兵力75万のローマをどう倒す?
前回、ハンニバルはサグントゥム ── イベリア半島東岸の都市。ローマと友好関係にあり、ハンニバルによる攻撃が第二次ポエニ戦争の直接のきっかけになりましたを攻撃し、ローマとの約束を破る形になりました。今回のエピソードは、そこから第二次ポエニ戦争が始まる場面を扱います。
楊さんはまず、ハンニバルの目線に立ってローマをどうすれば倒せるのかを考えます。ローマは1つの都市国家が半自治の都市や部族を束ねたゆるい連合体で、兵士の動員可能数は75万ともいわれるほど人的資源が豊富でした。
兵士の可能動員数が多くて75万とかいうのが本当だとして、ハンニバルがどうやったらローマに勝てるかってあんまり方策ないんだよね、実は。
楊さんによれば、ハンニバルの有名な業績の1つがアルプス越えです。楊さんは、アルプス越えは思いつきでできることではなく、ローマをどう倒すかという問いに直結していたのではないかと考えています。ただし、これは原典に書かれていることではなく、論理的に考えるとそうなるという推論だと断っています。
ハンニバルの目的は、ローマを滅ぼすか、少なくともローマ連合を瓦解させてカルタゴを復興させることでした。戦う場所として考えられるのは、イベリア半島、シチリア島、アフリカのカルタゴ本国、イタリア半島の4つです。
| 戦う場所 | 結果の見通し |
|---|---|
| イベリア半島 | ローマの物量に押され、いずれ負ける |
| シチリア島 | ローマの物量に押され、いずれ負ける |
| アフリカ(カルタゴ本国) | ローマの物量に押され、いずれ負ける |
| イタリア半島 | ローマ本拠地で勝てば連合を揺さぶれる |
楊さんは、イタリア半島以外で戦えば、75万の兵員が次々に送り込まれて量で押し負けると説明します。深井さんも、ローマの最大の強みは同盟都市から人材と物資を調達できる連合同盟システムだと応じています。
もうローマの最大の強みがこの連合同盟システムですから、その同盟システム、他の都市との同盟関係の中でのこの人材調達、物量の調達ができますからね。
一方で、何もしないという選択肢も危険でした。楊さんは、拡大志向のローマはいずれイベリア半島のカルタゴの新拠点を潰しに来て、カルタゴはジリ貧になると見ていたのではないかと語ります。
唯一の策は「同盟都市の離反」
楊さんの整理では、ハンニバルに残された唯一の策は、ローマに従う他の都市を離反させることでした。同盟システムを崩し、ローマを一都市レベルに落とそうという発想です。
ローマの強さの要はこのローマの同盟システムなんですよ。だからもう直でこれ(同盟システム)を突こうとしたんですよね。
同盟を崩すには、まずローマの本拠地であるイタリア半島まで攻め込む必要があります。しかしイベリア半島からイタリアまでは2000キロほどあり、普通に進めば途中で見つかり、待ち伏せされ、イタリア以外の場所で戦うことになってしまいます。
そこでハンニバルが狙ったのは、ローマが想定しない道を通ってイタリア半島に突然現れ、本拠地で勝利を重ねて相手を精神的に揺さぶることでした。楊さんはこれを、相手に「バッドなサプライズ」をさせる戦略だと表現しています。
さらに、勝ち方にも条件がありました。同盟諸国に「ローマについていったら危ない」と思わせるには、中途半端な勝利ではなく、毎回の圧勝が必要だったといいます。
気づかれずに進軍
待ち伏せされないルートでイタリア半島へ
本拠地で圧勝
75万の動員力を持つ相手に何度も大勝する
同盟都市が離反
ハンニバルを勝ち馬と見てローマから離れる
ローマが弱体化
力の源泉である同盟関係が崩れる
カルタゴ復興
復興の道が開ける
だからめっちゃむずいですよね。イタリア半島に気付かれずに攻め込む。2000キロも、大軍で。
象と馬を連れて富士山級の山を越える代償
アルプス越えと一言でいっても、実際は富士山級かそれ以上の山を連続で越え続けることを意味します。しかもハンニバルは、数万の兵士に加えて象の部隊と騎兵部隊も連れていました。
ゾウ部隊と騎兵部隊も連れて行ってるんで、ゾウさんに富士山を登らせますか?
手前にはピレネー山脈もあり、ピレネーとアルプスを越えてようやくローマの領域に入れます。楊さんは、この過酷な行軍を成立させるには、愛国心では束ねられない傭兵たちの心を強くつかむことが前提条件になったと指摘します。
もう1つの条件は馬です。楊さんによれば、ハンニバルは後の戦いで圧勝する要を騎兵に置いていたため、アルプス越えで馬を失うわけにはいきませんでした。結論から言うと、アルプス越えでは兵士の半分が命を落としたといいます。
アルプスのどのルートを通るか、どのルートなら現実的にゾウと馬が渡り得るかみたいなことをおそらくかなり調査したんじゃないかなと。出たとこ勝負でできることじゃないと思うんですよね。
番組では、アルプス越えは単に偉業として語られがちだが、実際には情報収集、現地調査、原住民との関係づくり、人員や物資の準備、段取りや計画、そして兵士たちとの目標の合意形成がなければ成功しなかったはずだと語られます。
- ルートの情報収集と現地調査
- 道中の原住民との関係づくり
- 人員と物資の準備
- シミュレーションや段取り、計画
- 兵士たちとの目標の合意形成
楊さんは、普通なら兵士は帰るか離反して将を殺すところであり、実際ハンニバルは暗殺を恐れていたと話します。それでもハンニバルはイタリアに到達し、この後ローマに大勝することになります。
楊さんによれば、ハンニバルはあらゆるものを犠牲にした先にある圧勝を求め、それこそがローマ連合を瓦解させると信じて進んでいきました。
また番組では、参考にした本の中に、ハンニバルが目指したのはローマの壊滅ではなく、同盟システムを崩してローマを弱体化させ、勢力均衡の状態をつくることだったのではないかという学者の説もあると紹介されています。
紀元前218年、出発からピレネー越えまで
紀元前218年、ハンニバルはカルタゴ・ノウァから長い旅を始めます。北イタリアに到達するまでの道のりは1620キロあったとされ、その途中にピレネー山脈とアルプス山脈がありました。番組では、福岡から東京が1000キロほどなので、仙台あたりまでの距離に相当すると例えています。
出発時の兵力は歩兵6万人、騎兵1万1000人、象が数十頭とされています。ハンニバルは春に出発してスペイン北東部を瞬く間に押さえ、夏にはピレネー山脈を越えていました。楊さんは、ルートをすべて調査していたのだろうと推測しています。
道中でハンニバルは、一部の兵士を故郷に帰らせていたといいます。親カルタゴ派を各地に残す意味や、遠征に参加しても帰れることがあると兵士に思わせる意味があったとされますが、楊さんはこれも想像の部分があるとしています。
現在のフランスにあるアヴィニョン近郊のローヌ川 ── アルプス山脈に源を発し、スイスとフランスを流れて地中海に注ぐ大河。古代から南フランスの重要な交通路でしたのほとりに着いた時点で、兵力は歩兵3万8000、騎兵8000、象37頭にまで減っていました。
すでに3万8000と8000と37頭とかなんですよ。(ローマは)大体75万じゃないですか。
楊さんは、75万が誇張だとしても数十万の動員力はあったはずで、数の差はかなり大きかったと話します。この時点でまだアルプスには入っていません。
スキピオとセンプロニウス、ローマの2人のコンスル
ハンニバルがピレネーを越えようとしていた頃、ローマにはすでに使節が来て、ハンニバルの軍隊動員が伝わっていたといいます。ローマはすぐに応戦の準備を始めました。
当時のローマには2人のコンスル ── 共和政ローマの最高官職で、日本語では執政官と訳されます。任期1年で毎年2人が選ばれ、軍の指揮も担いましたがいました。1人はスキピオで、有名なスキピオの父にあたる人物です。もう1人がセンプロニウスです。
2人はイベリア半島に派遣され、ピレネーを越えたあたりでハンニバル軍を迎え撃つ計画でした。番組では、イベリア半島は武器や食料、資金、鉱山を持つハンニバル側の補給基地だったため、ローマはそこを突いて出鼻をくじこうとしたと説明されています。
ところが北イタリアでボイイ族がローマに対して蜂起し、スキピオはその鎮圧を先に行うことになりました。その結果、スキピオのイベリア行きはワンテンポ遅れます。一方センプロニウスは、カルタゴ本国から敵が来る可能性に備えてシチリア島へ向かいました。
なぜアルプスに象を連れていくのか
楊さんは余談として、ハンニバルがなぜ象を連れていったのかを取り上げます。騎兵は圧勝のための戦略的な要ですが、象の役割はいくつかの見方ができるといいます。
1つは見た目の怖さです。鎧を着た巨大な象は匂いもすごく、人だけでなく相手の馬まで怯えたといいます。楊さんは、ローマ兵を怖がらせるだけでなく、道中のガリア人がちょっかいを出してこないよう威圧し、無駄な戦闘を減らす意味もあったのではないかと話します。
この象は、今は絶滅したアフリカの森林ゾウだったそうです。現在のアフリカゾウよりひと回り小さいものの、馬よりはずっと大きかったといいます。番組では楊さんが馬を「ウマピー」と呼び続けていることに、ついにツッコミが入る場面もありました。
象は第一次ポエニ戦争 ── 紀元前3世紀に、シチリア島の支配をめぐってローマとカルタゴが争った戦争。カルタゴが敗れ、シチリアを失いましたでも活躍していました。さらに遡ると、アレクサンドロス大王 ── 古代マケドニアの王。東方遠征でペルシアを倒し、インド北西部まで進出した人物ですの軍と戦ったインドのポロス王の軍勢に戦象部隊がいて、衝撃を受けた後継者の将軍たちが象の部隊を持ちたがった歴史があると紹介されています。
楊さんによれば、この頃すでに戦象は時代遅れともいわれていましたが、ハンニバルはあえて象を連れていきました。象を連れたアルプス越えそのものも、非常に有名なエピソードになっています。
海岸線で待つローマ軍、山を越えるハンニバル
スキピオが足止めされている間に、ハンニバルはローヌ川を北上し、イゼルの谷と呼ばれるアルプスの入り口にたどり着きます。アルプスを越えると、現在のトリノがあるあたりに下りることができ、ローマにかなり近づいたと思える場所に出られました。
楊さんの説明では、イベリア半島からイタリアにかけては山脈が多く、軍隊が通れる道は基本的に海岸線しかありませんでした。待ち構えるのも通るのも海岸線というのが当時の常識でした。
ハンニバルは南の海岸線を通ると考え、海岸で迎撃しようとする
北上して山側へ向かい、アルプスを越えてイタリアに入る
その結果、海岸で待っていたスキピオは完全にスルーされる形になります。楊さんは「気づいたらいる。どこから来たのか、まさかアルプスを越えてきたのか」という状況だったと表現しています。
どのルートでアルプスを越えたのかは長年議論されてきましたが、楊さんは最近のウェブ記事で、当時の年代の馬のフンが大量に見つかった場所があり、それがハンニバルのルートではないかとわかってきたという話を読んだと紹介しています。
ガリア人との交渉が死活問題だった理由
アルプス越えの困難は、寒さや補給の難しさ、凍った地面、道のない断崖絶壁だけではありませんでした。周辺にはガリア人が住んでおり、ハンニバル軍の通過を妨害してきたといいます。
楊さんは、ガリア人はひとまとまりではなく、ローマと敵対する者も親ローマの者もいてバラバラだったと説明します。ハンニバルはこうした人々をうまく使って情報を集め、味方につけ、敵対した相手はうまく切り抜けていきました。
例としてアロブロゲス族では、兄弟が覇権を争っていたところにハンニバルが仲裁に入り、後継者を決めてあげたといいます。その結果アロブロゲス族はハンニバルに協力せざるを得なくなり、食料の補給などを担ってもらえるようになりました。
戦いじゃなくて、現場で細かな政治力を発揮して、現地住民たちと関係を結んでいくっていう、これ前回でも言いましたよね。
番組では、この様子がロールプレイングゲームで勇者が立ち寄った城の王様の願いを解決して仲間にする展開のようだ、と例えられています。一方で、恭順の意を示しながら反抗してくるケウトロネス族のような部族もいました。
寝たら死ぬ山頂と、谷底へ消える兵士
アルプス山脈は、最初は1000〜1500メートル級の山が続き、越えていくと3000〜4500メートル級になっていったといいます。夜の冷え込みは激しく、寝たら死ぬような環境だったそうです。
馬も象もつまずいて崖から落ち、多くが命を落としました。アルプス越えには2週間ほどかかり、楊さんは「2週間ずっと富士山の上で暮らしているような感覚」だと例えています。
アルプスに入って9日目、ハンニバル軍はついに最も高い頂上に達します。雪が積もる山頂からはイタリアの平原が見え、ハンニバルはそれを指さして兵士たちを鼓舞したと伝わっています。
あれに見えるのはイタリアだ。あと一挙に下ればすぐローマの城門に至ると。
伝承では兵士たちは疲労を忘れたとされますが、楊さんは「忘れるかよ」とツッコミを入れています。そのうえで楊さんは、ハンニバルが伝えたかったのは報酬の話だろうと解釈し、きついけれど報酬がすごい外資系のような組織で、報酬を求める野心的な者だけが来ていたのではないかと語ります。
しかし、最もつらかったのは下りだったといいます。凍った道で多くの兵士が谷底に消え、食料も十分ではなかったと考えられます。さらに象が通れない道が多く、象のために道を作りながら進む必要がありました。
半減した軍勢は計算済みだったのか
番組では、ハンニバルがこの後ローマに大勝するからこそ評価されているのであって、勝たなければ単なる愚かな将軍だっただろうという話になります。楊さんも、このあたりは結果がすべてだと同意しています。
14〜15日を要したとされるアルプス越えが終わったとき、ハンニバルに残っていたのは歩兵2万、騎兵6000、象20頭でした。出発時の兵力は記述によってぶれがあり、番組では歩兵6万の説を採用しています。
| 時点 | 歩兵 | 騎兵 | 象 |
|---|---|---|---|
| 出発時 | 6万 | 1万1000 | 数十頭 |
| ピレネー越え後 | 3万8000 | 8000 | 37頭 |
| アルプス越え後 | 2万 | 6000 | 20頭 |
ピレネー越え後からアルプス越え後までで歩兵は1万8000人減り、馬は2000頭ほど崖に落ちたと楊さんは話します。象も37頭から20頭へとほぼ半分になりました。
この損失をハンニバルは織り込んでいたのかという問いに、楊さんは「半分になるけど行く」と決めていたのだと思うと答えます。騎兵を最も大事にし、そのぶん歩兵が多く死んでいるのが特徴だといいます。
楊さんによれば、渡る時期も計算されていた可能性があります。アルプスは冬になる前に越えなければ完全な失敗になりますが、ハンニバルが渡ったのは冬直前の秋でした。渡った後にアルプスが雪で閉ざされれば、背後から誰も攻めてこられなくなります。
だから、渡るタイミング、渡る時のコスト、でどれぐらい半減するか。そして士気をどうやって上げるか、あと補給をどうするか、全部考えてあるっぽいんだよね。
楊さんは、ものすごく運がいい人だった可能性もゼロではないとしつつ、体力的にも精神的にも過酷な行軍を乗り越えたことを考えると、考えて覚悟して行った人間の仕業に見えると語ります。ハンニバルは兵士たちと一緒に寝て同じ生活をし、励ましながら進んでいたといいます。
一度も負けられない戦いと、情報で揺さぶる戦略
アルプスを渡り切ったハンニバルは、現在のトリノ近くに到達します。当時そこには多くのガリアの人々がいました。ハンニバルは大きく減った軍勢で、ローマ軍に何度も圧勝する戦略を描いていました。
楊さんはこの状況を日露戦争になぞらえます。日露戦争で日本が一度も負けられなかったように、ハンニバルも一度負ければすべてが終わるため、基本的に相手を殲滅するほど勝ち続ける必要があったといいます。
楊さんによれば、ハンニバルのすごさは情報収集力にあります。この後の戦いでは、政治的な情報を集めて相手を心理的に揺さぶり、焦らせて飛び込ませたうえで殲滅するといった戦い方をしていきます。楊さんは、相手の政治的立場を利用するやり方は孫子 ── 古代中国の兵法書。戦わずに勝つことや、情報と謀略の重要性を説いたことで知られますの手本どおりだと話しています。
一方、海岸線で待っていたスキピオはハンニバルにスルーされて戸惑い、センプロニウスはシチリア島から慌てて戻ることになります。その展開は次回に続きます。
ナポレオンも影響を受けた英雄とアレクサンドロス
楊さんは、ハンニバルに影響を受けた人物は多く、ナポレオンもその1人だと話します。アレクサンドロス大王とハンニバルは、古代ローマや古代ギリシャの世界における英雄中の英雄だといいます。
番組では、文献には残っていないものの、ハンニバルを含む当時の軍人にとってアレクサンドロス大王はロールモデルだったとも語られます。騎兵戦略や間接アプローチ戦略など、やっていることが似ているため、ハンニバルもアレクサンドロスから学んでいた可能性があるといいます。
情報力、頭の良さ、行動力、気合、人望とすべてがそろったハンニバルですが、楊さんは、山頂での演説を聞くと「これでついていくのか」と感じるとも話します。当時の傭兵にはそれで十分だったのかもしれません。
演説が正確に記録されているのかという疑問も出されます。楊さんは従軍した人から話を聞いた体裁になっているようだとしつつ、語り手のトーク力や盛り具合が入っている可能性もあると認めています。アルプスを越え切ったものの軍勢は半分になり、次回はいよいよローマとハンニバルの戦いが始まります。
まとめ
ハンニバルのアルプス越えは、兵力で圧倒的に劣るカルタゴがローマの同盟システムを崩すため、気づかれずにイタリアへ入り圧勝を重ねるという論理から選ばれた高コストの戦略として語られました。兵力が半減するほどの犠牲を払いながらも、事前の調査や現地住民との関係づくり、時期の計算によって実行されたと考えられています。
- ローマの強さの源は75万ともいわれる動員力を支える同盟システムで、ハンニバルはその離反を唯一の勝ち筋と見ていた
- 同盟都市を離反させるには、待ち伏せを避けてイタリア本土に入り、毎回圧勝する必要があった
- 海岸線しか通れないという常識の裏をかき、象と騎兵を連れてアルプスを越えたことで、スキピオ軍をすり抜けた
- ガリア人との交渉や補給の確保など、戦闘以外の地道な政治力が行軍を支えた
- 歩兵6万から2万へと兵力が大きく減ったが、騎兵を優先し、冬直前に渡って背後を雪で閉ざすなど、損失と時期は計算済みだった可能性がある






