海を制したイギリスは、なぜ「孤立」を選べたのか
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この回は、前回の帝国と国民国家の違いの話を受けて、ナポレオン戦争後のヨーロッパがどう世界大戦へ向かったかをさかのぼる内容です。起点として語られるのは、1805年のトラファルガーの海戦です。
トラファルガーの海戦でイギリスがフランスに勝ったことで、イギリスは海上覇権を握ります。番組では、海上覇権があれば貿易ができ、貿易ができれば資本主義が進み、経済大国になるという流れで説明されています。
その結果、世界の金融市場はロンドンを中心に動くようになり、19世紀を通じてイギリスは繁栄を極めます。この時代はパクスブリタニカ ── 「イギリスによる平和」を意味する言葉。19世紀、圧倒的な海軍力と経済力を持つイギリスのもとで国際秩序が比較的安定していた時代を指しますとも呼ばれます。
もう世界中の株式会社の株式の半分ぐらいはイギリスが、イギリスの会社が持ってたっていうふうに言われてますよね。
産業革命を終えて資本主義に入ったイギリスが求めたのは、製品を買ってくれるマーケットでした。番組では、資本主義が成り立つ条件はマーケットがあることだと、お金の歴史編の話も引きながら説明されています。
しかも大量生産してるから、在庫はいっぱいはけないといけないわけですよ。
ただ、資本主義に入っていない国にとって、安くて質の高いイギリス製品が一気に流れ込むと国内産業が潰れてしまいます。番組では中国の例も挙げられ、各国はそれを避けるためにオーストリア主導のウィーン体制 ── ナポレオン戦争後の1815年のウィーン会議で作られた国際秩序。オーストリアのメッテルニヒが中心となり、革命や自由主義の広がりを抑えようとしましたを築いて自由主義経済に対抗したと語られます。
イギリスは君主権力が弱く、資本主義への国内の抵抗も小さかったため、自由経済の道を進み続けます。同盟から外れても経済力で一国でやっていけるこの状態は「栄光ある孤立」と呼ばれた、と説明されています。
トラファルガーの海戦
1805年、イギリスがフランスに勝利する
海上覇権
海を押さえ、貿易ができるようになる
資本主義の進展
貿易を通じて経済大国になる
栄光ある孤立
同盟から外れても、経済力で一国でやっていける
自由主義の広がりが生んだ皮肉とドイツの急成長
グローバリゼーションの中で、自由主義経済はイギリス以外の国にも少しずつ広がっていきます。番組が「すごく皮肉」と表現するのは、マーケットを開いた結果、他の国の技術力がイギリスに追いついてしまったことです。
番組ではこれを、マーケットとして見ていた相手が製品を作る側に回り、自分たちより良いものを安く出し始める構図だとたとえています。技術力が世界的に均質化し、イギリスの覇権は相対的に下がっていきました。
その中で最も力をつけたのがドイツでした。番組は第一次世界大戦を、ごく大きくとらえると次のような流れだと整理しています。
イギリスの覇権
イギリスが世界の覇権を握っている
ドイツの台頭
新興国ドイツが急激に力をつける
各国のリアクション
ドイツの脅威に対して各国が動く
大戦への突入
リアクションが積み重なり、第一次世界大戦になる
ドイツのライジングってめちゃくちゃすごくて、例えばその第一次世界大戦までの50年間で、工業生産の世界シェアですね。世界第5位から第2位に躍進する。
ドイツの勢いを示す指標として、発電量の話も紹介されます。ドイツの発電量は、一時期イギリス、フランス、イタリアを合わせたよりも多かったとされ、周辺国にとっては「やばいぞこの国」と映ったと語られています。
番組では、同じころの日本も伸び率がすごく、日露戦争でロシアが日本にほぼ引き分けて少し負けるとは誰も思っていなかったと触れられています。イギリス一強が崩れ、新興国家が次々に出てくる時代だったということです。
バラバラのドイツをまとめたプロイセンのやり方とは
ドイツ統一の主役はプロイセンです。プロイセンはもともと神聖ローマ帝国の中の一国で、神聖ローマ帝国には300ほどの国があり、宗教改革の後はさらに分裂が進んでいたと説明されています。
転機はナポレオンに攻められたことでした。ドイツ人としてまとまらないと危ないという国民意識が芽生え、それをリードしたのがプロイセンです。
プロイセンのやり方は、フランスを脅威として扱い、嘘の情報も流して対立をあおり、戦争を通じてみんなで団結していくというものでした。いくつかの戦争のうちの一つが、フランスと戦った普仏戦争 ── 1870〜71年のプロイセンとフランスの戦争。プロイセンが勝利し、戦争中の1871年にドイツ帝国の成立が宣言されましたです。
このときのプロイセンの宰相がビスマルク、将軍が天才と称されるモルトケでした。番組では、2人ともとても優秀で、人材の黄金期のようにスーパースターがそろったからこそドイツは伸びたのだろうと語られています。
普仏戦争に勝ったプロイセンは、その直後にドイツを統一し、ドイツ帝国が誕生します。ドイツ帝国は経済的にも軍事的にも伸び、やがてイギリスの海上覇権に挑むようになります。
オスマン帝国という「ケーキ」を切らせないビスマルクの外交
ビスマルクはヴィルヘルム1世をドイツ皇帝に据え、その下で民法典の統一、金本位制の採用、関税撤廃による自由主義経済への移行、社会保障の充実など、内政改革を進めました。番組では、内政以上に外交が天才的だったと強調されています。
当時の列強は植民地の獲得を競っていました。一方、オスマン帝国は大きく弱っており、国民国家モデルに触発された民族が次々に独立を求めて領土を失っていたと説明されています。
ビスマルクはこの弱ったオスマン帝国を使って、各国の利害を調整します。オスマン帝国の勢力圏をケーキにたとえ、「欲しいなら自分たちで喧嘩していてはダメだろう」と説いて争いを抑えたと語られています。
みんな切り分けたいだろうから、どう切り分けるか相談しようと持ちかける
切り分けたいだろうと言いながら、誰にも切り分けさせず、直前で全員を調整し続ける
ビスマルクが作ったのは、何も起こらない「全拮抗状態」でした。番組ではこれを、マッチ棒でピラミッドを作るような絶妙なバランスだと表現しています。
ドイツは西にフランス、東にロシアという大国に挟まれた位置にあります。ビスマルクにとって最も怖いのはフランスとロシアが同盟を結び、ドイツが挟撃されることでした。
そのためビスマルクは、フランスが知らない間に孤立するよう利害を調整します。各国は目の前の餌を短期的には合理的だと思って取りに行き、気づけばフランスはロシアと同盟を結べていない状態になっていた、と説明されています。
番組では、ビスマルクは各国の利害や、誰に何を言えばどう動くかを深く理解し、ときに互いに矛盾する同盟や秘密同盟も駆使して均衡を保っていたと語られます。こうした中長期の秩序設計から、ビスマルクは「ヨーロッパの諸葛亮」と呼ばれています。
「鉄血宰相」は本当に好戦的だったのか
ビスマルクの戦略には、ドイツは拡大しないという前提が欠かせませんでした。ドイツが野心を見せれば、オスマンの話をしても「それはお前が欲しいからだろう」と言われてしまうからです。
ビスマルクは自分は領土に興味がないという姿勢をとり、ロシアやイギリスなどがオスマンの勢力圏をめぐって動くと「俺が仲介してやる」と出ていきました。野心を見せず利益も取らないからこそ、仲介役が成り立っていたと番組では整理されています。
ドイツは新興国として、最も「出る杭」に見られる立場でした。自国の利益だけを追えば、すでに強い列強からたたかれる可能性が高かったと語られています。
世界史の教科書では、ビスマルクは鉄血政策 ── ビスマルクが1862年の演説で「現下の大問題は言論や多数決ではなく、鉄と血によって解決される」と述べたことに由来する、軍備拡張によるドイツ統一路線で知られ、好戦的な軍国主義者のイメージを持たれがちです。番組では、実際にはヨーロッパで戦争が起こらないよう、そしてドイツの野心が周囲に出ないよう抑制していた人物だと説明されています。
教科書の「鉄血政策」から、好戦的な軍国主義者と見られがち
戦争が起こらないよう抑え、ドイツの野心も表に出さないよう抑制していた
皇帝ヴィルヘルム1世は外交をビスマルクに任せ、軍事では戦争に強いモルトケがいました。番組では、プロイセンが実際に強かったため他国も下手に戦争できず、ビスマルクとモルトケがプロイセン出身だったこともドイツをまとめられた理由だと語られています。
ビスマルクの均衡に火をつけたのは誰か
ここで番組は、ナポレオンからの流れをおさらいします。
このビスマルクの秩序が崩れるのが第一次世界大戦です。崩壊の要素はいくつもありますが、マッチのピラミッドに火をつけたものの一つがドイツの国民だったと語られます。
ドイツ国民の間では「なぜうちはいつも調整役ばかりなのか」「もっと強くなればいい」「ビスマルクは弱腰外交ではないか」という声が上がり、植民地をもっと欲しがるようになっていきました。
番組の説明では、ドイツが国力を増強できたのは、拡張せずにフランスを孤立させ、内政に集中できたからでした。ところが国民はその因果関係を理解しておらず、強くなったのになぜ権利を求めないのかという不満が生まれたという、皮肉な構図です。
番組はこれを会社にたとえます。ライジングした後の状態に慣れた人と、最初を知っている人とでは考え方が違い、抑制路線は最初を知っている人にしかできなかったのではないか、と語られています。
ドイツという国ができあがった後にこの流れを抑えるのは、ビスマルクがいても難しかっただろうという見方も示されます。今の時代の人が研究書を通して俯瞰できるのは結果を知っているからで、当時の人が自分たちの時代を俯瞰するには限界があった、という話にもつながっていきます。
オスマン帝国の悲哀と、次回への予告
次回は、ビスマルクが作った拮抗状態の中から、第一次世界大戦を戦う2つの陣営を分ける同盟が出てくる話になると予告されます。その発端もビスマルクが作っていると語られています。
樋口さんは、かつてビザンツ帝国を削りながら大きくなったオスマン帝国が、今度はケーキにされていることに悲哀を感じると話します。これには「歴史を知らない人には絶対言えない発言」だという反応があり、樋口さんが歴史を俯瞰して見られるようになったことが話題になります。
さらに、没落するオスマン帝国の中から、今のトルコを作った建国の父ケマル・アタテュルク ── トルコ共和国の初代大統領。第一次世界大戦後の祖国解放戦争を率い、1923年に共和国を建国して近代化改革を進めましたという英雄が出てくることも紹介されます。トルコ料理店に額が飾られていたほどの英雄で、オスマンの物語はまだ終わっていないと締めくくられています。
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まとめ
今回の回では、トラファルガーの海戦で覇権を握ったイギリスが、自由主義経済の広がりによって相対的に力を落とし、代わりに台頭したドイツ帝国のビスマルクが、野心を見せない外交でヨーロッパの均衡を保っていた流れが語られました。その均衡は、強くなったドイツ国民の不満によって揺らいでいきます。
- 海上覇権を握ったイギリスは経済力を背景に「栄光ある孤立」を保った
- 自由主義経済の広がりで技術が均質化し、ドイツが急速に台頭した
- ビスマルクはオスマン帝国を「切り分けさせない」ことで列強の争いを抑え、フランスを孤立させた
- 野心を見せず仲介役に徹したことが、ドイツが内政に集中し国力を高められた理由とされる
- 国力が上がると国民がその因果を理解せず拡張を求め、均衡が揺らぎ始めた






