古代から担ってきた女性の医療行為
女性が医療行為を担ってきた歴史は、実は古代にまでさかのぼります。中世ヨーロッパの村々では、薬草を煎じて病人を癒す女性がいました。彼女たちは魔女中世ヨーロッパで民間療法や助産を行っていた女性を指す呼称。薬草を使った治療や呪術的な儀式を行っていたとされ、後に魔女狩りの対象となった。と呼ばれ、鍋に薬草を入れてグツグツ煮るというイメージそのままの活動をしていたのです。
マジでやってたんです。ちゃんと薬を煎じて病人に飲ませてたんですよね。
また、助産師(産婆)妊婦の出産を助ける女性。中世から近代まで、出産は主に女性同士で行われる領域とされ、男性医師が介入することは少なかった。として赤子を取り上げる役割も、女性が古くから担ってきました。家庭内でも、家族が病気や怪我をしたときの看護、育児、高齢者の介護は、女性の重要な仕事の一つでした。このように、女性は医療において歴史的に重要な役割を果たしていたのです。
近代医学の誕生と女性の排除
しかし、18世紀以降、状況は一変します。近代科学17世紀の科学革命以降に発展した、観察・実験・検証を重視する学問体系。ニュートン力学や化学、生物学などが代表例。の発達に伴い、近代医学科学的根拠に基づいた医療体系。解剖学、生理学、病理学などの知識を土台とし、大学での専門教育を経た医師が担うものとされた。が登場したのです。経験や勘、伝承に頼る民間医療は「正規の医療ではない」と位置づけられ、大学や医学校が主導する近代医学こそが正統とされました。
この制度化のプロセスで、医師という職業は社会的地位の高い専門職へと引き上げられていきます。聖職者や弁護士に並ぶ地位を目指す動きもあり、正規の医学教育を受けた者だけが医師と認められるようになりました。一方で、民間医療者の活動範囲は狭まり、その正当性は大幅に低下していきました。
近代医学は大学主導で打ち立てていったわけですけれども、この場っていうのは男しか入れないんです。
ここで決定的だったのは、医学部や医学校が男性のみを教育対象としていたことです。女性の入学は原則として認められておらず、女性が正規の医師になることは最初から事実上不可能でした。こうして、伝統的に医療の世界で果たしてきた女性の役割は、近代化の波とともに失われていったのです。
女性医師のニーズが顕在化した理由
医師という職業が男性の領域となった一方で、「女性医師が必要だ」という声も次第に高まっていきました。その背景には、女性患者が女性医師に診てもらいたいというニーズがあったのです。
ただし、これは単なる「安心感」や「プライバシー」の問題ではありませんでした。当時の女性には、男性よりも厳しい道徳的規範が課せられていました。特に中産階級の女性は「真の女性」として、道徳的で純潔な存在であることを求められていたのです。
「純潔」という価値観が生んだ矛盾
当時の女性に課せられた道徳規範の中でも、特に重要視されたのが純潔でした。道徳的な「真の女性」は、性的なものに興味を持つどころか、自分の肉体について詳しく知ることすら「はしたない」とされていました。
女性が自分の肉体について異様に詳しかったりすると、ん?って思いません?
この価値観は、女性が医学を学ぶことへの反対論にも直結しました。医学は人体を知るための学問です。患者の体に触れ、体の構造を学び、解剖学の授業では遺体を扱う必要があります。しかし、純潔であるべき女性がそのような行為をすることは、道徳性を傷つけるものとされたのです。
ところが、ここに大きな矛盾が生まれます。純潔を守るべき女性患者にとって、異性である男性医師の前で自分の体をさらすことは、極めて苦痛な行為だったのです。ある女性患者はこう語っています。
「お医者様はご存知ないでしょう。私たち女性がただ体の苦しみに耐えるだけじゃなくて、お医者様に診ていただくという精神的な試練に耐えねばならないこと。それは体の苦しみにも劣ることのない苦しみなのです」
純潔という価値規範が、女性患者に二重の苦しみを強いていたわけです。しかし、その苦しみを解決するための「女性医師」という存在は、同じ価値規範によって否定されていました。女性が医学を学ぶことは純潔を損なう行為とされ、女性医師の道は閉ざされていたのです。まさに八方塞がりの状況でした。
女性医師への反対論──科学・権威・既得権
女性医師の必要性が叫ばれる一方で、反対論も根強く存在しました。その理由は多岐にわたります。
女性は看護婦向き、医師には向かない
男女にはそれぞれ固有の特質があり、能力や忍耐を要する医師は男性向け、繊細さや優しさを要する看護婦は女性向けだという主張がありました。また、家庭内の力関係当時の家庭では、夫が主導権を持ち、妻がそれに従属する関係が「自然」とされていた。この力関係が医療現場にも投影され、医師=男性、看護婦=女性という構図が正当化された。を医療現場に置き換え、医師(男性)と看護婦(女性)の関係こそ自然だとする見方もありました。女性医師の出現は、この「自然な秩序」を崩壊させると危惧されたのです。
科学的根拠に基づく女性排除
さらに驚くべきことに、科学の名のもとに女性の劣等性を立証しようとする動きもありました。たとえば、チャールズ・ダーウィン1809〜1882年。イギリスの自然科学者。『種の起源』で進化論を提唱し、近代科学の礎を築いた。一方で、当時の社会通念を反映し、男女の能力差について偏見を含む発言も残している。はこう述べています。
「深い思想、論理性、想像力、感覚や手先を使うことなど、何をするにしても、男性は女性よりもずっと優れている」
また、ハーバード大学の内科医エドワード・ハモンド・クラーク19世紀アメリカの医師。著書『教育における性差』で、女性が高等教育を受けると生殖機能に悪影響があると主張し、女性の大学進学に反対した。は、「女性が妊娠可能な時期に脳を使いすぎると、エネルギーが生殖器官に回らず、子供が産めない体になる」と主張しました。これはエネルギー保存の法則物理学の基本原理の一つ。エネルギーは形を変えることはあっても、総量は変わらないという法則。クラークはこれを人体に誤って適用した。を誤って人体に適用したものです。
権威と既得権の保護
男性医師の側からは、「女性医師の存在が医師という職業の権威を損なう」という懸念も示されました。能力的に劣るとされる女性が医師になれば、医師全体の社会的評価が下がるというわけです。
また、より直接的に、女性医師が顧客を奪うことへの警戒もありました。特に産科医は、女性患者という顧客基盤を持っていたため、女性医師の参入を脅威と感じていたと考えられます。
これはバリバリにありそうだな。
価値規範を逆手に取った反論
こうした反対論に対し、女性側も反論を展開しました。その論法は、既存の価値規範を逆手に取るというものでした。
まず、「女性は古代から癒しの行為を担ってきた」という歴史的事実を根拠に、医師という職業は女性らしさから外れていないと主張しました。薬を作り、病人を看護し、介護する行為は、女性が長く担ってきたもの。医師の仕事も本質的には同じではないか、というわけです。
さらに決定的だったのは、「女性は道徳の担い手」という価値観を活用した論法です。女性は優れた道徳性を持ち、家族や貧しい人々に良い影響を与えてきた。その道徳性を持ったまま専門的な医学知識を身につけることは、むしろ真の女性像に合致するのではないか──こう主張したのです。
この論法は、反対派が持ち出す価値規範そのものを利用することで、女性医師の正当性を訴えるものでした。純潔や道徳性という枠組みを否定するのではなく、その枠組みの中で女性医師の必要性を主張したのです。
まとめ
今回の回では、エリザベス・ブラックウェル1821〜1910年。アメリカ初の女性医師。次回以降、彼女の生涯と功績が詳しく語られる予定。が登場する前の時代背景を丁寧に追いました。女性は古くから医療の担い手でしたが、近代医学の制度化によって排除され、医師は男性の領域となりました。一方で、女性患者のニーズや道徳規範の矛盾から、女性医師の必要性も叫ばれるようになりました。
反対論は科学、権威、既得権など多岐にわたりましたが、女性側は既存の価値観を逆手に取る形で反論を展開しました。次回、ついにエリザベス・ブラックウェルが登場します。彼女がどのようにしてこの壁を乗り越えたのか、その物語が語られることになります。
- 古代から女性は民間医療の重要な担い手だったが、近代医学の制度化により排除された
- 「純潔」という道徳規範が、女性患者の苦痛と女性医師排除の両方を生む矛盾を生んだ
- 反対論は科学・権威・既得権など多様だったが、女性側は道徳性という価値観を逆手に取り反論した
- エリザベス・ブラックウェルは、こうした時代背景の中で女性医師への道を切り開いた人物
