戦費の4割は借金だった?日本の信用はアルゼンチン以下
日露戦争の開戦までを語った前回に続き、この回では陸海軍とは別の領域で戦った人たちに目を向けます。最初のテーマは資金調達です。日本は開戦当時、戦争に使うお金がまったく足りていませんでした。
日本の国家予算はロシアと比べて雲泥の差があり、物資や人を動かすには海外からお金を借りる必要がありました。戦場とは別の、いわば金融戦争です。
日本は日露戦争を通じて各国に債券を買ってもらい、その発行総額はおよそ1億円にのぼりました。総軍事支出に対する割合は37.88%で、軍事費の約40%を借金で調達したことになります。
この資金調達で大活躍したのが、日本銀行副総裁の高橋是清 ── 明治から昭和初期の財政家。日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣を務め、1936年の二・二六事件で暗殺されましたです。楊さんは、資金調達がどこかで一度でも失敗していれば日本は負けていたと強調します。
当時の金融市場で、日本の国債の立場は決して高くありませんでした。近代化したばかりの国と見られ、信用力が低かったためです。国債の利回りは、高いほど信用力がないことを意味します。
この時の日本の利子つうのが5.02パーセントなんですよ。
楊さんが挙げた各国の国債利回りを並べると、日本の置かれた立場がよくわかります。
| 国 | 利回り |
|---|---|
| イギリス | 2.84% |
| カナダ | 3.07% |
| ドイツ | 3.31% |
| ロシア | 4.06% |
| アルゼンチン | 4.91% |
| 日本 | 5.02% |
日本の利回りはアルゼンチンよりも高く、信用力はアルゼンチンより低いと見なされていました。お金を貸しても返してもらえないかもしれない国だと思われていたわけです。
留学先で奴隷に?高橋是清の波乱の少年時代
信用力の低い日本のために大量の資金を集める役目を負った高橋是清は、日銀副総裁になるまでに驚くほど波乱に満ちた人生を歩んでいます。楊さんは本筋から少し離れて、その半生を紹介します。
高橋是清は1854年、幕府の絵師・河村盛房の非嫡出子として生まれました。父はすでに多くの子を抱えて養育の余裕がなく、高橋是清は生後4日も経たないうちに仙台藩士・高橋惟忠の養子に出されます。
込み入った生い立ちにもかかわらず、高橋是清には劣等感や暗さがまったくなかったそうです。思ったことを歯に衣着せず言い、いつもニコニコしている楽天家だったといいます。
高橋是清は11歳のとき、仙台藩の方針で英語を学ぶために横浜へ向かいます。師事したのはヘボン ── アメリカ人宣教師・医師のJ・C・ヘボン。和英辞典を編み、今も使われるヘボン式ローマ字の元になった表記法を広めました博士でした。
その後、横浜の大火事をきっかけに、高橋是清はイギリス系銀行の関係者アレクサンダー・アラン・シャンドの家でボーイとして住み込みで働きます。このときの縁が、のちの資金調達で役に立つことになります。
英語を身につけた高橋是清は、仙台藩の5人の正式な留学生の1人としてアメリカへ渡ります。ところが、サンフランシスコのホームステイ先だったバンリード家は、高橋是清を奴隷として売り渡してしまいます。
バンリード家での扱いは徐々に悪くなり、食事は粗末になり、学校にも行かせてもらえず、炊事や洗濯、使い走りをさせられました。13歳の高橋是清は、学問を教えてもらえると言われてよくわからないまま紙に署名し、それが強制労働契約でした。
ひどいよね。だから人間だと思ってないんだよ。同じ人間だと思ってないんですよ。
高橋是清は自分が奴隷だとは知らず、なぜ働かされているのかと思いながら農場で働いていました。中国人のコックと喧嘩して出て行くと告げたところ、農場主から3年間奴隷になっていると言われて初めて事態を知ります。
最終的には、江戸幕府がカリフォルニアで日本人保護を委託していたアメリカ人のブルックスが交渉し、契約書の破棄に成功しました。この留学中に、日本は明治時代を迎えています。
詐欺に遭っても日銀へ。高橋是清の出世までの道のり
帰国した高橋是清を待っていたのは、新政府にとって賊軍となった仙台藩の出身という立場でした。身分を隠す必要があった高橋是清は、初代文部大臣となる森有礼にかくまわれ、16歳で学校の英語教師になります。
その学校には、伊藤博文や大久保利通、大隈重信らにも英語や社会科学を教えたオランダ出身のグイド・フルベッキ ── オランダ出身の宣教師。長崎で英学を教え、明治政府の顧問として多くの政治家に西洋の学問を伝えましたがおり、高橋是清はさらに学びを深めます。
その後の高橋是清の経歴は、芸者の家で三味線を運ぶ仕事、唐津藩での英語教師、郵便制度設立の翻訳と続きます。そして再びフルベッキのもとで学生に戻ったとき、高橋是清はまだ18歳でした。
高橋是清は、文部省の通訳、農商務省の勤務、初代の専売特許局長なども務めます。法律を学ぶために米英へ留学し、帰国後は特許・商標・意匠に関する条例の実施に携わりました。
ところが、南米ペルーでの銀山経営の話は詐欺で、高橋是清は借金を抱えて家を売ることになります。それでも、一緒に騙された人物の尽力によって日銀で働くことになりました。
全部が一長一短みたいになってるよね、この人。超悪い面と超いいというか、運命的な側面のどっちもが全部同時に起こってる感じですよね。
高橋是清の日銀副総裁までの歩みを、話に出た年齢と出来事で並べると次のようになります。
戦費はなぜ足りなかった?甘すぎた見積もりとシベリア鉄道
高橋是清は日銀の下関支店長を務め、住友財閥などの事業家を九州に招いて地域振興に努めました。日清戦争の頃には、支店の管轄内で軍事公債も売っていたそうです。
少しずつ出世して日銀副総裁となった頃、日露戦争が迫ります。高橋是清は松尾総裁から、戦争になった場合にお金がどれだけ足りないか調べるよう密令を受けました。
お金が足りない背景には、当時日本が採用していた金本位制 ── 通貨の価値を金と結びつけ、保有する金の量に応じて通貨を発行する制度。金が国外に出ると国内に流せるお金も減りますがありました。楊さんの説明する仕組みは、次のような連鎖です。
戦争が始まる
海外から武器や物資をたくさん買う必要が出る
金が流出する
支払いのために国の保有する金が国外へ出ていく
通貨が減る
金の保有量に比例して、国内に流せるお金が減る
経済が回らない
国内の経済を回すための資金が足りなくなる
やがて元老の井上馨 ── 長州藩出身の明治の政治家。外務大臣や大蔵大臣を務め、元老として財政に強い影響力を持っていましたに呼び出された高橋是清は、ロンドンで外債を募集するよう命じられます。軍事総額を約4億5000万円と試算したうえで、足りない1億円を借りてくるというのが任務でした。
ところが、樋口さんによれば、この戦費の想定はめちゃくちゃ甘いものでした。
開戦前の予測は、戦費4億から8億円ほどあれば足りるというもの
実際にかかった金額は15億円以上で、予測の倍ほどに膨らんだ
戦費が膨らんだ最大の要因は、シベリア鉄道の輸送能力を日本が過小評価していたことです。ロシアは開戦後に鉄道を増設し、冬には凍った地面の上にも線路を敷いて輸送力を上げていました。
勇気あるねと笑われて。ニューヨークとロンドンでの苦戦
ロンドン行きを命じられた高橋是清は、まずアメリカへ向かいました。ニューヨークで3、4名の銀行家に会いますが、「勇気あるね」と言われるばかりで、豪胆な子供が大人に襲いかかっているようだとまで評されます。
誰もやっぱ日本勝てると思ってないんですよね。勝てると思ってないところに借金をして、結局日本が負けたらその借金回収できないじゃないですか。
可能性がないと見た高橋是清は、早々にアメリカを切り上げてロンドンへ移ります。日英同盟 ── 1902年に日本とイギリスが結んだ同盟。ロシアの南下を警戒する両国の利害が一致して成立しましたがあるとはいえ、ロンドンの空気も日本に好意的ではありませんでした。
イギリス政府は、日本にお金を貸すことをロシアへの戦争行為と見なしていました。首相のバルフォアは日本への金融援助を拒絶しています。そこで高橋是清は、金融界の巨頭と親密になって空気を少しずつ変えていく地道な作戦をとります。
そんな中、ある個人投資家から60万ポンド、およそ6000万円の融資の申し出がありました。目標の1億円に対してかなりの額でしたが、高橋是清はこれを断ります。
それはそれで賭けですよね。それでね、貸してくれなかったら、あの時借りときゃよかったってなるはずなんですよ。
断った理由は、利益優先の個人はどう動くかわからず、日本を食い物にされかねないからでした。高橋是清は交渉相手を銀行に絞り、自衛のための戦争であることや、国民の一致団結、武士道の話まで持ち出して、少しずつ理解を得ていきます。
こうしてようやく、予定の1000万ポンドのうち半分を利率6%で発行するめどが立ちました。関税収入を抵当に入れるという、半ば植民地的な屈辱的条件で、まず500万ポンドを獲得します。
ヤコブ・シフの助け船と、緒戦の勝利で売れた外債
残りの500万ポンドを引き受けたのが、ニューヨークで出会った銀行家のヤコブ・シフ ── ドイツ生まれのアメリカの銀行家。投資銀行クーン・ローブ商会を率い、日露戦争で日本の外債を大規模に引き受けましたです。
ヤコブ・シフはユダヤ人で、アメリカのユダヤ人協会の会長でもありました。ロシアの専制政治がユダヤ人を弾圧し傷つけていると考えていたヤコブ・シフは、そのロシアと戦って勝つのであればお金を出すという判断をします。
こうして1000万ポンドが集まり、1億円の外債発行が実現しました。さらに発行の頃、日本軍が緒戦で勝ったというニュースが届きます。
利回りが高く利息も多くもらえる日本の国債は、リスクは高いものの勝ち筋が見えれば魅力的な商品です。申し込みの列は200〜300メートル続き、ロンドンの香港上海銀行では群衆が警察官を押しのけて応募用紙を奪い合い、手すりが押し曲げられたという記録も残っています。
一方、でも個人的にちょっとね、切なさを覚えますね。なんかみんなで人の戦争で金儲けしたいんだなというか。
電信一本でできます。元老たちの無茶振りと2度目の調達
1回目の公債発行が成功すると、すぐに2億円を追加で集めてほしいという話が来ます。戦費想定が甘かったためです。担保にはタバコの専売益金や、必要なら鉄道の収益まで出してよいという指示でした。
国内で売ったタバコの収益みたいなのを担保に入れるって、もうなんか限界感すごいもんね。国の切り売りしてる感覚あるもんね。
この2億円の調達も成功し、高橋是清は1年ぶりに帰国します。すると桂太郎首相に呼ばれ、伊藤博文、山県有朋、井上馨ら元老のいる場で、さらに2億から2億5000万円の公債を募集できるかと問われました。
高橋是清の答えは、2億5000万円ぐらいなら自分の電信一本でできるというものでした。築いた信頼関係と緒戦の勝利が背景にあったと楊さんは見ています。しかし桂首相は、電信ではだめで本人が行かなければならないとし、高橋是清は再びロンドンへ向かうことになります。
出発の直前、伊藤博文は、戦後の財政の大方針を決めてインフレやデフレが起こらないようにすべきだという話を高橋是清にしたそうです。この時点で、高橋是清は国内でも高く評価されていました。
3回目の外債発行では、ニューヨークに寄ってヤコブ・シフと交渉し、半分を引き受けてもらっています。資金調達はその後も何回か続きました。
この人、仕事のほとんどを喧嘩して辞めてるのに、その後絶対に誰かに仕事を紹介してもらえてるから。で、やっぱその人懐っこさがあったんじゃないですかね。
戦争は世論でも戦う。始まったプロパガンダ競争
ロシア側も資金調達に苦労し、やはり見積もりが甘かったようです。ただ、番組はそこには深入りせず、もう1つのテーマである広報に話を移します。日露戦争の頃から、プロパガンダによる広報戦争が本格的に始まっていました。
国際世論は資金調達のしやすさに直結しました。さらに日本は最終的にアメリカにロシアとの仲介を頼みたかったため、アメリカの世論を味方につける必要もありました。
キリスト教国の宗教戦争であって、白人人種と有色人種の戦争であるってなったら、列強って全員白人だからさ、全員そっちの味方になっちゃうわけじゃないですか。
そこで伊藤博文は、ハーバード大学出身の金子堅太郎 ── 福岡藩出身の明治の官僚・政治家。ハーバード大学で学び、日露戦争中はアメリカで日本の立場を訴えましたをアメリカに、ケンブリッジ大学出身の末松謙澄をイギリスに派遣します。狙いは、これは人種戦争でも宗教戦争でもないと訴えることでした。
樋口さんによれば、金子堅太郎と末松謙澄の活動は地道なものでした。
- 政治家や記者、知識人に会って話す
- 現地の大学や団体で講演する
- 新聞や雑誌に寄稿して掲載してもらう
- 社交界に入り、世論形成の鍵を握る上流階級に日本の立場を説く
黄禍論に武士道で挑む?日本とロシアの宣伝合戦
日本の広報が向き合わなければならなかったのが黄禍論 ── 黄色人種の台頭が白人社会に災いをもたらすとする考え方。19世紀末から欧米で広まった差別的な主張ですです。アジアの伸長を脅威と見る侮蔑的な見方で、楊さんはモンゴルがヨーロッパを攻めた記憶の再来のような感覚があったと説明します。
金子堅太郎らが広報に使ったのが、新渡戸稲造が西洋向けに英語で書いたベストセラー『武士道 ── 新渡戸稲造が1900年にアメリカで英語により刊行した本。日本人の倫理観を武士道として西洋に紹介しました』です。日本には武士道という倫理があり、キリスト教徒でなくても文明化を達成できたと認めてほしい、という論法でした。
日本とロシアがそれぞれ展開した宣伝の論理を並べると、同じ戦争がまったく違う構図で語られていたことがわかります。
人種戦争でも宗教戦争でもなく、近代的でない専制君主制との戦いだと訴えた。武士道を示して、非キリスト教国でも文明化できたと主張した
白色人種と黄色人種の人種戦争、キリスト教と異教徒の戦いだと宣伝した。野心的な日本の勃興をキリスト教の白人諸国が結集して抑えるべきだと主張した
金子堅太郎は演説が非常にうまく、弱い者が強い者に挑むのをかっこいいと感じるアメリカ人の感覚をくすぐるのが得意だったそうです。各地で引っ張りだこになり、大聴衆を前に演説して「すげえな日本」という雰囲気をつくりました。
その、だからまあいろんな領域でそれぞれの人たちが戦ってるっていう感じですよね。広報でも資金調達でも海軍でも陸軍でもです。
日露戦争は第一次世界大戦の前哨戦だった?
樋口さんは、金子堅太郎が福岡の名門・修猷館の出身で、福岡が誇るべき偉人の1人だと付け加えます。そのうえで、日露戦争を第一次世界大戦の前哨戦と位置づけます。
日露戦争では、金融もメディアも、戦艦や電信、無線機といった新しい技術も総動員されました。軍隊と軍隊の戦いにとどまらず、言論でも戦う全面戦争のフェーズに世界が突入した最初の例が日露戦争だったというのが樋口さんの見方です。
資金調達と広報という戦場の外の戦いを紹介したこの回を受けて、次回は再び戦線の話に戻ります。
まとめ
日露戦争で日本は軍事費の約40%を外債で賄い、その調達を担った高橋是清は、奴隷として売られるなどの波乱の半生で培った人脈と人懐っこさで交渉を成功させました。同時に金子堅太郎らは黄禍論に対抗する広報戦を展開しており、日露戦争は金融や言論まで動員する総力戦の始まりだったと語られています。
- 日本の国債利回りは5.02%とアルゼンチンより高く、信用力の低い状態から外債募集が始まった
- 戦費の想定は4億〜8億円だったが、シベリア鉄道の過小評価などで実際は15億円以上に膨らんだ
- ユダヤ人迫害への反発から、ヤコブ・シフが外債の半分を引き受け、緒戦の勝利で日本の債券は人気を集めた
- 日本は人種・宗教戦争という構図を避けるため、武士道や専制君主制との戦いという論理で世論に訴えた
- 金融、メディア、新技術を総動員した日露戦争は、第一次世界大戦の前哨戦ともいえる総力戦だった





