シラクサの裏切りはなぜカルタゴを追い詰めたのか
第一次ポエニ戦争の序盤について、深井さんは細部を省いて要点だけを話すと前置きします。まず海戦の初戦でローマが勝ったとみられ、続く陸戦の初戦もローマが勝ったと考えられているそうです。
陸戦の初戦については、どちらが勝ったのかははっきりしないといいます。ただ深井さんによれば、その後の展開から逆算すると、ここでローマが勝っていないとつじつまが合わないとのことです。
ローマの勝利を受けて、それまでカルタゴと同盟を組んでいたシラクサがカルタゴを裏切り、ローマ側につきます。樋口さんは「勝ち馬に乗った」ようなものかと受け止めました。
シラクサっていうのはシチリア島最大の都市なんですよね。で、補給っていう観点から見た時に、めちゃくちゃ重要な場所なんですよ。
シラクサの離反によって、カルタゴは補給に不安を抱えることになり、反対にローマは補給の心配がなくなりました。楊さんは、カルタゴがここで初めて危機を意識したと指摘します。
自分たち(カルタゴ)がシチリアで所有してた既得権益すら侵される可能性が出てきたわけですよ。
深井さんによると、カルタゴはもともと、シチリア島の西半分を治めていた勢力を東へ広げるつもりで、わりと軽い気持ちで戦争に加わったようです。一方のローマは、議論を重ねて覚悟を決めてから参戦していました。
初戦で負けが続き、同盟都市まで失ったことで、カルタゴにもようやく「シチリア島をすべて失うかもしれない」という危機感が生まれます。
アクラガス攻防戦、補給で負けたカルタゴ
危機感を持ったカルタゴは、少し本気を出し始めます。ヨーロッパの方からリグリア人、ガリア人、イベリア人などの傭兵を集め、シチリア島のアクラガス ── シチリア島南岸の都市。ギリシア人が建設した植民市で、のちのアグリジェントにあたりますに送り込んで拠点にしました。
ローマもアクラガスに全軍を投入し、それまでにない規模の戦いが始まります。深井さんによれば、これは紀元前262年、今から2300年ほど前の出来事です。
アクラガスの戦いでローマ軍は物資の不足と疫病に苦しみましたが、シラクサからの補給でなんとか持ちこたえたといいます。戦いは7か月にも及び、先に食料が尽きたのはカルタゴ軍のほうでした。
カルタゴ軍の食料の方が先に尽きるっていう現象が起こると。補給で負けるんだよね、これ。
包囲の末にアクラガスはローマに奪われます。強いはずのカルタゴが、本気を出しても序盤で連敗したことになり、楊さんは「日清戦争かと思う」と例えました。
勝ったローマの側にも驚きがあったようです。深井さんは、ローマに「もしかして地中海全体でもいけるんじゃないか」という空気が漂ったと話します。
もちろん、すべてを倒せるとまでは考えていなかったはずだと深井さんは補います。ただ、開戦前よりはっきり有利な状況を作れるのではないか、という見通しが生まれたといいます。
新しいファクトが生まれて、自分たち(ローマ)の認識がもう変わっていくっていう感じだよね。
ローマは海軍をどうやって一から作ったのか
深井さんが「ローマの恐ろしいところ」として挙げるのが海軍づくりです。陸戦では勝っていても、カルタゴは海軍の国で、海ではまだ勝っていませんでした。
それでもローマは、開戦とほぼ同時に大艦隊の建造を始めていました。五段櫂船 ── 漕ぎ手の配置が五段に分かれた大型の軍船。三段櫂船より大きく、多くの兵士を運べましたを100隻、三段櫂船を20隻、ローマの船大工たちが初めて作ったといいます。
作り方の手本になったのは、戦争の初めごろにカルタゴから奪った船でした。ローマはこの船を分解して構造を学び、同じものを作ったそうです。楊さんはこれを「追いつけ追い越せ」と表現します。
楊さんによると、当時のカルタゴは「地中海最大で最強の海軍」を看板にしていました。一方のローマの軍船は、せいぜい三段櫂船の小さなものだったといいます。
船の大きさの差は、戦い方に直結します。当時の海戦は、船をぶつけ合ったり、乗り込んで白兵戦をしたりするのが基本だったので、多くの兵士を運べる大きな船が有利でした。
高い船と低い船で比べた時に、どっちの方が強いかというと、やっぱ高い船なんですよね。
高い船からは兵士が飛び降りて、低い船をすぐに制圧できます。深井さんはさらに、船の先端にある角のような部分をぶつけて穴を開ける戦い方も紹介し、大きくて速い船ほど破壊力も大きいと補足しました。
楊さんと深井さんの説明をもとに、大小の軍船の違いを整理すると次のようになります。
大きく高い。多くの兵士を運べ、高所から敵船に飛び降りて制圧しやすい。体当たりの破壊力も大きい
小さく低い。運べる兵力が少なく、白兵戦でも体当たりでも不利になりやすい
こうして作った艦隊で、ローマはついに海へ出ます。ところが、コンスル(執政官)が率いる17隻がシチリア島を攻めようとしたとき、漕ぎ手が不慣れだったため湾内に閉じ込められ、コンスルもろとも捕らえられてしまいました。
全く諦めないんだよね、ローマって。やっぱ俺らには海軍なんて無理なんだとかには絶対ならない、この人たち。
秘密兵器「カラス」は何がすごかったのか
最初の出撃で失敗したローマは、どうすれば勝てるかを考えます。深井さんによれば、ローマの強みは陸軍で鍛えた白兵戦でした。体当たりや操船ではカルタゴにかなわなくても、敵の船に乗り込んでしまえば勝てる自信があったといいます。
そこでローマが開発したのが、カラス ── ラテン語でコルウスと呼ばれる乗船用の可動橋。先端の鉤で敵船の甲板に食い込み、兵士が渡って乗り込むための装置ですと呼ばれる新兵器です。
深井さんの説明では、カラスは船の先端に取り付けた可動式の通路で、ふだんは斜め上に伸びています。敵船に近づくと、この通路を勢いよく下ろして橋のようにします。
通路の先端には、つるはしのような鉤がついていました。それがカラスのくちばしのように相手の甲板に食い込むため、敵船は動けなくなります。
接近
カラスを積んだローマ船が敵船に近づく
落下
斜め上に伸びた通路を敵船に向けて下ろす
固定
先端のくちばし状の鉤が甲板に刺さり、敵船が動けなくなる
突入
ローマ兵が橋を渡り、得意の白兵戦で敵船を占拠する
それ(海戦)を陸戦にしちゃったんだよ。陸戦ができるような環境を作っちゃったんだよね。
楊さんの言うとおり、カラスの狙いは、カルタゴが得意な海の戦いを、ローマが得意な陸の戦いに変えてしまうことでした。
ミュライ沖の海戦、「偽ハンニバル」の惨敗
カラスを搭載したローマ艦隊は、ミュライ沖 ── シチリア島北東部の沖合。書き起こしでは「ミライ沖」と聞こえる箇所で、紀元前260年の海戦の舞台として知られますでカルタゴ艦隊とぶつかります。カルタゴ側は130隻で、司令官の名前はハンニバルでした。
ただしこのハンニバルは、シリーズの主人公とは別人です。樋口さんが「やっと出てきたと思ったのに」と残念がると、深井さんと楊さんは、ハンニバルという名前の人物はたくさんいると説明し、番組ではこの司令官を「偽ハンニバル」と呼ぶことになりました。
偽ハンニバルが乗っていたのは、五段よりさらに2段多い七段櫂船でした。深井さんは、カルタゴが造船技術を見せつけてきたと話し、樋口さんは「すごいマウントの取り合いやん」と笑います。
しかしカルタゴ側は、ローマ船についた見慣れない装置の意味を、すぐには理解できなかったようです。実際に近づいたところでカラスに固定され、次々に乗り込まれて白兵戦に持ち込まれ、カルタゴ艦隊は惨敗しました。
深井さんが紹介したミュライ沖の海戦の被害は、次のとおりです。
偽ハンニバルの七段櫂船も捕獲され、本人はボートで逃げたといいます。深井さんによると、カルタゴ海軍がここまで大敗したのは史上初めてだったそうです。
恐る恐る海に出た、そのローマの海軍がですね、もう地中海最大最強のカルタゴ海軍に勝っちゃったわけですよね。
深井さんはこの勝利を、弟子が師匠を出し抜いたようなものだと例えます。しかもローマは開戦のとき、海軍が強いからといって師匠面するなとカルタゴに言い放っていたそうで、深井さんはその気の強さにも驚いていました。
エクノモス沖の勝利からアフリカ上陸へ
海戦にも勝ったローマは、カルタゴの本拠地があるアフリカに上陸しようと考えます。カルタゴ艦隊を恐れる必要がなくなり、補給も自分たちでできるようになったからです。
カルタゴにとっては、シチリア島を取れたら幸運というくらいの考えで始めた戦争で、本国まで狙われる事態になっていました。
カルタゴはシチリア島南岸のエクノモス沖に船を並べ、海の上でローマ軍を食い止めようとします。しかしここでもカラスが威力を発揮し、カルタゴは敗れました。
深井さんによると、エクノモス沖の海戦でカルタゴは30隻が沈み、64隻が捕獲されました。ローマ側は24隻が沈んだものの、捕獲された船はなかったといいます。
一番最初、コンスル捕らえられて湾内に閉じ込められてさ、何にもならなかったのに、そこで諦めずカラスを発明し、カラスで連戦連勝してくるみたいな、このメンタルの強さ。
ただし深井さんは、カラスはこの後だんだん通用しなくなると予告します。操船のうまいカルタゴが、下りてくる橋をよければいいと気づくからです。
和約を焦ったコンスルと、スパルタ人の逆襲
ローマ艦隊はアフリカのボン岬に上陸し、家々を略奪し、家畜と2万人もの捕虜を船に連れ去りました。
ローマのコンスルは2人いて、司令官は2人体制が基本です。このとき1人は艦隊を連れてローマへ戻り、もう1人がアフリカに残りました。
深井さんが注目するのは、残ったコンスルの任期です。コンスルの任期は1年しかないため、自分の任期中にカルタゴを落として功績にしたいという焦りがあったと考えられます。
焦ったコンスルは、きわめて厳しい和約の条件をカルタゴに突きつけました。カルタゴも弱気になっていたものの、この条件は越えてはいけない一線を越えていたようで、かえってカルタゴを怒らせてしまいます。
もう少し多分ライトなやつだったら行けてたと思うんだけど、(ローマのコンスルが)これは全然ダメみたいなのを突きつけた結果、カルタゴ側が今度切れます。
怒ったカルタゴが呼んだのが、スパルタ人の傭兵クサンティッポス ── スパルタ出身の傭兵隊長。カルタゴに雇われ、軍の再編と戦術の助言でローマ軍を破ったと伝えられますです。深井さんは、番組の以前のシリーズで扱ったスパルタの軍事教育を受けた人物だと紹介しています。
クサンティッポスの助言のもと、カルタゴは1万2000人の歩兵と4000人の騎兵、そして象の部隊でローマ軍に立ち向かいました。象がローマ兵を踏み殺し、コンスルも生け捕りにされて、ローマは惨めな敗北を喫します。
樋口さんが「最初から呼べばよかったのに」と言うと、深井さんは、負けが続いて追い込まれたからこそ頼る気になったのではないかと推測しました。
もう少し自信がある時は多分別にスパルタ人みたいな野蛮人の力借りなくてもって思ってると思いますよ。
ハミルカル・バルカの「戦わない作戦」
その後、戦線は膠着し、ローマとカルタゴの双方にとって泥沼になっていきます。そんななか、ドレパナの海戦がカルタゴにとって最大のチャンスになりました。
ドレパナの海戦では、カルタゴがカラスに慣れて、速い船とすぐれた操船技術で攻撃をよけまくるようになっていました。その結果ローマは勝てなくなり、多くの船を捕獲され、艦隊はほぼ全滅したといいます。
ミュライ沖やエクノモス沖では、カラスで敵船を固定して乗り込み、ローマが連勝した
ドレパナの海戦では、カルタゴが下りてくる橋をよけるようになり、ローマ艦隊がほぼ全滅した
この流れのなかで登場するのが、ハンニバルの父ハミルカル・バルカです。楊さんによると、「バルカ」は稲妻を意味するファミリーネームで、バルカ家は名家だといいます。
ハミルカルが登場してから、戦況は一変します。ハミルカルは大きな海戦や早期決着を避け、ローマの財政を干上がらせて撤退に追い込む作戦を取りました。
(ハミルカルは戦争を)わざと長引かせるんや。
深井さんの説明では、ハミルカルはあちこちに神出鬼没に現れ、奇襲や待ち伏せ、略奪を繰り返しながら、大きな戦いだけは徹底して避けました。ねらいは、遠征してくるローマにひたすら嫌がらせを続けることでした。
楊さんは、この作戦は歴史のさまざまな場面に登場すると補足します。古くは孫子の兵法 ── 古代中国の兵法書『孫子』に書かれた戦略思想。戦う前の準備や、戦わずに勝つことを重んじる考え方で知られますに「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」という言葉があるそうです。
近代では、イギリスの戦略思想家リデルハート ── 20世紀イギリスの軍事史家・戦略思想家。正面からの決戦を避け、敵の弱点を突く「間接アプローチ」を唱えたことで知られますの間接アプローチ戦略があります。正面から衝突せず、経済封鎖や通商路・補給基地の破壊で相手を弱らせる考え方で、楊さんは、ハミルカルの戦略は奇しくもこれにあたると述べました。
国庫が尽きたローマを救った富裕層の寄付
ハミルカルの作戦に対して、ローマにはほとんど打つ手がありませんでした。深井さんによれば、ローマは3年ほど大きな成果をあげられないまま、お金だけを使い続け、ついに国庫が尽きてしまいます。
数年前にはアフリカに上陸してカルタゴを滅ぼせそうなところまで行っていたのに、ハミルカルの登場後は、お金がなくて何もできない状態まで追い込まれました。深井さんは、この一進一退こそが第一次ポエニ戦争の特徴だと話します。
この時点で戦争は長年続いており、ローマもカルタゴも息も絶え絶えでした。終わらない戦闘と兵士の消耗、戦時の重税、物資の補給や戦費で、両国とも国力の限界に来ていたといいます。
ドレパナの海戦で艦隊を失ったローマは、いったんは海戦をあきらめていました。船もお金もない状態でした。
富裕層の人たちが寄付を出して、ローマの軍艦を(ローマ海軍の艦隊を)追加で作るというおぞましいことをします。
寄付で作られた新しい艦隊は、ハミルカルへ送る物資や食料を積んだカルタゴの補給船団を襲い、多くの船を沈めたり捕獲したりしました。これによってカルタゴは、お金も船も補給も失います。
ハミルカルは戦いでは勝っていたのに、補給を断たれて敵地で孤立してしまいました。カルタゴもこれ以上は続けられないとあきらめ、第一次ポエニ戦争はローマの勝利で終わります。
なんだろうね、もう根性勝ちみたいな感じで。ローマの根性で勝ったっていう。
深井さんは、富裕層のポケットマネーで軍艦を作って勝つという総力戦ぶりに驚き、カルタゴはそれをしていないと指摘しました。敗れたカルタゴは巨額の賠償金の支払いと、シチリア島の放棄を命じられます。
敗戦のあとに起きた傭兵の反乱
ハミルカルは善戦していたものの、補給路を断たれて降伏したため、将軍の地位を降ります。そこへ、カルタゴにとって新たな大事件が起こりました。
カルタゴは傭兵を雇っていたので給料を払わなければなりませんでしたが、国庫が尽き、さらに賠償金も課されていたため払えませんでした。給料の未払いに怒った傭兵たちが暴動を起こします。
傭兵からしたら命かけて戦ってなんで給料もらえんのじゃってなるわな。
カルタゴは市民や新たに雇った傭兵で応戦しましたが、ほとんどお手上げの状態でした。そこで再びハミルカルを呼び戻し、反乱の鎮圧を頼みます。
深井さんは、ハミルカルにとってはつらい役目だったと話します。反乱を起こした傭兵は、もともと自分の部下だったからです。
傭兵たちはハミルカルを信頼していて、歯向かいたくない気持ちも強かったようです。ハミルカルも傭兵を悪いようにはしたくなく、給料を払えないのは申し訳ないが帰ってほしい、と話していたのではないかと深井さんは推測します。
(ハミルカルと傭兵たちは)将軍には勝ってるけど、試合には負けてるっていう。
ハミルカルの温情に、反乱軍の兵士たちの心はかなり揺れたといいます。しかし反乱軍は、捕らえたカルタゴ人の手足を切って生き埋めにするようなことをしていたそうです。
深井さんは、このような残虐行為をすると、たとえハミルカルが降伏を呼びかけても許されなくなると指摘します。戦いを続けたい人々が退路を断つためにやったのか、やってしまったからなびけなくなったのか、どちらもありうるといいます。
反乱は泥沼化し、両陣営とも磔刑などの見せしめを重ねる凄惨な戦いになりました。最終的にはカルタゴ軍が反乱軍を追い詰めて殲滅し、第一次ポエニ戦争の後始末が終わります。
ハミルカルの悔しさがハンニバルへ
深井さんは、カルタゴにとっても、ハミルカルにとっても後味の悪い終わり方だったと振り返ります。自分は勝っていたのに、部下同士が争い、説得もかなわず、元の部下を殲滅するしかなかったからです。
それも何もかも全てポエニ戦争で負けたせいだよね。
さらにカルタゴは、シチリア島を手放すなど、ローマに有利な不平等な条約を結ばされていました。深井さんは、ハミルカルはこの負け方を相当悔しく思っていたのではないかと考えています。
深井さんによると、ハンニバルはこのとき8歳くらいで、戦争の終わりごろの出来事を見ていたと考えられます。ハミルカルは敗戦を受けてすぐに復讐へ動き出し、その悔しさを引き継いで復讐していくのがハンニバルだといいます。
もう呪いの連鎖みたいになります、この後、ちなみに。
楊さんは、その連鎖の中から英雄が生まれてくると話し、深井さんも、ローマとカルタゴのどちらからも出てくると応じました。話は第二次ポエニ戦争へと続いていきます。
まとめ
第一次ポエニ戦争は、海の強国カルタゴが、陸の国ローマに補給と粘り強さで押し切られた戦争でした。ローマは奪った船をまねて海軍を作り、カラスで海戦を白兵戦に変え、国庫が尽きても富裕層の寄付で艦隊を立て直しました。敗れたカルタゴでは傭兵の反乱まで起き、その悔しさがハミルカルから息子ハンニバルへ受け継がれていきます。
- シラクサの寝返りとアクラガスの攻防で、戦争の行方を左右したのは補給だった
- ローマは奪ったカルタゴ船をまねて艦隊を作り、秘密兵器カラスで海戦に勝ち始めた
- 功を焦ったコンスルの厳しい和約がカルタゴを怒らせ、スパルタ人クサンティッポスの逆襲を招いた
- ハミルカルの持久戦でローマの国庫は尽きたが、富裕層の寄付による艦隊が最後の一撃となった
- 敗戦後の傭兵反乱と不平等な条約が、ハミルカルとハンニバルの復讐へとつながっていく




