シンドラーはどこの「ドイツ人」だったのか?
前回までのシンドラー編は、ユダヤ人の少年レオンの視点から、ユダヤ人がどのような扱いを受けていたかを追ってきました。今回はいったん時間を戻し、オスカー・シンドラー本人の生い立ちに焦点を当てます。
深井さんによると、シンドラーはスティーブン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』と、その原作のノンフィクションノベルによって有名になった人物です。それ以前は、シンドラーの行いを知る人はあまりいなかったといいます。
映画も小説も概ね事実に基づいていますが、細かい部分には脚色があり、史実ではない箇所もいくつかあるそうです。番組では英語の本で史実を確認したうえで紹介すると説明されています。
(シンドラーのリストは)映画も小説もね、細かい部分で結構脚色がされてまして、ちょっと史実じゃないところも何個か実はあったんですよ。
シンドラーは1908年7月28日、フランツ・ヨーゼフ治下のオーストリア帝国に生まれました。生まれたのは当時オーストリア領だったモラヴィア地方の山のほうにある、ツヴィタウという町です。
深井さんが重要な点として挙げるのは、ツヴィタウ周辺の人々がズデーテン系ドイツ人 ── 現在のチェコ西部・北部の国境地帯などに住んでいたドイツ語話者の人々。第一次世界大戦後はチェコスロバキア国内の少数派となりましたと呼ばれていたことです。シンドラーはオーストリアに生まれながら、アイデンティティはドイツ人だったということになります。
ズデーテン系ドイツ人については、ヒトラーが「彼らが迫害されている」という理由でこの地方の割譲を強引に要求した話が以前の回で出ていました。深井さんと楊さんは、この理屈がプーチンのやり方と同じだと口をそろえます。
シンドラーが生まれたときはオーストリア=ハンガリー帝国の一部でしたが、第一次世界大戦後に帝国が崩壊すると、この地域はチェコスロバキアの一部になります。そして第二次世界大戦直前に、ドイツがこれを編入しました。
深井さんは、シンドラーを「ど真ん中ではないドイツ人」と表現します。ただ、ヒトラーも、のちに登場する収容所の人物アーモン・ゲートもオーストリア出身で、同じような出自の人は多かったそうです。
シンドラーはドイツ語で育ち、チェコにいながらドイツ人学校でドイツ式の教育を受けました。一方で楊さんは、シンドラーの家には強い民族意識があったわけではなく、チェコスロバキア共和国の独立も一家にとって大事件ではなかったと補足します。
シンドラーに関しては、まあドイツ人という国民意識はまだそこまではなかったと。
父との確執、そしてあだ名は「詐欺師」
シンドラーの父ハンス・シンドラーは、農業機械を生産する工場を経営していました。母ルイーザは敬虔なカトリック教徒だったそうです。深井さんは、シンドラーは父親によく似ていて、しかも父親と仲が悪かったと紹介します。
父ハンスは社交場で酒を飲み歩く人物で、楊さんは「絶望的なアル中」と書いた本もあると言います。のちにシンドラーの妻となるエミーリエは、義父が酔って義理の姉をレイプし、子どもができたと証言しているそうです。
シンドラー本人は学校で問題を起こします。中学校で成績表を偽造して退学処分を受け、復学はできたものの、あだ名が「詐欺師」になったといいます。
一応復学できたらしいんだけど、あだ名がなんか詐欺師になるらしい。
その後シンドラーはチェコにあるドイツ語の高校に進み、技術者コースに入ります。父の農業機械工場を継ぐ予定だったためです。この高校には、ドイツ系ユダヤ人の友人が何人かいたそうです。
楊さんによると、当時は人種や信仰に基づく偏見があった一方で、個人レベルでユダヤ人の友人がいるのは珍しくなかったといいます。
高校時代のシンドラーは政治にも民族的な出自にも勉強にも関心がなく、バイクに夢中でした。父親に買ってもらったイタリアのメーカー、モトグッツィの真っ赤なバイクで街を走り回り、レースにも出ていたそうです。
(シンドラーは)自分の街を我が物顔で走り回ってて、それを見た街の人たちは、シンドラー工場の主人は息子を甘やかしすぎていると口々に噂した。
結婚、失業、逮捕、隠し子と続いた20代
シンドラーは20歳のとき、農家の娘エミーリエと結婚します。2人はパーティーで出会い、エミーリエはシンドラーを都会的で洗練された青年と感じ、シンドラーは修道院の付属学校に通っていた彼女の慎み深さや純朴さに惹かれたと本に書かれているそうです。
ただ、この結婚は双方の父親から反対されていました。シンドラーの父は、自分に似た息子が純朴な女性とやっていけるはずがないと、自らの経験から直感していたといわれます。
もちろんエミーリア側のお父さんも同じだった。もうこんなドラ息子とさ、結婚するとかダメだよみたいなっていう感じだったらしくて。
反対を押し切って結婚したものの、夫婦関係はすぐに冷え込みます。兵役から戻ったシンドラーは、エミーリエを夜ごとほったらかし、独身のようにカフェで遅くまで過ごして女性たちと遊んでいたそうです。深井さんは、ここでのカフェは社交場のことだと補足しています。
父ハンスとの関係も悪化します。家業が破産すると、父は妻を捨てて一人でアパート暮らしを始めました。母ルイーザはまもなく失意のうちに亡くなり、シンドラーは父をひどく憎んだといいます。エミーリエもまた、夫の酒と女癖の悪さを義父のせいにしていたそうです。
仕事の面では、シンドラーは20歳ごろまで父の会社でトラクターなどのセールスをしていましたが、モラビア・エレクトロテクニック社に転職します。兵役後に再入社したものの、不況で会社が倒産し、1年ほど失業しました。
失業中のシンドラーは、エミーリエが持参金として持ってきたお金を高級車に使い果たし、仕事もあまり探さなかったそうです。問いただす妻に対して、シンドラーは「お前は禁欲主義者すぎる」と返したといいます。
この1年間は酒浸りで、公然わいせつや泥酔、暴行で2回ほど逮捕されています。経済的に立ち直ってからは、父の会社で秘書をしていた女性と不倫関係になり、2人の隠し子をもうけながら面倒を一切見なかったそうです。
ルソーみたいなムーブをするよね。
スパイ兼ナチ党員として、クラクフへ
30歳ごろ、シンドラーに転機が訪れます。ナチス・ドイツの諜報機関アプヴェーア ── ドイツ国防軍の情報機関。第二次世界大戦前後に対外諜報や防諜を担っていましたに、工作員としてスカウトされたのです。同じ時期にナチ党にも入党しました。
楊さんは、この時点でナチス政権はすでに独裁体制を確立していて、ナチスに入ることはキャリアの王道のようなものだったと見ています。
ただ、入党の際にはシンドラーの逮捕歴が問題になり、手続きが止まりかけたそうです。それでもスパイの才能があると判断されました。楊さんと深井さんは、シンドラーのコミュニケーション能力の高さを挙げています。
逮捕歴が何個もあるから、こいつ大丈夫かなってなったらしいんだけど、そのスパイの才能があるってなって。
当時、ズデーテン系ドイツ人の若者の多くはナチ党系列の政党に入っていたといいます。ドイツ国外にいたドイツ人にとって、ドイツに入れてもらえることは嬉しいことだったのだろうと深井さんは推測します。シンドラーの入党も、周囲から見て特別なことではありませんでした。
一方でシンドラーは、ナチスが自分たちの地域で、ユダヤ系やチェコ系の住民の財産を没収するなどしていじめる様子を見て、良くないと強く感じていたそうです。それでもナチスの敵にはならず、アプヴェーアに属しながら生きていきます。
シンドラーとポーランドの接点は、このスパイ活動でした。情報収集のためにクラクフを訪れ、いい街だと感じていたといいます。クラクフは、前回までの主人公レオン少年が暮らしていた街でもあります。
ドイツのポーランド侵攻についても、シンドラーは「するよね」くらいの感覚で受け止めていたそうです。ポーランド側から見れば許しがたいことでも、ドイツ系のシンドラーにとっては、住民いじめは良くないと思いつつ、ドイツの権限が増すこと自体は悪いことではなかった、と本には書かれているといいます。
戦争で一儲けを狙ったクラクフの工場
シンドラーが本格的にクラクフへ進出したきっかけは、スパイ活動の隠れ蓑となるビジネスを探すことでした。工場を買うために、クラクフのビジネスに詳しい人々と人脈を築いていきます。
その1人が、ユダヤ人の会計士イザーク・シュテルンです。映画にもたびたび登場する人物です。のちに買収した工場の事務主任だったアブラハム・バンキルもユダヤ人で、シンドラーはユダヤ人の力を借りてクラクフで足場を作っていきました。
シンドラーは紹介された倒産状態のユダヤ人の工場の経営権を安く買い取り、「エマリア」という通称で経営し直します。深井さんによると、シンドラーは経営はまったくできない一方で、人当たりが良く、酒が強く、すぐ人と仲良くなる営業の達人でした。
シンドラーの狙いは戦争ビジネスでした。ドイツが戦争を進めれば、軍の物資の需要が生まれます。楊さんによると、占領下のポーランドには、戦争を一攫千金のチャンスと捉えるドイツ人の商売人がたくさんやってきていたそうです。
(シンドラーは)スパイの隠れ蓑としてもそうだけど、やっぱ最初は儲けようとしてた。
工場の設備は使い物にならず、買い直すための投資が必要になりました。その資金も、シンドラーはユダヤ人から得ています。財産を没収されたユダヤ人の中には、手持ちの現金を隠している人がいたからです。
シンドラーの提案は「作ったもので返すから投資してくれ」というものでした。ナチス政権下のユダヤ人には権利がなく、契約書を交わしても意味がありません。ユダヤ人の側も、現物を受け取れば闇市場で食料と交換できるため、この取引に応じたといいます。
ユダヤ人の状況
財産を没収され、経済活動も制限されているが、隠した現金を持つ人がいる
シンドラーの提案
契約書なしで、工場で作った製品で返すから投資してほしい
ユダヤ人の判断
現物なら闇市場で食料と交換できるので応じる
結果
シンドラーは得た資金で設備を整え、戦争で儲けようとする
ところがシンドラーは最終的に、全財産をユダヤ人の救出に使い切り、無一文で戦後を迎えます。楊さんは、この時点の行動は客観的に見れば「ユダヤ人搾取」だと指摘します。
なぜ儲け目当ての男が、財産を投げ打って人を救ったのか。これがシンドラー編の問いだと深井さんは位置づけます。
賄賂で広がる工場と、人件費で選ばれたユダヤ人
シンドラーの工場の正式名称はドイツエナメル容器工場で、45人の従業員から始まりました。ドイツ軍と契約するため、軍需査察局の担当者にコニャック、カーペット、宝石、家具、高級食品の詰め合わせなどを贈り、コネを作って発注を得ていきます。
ギラギラしたやり手の商売人ですよ。
このやり方で工場は急速に拡大し、1940年の夏ごろには約250人のポーランド人従業員を抱えるまでになりました。
同じ時期、ユダヤ人への締め付けは激しさを増していました。深井さんは、クリスタルナハト ── 1938年11月にドイツ各地で起きたユダヤ人への大規模な襲撃事件。シナゴーグや商店が破壊され、多くのユダヤ人が逮捕されましたが起き、レオン少年の父親が連れて行かれたのもこの頃だと振り返ります。
それでもシンドラーは、ユダヤ人をまったく差別していませんでした。楊さんは、ゲッベルスのような反ユダヤ思想の持ち主とは違う点が面白いと話します。深井さんによれば、シンドラーはここまで「役に立つ人を頼る」という超合理的な動き方をしているだけでした。
シンドラーが反ユダヤ主義ではないと見たイザーク・シュテルンは、若いユダヤ人を雇ってほしいと頼みます。深井さんは、シンドラーが応じたのは最初はユダヤ人の人件費が安かったからだろうと推測します。
ユダヤ人はね、同じポーランドに住んでいても、非ユダヤ人のポーランド人とユダヤ系ポーランド人でね、人件費が違うんですよ。
これはナチスの政策によるもので、のちにはユダヤ人の賃金がナチスに支払われる仕組みになったそうです。シンドラーは最初に7人を雇い、その後2〜3か月のうちに150人を一気に雇い入れています。
楊さんによると、ユダヤ人労働者に十分な食料を与え、親衛隊の虐待から適度に守ることはビジネス上のメリットがあり、クラクフの他の工場経営者も似たことをしていたといいます。
最初の7人のうちの1人が、金庫を開けた腕を買われて雇われたレオン少年の父親でした。ただ深井さんは、この頃のシンドラーは救おうとはほとんど思っておらず、ダブルスーツにナチスのバッジをつけてBMWを乗り回す「儲けたろ」の時期だったと見ています。
従業員を連れ去るSSに怒ったのはなぜか?
ユダヤ人を多く雇うほど工場の儲けは増えましたが、楊さんが指摘するように、結果としてシンドラーはユダヤ人と個人レベルの関係を築いていきます。
ある冬の日、シンドラーはユダヤ人従業員60人ほどが毎日欠勤していることに気づきます。出勤途中にナチスの親衛隊SS ── ナチ党の親衛隊。ユダヤ人迫害や強制収容所の運営などで中心的な役割を果たした組織ですに捕まり、雪かきの強制労働に勝手に駆り出されていたのです。
工場の生産性落ちるじゃんみたいな。何お前勝手に人の従業員使ってんの?みたいな感じでキレるんですよね、ナチスに。
シンドラーは賄賂を贈ってまで、従業員を使わないよう求めました。ただしその動機は、かわいそうだという気持ちより、自分の人手を確保するためだったと深井さんは説明します。
深井さんによれば、シンドラーによるユダヤ人へのひどい扱いへの介入は、自分のビジネスを守るためという形で始まったのです。
人件費が安いから雇う。迫害もあまり意識していない
従業員を連れ去るSSに抗議し、賄賂で介入する(動機はまだ人手の確保)
周囲にはユダヤ人迫害を当然の正義と考える人ばかりがいる中で、シンドラーはやがて全財産を投げ打つことになります。今回の時点では、高級車と愛人とナチス高官とのパーティーに明け暮れる人物のままです。
まとめ
今回の回では、オスカー・シンドラーが、民族意識の薄いズデーテン系ドイツ人として育ち、素行の悪い青年時代を経て、ナチ党員の工作員としてクラクフで戦争ビジネスを始めるまでが語られました。ユダヤ人を雇い、守り始めた動機も、この時点ではあくまで商売でした。
- シンドラーはオーストリア帝国のモラヴィア地方で生まれたズデーテン系ドイツ人で、強い民族意識は持っていなかった
- 成績表の偽造、浮気、失業中の浪費、逮捕、隠し子など、父親譲りの破天荒な前半生を送った
- 30歳ごろにアプヴェーアの工作員となりナチ党に入党し、スパイの隠れ蓑としてクラクフで工場を買収した
- 賄賂とコネで工場は45人から約250人に拡大し、ユダヤ人は人件費の安さから雇われていた
- SSによる従業員の連れ去りへの抗議が介入の始まりだったが、動機は人手の確保で、救出に至る理由は次回以降に持ち越された



