う場になれるか
深井さんは神社のこれからについて、自身の予測を語りました。神職が減る流れは変わらない一方で、地方へ移住する人は増えるのではないかというのです。
深井さんの見立ては、いくつかの変化が連鎖するというものです。
自動運転の普及
移動のコストが下がる
通信技術の発展
直接会っている感覚に近い技術が生まれ、住む場所が自由になる
子育て世代の意識
都会ではなく田舎で育てたい人が増えている
地方人口の増加
都市への人口流入が続くとは限らず、人がばらつく
深井さんは、そうした時代に地元の神社でお祭りができなくなるのは寂しいと話します。子どもたちやいろいろな人が集まる開かれた場所は、今あまりないとも指摘しました。
西高辻さんは、今は人が集まらないようにしたり排除したりする場所が多いと応じます。集い、多様性の中から文化が生まれる場を各地でつくれれば、とても良くなるのではないかと話しています。
深井さんは、神社は災害の少ない場所にあることも多く、神聖さもあるため、集う場として機能するのは一つのあり方だと考えます。ただし、やはり問題は神社を維持し祭祀を担う人がいないことだと繰り返しました。
アーティストの目が見つけた、落ち葉掃除の新しい意味
樋口さんは、太宰府天満宮がアートなど一般の神社ではあまり見られない取り組みをしているのは、こうした問題意識の一環なのかと尋ねました。
西高辻さんはまず、菅原道真公自身が文化の神様として信仰を集め、文化の最先端を生きた人物だったことを挙げます。アートをきっかけに初めて神社に触れる人も多く、太宰府天満宮に限らず各地の神社へ足を運ぶ入り口になればと考えているそうです。
もう一つの意味は、アーティストの見方から神社の側が新たな発見をすることです。10年ちょっと前にイギリスのアーティストのライアン・ガンダー ── イギリス出身の現代美術家。日常の中の見落とされがちなものや、見えないものへの想像力をテーマにした作品で知られますを招いた展覧会では、日本人が目に見えないものに思いを寄せていることをテーマに作品がつくられました。
ライアン・ガンダーさんは「神道に匂いや音があるとすれば、それはどういうものか」という問いの形の作品もつくり、その後ヨーロッパでは神道から着想を得た風をテーマにした作品も発表したそうです。西高辻さんは、アーティストが各地で活動することで、神道的なものが自然と広まっていくあり方もあると感じたと話しています。
もう一つの例が、アーティストの五十嵐靖晃さんです。平成18年頃、大学院生として太宰府を訪れた五十嵐さんは、職員が松葉ほうきでクスノキの落ち葉を掃く姿を見て、まったく違う受け取り方をしました。
境内を綺麗にするために落ち葉を掃いている
次に落ち葉が落ちてくる場所を整えている
五十嵐さんは、この営みが1000年以上続いてきたことに気づき、自分も地域の人たちと一緒に加わりたいと考えました。そうして始まったのが「クスかき」というプロジェクトです。
参加者は松葉ほうきづくりから始め、朝6時半頃に境内に集まって落ち葉をかき、1ヶ月ほど続けた最終日にはみんなでアート作品をつくります。この取り組みは10年以上繰り返され、当時の子どもたちは中高生になって次の世代を担っているそうです。
西高辻さんは、アーティストという媒介者がいることで、普段は神社に行きにくい人も集まり、高齢の人から子どもまで世代を超えたコミュニティが生まれる可能性に気づかされたと話しています。
普通に掃除してる時って言ったら、ゴミだなと思って(掃除に)入ってるわけでしょ。もう見え方変わるだけで何か意味を持って。
禊と穢れの感覚は、なぜ自覚されないのか?
深井さんは「営みに参加する」という感覚に共感し、日本人の所作や考え方の根底には、今も神道が色濃く残っていると語りました。2020年生まれの幼児にさえ、その感覚を感じることがあるといいます。
深井さんは、仏教は神道よりだいぶ後の1000数百年ほど前に入ってきたもので、神道の上に乗る形でインストールされたと感じています。そのため中国の仏教とも上座部仏教 ── 東南アジアなどに広がる仏教の系統。出家者の修行と戒律を重んじ、日本や中国に広がった大乗仏教とは別の流れにあたりますとも違う形で発展し、神仏習合 ── 日本の神々への信仰と仏教が結びつき、融合した信仰のあり方。明治の神仏分離まで長く続きましたに至ったと話します。
深井さんは、神道が日本人のOSの一部になっていることは見落とされがちだと指摘します。樋口さんが具体例を求めると、ニュースの報じられ方を挙げました。
深井さんがさらに特殊だと考えるのは、この感覚が言語知ではなく身体知だという点です。身体に備わった知だから、日本人は自覚していないというのです。
そこで深井さんは、インバウンドの観光客に、神社で続く1000年の営みを体験してもらうことが、日本人がどういう人たちなのかを伝える手法になるのではないかと提案します。秋葉原や東京ももちろん良いけれど、1泊2日ほどで体験すれば感覚の違いを感じて帰るはずだと話しました。
西高辻さんは、日本に住んで神社に関わる外国人はその感覚を感じていると思う一方、短期間で帰る人は営みにまで深く入り込めていないかもしれないと答えます。だからこそ、そこには可能性を感じるといいます。
樋口さんも、海外の人を神社に案内するときは観光地として見ていたが、営みを体験する場だと考えたのは初めてだと話しました。西高辻さんは、清める感覚は日本文化や日本人と強く結びついていると応じています。
修行に来る神職20人、おみくじは季節で10種類
樋口さんは、西高辻さんが他の神社との連携を強めている理由とその形について尋ねました。
西高辻さんによると、神社同士の横のつながりには、神社全体の組織、天神様を祀る神社のつながり、20〜30代の若手神職の集まりなどがあります。そのうえで太宰府天満宮には修行に来る神職が多く、現在は約20人を預かっているそうです。
修行に来た神職は、数年から長い人で10数年ほど奉仕し、実家の神社に戻っていきます。西高辻さんは、太宰府天満宮の営みを見たうえで、地域性や由緒を踏まえて自分の神社をどう残していくかを考える機会を提供したいと話しています。社内にはコテンラジオを聴いている人も多いそうです。
樋口さんは、太宰府天満宮が教育機関のような役割も担っていると受け止めました。
季節を感じることについて、西高辻さんは太宰府天満宮のしつらえを紹介しました。おみくじの色は季節によって年間10種類ほど変わり、御簾の色も季節で変わります。夏には風鈴の音で季節を感じられるようにしているそうです。
楊さんが西高辻さんの忙しさを気遣うと、西高辻さんは、任された期間は全力で頑張りたいと答えました。日本の文化をどう残すかを考える神遊舎という団体の理事も務めており、その基本にあるのは、生活の中で文化が息づかないと文化は残っていかないという考えです。
太宰府天満宮幼稚園では、和菓子と日本茶を学びのテーマにしています。和菓子はアジサイの時期にはアジサイの生菓子、紅葉のお菓子は夏は青く秋はオレンジ色になるなど、季節や行事と深く結びついています。
園児たちは、和菓子の材料を学び、和菓子店の鈴懸の協力で工場も特別に見学します。2ヶ月に1回の誕生祭では、子どもたちが御本殿でお祓いを受けて成長を祈願したあと、以前は洋菓子を食べていましたが、アレルギーの子も同じものを食べられるように和菓子に変えたそうです。
祈願のあとに洋菓子を食べていたが、アレルギーの子が同じものを食べられないことがあった
アレルギーの少ない和菓子をみんなで食べ、五感で季節に触れるうちに和菓子職人を目指す子も出てきた
日本茶では、福岡の産地である八女茶 ── 福岡県八女地方で生産される日本茶。特に高級な玉露の産地として知られていますを題材に、原材料や工程を学んだうえで、1煎目と2煎目で温度を変えるなど実際にお茶を入れます。子どもたちに急須を渡すと、家庭で子どもがお茶を入れ、それが両親や周囲にも広がっていくそうです。
駐車場をあえて遠くに。まちづくりとしての神社
楊さんは、生活文化の取り組みはまちづくりのようだと感想を述べました。西高辻さんは、人を育てることが地域や日本を担う人につながると応じ、太宰府天満宮はインフラを考えて関わってきた点に特徴があると話します。
西高辻さんによると、江戸時代まで参道には宿屋があり、旅人が泊まって参拝していました。明治になり鉄道が普及する際、当時の鉄道は煤が多く出ることや、泊まり客が日帰りになることを懸念して太宰府では反対し、今のJRは少し離れた場所を通ることになりました。
鉄道の需要が高まると、この判断は失敗体験として残りました。そこで道真公が亡くなって1000年の大祭に合わせ、二日市から太宰府まで馬車鉄道 ── レールの上を馬が車両を引いて走る鉄道。蒸気機関車や電車が普及する前に、各地の短い区間で使われましたを誘致します。これが今の西鉄電車の前身だそうです。
戦後すぐには、アメリカに留学した西高辻さんの祖父が車社会の到来を感じ、車で参拝する人のための駐車場を計画しました。その際、便利な近くではなく、あえて電車の駅よりも遠くに大きな駐車場をつくったといいます。
駐車場を遠くにした狙いは、参拝者に街歩きをしてもらうことでした。西高辻さんは、その循環を次のように説明しています。
遠くに駐車
参拝者が駅より遠い駐車場に車を停める
街歩き
参道を歩く時間そのものを楽しむ
参道で消費
地元の店で買い物や飲食が生まれる
地元が神社を支える
潤った地元の人たちが、また神社を支えてくれる
こうした発想の源について楊さんが尋ねると、西高辻さんは、歴史を紐解くとヒントが多いこと、様々な分野の人との対話、旅先で見た良いプロジェクトを太宰府向けにアレンジすることなど、いくつもの経路があると答えました。
アジサイと月の満ち欠けを、取り戻したくなった理由
深井さんは話を少し戻し、生活の中の文化の話に強く共感したと語りました。
「あ、今アジサイ咲いてんな」とか、今月が新月だな、満月だなとかっていう感覚みたいなものが、一年を通じて自分の中にあるっていう状態を失ってたので。
なんかすげえそれ(季節の感覚を)取り戻してえなって久しぶりに思った。
でも深井君にとっては出雲大社はそういう存在じゃないの?
出雲出身の深井さんにとって、出雲大社は特別な存在であり、事あるごとに行く場所です。神社のデフォルトが出雲大社で設定されているため、他の土地の人とは感覚が違うかもしれないと話します。
そのうえで深井さんは、行くと清らかな気持ちになる感覚こそが重要だと語りました。
深井さんは、株式会社が人をホーリーな気持ちにさせることはなかなかできないと続けます。最近は出雲大社に人を案内することが多く、クリスチャンやムスリムの人では違うかもしれないものの、多くの日本人に清々しい気持ちを抱かせられることを特殊だと感じているそうです。
道真公と今の人々を、もう一度近づけるために
楊さんは最後に、西高辻さんがこれからどうしていきたいのかを尋ねました。
西高辻さんは、今の時代に太宰府天満宮を任された者として、次の時代にどう残していくかを考えていると話します。現在は御本殿の大改修を進めており、修繕に加えて学者と共に御本殿の成り立ちの研究も行っています。
森の再生にも取り組んでおり、今種をまけば何十年後かに大事なものになると西高辻さんは話します。その知見を自分だけのものにせず、他の神社や他業界にも活かせる形でシェアしたいと考えています。
西高辻さんは、神社は引っ越すことができないからこそ地域のために何かできないかを考え続け、訪れた人が何よりも元気になれる場所でありたいと語りました。これまで守ってきた人たちに感謝しながら、多くの人と力を合わせて次を担いたいといいます。
楊さんは続けて、道真公と今の人々がどんな関係になってほしいかを尋ねました。西高辻さんによれば、江戸期以降の道真公は庶民や子どもの神様として信仰されていました。
その背景には、文楽や歌舞伎の菅原伝授手習鑑 ── 菅原道真の左遷をめぐる物語を描いた人形浄瑠璃・歌舞伎の演目。江戸時代に初演され、現在も上演される人気作ですで道真公に心を寄せる人が増えたことや、寺子屋で道真公の像を掛け、その前で子どもたちが手習いをしたことがあったと西高辻さんは話します。
一方で今は、太宰府天満宮に来ても道真公を知ったり意識したりする機会が少なくなっています。西高辻さんは、道真公がどんな生涯を送り、何を思ったのかを伝えていくことが神社の務めだと考えており、コテンラジオで道真公を取り上げてもらったことをうれしく思うと話しました。
楊さんは、第2弾の前に子どもを連れて遊びに行きたいと応え、番外編を締めくくりました。
まとめ
太宰府天満宮の西高辻信宏さんの話から見えてきたのは、神社が人口減と神職不足という厳しい現実に向き合いながら、祈りと景色と生活文化を意志を持って守り続けている姿です。その営みは、アートやまちづくり、子どもの教育を通じて、神社の外にも開かれつつあります。
- 全国約7万8000社を約2万1000人の神職で守る状況で、激務と修繕費の負担が神社の存続を難しくしている
- コロナ禍では明治12年のコレラ流行時の社務日誌に支えられ、祈りを止めない判断をした
- 「変わらない景色」は手を入れ続けることで保たれ、人の原風景や安心感を支えている
- アーティストとの協働や幼稚園での和菓子・日本茶の学びが、神社の営みを生活の中に息づかせている
- 駅より遠い駐車場のように、太宰府天満宮はインフラとまちづくりの視点で地域との循環を考えてきた


