ローマが奪った島々と、ハミルカルがイベリアを目指した理由
第一次ポエニ戦争は、ローマとカルタゴの双方が疲弊したうえで、最後はローマの粘り勝ちに終わりました。深井さんによれば、敗れたカルタゴの将軍ハミルカルたちは、ほぼ間違いなく「絶対にローマ倒すマン」になっていったと考えられます。
ハミルカルの恨みを深めたのが、戦後のローマの動きです。カルタゴで傭兵軍が反乱を起こした混乱に乗じて、ローマはカルタゴ領だったサルデーニャ島 ── 地中海西部、イタリア半島の西にある大きな島。現在はイタリア領ですとコルシカ島を取ってしまいました。
火事場泥棒みたいな。
火事場泥棒してる。
楊さんは、ハミルカルにとって祖国の混乱をローマにまんまと利用された形で、「クソ」と思ったのではないかと話します。深井さんも、カルタゴの人はみんなそう思っただろうと応じています。
カルタゴには多額の賠償金も課されていました。その返済も含めてハミルカルが考えたのが、今のスペインやポルトガルにあたるイベリア半島への進出です。イベリア半島は金鉱や銀鉱に恵まれていたといいます。
敗戦
第一次ポエニ戦争でローマに敗れ、多額の賠償金を課される
領土の喪失
傭兵反乱の混乱中に、サルデーニャ島とコルシカ島をローマに取られる
残された道
地中海を押さえられ、進出先はイベリア半島しか残っていない
イベリア進出
鉱山資源を押さえ、ローマへの再戦の足場にする
深井さんは、ローマへの復讐を狙ったという記述そのものは存在しないと断っています。そのうえで、ハミルカルの行動を普通に見れば反ローマ的なものであり、賠償金の返済手段もほかに作りにくかったと考えています。
英雄を妬むカルタゴ貴族と、「二度と戻らない」決意
ハミルカルのイベリア進出に、カルタゴの民衆は大きな声援を送りました。一方でカルタゴの貴族たちは仲が悪く、ハミルカルへの嫉妬もあって誹謗中傷を続けていたそうです。
深井さんは、貴族たちは国のことより自分の家のことを考えていたのだろうと推測しつつ、ディテールは正直わからないと話しています。
楊さんはさらに、ハミルカル自身もカルタゴ本国の元老院から距離を取りたかったのかもしれないと想像します。
なんかあの源頼朝みたいにさ、もう京都から距離を取って鎌倉に幕府を作ったみたいな、そういう発想かもしれなかったですね。わかんないですよ。
イベリア半島へ向かう際、ハミルカルは二度と再びカルタゴの地を踏むまいと決意したと伝わっています。深井さんは「なんでそんなことがわかるんだろう」という記述の一つだとしながらも、相当な覚悟で旅立ったことがうかがえると話します。
金の首輪だけの戦士がいる? 未開拓のイベリア半島
当時のカルタゴの人々にとって、イベリア半島は蛮族が住む未開発の土地のような場所でした。楊さんによれば、イベリア半島は統一されておらず、小さな社会がカオスのように混じり合っていたといいます。
イベリア半島には、ギリシャ人やカルタゴ人のほか、先住民のイベリア人、ケルト人、ルシタニア人 ── 現在のポルトガル周辺に住んでいた古代の民族集団。のちにローマの支配に激しく抵抗したことで知られますなど、さまざまなグループがいたそうです。ただし実態はよくわかっていません。
深井さんは一説として、金の首輪だけをつけた全裸の兵士がいたという話を紹介し、スタジオは盛り上がります。
金の首輪は?ってなるしね。なんで?ってなるし。全部全裸とかならまだなんか分かるけどね。
深井さんは、服を持っていないから裸だったわけではないだろうとしつつ、カルタゴの側からはそう見えただろうと話しています。
バアルの神殿で交わされた「ハンニバルの誓い」
ハミルカルが祖国を旅立つとき、長子ハンニバルとその弟たちも一緒でした。一行は主神バアル ── カナン・フェニキア系の人々が信仰した神。カルタゴでも重要な神で、「ハンニバル」の名の「バル」はこのバアルに由来しますの神殿にひざまずき、ローマ打倒を念じたといいます。
このとき8歳とも9歳ともいわれるハンニバルに、父ハミルカルは「ローマこそは我らが仇敵。お前はなんとしてもこの国の恨みを晴らすのだ。このことをよく肝に銘じておけ」と語ったと伝わります。
深井さんは、古代のことなので真意は曖昧だとしながらも、ハンニバルがこれに近いことを経験したのは確かだろうと見ています。
なんならこの時だけじゃなくて、毎日言っててもおかしくはないねって思います。
ハンニバルは幼い頃から、ローマは仇敵で絶対に倒すべき相手だと教えられ、父がその目標に人生をかけて邁進する姿を見て育ちました。
征服と婚姻でイベリアに「新しい国」をつくるハミルカル
イベリア半島の人々は部族間のまとまりがありませんでした。楊さんによれば、東西南北が山地で分断されていたため、統合しにくかったようです。
ハミルカルはそうした原住部族を次々と征服し、カルタゴ風に訓練して軍隊化していきました。カルタゴ本国からは足を引っ張られながらも、実質的にはバルカ家だけで動いている状態です。
年々、ハミルカルの傘下に集まる原住民の族長は後を絶たなかったといいます。深井さんは、ハミルカルが魅力的でカリスマ性のある指導者で、傘下に入りたいと思わせる何かがあったのだろうと話します。
さらにハミルカルは、イベリアの部族の娘たちとハンニバルら息子や自分の弟を結婚させ、現地に溶け込んでいきました。
確かにカルタゴに帰らない決意だよね、これは。
新しい国作ってるのと一緒なんだよね、実質的に。
部下を助けて溺死した「イナズマパパ」
ハミルカルは部下から本当に信頼されていたようです。最期は、増水した川で部下を助けようとして溺死したと伝わっています。
人助けようとしたんや。しかも部下を。
深井さんは、息子ハンニバルの視点から見れば、ハミルカルはめちゃくちゃリスペクトできる父親だったはずだと話します。楊さんはハミルカルを、その異名にちなんで「イナズマパパ」と呼びます。
ハミルカルは劣勢だった第一次ポエニ戦争を盛り返しながら、補給を断たれて負けざるを得ませんでした。部下を助けて死ぬような人が、反乱した傭兵団とは戦って殲滅しなければならないという苦汁もなめています。
深井さんは想像だとしたうえで、ハンニバルはそうした父の話をたくさん聞き、父の遺志を継いで絶対にローマを倒すという思いを強めたのだろうと語ります。
義兄ハスドルバルが築いたカルタゴ・ノウァ
ハミルカルの死後、イベリア開発事業を継いだのは、ハンニバルの義理の兄ハスドルバルでした。バルカ家の血筋ではありませんが、当時ハンニバルはまだ18歳で、跡を継ぐには早すぎると考えられたようです。
40代か50代ほどの年長者だったハスドルバルは、周囲から大きな信頼を受けていました。なお、この後にはハンニバルの弟のハスドルバルも登場するため、話はややこしくなります。
もう全部ナンバリングしてほしいよ。古典ラジオのエピソードみたい。
義兄ハスドルバルは、「新しいカルタゴ」を意味するカルタゴ・ノウァ ── ハスドルバルが建設したイベリア半島の拠点都市。現在のスペイン南東部の港町カルタヘナにあたりますを建設し、銀鉱の開発に着手しました。深井さんは、カルタゴ・ノウァが変化して今のカルタヘナという名前になったのだろうと話します。
楊さんによれば、ハスドルバルは大規模な湾岸施設も整え、軍事と貿易の両方の拠点にしました。王宮のような建物を建てたという記録も残っているそうです。
楊さんは、カルタゴ本国と反目していたわけではないものの、ハスドルバルの行動だけを見れば「独立志向がある」と言われていると紹介しています。
先住民を味方にする力と、ローマによる暗殺
義兄ハスドルバルもまた、現地の部族民から厚い信頼を得ていました。深井さんは、ハミルカルからやり方を教わっていたのだろうと推測します。
楊さんは、戦場の先住民を味方にして自軍の戦力にできるかどうかが、古代の戦争の勝敗を大きく左右したと指摘します。先住民とパートナーシップを結ぶ力は、優秀な将軍に欠かせない基礎スキルだったというのです。
いくら近くで見ててもね、いざやってみろって言われたらできないことって結構ありますからね。やっぱり優秀なんでしょうね、そこはね。
ハスドルバルは他のイベリア諸部族から「地上の将軍」と呼ばれるほどの敬意を集めていったといいます。
一方のローマは、イベリアで再び勢いを増すカルタゴ勢力を恐れていました。ただ当時のローマは、イタリア半島北部のガリア人との戦争に忙殺されており、表立って対立することはできませんでした。
そこでローマは刺客を送り込み、ハスドルバルを暗殺します。
お父さんが悔しい思いをして、復讐を引き継いで。で、自分も多分おそらくハスドルバルのことも信頼して尊敬してたと思うんですけど、ハンニバルは。その尊敬する兄がなんと暗殺されてしまうと。
うわぁ、ローマ絶対殺すマンの単語ですね。
26歳の若大将ハンニバルは、敵ローマも認める逸材
深井さんは、ローマにとってはハスドルバルを生かしておいたほうがまだマシだったと思えるほど、ハンニバルは優秀だったと話します。ハンニバルは26歳ごろ、カルタゴ・ノウァなどイベリアの拠点を引き継ぎました。
もう武家の若大将ですよ。
史料では、古参兵たちにとってハンニバルは、父ハミルカルが若返って帰ってきたように見えたと描かれています。顔つきや眼差し、表情まで父と同じだったというのです。
ハンニバルは生前のハスドルバルからも信頼され、難しい任務を任されていたといいます。兵士たちは、ハンニバルの指揮下では確信を持って元気に戦えたそうです。深井さんは、脚色はあるだろうと断っています。
深井さんは、ローマ側の史料の描写も読み上げます。ハンニバルは危険の中でも大胆かつ思慮深く、暑さや寒さに耐え、食事は欲望ではなく必要に応じて取ったといいます。
さらに、仕事で余った時間を睡眠に充て、戦地では兵士の外套をかぶって地面で眠り、誰よりも先に戦場へ出て最後に去ったとも書かれています。
敵ですからね、言うたら。
ローマ人は、ハンニバルを残忍、不誠実、約束破りなどと悪く言ってもいます。それでも深井さんは、ここまでの賞賛は敵でさえ否定できなかったのだろうと見ています。
楊さんによれば、ハンニバルは教養人でもありました。ギリシャ語の先生を側近に置き、ギリシャ語を上手に書いて話せたため、通訳らしい人物が史料に登場しないそうです。
「するなよ」が火をつけた? サグントゥム攻撃
ハンニバルは義兄の方針を引き継ぎ、鉱山開発や部族の服属を進めました。そしてついに、ローマとの衝突を自ら起こし始めます。
イベリア半島には、ローマの同盟都市サグントゥムがありました。第一次ポエニ戦争の講和で、カルタゴは勝手に戦争をしてはいけないという不平等な条約を結ばされており、サグントゥムを攻めることは明確な条約違反でした。
勢力を広げるカルタゴを警戒したローマは、サグントゥムを絶対に攻撃するなと事前に警告していました。
ふり、これ?ふりじゃない?これ。するなよ、するなよ。
深井さんによれば、ハンニバルは父からも、サグントゥムを攻撃すれば戦争になるから考えて行動するようにと言われていたようです。そのうえで、ハンニバルはローマからの警告に腹を立てたらしい、と深井さんは想像を交えて話します。ハンニバルは攻撃に踏み切りました。
カルタゴ本国については、ハンニバルが事前に確認し、本国が追認した形だろうと深井さんは見ています。全面戦争まではいかなくても、ちょっかいを出す程度の了承はあったのではないかというのです。こうして第2次ポエニ戦争が始まっていきます。
思いつきではない? 20年近く練られた対ローマ戦略
楊さんは、こうした記述はあくまでローマ側の文献に基づいている点に注意を促します。
深井さんは、史料からはハンニバルが深く考えずに開戦したように読めるものの、実際は違うだろうと話します。その後の戦略と戦術は、明らかに思いつきではないほど考え抜かれているからです。
ローマをどうやったらぶっ殺せるかっていうことをずっと考えて、それでイベリア半島に行ってると思うんですよ。
深井さんは、父の代から一緒に考え、8歳ごろから26歳まで練り続けた計画があったのだろうと推測します。サグントゥム攻撃は、計画を実行できる手応えがあり、今始めてもいいという判断だったと見ています。
楊さんも、この後の行動を見れば一時の感情による判断ではなかったと考えています。深井さんはこの見立てを、あくまで想像だと強調しています。
ローマ側の史料からは、警告に腹を立てて深く考えずに攻撃したようにも読める
深井さんと楊さんは、父の代から練られた戦略に基づく判断だったと推測する
今やったら藤井聡太か。すごいな。
次回は、ハンニバル戦争とも呼ばれる第二次ポエニ戦争がいよいよ始まります。樋口さんは「だいぶハードルが上がっている」と期待を込めて回を締めくくりました。
まとめ
第一次ポエニ戦争に敗れたハミルカルは、イベリア半島で征服と婚姻を通じて新しい国のような勢力を築き、その中でハンニバルはローマへの復讐を託されて育ちました。父の死と義兄の暗殺を経て後を継いだハンニバルは、サグントゥム攻撃によって第二次ポエニ戦争の口火を切ります。
- ハミルカルは賠償金の返済と再起のために、鉱山資源が豊富なイベリア半島へ進出した
- 幼いハンニバルは、バアルの神殿で父からローマへの復讐を託されたと伝わる
- 義兄ハスドルバルはカルタゴ・ノウァを建設したが、ローマの刺客に暗殺された
- 26歳ごろに後を継いだハンニバルは、敵のローマ人からも能力を認められていた
- サグントゥム攻撃は、長年練られた戦略に基づく判断だったと番組では推測されている





