広大なのに握りきれない、ハプスブルク帝国とは?
フリードリヒ大王の即位まで進んだシリーズは、この回で話を大きく変え、ハプスブルク帝国のマリア・テレジアに焦点を移します。楊さんはまず、当時のオーストリアが今のイメージよりはるかに大きかったことを押さえます。
楊さんによれば、当時のハプスブルクの支配地域はハンガリー、チェコスロバキア、スロベニア、クロアチア、北ルーマニア、西ポーランド、北イタリアなどを含み、飛び地としてベルギーやルクセンブルクにまで及んでいました。
この時代の君主はカール6世です。カール6世はハプスブルク家の当主であり、神聖ローマ皇帝 ── 中世から近世にかけてドイツを中心とする神聖ローマ帝国の君主の称号。選挙で選ばれ、帝国内の諸侯に対する実権は時代が下るほど弱まっていましたであり、オーストリア大公でもありました。
ただしハプスブルク帝国は、広大でも強く握れているわけではありません。楊さんはその姿を「弱い江戸幕府」にたとえます。
ここドイツだからさ、皇帝権があまりないって話もしたじゃん。だからハプスブルク帝国も多分に漏れず弱い江戸幕府みたいな感じなんですよ。
ハプスブルク帝国の各領地は言葉も法制度も行政区も異なり、それを複合君主制 ── 一人の君主が、法や制度の異なる複数の国や地域をそれぞれの枠組みのまま同時に治める統治形態として同時に統治していました。楊さんは「そこそこの難易度の統治」と表現しています。
「ハプスブルクよ、汝は結婚せよ」という揶揄
深井さんは、ハプスブルク家について当時やっかみ半分で言われた言葉を紹介します。それが「ハプスブルクよ、汝は結婚せよ」です。
深井さんの説明では、ハプスブルク家はもともとスイスの小さな領主で、たまたまドイツの王に選ばれたことがすべての始まりでした。英雄や名君を多く出したわけではなく、戦争ではなく政略結婚で支配領土を広げてきたのが特徴だといいます。
プロイセンはもうガッチガチの軍事力を持ってるんですけど、ハプスブルク帝国は(中略)政略結婚によって支配領土を広げていった。
深井さんの整理で、軍事力で立つプロイセンと、結婚外交で広がったハプスブルクという、国の成り立ちの違いが見えてきます。
ガッチガチの軍事力を持つ国
戦争ではなく政略結婚で支配領土を広げた国
待ち望まれた王子ではなかった、マリア・テレジアの誕生
1717年、ハプスブルク帝国にマリア・テレジアが生まれます。父はカール6世、母はエリーザベト・クリスティーネで、生まれはウィーンです。
楊さんは、母の名前がフリードリヒ大王の妻と同じであることに触れ、エリザベス編でも同じ名前が続いて混乱したことを思い出しながら「頼むからバリエーションを出してくれ」と笑います。マリア・テレジアはフリードリヒ大王の5歳年下で、ほぼ同世代です。
マリア・テレジアが生まれる前年の1716年、皇帝夫妻には待望の王子レオポルトが生まれていましたが、わずか半年で亡くなりました。夫妻はマリアツェル寺院に願掛けまでして次の王子を願いましたが、生まれたのはマリア・テレジアでした。
この時代は男の子が生まれないっていうことは、この家族全体の危機を意味する。
このまま王子が生まれなければ、数百年にわたって男系が絶えたことのないハプスブルク家が、初めて途絶えるおそれがありました。それでも当時のカール6世は30代前半で、まだ子供はできるだろうと思われていました。
このマリア・テレジアが生まれた時にね、この子がまさかこの国を相続することになるだろうっていうのは、実は誰も思ってなかったんです。
男子が生まれない危機と、プラグマティック・サンクション
その後、母エリザベトは4人目を懐妊しますが、生まれたのはまた女の子でした。体調を崩しながらさらに2人を産みますが、どちらも女の子で、やがて出産の可能性がないとわかってきます。
ヨーロッパの王朝では、女性の国家継承は基本的に認められていませんでした。イングランドのエリザベスは例外です。楊さんは、ハプスブルク家がまさにこの慣例を利用して領地を得てきたからこそ、危機感も強かったと説明します。
自分たちがそれで大きくしてやったことは、今度は奪われるのかってなるわけですよね。
強い権力を持たずに広い領地を抱えるハプスブルク帝国では、男系が絶えれば他家が狙ってくることが容易に想像できました。樋口さんはこれを「中央集権ができてない故の一つのリスク」とまとめます。
王子の夭折
待望の王子レオポルトが半年で亡くなる
王女が続く
マリア・テレジアの後も生まれたのは女の子ばかり
出産が困難に
母エリザベトが体調を崩し、男子誕生の望みが薄れる
継承争いの懸念
女性は継承できない慣例のため、他家が領地を狙う恐れが高まる
そこでカール6世が考えたのが、男子が生まれなければマリア・テレジアにすべてを託し、それに文句を言わないと周囲に約束させることでした。これがプラグマティック・サンクション ── カール6世が定めた国事詔書。ハプスブルク家の領土を分割せず、女子にも相続を認めることを内外に承認させようとしたものですです。
楊さんによれば、軍人王がこの約束を取り付けるために各地を回っていた際に、フリードリヒの逃亡事件が起きています。約束の中身は、ハプスブルク統治下の諸州を分割せず、長女マリア・テレジアにすべてを渡すというものでした。
家臣からは「そんな約束をしても意味がない、軍事力で脅さないと覆される」という進言もありました。それでもカール6世は、他に打ち手がなかったのか、プラグマティック・サンクションを結ばせていきます。
記録の少ない幸せな少女時代と、教育者フクス伯爵夫人
君主になる男子なら幼少期の教育の記録が残るものですが、マリア・テレジアは後継者と見なされていなかったため、幼い頃の記録はあまり残っていません。カール6世は、マリア・テレジアに形式的に継がせ、実務は夫に任せるつもりだったようです。
それでもマリア・テレジアの幼少期は、フリードリヒとは対照的に非常に幸せだったといわれます。テレーゼという愛称で呼ばれ、妹マリアンネとともに両親から可愛がられて育ちました。
ハプスブルク家はカトリックで、マリア・テレジアはイエズス会 ── 16世紀に創設されたカトリックの修道会。教育と布教に力を入れ、ヨーロッパの王侯の教育にも深く関わりましたから強い宗教教育を受け、敬虔なカトリックになります。フランス語、ラテン語、イタリア語を身につけ、ダンス、ピアノ、声楽といった王女の基礎科目も学びました。
11歳からは、シャルロッテ・フクス伯爵夫人が教育を担います。「フクシン」や「マミー」というあだ名で呼ばれ、深井さんが名前の響きに笑ってしまう場面もありました。
フクス伯爵夫人は、マリア・テレジアが生涯で最も深い信頼を寄せた人でした。結婚式では花嫁衣装の裾を持ち、亡くなった後はハプスブルク家しか入れない墓所に葬られたといいます。
信頼関係に結ばれた人に育てられ、もうこのフリードリヒとの違いなんか悲しくなってくる。
政略結婚のはずが恋愛結婚?フランツ・シュテファンとの縁
カール6世は、マリア・テレジアの婿探しを始めます。婿はハプスブルク家に入る婿養子の形になります。候補にはバイエルン、フリードリヒ大王、イギリスやイタリアの王子たちもいました。
選ばれたのは意外にも、格の低い小国ロートリンゲンの公子でした。楊さんの説明では、かつてオスマン帝国がウィーンを包囲して滅ぼしかけた際に救った英雄がロートリンゲン公で、その孫にあたる家系だったのです。
当初は長男クレメンスが候補でしたが、天然痘で亡くなり、次男のフランツ・シュテファンに白羽の矢が立ちます。2人が初めて会ったのはマリア・テレジアが6歳、フランツが15歳のときでした。
まさかの恋愛結婚してるんです。恋愛結婚じゃない、政略結婚なのに好きな人だったんです、それが。
フランツ・シュテファンは青い目のイケメンで、無邪気で話好きな陽気な性格だったといいます。樋口さんは「じいちゃんが英雄でしょ?めっちゃいいやん」と盛り上がり、「俺が結婚したいわ」と冗談を飛ばします。
選ばれたのが偶然なのか、マリア・テレジアの意向が汲まれたのかはわからない、と楊さんは留保しています。フランツは母から故郷を捨てることに反対され、本人も抵抗があったものの、ロートリンゲンを捨ててハプスブルクに入りました。
フリードリヒと対極の新婚生活と、16人の子供
マリア・テレジアの新婚時代は、王族としてただ幸せに暮らす日々でした。同じ頃のフリードリヒは父に虐げられ、逃亡し、親友を処刑されています。
これ対極的すぎるわ。フリードリヒ。フリードリヒ、マジボッコボコされてたんですよ。
この二人がライバルなんだよね。ほんと皮肉だよね。
父に虐げられ、逃亡し、親友が処刑される
信頼できる教育者に育てられ、恋愛結婚で幸せな新婚生活を送る
周囲が待ち望んだのは男子の誕生でしたが、結婚1年後に生まれたのは女の子、翌年の2人目も女の子でした。カール6世は失望し、民衆の間では「フランツはスパイで、わざと女の子を産ませている」というひどい噂まで立ったといいます。
フランツは将軍として活躍することを期待されましたが、楊さんいわく「将軍の才能死ぬほどなかった」。一方で財政管理などの実務には向いていて、2人に任されたトスカーナを遠隔で管理し、成果を上げました。
夫婦仲は非常によく、2人は20年間で16人の子供をもうけます。
父カール6世の急死、準備なき即位
3人目の子供もまた王女で、カール6世はもう見にも来なかったといいます。その年の6月には長女が亡くなり、マリア・テレジアは4人目を身ごもっていました。このときマリア・テレジアは23歳ぐらいです。
そこへ大事件が起きます。狩猟に出たカール6世が急に体調を崩し、毒キノコを食べたのではないかといわれる腹痛のすえ、ウィーンの王宮に運ばれて4日後に亡くなりました。
カール6世は、夫フランツに帝王学を授けて実務を担わせるつもりだったようですが、それも果たせていませんでした。マリア・テレジアは王女としての教育しか受けないまま、いきなり帝国の跡継ぎになります。
悲しみの中で自分が君主になったと気づいたマリア・テレジアは、最初に父の治世を継承すると宣言し、大臣や役人、奉公人の身分はそのままだと伝えました。楊さんは、家臣にとって一番怖いのは自分の立場が変わることだからだと説明します。
マリア・テレジアって長いハプスブルク帝国の中で最高の王様になるんです。
「もはやハプスブルクは存在しない」周辺国の異議
プラグマティック・サンクションで約束を取り付けていたにもかかわらず、マリア・テレジアの即位直後から周辺国が異議を唱えます。男系が途絶えたからハプスブルクはもう存在しない、領地をみんなで分け合うのだという主張です。
スペイン王、フランス王、バイエルン、ザクセンなどが、女性の国家継承は国際法違反だと難癖をつけ、ハプスブルク領のどこを併合するか狙いを定めました。楊さんはその様子を「ハゲタカのよう」と表現します。
各国の大使は、マリア・テレジアを「何も知らない無邪気な少女に過ぎない」と見ていました。ただイギリスの大使だけは、毅然とした態度と落ち着きに「非凡の才がある」と評価していたといいます。
フリードリヒのシュレージエン侵攻、長い戦いの始まり
父の死からわずか2か月後、シュレージエンから悲報が届きます。フリードリヒ大王のプロイセンが、宣戦布告なしに攻め込んできたのです。フリードリヒとマリア・テレジアは、同じ年に即位していました。
この侵攻には誰もが驚きました。カール6世はプロイセンに恩を売っているつもりで、フリードリヒの助命嘆願もしていました。さらにフリードリヒは、カール6世の死に際してフランツ・シュテファンに友情を誓う手紙を送った直後でした。
樋口さんは、フルートを愛したアンチ・マキャベリ ── フリードリヒが王太子時代に書いた著作で、マキャベリの『君主論』の権謀術数を批判し、理想の君主像を論じたものの著者が、いきなりこんなことをするのかと驚きます。楊さんも、当時の哲学者たちが一斉に非難したと説明します。
なぜフリードリヒが侵攻したかは次回に回されますが、楊さんはこれが2人のライバル関係の始まりだと語ります。シュレージエン戦争は、2国間だけでなくヨーロッパ全体を巻き込む長い戦いへとつながっていきます。
少女漫画からキングダムみたいな。いきなりいきなり少女漫画からベルセルクかな。
まとめ
この回では、政略結婚で広がった弱い統治の大帝国ハプスブルクで、期待されずに育ったマリア・テレジアが、幸せな少女時代と恋愛結婚を経て、父の急死で突然君主となり、周辺国とフリードリヒの侵攻に直面するまでが語られました。
- ハプスブルク帝国は広大だが中央集権が弱く、政略結婚で領土を広げてきた
- 男子不在の危機に、カール6世はプラグマティック・サンクションで継承を約束させた
- マリア・テレジアは後継者と見なされずに育ち、フランツ・シュテファンと恋愛結婚した
- 父の急死で準備なく即位し、周辺国が約束を覆して領地を狙った
- フリードリヒのシュレージエン侵攻が、2人の長いライバル関係の始まりとなった





