宰相になったサラディンは、なぜ酒を断ったのか
前回までに、サラディンはあれよあれよという間にエジプトのファーティマ朝 ── 10〜12世紀にエジプトを中心に栄えたシーア派(イスマーイール派)の王朝。独自のカリフを立て、スンニ派のアッバース朝と対立していましたの宰相になりました。今回はその後、サラディンが実権をどう固めていったかの話から始まります。
楊さんによると、サラディンは政権の座に就いたのをきっかけに、お酒を断ち、遊びを控えたという記述が残っています。それまでは普通に酒を飲み、遊びもいろいろしていたようです。
だからすごく最初から敬虔なムスリムってあったっていうよりも、こういう状況に対応するために自分で覚悟を新たにしたっていう。
一方、サラディンの主君であるヌールアディンは強い警戒心を抱くようになります。側近とはいえ、本来は自分に従うべき一武将にすぎないサラディンが、独立勢力を築いて主従関係を踏みにじろうとしているのではないかと疑ったのです。
私の命令もなしにサラディンはなぜ勝手に宰相になるようなことをしでかしたのだろうかと(ヌールアディンは)嘆いたそうですね。
ヌールアディンは何通も手紙を書きましたが、サラディンはその言葉に耳を貸さず、いわば無視を続けたと書かれているそうです。
「会わないけれど従うふり」という絶妙な戦略
深井さんが面白いと話すのは、サラディンがヌールアディンに対して「会わない」という戦略をとったことです。会った瞬間に、従うか従わないかの踏み絵を踏まされるからです。
ただしサラディンは、エジプトでは「あなたの配下です」というポーズを取り続けました。同時代の歴史家からは実質的にスルタン ── イスラム世界で世俗の支配者に使われた称号。宗教的権威のカリフに対し、実際の政治・軍事の権力を持つ君主を指しましただと見られていながら、自分ではその称号を名乗らなかったとされます(本によって記述は異なるそうです)。
さらに貨幣にはヌールアディンの名前を刻みました。行動では「エジプトの支配者は本当はあなたです」と示しつつ、手紙は無視し、絶対に会わない。サラディンはそんな状態を保ったのです。
すごい状態だよね。絶妙。だからヌールアディンが絶対にダメだとも言えないけど、少なくとも良くはないよね。
楊さんと深井さんは、サラディンの振る舞いを、曖昧な関係を戦略として保ち続けたものだと評します。樋口さんはこれを現代風にたとえました。
LINEを返さんけどTwitterには書くみたいな。やっぱヌールさん最高っすってTwitter書くけど、LINEを全然返さんみたいな。
ヌールアディンの病死と、知らぬ間に消えたファーティマ朝
サラディンにとって運のいいことが起きます。しびれを切らしたヌールアディンは、エジプトを奪うための遠征軍を編成していましたが、その最中に病死したのです。
めちゃくちゃ運がいいですよね。もうサラディンの粘り勝ちみたいな。
楊さんは、もしサラディンがヌールアディンに攻められていたら、歴史がどうなったかはわからないと話します。この後、サラディンは本格的に独立し、父の名を取ったアイユーブ朝を実質的に興しました。
同じころ、ファーティマ朝のカリフも亡くなります。ヌールアディンの生前、サラディンはファーティマ朝のカリフを廃位するよう指令を受けていました。そこで集団礼拝のモスクで、アッバース朝 ── バグダードを都としたスンニ派のイスラム王朝。この時代には政治的な力は弱まっていましたが、カリフの権威は多くのスンニ派勢力に認められていましたのカリフの名のもとに説教が行われるよう手配します。
ファーティマ朝のカリフは当時すっかりお飾りで、何も統治していませんでした。そのため、モスクで自分の名前が消されたことにも、自分の王朝が滅んだことにも気づかなかったといいます。
(カリフは)すぐ亡くなるので、カリフ位とかが廃位されてから。うん、知らないまま、もうこれも側近の人たちももう。もう亡くなりそうだし、もう言わん方がいいわってなって。
楊さんは、サラディンがカリフとの衝突なしに政権を「ぬるっと」手に入れたとまとめ、深井さんも「面白いな、このぬるっと感」と応じます。
亡き主君の国を、助けるふりをして取り込む
次にサラディンは、主君筋だったザンギー朝が押さえるシリアを取りにいきます。深井さんは思わず「むちゃくちゃやんもう」とつぶやきます。
ヌールアディンの後を継いだ息子のサリーフは、まだ11歳でした。サラディンは力ずくで奪うこともできましたが、ここでも辛抱強い作戦に出ます。まずサリーフの権威を直ちに承認したのです。
ヌールアディンの死によってザンギー朝の内部では権力争いが起き、混乱していました。そこでサリーフの後見人が、武力を持つサラディンにダマスカスへ来て統治を助けてほしいと要請します。サラディンにとっては、シリアに介入するまたとない口実でした。
サラディンはダマスカスへ無血入城し、建前上はサリーフに臣下の礼を取ります。「この王に援助を差し伸べ、彼にお仕えするためである」と語りつつ、城塞を押さえ、従わない有力者のアミールたちを説得や武力で傘下に入れていきました。
サラディンが建前を捨てたのは、アッバース朝のカリフからエジプトとシリアの支配権を認める文書を得たときです。モスクの説教や貨幣からサリーフの名を削り、自分の名前に替えました。
本性表したな、サラディン。これがやりたかったんか、最初から。
さらにサラディンはヌールアディンの妻と政略結婚し、ザンギー朝の後継者のように振る舞う権威付けも行います。ザンギー朝自体はまだ滅びませんでしたが、シリアの支配を失い、サラディンはエジプトとシリアの緩やかな統一を果たしました。
権威の承認
幼いサリーフの権威をすぐに認める
要請に応じる
混乱の中、後見人の要請を受けダマスカスへ無血入城
実権の掌握
臣下を装いつつ城塞と有力者を押さえる
建前を捨てる
アッバース朝カリフのお墨付きを得て、説教と貨幣を自分の名に替える
「ぬるぬるヌルディン」は家康に似ている?
深井さんは、もともとセルジューク側とファーティマ朝側に分かれていた地域をアイユーブ朝でまとめ、しかも穀倉地帯のエジプトを押さえたことで、底力のある状態を「ぬるっと」作ったと評します。ここから「ヌルディン」「ぬるぬるヌルディン」という言葉遊びも飛び出しました。
だってさ、全部受動的だったよね。なんか、まああわよくばみたいな感じの態度を取ってたら運良く転がり込んでくるみたいな感じだったよね。
深井さんは、サラディンの権力の取り方が、徳川家康が豊臣秀吉から権力を取っていったやり方に似ていると話します。楊さんが将棋にたとえると、深井さんは「詰め将棋みたいな感じ」で、ただし運がないとできないやり方だと付け加えました。
樋口さんが、当時3人いたカリフのうち残る2人はどうなったのかと尋ねます。深井さんによると、もう1人ははるか遠くにいて関係が薄く、この時点ではアッバース朝のカリフに権威が収斂した感覚があったといいます。
緩やかな統一の中で、エジプトの内政を固める
楊さんが注意を促すのは、サラディンの統一が「緩やかな統一」であって、確固たるものではなかった点です。イスラム世界の戦国時代はまだ続いており、支配下の君主や有力者はいったん傘下に入っただけでした。サラディン自身も、いつ裏切られるかわからない立場にあったのです。
サラディンはまずエジプトに戻り、内政に力を注ぎます。スンニ派のサラディンは、シーア派思想の一掃を進め、シーア派の拠点である図書館を取り壊したり閉鎖したりしました。
エジプト全土を対象とした検地も行いました。土地を測量し、どれだけ税収が見込めるかを把握する、国家財政の基盤づくりの大事業です。そのほか反乱を鎮圧し、イスラム商人の集団を保護しました。
商人の貿易を邪魔する十字軍とも少し戦い、捕らえた十字軍の捕虜はカイロで市中引き回しのうえ処刑されたそうです。楊さんは、寛容なイメージがつきまとうサラディンも「殺す時はちゃんと殺す」と話します。
日常の記述も残っています。戦から戻ると華やかなガウンをまとってポロを楽しみ、詩を吟じ、チェスに興じました。学者を招いてコーランやハディース ── 預言者ムハンマドの言行を伝える伝承を集めたもの。コーランに次ぐイスラムの重要な典拠とされますの講義に耳を傾けることもしばしばだったといいます。
エルサレム奪還の動機と、入念な下準備
いよいよサラディンはエルサレム奪還に向けて動き出します。ただ楊さんが本を読んだ範囲では、サラディンがいつ奪還を決心したのかは不明で、早くから明確なプランがあったかはわからないそうです。
本の中の考察として、楊さんは奪還の目的を3つ紹介します。1つ目はエルサレムがイスラムの聖地でもあるという宗教的な理念。2つ目は、ジハードの旗印を掲げて結果を出し、自国の支配を正当化すること。樋口さんは「まんま十字軍のあれですね」と反応します。
3つ目は、十字軍以前の状態に戻すことです。十字軍が来る前のエルサレムは、イスラム教を主体としつつも、キリスト教やユダヤ教などさまざまな信仰が共存する都市だったといいます。
準備として、サラディンは海軍を増強し、陸軍を編成し、イタリアの諸都市と協約を結んで木材や鉄などの戦争資材を調達しました。1185年にはビザンツ帝国との同盟関係も樹立しています。樋口さんは、内政も外交も戦争も全部自分でやっていると驚きます。
サラディンの軍の正規軍の中核はトルコ人とクルド人で、トルコ系遊牧民の補助軍も騎馬兵として加わっていました。馬に乗るムスリムの騎士はアラビア語でファーリスと呼ばれますが、その意味はヨーロッパの騎士とは異なっていたと紹介されます。
身分階級であり、貴族
階級ではなく職業。アラブの血筋でも奴隷兵士でも、馬に乗る者はファーリス
慎重なサラディンと、十字軍の本当の姿
樋口さんが「優秀ですね」と言うと、深井さんは「優秀だけど控えめですよね」と返します。深井さんは、サラディンの特性を、地盤を固めてからエルサレムへ向かうような「順序をちゃんと踏む」姿勢に見ています。
ある程度分かりきってることをしっかりとやっていって、それがタイミングが来るまで待つみたいなのがなんかこう特性として見えるなっていう感じはしますよね。
深井さんは、サラディンがビザンツ帝国と同盟を結んだことからも、十字軍が単純な「キリスト教対イスラム教」の構図ではなかったとわかると話します。
(エルサレム奪還は)宗教戦争っていう側面ももちろんあったんですけど、彼自身も言ってるし。言ってるんだが、やはりそれだけが理由じゃなくて、その領土獲得とか、自分の領土を守るとかいうニーズの延長線上にある活動の一つなんですよね。
幼いころからエルサレム奪還を決意していたのではなく、「これエルサレム行ける?」となって向かった可能性もあると深井さんは見ます。樋口さんは、ジハードという意味付けがあれば納得する人も多かっただろうと補いました。
「明日死ぬかもしれない」時代の感覚をどう読むか
樋口さんは織田信長編を引き合いに出し、戦国時代と現代では裏切ることの意味も違うし、領土を広げることが承認欲求ではなく身を守るためだった可能性もあると話します。
深井さんは、現代の私たちは平均的に何歳まで生きるかがおおよそわかり、何を勉強すれば将来に役立つかも見通せる、安定した時代に生きていると指摘します。サラディンの時代は、そうした教育投資ができる環境ではありませんでした。
80歳や70歳まで生きる前提で、将来のための勉強や投資ができ、政府が倒れることはあまり想定しない
明日死ぬかもしれず、いつ誰に裏切られるかわからない生存競争の中にいる
常に明日死ぬかもしれないし、いつどこで誰が裏切ってきて自分の首刺されるかわかんないっていう状態でずっと生きてる人たちなんで。
深井さんによれば、そうした逼迫した状況の中でサラディンはポロで遊んでいたのです。樋口さんは「死が普通に日常の中にある」状況だと受け止めます。だからこそ、今の感覚で「裏切った」と評価すると見誤ると深井さんは話します。
深井さんは外資系企業の激しい競争にもたとえ、今日の友が明日の敵になる環境は本人の性格と関係なく生まれると語ります。そのうえで、サラディンは謙虚で寛容、人徳があると言われた人物だと強調しました。
次回は、いよいよサラディンのエルサレム奪還の動きが語られる予定です。
まとめ
今回のサラディンは、主君ヌールアディンとの曖昧な関係を保ち、幼いサリーフを助けるふりをしながら、エジプトとシリアを「ぬるっと」まとめ上げました。その慎重さは、裏切りと死が日常にある戦国時代を生き抜くための振る舞いとして読むと理解しやすくなります。
- サラディンはヌールアディンに会わず手紙も無視しつつ、称号や貨幣で配下のポーズを取り続けた
- ヌールアディンの病死とファーティマ朝カリフの死で、アイユーブ朝が実質的に成立した
- サリーフの権威を承認して介入し、カリフのお墨付きを得てからシリアの実権を握った
- エルサレム奪還には宗教的理念のほか、支配の正当化や領土を守る打算もあったと考えられる
- 裏切りが当たり前の時代の行動は、現代の感覚で評価すると見誤ると深井さんは指摘する





