項羽と劉邦編を振り返って、樋口さんが感じたこと
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項羽と劉邦編も第10回に入りました。覇王になった項羽が封建制度に戻したことで、また各地でトラブルが起き、戦国時代へ逆戻りしていく流れです。
樋口さんは前半の印象を、人がたくさん死に、項羽という人間の強烈さが際立つ展開だったと振り返ります。一方で、前回はコメディーのように笑える回だったと話します。
もうこうもの回で、ちょっと一気にやられて。めちゃくちゃ面白かったですね。久しぶりに本編の本筋でこんな笑ったなっていう。
そこで項羽という人間が人間っぽく見えてきた、と樋口さんは言います。それまでは一武将としてすごい存在に見えていたのが、感情の手触りを持ち始めたということです。
深井さんは、2000年以上前の人物に手触り感があること自体がすごいと応じます。
こう2000年以上前の人の手触り感があるってやっぱすごいよね。
樋口さんは、史記が読み物として面白いと感じたと話します。ただ深井さんは、史記そのものは淡々としていて、感情までは書かれていないと補足します。
まあ読んだらつまんないですよ、ちなみに。めっちゃつまんないです。
史記は主語や述語のレベルで淡々と書かれていて、感情や台詞の多くは書かれていません。その記述に対して、学者がさまざまな資料を突き合わせて肉付けし、推察しているのだと深井さんは説明します。
刷り込まれたスタイルは国レベルでも出てしまう
構造の面で樋口さんが面白かったのは、国の作り方に「刷り込み」が出るという点です。中央集権型の秦を作った勢力は統一後も中央集権型を作りがちで、封建的な楚出身の項羽はトップになっても封建的な国を作りがちだと指摘します。
なんか自分の中に刷り込まれたスタイルって結構出ちゃうなっていうのが国レベルであるなっていうのは結構。
深井さんは、価値観をすぐ切り替えられる人はほとんどいないと応じます。樋口さんは、これは国だけでなく個人にも当てはまり、幼少期に構築された価値観が大人になっても無意識に出ているのではないかと話します。
なお、この収録は日をまたいだ翌朝に行われ、深井さんのテンションが前回と大きく違っていることも話題になりました。前回の高いテンションから一転して眠そうな様子で、序盤は樋口さんが多く話す展開になっています。
何の訓練もしていないのに強い人が、なぜいるのか
反乱してきた者たちが項羽に匹敵する強さを持っているかというと、そうではありません。項羽は章邯章邯 ── 秦末の将軍。反乱軍の鎮圧で活躍したが、後に項羽に降伏した。本文中では劉邦・韓信に敗れるや王離将軍を倒しており、この時代では抜きん出て強いのだと深井さんは言います。
深井さんが不思議に思うのは、何の訓練も勉強もしていないのに、なぜか非常に強い人が戦争にはたくさんいることです。
なぜか何にもしてないのに強い人がいっぱいいるんですよね。
樋口さんは、これはビジネスにもいると応じます。深井さんは、若くても成功する起業家と同じかもしれないと話します。ただし条件や環境が揃った領域で強いだけで、汎用性がない場合もあると補足します。
深井さんは、項羽についても、戦争での失敗経験はなくても、それ以前に何か別の失敗や経験があった可能性は否定できないと話します。楊さんが「彼女にずっとフラれ続けて」と冗談を挟み、深井さんも笑って応じます。
なんでもない孤児だった韓信の、若い頃の逸話
話は韓信に移ります。韓信もまた、何の経験もないのに強い人物で、しかも楚の出身でした。項羽も韓信も、この時代を作った人物が皆、楚の人であることを深井さんは面白がります。
なんか七カ国もあってさ、秦が統一しててさ。次の世代を作ったの全部楚の人だったっていうね。不思議だよね。
韓信は、生まれが非常に貧しく、孤児だったのではないかという説もあります。身寄りがなく、他人の家でご飯をたかって生きていました。
一方で韓信は剣を下げていたと伝わります。剣は貴族しか持てないものだったため、没落貴族の家系だったのではないかという説もあると楊さんは説明します。いずれにしろスタートラインは高くありませんでした。
若い頃の韓信はうだつが上がらず、地方官吏にも商人にもなれませんでした。亭長亭長 ── 秦・漢代の下級役人。宿場や治安の管理を担った。劉邦もかつてこの職に就いていたの家に何ヶ月も居候して厄介者扱いされたり、老婆から食を恵んでもらったりして生きていたと伝わります。
体格がよく非常に大きかったため、飯を食いに来られると「めちゃくちゃ食いそうだから怖い」と思われていたといいます。恵んでいた家では、韓信が来る前に食べ終えて出かけてしまうこともありました。
その関心が来たら、家の人は関心が来る前に飯食おうつって食い終わってからどっか行くとかやってたらしい。
やむなく韓信は川で釣り糸を垂らして食料を得ていました。そこで見かねた老婆の一人が飯を恵みます。韓信が必ず礼をすると言うと、老婆は礼が欲しいわけではないと返しました。
一人前の男でありながら、自分で食うこともできないのを見て、めちゃくちゃかわいそうだなと思ったんだよねつって。しっかりしろつって帰っていった。
このエピソードの受け取り方には幅があります。楊さんが読んだ中国の学者の本では、老婆は韓信に呆れているという解釈が多かったといいます。深井さんも、呆れながらも愛情のあることをしていると受け止めます。
浮浪・子弟・少年 〜韓信が属していたアウトローの世界
韓信の境遇からは、当時の社会構造が見えてきます。まず韓信は身寄りがなく、まっとうな社会からドロップアウトしたアウトローの立場でした。ここで深井さんは、この時代の構造を理解する3つの概念を紹介します。
都市部で秦の法律の中に生きる地域の指導者層。年長の男性が担い、氏族制が壊れた後に家や親戚の子供の指導者となった
浮浪の指導に従い、法律に従ってまっとうに暮らす人々。農業や商売などの家業を営む
子弟にならず、浮浪の指導の外で生きることにした人々。任侠的な文化を持ち、犯罪者や逃亡者を含む
これらは現代では一般名詞として使われますが、当時は特定のグループを指す言葉でした。少年たちは都市部の市場に紛れたり、都市の外の「沢」と呼ばれる場所に住んだりしていました。韓信もこうした少年の一人だったと考えられます。
市場は、人が非常に多いために逃亡者が紛れやすい場所でした。深井さんは、唐の時代の市場が片方だけで17万店舗あったという後代の例を挙げ、当時の市場も現代人が想像する規模より大きかったと説明します。
楊さんは、市場が国側にとって世論操作の場でもあったと補足します。李斯李斯 ── 秦の政治家・宰相。法家思想で始皇帝の統一を支えたが、始皇帝の死後に権力争いに敗れ処刑されたが市場で処刑され晒されたのは、最も人が集まる場所で見せしめにするためでした。
市場は、犯罪者や亡命者が身を隠す場所でもありました。家畜解体業者のような職業に就いて紛れることも可能だったと楊さんは言います。都市の外の沢には、税も取られず農業もせず、強盗などをして暮らす人々がいました。
都市とは城壁に囲まれた生活単位であり、文明の内側でした。城壁の外に住むことは何にも守られないことを意味し、アウトローだけが住む場所でした。楊さんはこれをドラゴンクエストに例えます。
ドラクエのゲームって、城とか町の外に出るとモンスターとさ、敵とかエンカウントするじゃないですか。あれ割と当時のリアルなんですよね。
反乱の初期を担ったのは、なぜ「少年」たちだったのか
この構造を踏まえると、秦への反乱の初期を少年たちが担った理由が見えてきます。陳勝・呉広の乱陳勝・呉広の乱 ── 秦末に起きた中国史上初の大規模な農民反乱。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」の言葉で知られ、各地の反乱の口火を切ったの後、各地で街が次々と落ちていきましたが、これを担ったのが少年たちでした。
少年たちが役人を殺すという野蛮なことをできたのは、彼らがもともと社会からあぶれていたからだと深井さんは言います。
最初から見つかったら死刑だからですよ、この人たちは。なんで、もうこの政府が倒れるんだったらメリットしかないわけです。
浮浪たちも彼らを止められませんでした。劉邦がかつて浮浪に向けて矢文を打ち、県令に従うより自分に従った方がいいと説いたのも、こうした世界観が背景にあります。
楊さんは、これを現代の「無敵の人」に近いと表現します。深井さんは、捨てるものがなく何でもできてしまう人が、この時代には非常に多かったのだと応じます。
韓信の股くぐり 〜市場で決まる「世間の評価」
韓信には「股くぐり」という有名な逸話があります。図体は大きいものの内気だった韓信に、ある荒っぽい若者が絡みました。
お前が死を恐れないなら俺を刺してみろ。死ぬのが怖いなら俺の股をくぐれとか言ってるわけですね。
深井さんは、こう言う若者が都市部の市場にいる少年であり、子弟ではないと指摘します。韓信は相手をじっと見ていましたが、地面に腹ばいになって股をくぐりました。市場中の人間が韓信を臆病者だと囃し立てたと伝わります。
楊さんは、市場には人物の評価が定まるという役割もあったと補足します。市場での振る舞いが情報として拡散し、その人の世間での評価になったのです。
当時の人々にとって市場はまたその世にまだ受け入れられてない才能が埋没している場としても認識されてたんですよね。
深井さんは、都市に生きる人々の多くは家と市場を行き来しており、家には自分たちしかいない一方、市場には社会があるという感覚だったのではないかと話します。
死刑寸前でかまして拾われ、大将軍に大抜擢される
陳勝・呉広の乱が起きると、韓信はまず項梁のもとに向かいます。しかしうまく取り立てられず、項梁が戦死した後は項羽の配下となりました。郎中というそれほど偉くない役割に就き、項羽に献策しましたが聞き入れられませんでした。
劉邦が漢に分封されると、韓信は3万人ほどの兵の一人として劉邦側に移ります。ところが韓信はルールを破り、同輩13人とともに死刑になりかけました。引き出されて処刑される直前、劉邦の部下・夏侯嬰の前でこう言い放ちます。
天下を取りたいなら、私を処刑するのはやめた方がいい。
この一言を夏侯嬰は気に入り、韓信を許して劉邦に推薦しました。深井さんは、韓信が少年という出自で常に死と隣り合わせだったため、チャンスがあれば言うというメンタリティを持っていたのではないかと推察します。
劉邦自身は、もともと項羽の部下だった韓信を快く思っていませんでした。しかし劉邦の腹心・蕭何蕭何 ── 劉邦の腹心。実務や後方支援に長けた参謀。咸陽陥落の際に秦の戸籍・地形などの文書を確保したことで知られるが、韓信を非常に高く評価していました。
蕭何は、咸陽が落ちる際に宝には目もくれず、秦の戸籍データや地形データを確保した人物です。実務に優れ頭がよく、劉邦から厚く信頼されていました。
劉邦が田舎に飛ばされ多くの兵が逃亡する中、韓信も逃亡します。それを蕭何が追いかけたため、劉邦の目には蕭何まで逃げたように映り、劉邦はひどく動揺しました。
一日二日で蕭何が戻り、逃げた韓信を追っていたのだと説明します。なぜ韓信だけを追ったのかと問われ、蕭何は次のように答えました。
書賞を手に入れることは簡単にできると。しかし韓信は国士無双の人物なのです。
「国士無双」はここから切り取られた故事成語で、天下に並び立つ者がいないほどの人物という意味です。何の結果も出していない韓信を、蕭何はここまで評価していました。
蕭何はさらに、韓信をただの将軍ではなく大将軍に任ずべきだと主張します。深井さんは、これを実績のない第二新卒に、いきなり20万人規模の会社の営業統括部長を任せるようなものだと例えます。
それでも劉邦は、蕭何が言うならと韓信を大将軍に任命します。深井さんは、これを劉邦の器だと評します。楊さんは、韓信のすごさは分からなくても蕭何が言うなら正しいだろう、という判断だったのではないかと補足します。
なぜ実績なしの抜擢が機能したのか 〜全員が素人の新市場
将軍任命の儀式で、自分が選ばれるかもとワクワクしていた将軍たちは、見知らぬ韓信が大将軍として現れたことに驚きました。当然ハレーションが起きる人事です。
この抜擢がなぜ機能したのか。深井さんは、営業統括部長の例えには少しずれがあると振り返ります。ポイントは、この時代には熟達した人間がもういなかったことです。
全員が素人の中で、素人同士でやった時に誰が一番成果出しそうかっていう観点で、おそらく蒋寡は見てたんだと思うんですよ。
秦の統一以降、手練れの将軍はほとんど残っておらず、蒙恬蒙恬 ── 秦の名将。北方の匈奴対策や万里の長城の整備で知られる。始皇帝の死後、政争に巻き込まれ自害したが最後でした。その蒙恬も死に、世代交代した将軍たちは大した戦争経験がありませんでした。その中で強いのが項羽や韓信だったのです。
深井さんは、これを古い自動車業界に殴り込む話ではなく、全く新しいプロダクトの新市場で部長を務める話に近いと言います。ルールも人の従い方も新しい世界でした。
樋口さんは、現代のAI市場に例えます。誰も分かっていない領域で、毎日興味を持って調べ頑張った者が勝つのと同じ構図だと理解します。
深井さんは、劉邦自身にはその強さは分からなくても、誰が優秀かを見抜く力があったと整理します。そしてこの目利きの才能を持っていたのが蕭何でした。
名を捨て実を取る 〜秦の社稷を壊し、システムだけを残す
大将軍となった韓信は劉邦に強く恩義を感じ、東に向かって項羽と天下を争うべきだと提案します。漢の地への左遷で兵の脱走が続いており、このままでは空中分解しかねない状況でした。
劉邦は漢の中心部にたった4ヶ月しかいませんでした。項羽の命令で入る際に道を燃やして戻らない態度を見せていたにもかかわらず、韓信の進言を受けて4ヶ月で山脈を越えて出ていきます。
劉邦は昔の秦の土地を次々と抑えます。秦の将軍だった章邯が王になっていた地も、非常に強かったはずの章邯を韓信がボコボコにして倒しました。司馬遷の記述は淡々としており、詳しい経緯は残っていません。
そして劉邦は非常に重要なことをします。秦の社稷、つまり先祖を祀る祭壇を破壊したのです。深井さんは、当時の国家の正体そのものが先祖信仰であり、社稷こそがその国の国たる所以だったと説明します。
社稷を壊すことは、王が変わる以上に重い意味を持ちます。それは秦の人であるということが言えなくなる、スピリチュアル的な滅亡を意味しました。
この社稷を壊すっていうのは、まさに根こそぎその根っこを引き抜くみたいな、なんかそんな感覚。
一方で劉邦は、項羽が楚のシステムで動かしていた国家システムを、秦のシステムに戻しました。深井さんは、この二つの動きを組み合わせで整理します。
秦の人という帰属を消し、項羽から離反する姿勢を示す。だが秦の民衆には受けが悪い
野蛮とされた楚のシステムから、秦の民衆が慣れた中央集権のシステムに戻す。民衆に喜ばれる
深井さんは、これを「OSを入れ替えてインターフェイスを元に戻した」と表現します。楊さんは、住民に寄り添いつつ自分の国だと主張もする、いいとこ取りだと理解します。
これらはほぼ間違いなく蕭何や張良張良 ── 劉邦の参謀。優れた策略で知られ、蕭何・韓信とともに劉邦の天下取りを支えた「三傑」の一人とされるの発案だと深井さんは言います。劉邦本人は社稷の重さゆえに、壊すのは怖かっただろうと推察します。
秦の暦や郡県制、法律、文書行政が復活しました。これがスムーズにできたのは、秦の役人だった蕭何が秦のデータを確保していたからです。ただし秦ほど厳しい法律にはせず、中央集権化だけを踏襲しました。
深井さんは、旧六国が負けたのは秦のシステムが強かったからだと振り返ります。つまり劉邦は、その最新版のシステムを別の血筋の王として使い直したことになります。
名は捨ててしまったけど、実を実は取ってしまってるんですよね。しかも自分で選んでないっていうね。
深井さんは、これができたのは劉邦に秦にも楚にもこだわりがなかったからだと言います。楚の項羽が復古主義的に昔のシステムに戻したのとは対照的でした。
運も味方する 〜温存された秦の国力と、軍功評価の復活
秦のシステムには、軍功で評価するという柱がありました。これが復活すると秦の民衆は安心します。頑張れば上に登れるからです。深井さんは、楚の人に統治される恐怖の中で、この仕組みがどれほど民衆に歓迎されたかを説明します。
さらに劉邦は運にも恵まれていました。反乱は旧六国で起きており、左遷先の秦の土地はむしろ戦乱を逃れて荒廃していなかったのです。国力が温存されていました。
逆に、中華の中心で他の王が封じられた土地は、皆が欲しがった一方で戦争で荒廃していました。これが後に恨みを生むことになります。
全部運がいいところに転がっていくんですよ。
楊さんは、劉邦集団の発展を段階として整理します。最初は明確な目的もない非合法の群盗集団でしたが、沛県での挙兵、義帝配下への組み込み、漢中王への分封を経て、雪だるま式に勢力を拡大していきました。
深井さんは、劉邦が自分の意思であまり選ばず、見込みのある者を仲間につけてその判断に従っていたら、どんどん良い方へ転がっていったのだと整理します。結果として、項羽に唯一対抗できる勢力へと育っていきました。
項羽の失策と、劉邦のウソ泣き
このタイミングで、項羽はもう一つの失策をします。傀儡として立てていた義帝を殺させたのです。深井さんは、義帝のブランディングで他の王を治めるには無理があり、自分が戦争で活躍してトップになった方がガバナンスが効く、という判断があったと推察します。
しかし義帝を殺したことで、劉邦は大義名分を得てしまいます。王を殺した謀反人として項羽を倒すと主張できるようになったのです。
これってダメなことですよねっていう風に言えるようになったんですね。
史記には、義帝の死を聞いた劉邦が激しく泣いたとあります。しかし楊さんが読んだ中国の学者の本では、これは明確にパフォーマンスだと書かれていたといいます。深井さんも、劉邦に義帝へのロイヤリティはなかっただろうと見ます。
楊さんは余談として、項羽が義帝を殺した件にもう一つの説を紹介します。項羽自身が皇帝になりたかったのではないか、という見方です。秦を嫌っていたはずの項羽が、なぜ皇帝という位をわざわざ復活させたのかという疑問から生まれた説です。
この空位となった皇帝の位に、高武はタイミングを見計らって、自分がそこに上って名実ともに皇帝になるつもりではなかったかっていう説ですね。
樋口さんは、この説に一定の説得力があると受け止めます。ポストを作った本人が最初から座ると狙っていたと言われるが、一旦「自分ではない」としておき、空位になったときに自然と自分が入る方が調整が利くという構図です。
ポストを作って自分じゃないですって一旦知っておいて、ポストの中身がいなくなった時にふさわしいの誰?ってなった時に自然と自分が入る。
こうして項羽と劉邦は、互いにとって唯一の脅威となり、構造的にライバルとして決戦せざるを得ない状況になりました。かつて劉邦は項羽の勢力のワンオブゼムに過ぎませんでしたが、気づけば二人が正面から戦うことになったのです。次回、いよいよ決戦が始まります。
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まとめ
この回は、何者でもなかった韓信の抜擢と、劉邦が名を捨てて実を取っていく過程を、当時の社会構造から読み解く内容でした。目利きの蕭何と、こだわりのない劉邦の組み合わせが、状況をどんどん有利な方へ転がしていきます。
- 韓信は身寄りのない少年(アウトロー)の出自で、股くぐりの逸話に象徴されるように市場で世間の評価を受けていた
- 浮浪・子弟・少年という当時の社会構造が、反乱の初期を少年たちが担った理由を説明する
- 秦の統一後は熟達した将軍が世代交代でいなくなり、全員素人の中で成果を出しそうな者を蕭何が見抜いて韓信を大将軍に抜擢した
- 劉邦は秦の社稷(精神性)を壊しつつ秦のシステムだけを復活させ、名を捨て実を取った。これは秦にも楚にもこだわりがない劉邦だからできた判断
- 項羽が義帝を殺したことで劉邦は大義名分を得て、二人は構造的に決戦せざるを得ない関係になった







