女性に許された三つの職業
19世紀のイギリスやアメリカでは、中産階級の女性が家庭外で働くことは原則として認められていませんでした。しかし、例外として許された職業が三つありました。それは、家庭教師(ガバネス)中産階級以上の家庭で、子供の教育やしつけを担当する女性。当時、女性が就ける数少ない「体面を保てる」職業とされた。、看護婦当時は専門職ではなく、家庭内での看病の延長とみなされていた。賃金も低く、医師の雑用係のような扱いだった。、そして慈善活動です。
これらの仕事に共通するのは、いずれも「家庭内で女性がやっていることの延長」と見なされた点です。つまり、性別役割分担を犯さないという建前が立つため、社会的に正当化されたのです。
家庭教師
家庭内の仕事で、子供への教育という女性の伝統的役割の延長。専門職ではなくアマチュア扱い。
看護婦
家庭での看病・ケアの延長。専門職化されておらず、賃金も低かった。
慈善活動
無給のボランティア。女性の道徳的優越性を発揮する「天職」とみなされた。
家庭教師という仕事の建前と実態
家庭教師は、中産階級の女性が就ける職業の代表格でした。他の家庭に行って子供に教育を施すこの仕事は、一応「家庭内の仕事」であり、かつ「子供への教育という女性の役割」の延長と捉えられたため、社会的に許容されたのです。
さらに、家庭教師はあくまで生徒の母親の代わりをする「アマチュア」扱いであり、専門職ではありませんでした。雇用契約を結ばず、医師のような専門職としての賃金を得るわけでもない――という建前が、女性が働くことを正当化したのです。
ただし、この仕事は「やむを得ず自分で生計を立てなければならない」中産階級の女性が就くものでした。家の経済状況が悪くなければ、誰も進んで家庭教師にはなりませんでした。「あの家の娘が家庭教師をしている」ということは、「あの家は落ちぶれそうだ」という目で見られることでもあったのです。
看護婦と医療への第一歩
看護婦もまた、女性に許された職業の一つでした。主婦が家庭内で無償で行う育児や看病といったケア活動の延長線上にあるとされ、性別役割分担を犯さないという建前が立ったのです。
しかし当時、看護婦は専門職ではありませんでした。家事使用人と同じ立ち位置で、専門的な勉強も必要とされず、賃金も低く、男性医師の雑用係のような扱いでした。プロフェッショナルとしての規範も確立されておらず、仕事中に売春をしたり、薬用のアルコールを飲んだりする者もいたといいます。
この看護婦という仕事が重要だったのは、女性が既存のジェンダー規範に抵触しない形で医療の現場に進出できたことです。看護の仕事を通じて、「医療って面白いな」「患者をケアすることに意義を感じる」「これは自分に合っているかもしれない」と感じる女性たちが出てきたのです。
慈善活動が開いた社会参与の扉
慈善活動は、女性に許された三つ目の「仕事」でした。貧しい人々のための募金活動、訪問活動、チャリティー団体や社会改革を目指す団体の立ち上げなどが含まれます。貧しい人、病を抱えている人、孤独な老人、刑務所の受刑者などを訪問し、慰めの言葉をかけたり、聖書を読んであげたり、お金や物品を与えたりする活動です。
この活動が正当化されたのは、女性が「道徳的に優れた存在」だという価値観があったからです。女性は道徳性を発揮し、社会的弱者に道徳を教え、生活指導を行い、健康維持のアドバイスをする――これこそが「真の女性らしさ」にかなっているとされたのです。
特に注目すべきは、禁酒運動です。アメリカでは、夫がアルコールに溺れて道徳的に堕落すると家庭が傾くという理由から、女性たちが禁酒協会を作り、組織的な運動を展開しました。この運動は、女性たちが男性の道徳を批判し、改めさせる契機にもなったのです。
これも道徳の逆活用ですよね。私たちは道徳な存在だし、道徳的な感化力を生まれながらに持っているわけだから、酒やめなさいよ。道徳的によくないでしょみたいな、そんな言い方ができますよね。
さらに、慈善活動は無給であるため、「稼いでいない」という建前が立ちました。女性が生まれ持っている道徳性を家庭の外で発揮することは、むしろ「真の女性らしさ」にかなっているとされたのです。
例外が生んだ社会変革の足場
これら三つの例外――家庭教師、看護婦、慈善活動――は、一見「真の女性らしさ」に縛られているようでありながら、実は女性が家庭を飛び出し、社会に参与する足がかりにもなりました。
女性たちは社会と関わる中で、活動の意義や生きがいのきっかけを見出しました。誰かの役に立ったり、影響力を発揮したりする実感を得ることができたのです。特に慈善活動では、女性たちが組織的に活動し、女性同士のコミュニティを形成していきました。
慈善活動を通じて、女性同士の固い友情が育まれ、「私たちは社会にいいことをやっている」という自覚が生まれました。社会問題に目覚める女性も現れ、ノウハウや実績、知名度が蓄積された結果、女性によるチャリティー活動が国の福祉行政につながっていくという現象も起きたのです。
家庭教師や看護婦という閉じられた空間での活動に比べ、慈善活動は上限のない、広い地域や多くの人々に影響を及ぼすポテンシャルを持っていました。これが後の女性の権利運動を支えるソーシャルキャピタルとなったのです。
独身女性の増加と経済的自立の必要性
価値規範として「理想の女性像」は存在しましたが、現実にはそれを維持できない女性も多くいました。特にイギリスでは、独身女性の数が増加していました。
その背景には、いくつかの要因がありました。まず、イギリスが植民地を拡大する中で、仕事や移民のために海外に行く男性が増え、本国での適齢期の男性の数が女性の数を大きく下回ったこと。さらに、15歳までの男性の死亡率が女性を上回っていたことも影響しました。産業革命以降、仕事の負荷の増加、都市での人口密度の上昇による伝染病の流行、移動距離の増加による身体への負担などが、男性の死亡率を高めたと考えられます。
加えて、晩婚化も独身女性を増やす要因となりました。「男は経済的な安定が得られるまでに結婚するな」という価値観が広まり、結果として結婚が遅れたのです。
独身女性が増えると、彼女たちはいつまでも実家に頼ることができず、自活しなければならなくなりました。父親が病気や事故で亡くなったり、事業に失敗して破産したりすると、中産階級の家庭は一気に没落しました。当時は失業保険などの社会保障もほとんどなく、一度の失敗や不運で「試合終了」となる厳しい時代だったのです。
価値規範どうこうではなく、女性は働かなければならなかったのです。そして、働く先は主に家庭教師でした。
女性雇用促進の動きと内なる壁
独身女性の増加、経済的自立の必要性、そして女性自身の「働きたい」「社会に出たい」という気持ちが重なり、女性雇用促進のムーブメントが生まれました。イギリスでは、フェミニストによって女性雇用促進協会が設立され、事務員、店員、慈善施設の職員といった職業分野を女性のために開拓しようと活動しました。
この協会は、簿記やタイプライターといったスキルの訓練も提供しました。というのも、中産階級の女性は基本的に家にいることが良しとされてきたため、働くための訓練を受けたことがなかったからです。教養は身についていても、仕事のスキルとしてのトレーニングを受けていなかったのです。
しかし、女性が賃金を得て独立しようとすることには、強い反対論もありました。「中産階級を堕落させる」「夫や父親の名誉を傷つける」といった批判が寄せられたのです。
社会の価値規範による抵抗。「女性が働くのは中産階級の堕落」「夫や父の名誉を傷つける」といった批判。
女性自身に内面化された価値規範。「女性はこうあるべき」という理想像が、自分自身の動きを止めようとする。
さらに厄介だったのは、女性自身の内面に根付いた価値規範でした。「女性はこうあるべき」という理想像は、社会だけでなく、女性自身の中にも存在していました。エリザベス・ブラックウェルも例外ではなく、社会の価値規範と戦うだけでなく、自分の内面化された価値規範とも戦わなければならなかったのです。
これがまた強そうやな。自分の中にある女性像みたいなのが意外と強くて。これが一番の敵やったりしますもんね。
このムーブメントを支える正当化ロジックの一つが、皮肉にも「真の女性らしさ」でした。「女性は道徳的に優れた存在である」という認識を逆手に取り、「道徳で他人を感化し、社会を良くすることに適しているのが我々女性なのだから、この仕事も女性がした方がいいのではないか」という主張が展開されたのです。
このロジックの中でトライされていったのが、医療領域への女性の進出でした。
まとめ
19世紀のイギリス・アメリカにおいて、女性が働くことは原則として認められていませんでした。しかし、家庭教師、看護婦、慈善活動という三つの例外が存在し、それらは「家庭内の役割の延長」として正当化されました。
これらの例外は、一見すると女性を「真の女性らしさ」に縛りつけるものでしたが、実際には女性が社会に参与する足がかりとなりました。慈善活動を通じて女性同士のコミュニティが形成され、ノウハウや実績が蓄積され、後の権利運動を支えるソーシャルキャピタルとなったのです。
一方で、独身女性の増加や家庭の経済的困窮により、働かざるを得ない女性も多くいました。女性自身の「働きたい」「社会に出たい」という気持ちも高まり、女性雇用促進のムーブメントが生まれました。しかし、社会の価値規範だけでなく、女性自身に内面化された価値規範とも戦わなければならない、という二重の困難がありました。
そうした中で、「道徳的に優れた存在」という女性観を逆手に取り、医療領域への進出が試みられていったのです。次回は、女性と医業の関係について、さらに詳しく見ていきます。
- 19世紀の女性に許された職業は、家庭教師、看護婦、慈善活動の三つ。いずれも「家庭内の役割の延長」として正当化された。
- 家庭教師は困窮した中産階級女性が「かろうじて片足で立つ」ための仕事だった。
- 看護婦は当時まだ専門職ではなく、賃金も低かったが、女性が医療の現場に進出する契機となった。
- 慈善活動は無給だが、女性が社会に参与し、コミュニティを形成する重要な足場となった。
- 独身女性の増加、家庭の経済的困窮、女性自身の「働きたい」という気持ちが重なり、女性雇用促進のムーブメントが生まれた。
- 女性は社会の価値規範だけでなく、自分自身に内面化された価値規範とも戦わなければならなかった。
- 「道徳的に優れた存在」という女性観を逆手に取り、医療領域への進出が試みられていった。
