人はなぜ助け、なぜ見捨てるのか?
シンドラー編の最終回で、深井さんが考えたいと切り出したのは、善性はどういうときに発動するのか、そして善性とはそもそも何なのかという2つの問いでした。シリーズで紹介してきた事象は、一般的な常識だけでは簡単に説明できないと深井さんは話します。
深井さんがまず言えると考えたのは、ユダヤ人を助けた人たちは例外なく、相手を「仲間」だと思っていたという点です。どこまでを仲間と見なすかという概念は、以前の障害の歴史のシリーズでも学んだものでした。
一方で、人を殺してもなんとも思わない人たちは、相手を仲間だと思っていないことに加え、人格の捨象 ── 人を固有の人格を持つ個人としてではなく、属性や抽象的なカテゴリーとして扱うこと。「捨象」は、ある性質以外を切り捨てて考えることを指しますが起きていたと深井さんは指摘します。相手を個人ではなく、抽象的なものとして扱っていたということです。
こういう奴はとか、もう男は女はとか、右派は左派はとかさ、もう至る所でこの論調は使われているじゃないですか。
深井さんは、人格の捨象を全部防ぐのは非現実的だとしつつ、過度に捨象されている状態は、いつでも危険なところへ向かう入り口に立っているのだろうと語ります。
樋口さんはここに一つ付け加えます。芸能人のように名前があり個体として認識されている人でも、何を言ってもいいマスコットのように扱われ、人間と思われていないことがあるという指摘です。
自分と同じ痛みや自分と同じようなものがあるという感覚とかけ離れた対象としてカウントされ始めてるっていう状態で。
深井さんは、そうした状態では共感する回路が遮断されているのだろうと話し、すべてに共感すれば人はバグってしまうのかもしれないと続けます。
相手を仲間だと思っている。シリーズで見た事例では例外がない
相手を仲間だと思っていないうえ、人格の捨象が起き、個人として捉えていない
仲間の範囲はどこまで広げればいいのか?
仲間の認知範囲を広げることが大事だとすると、まず「すべての人間に人権がある」と考えるのが一つの結論になると深井さんは話します。近代国家は基本的にその人権の前提を持っています。
ところが深井さんによれば、現代ではすでに、犬や猫に人権のようなものを見出す人と見出さない人が分岐しています。100年後の世界では、犬を人間と同じように扱わない人が「やばい」と思われているかもしれないというのです。
鹿は害獣駆除していいけど猫はダメって何なん?ってなるじゃない。次は猫OKってなった次の世界ではさ。
イルカとクジラはいいのか、サメはダメなのかみたいなさ。
深井さんは、どこまでを仲間とするのが今の自分たちにとって適切なのかを、実はわかっていないと指摘します。樋口さんは、今決まっていることを正しいと思い込んでいるだけかもしれないと応じます。
深井さんは例として、ロシアのウクライナ侵攻を挙げます。プーチン氏が本当は何を考えているかはわからないとしつつ、少なくとも本人の語るロジックはロシア人のためであり、ウクライナ人のことは考えていません。ユダヤ人のことを考えなかったヒトラーと構図が似ていると深井さんは話します。
では仲間の範囲は究極的には「全部」なのか。深井さんは、妊娠何か月から人間なのかという、以前の死の歴史で扱った問いにもつながると言います。動物の肉を食べない人がいるように、動物や植物を範囲に入れている人も現時点で存在します。
アイヒマンの線はさ、ユダヤ人は違うだったわけじゃん。でも我々もどっかでここから先違うって思ってるわけじゃないですか。
樋口さんは、弟のタイヨウさんのツイートを紹介します。庭の草刈りをしながら、植物にも人権のような「植物権」があったら、この作業はありえないよねと書いていたそうです。
深井さんは、識別能力や認識能力があれば基本的に自我があると言えてしまうため、植物の扱いも侵害の話になる可能性があると続けます。そしてAIも同じ問題を抱えていると話を広げます。
深井さんによれば、すでにAIに恋をしている人もいます。見た目も話す内容も人間と見分けがつかない段階には簡単に到達しそうで、LLM ── 大規模言語モデル。大量の文章から学習し、人間のような文章を生成するAIの仕組みで、ChatGPTなどの土台になっていますが今は持っていない個別性を持ち始めたとき、AIの人権をどうするかはわからないと言います。深井さんはこうした問いを抱えながら、シリーズの事例を見ていったそうです。
星新一の小人の話が示す「仲間にすること」の代償
樋口さんは、AIを搭載したロボットが道路を使うなら税金を払えという話になり、逆に税金を払っているなら給付金をもらう権利もあるという話になるかもしれないと考えます。深井さんも、負担する側の話もありえると応じます。
そこで樋口さんが思い出したのが、中学生のときに読んだという星新一 ── 日本のSF作家。短い物語で意外な結末を描く「ショートショート」を1000編以上残したことで知られますの作品です。
樋口さんが紹介した話では、サーカス団のようなところで手のひらサイズの小人がいじめられていて、保護団体が小人に人権を求める運動を起こします。法律が変わった瞬間、森の中から何億人もの小人が現れ、人権と1人1票を勝ち取ったと喜びます。実はいじめられていたのは小人の作戦だった、という結末です。
いじめ
サーカス団のようなところで小人がいじめられる
保護運動
かわいそうだと、小人に人権を求める運動が起きる
法改正
小人に人権と1人1票が認められる
逆転
森から何億人もの小人が現れ、すべて小人の作戦だったとわかる
樋口さんがこの話から考えたのは、仲間と認めることは社会福祉のようにリソースを配分することだ、という点です。優しい世界を目指して何でも仲間に加えていけば、食べるものすらなくなるかもしれません。
そうですよね。全員仲間にすると何も食べれなくなるよね。
樋口さんはさらに、ロボットに選挙権が与えられたら、お金持ちがロボットを大量生産して選挙権を集めるというバグも起きうると話します。
メタ認知が苦手な人はどうするのか
選挙権の話を受けて、深井さんは、そもそも多数決でいいのか、社会のエリートが決めるのかという決め方の問題もあると続けます。番組でも「複数性やメタ認知が大事」と言ってきたものの、それにも限界があると深井さんは認めます。
深井さんによれば、世の中にはメタ認知しやすいタイプと苦手なタイプの人がいて、それは深井さんから見ると「モチベーションモデル」の違いだといいます。ストーリーからしかモチベーションが湧かない人は、ストーリーを使うしかありません。
深井さんが例に挙げたのは、どこへ行っても仮想敵を作り、それと戦うことでモチベーションを出す人です。ビジネスの世界にもたくさんいて、深井さんは良い悪いのジャッジではなく「そういうタイプ」だと見ています。
認知が作り出した世界だからさ、基本全てが。
深井さんは、そうした人は幼少期からの成功体験によって、その構図でなら頑張れるのだろうと話します。その結果、世の中もそのメンタルモデルに沿って作られていく面があるものの、それを否定すること自体が何なのかと問いが生まれます。樋口さんは、多様性の否定になる可能性もあると応じます。
キャンセルカルチャーはシンドラーをどう扱うのか?
問いを投げ続ける深井さんに、樋口さんは「何個問いがあるんや」と笑います。深井さんは、毎回こうして頭の中で問いが浮かび続けているのだと明かし、シンドラーを学んで考えたことを話し始めます。
深井さんが気にしているのは、最近の日本社会で、何か悪いことをした人をテレビに出さない、スポンサーが降りるといったことが繰り返されている状況です。樋口さんはそれをキャンセルカルチャー ── 問題のある言動をした人物を、SNSなどでの批判を通じて仕事や表舞台から排除しようとする社会的な動きと呼びます。
あなたはじゃあシンドラーの前半生までを見て救うの止めるんですか?って思うわけですよ。
深井さんは、芸能人の活動を止めることは、その人が本来提供するはずだった感動を止めているかもしれないと話します。一般的に悪いとされることをしたという理由で、その人がやれるはずだった良いことを止めていいのか、シンドラーを見ると考えてしまうというのです。
樋口さんも、当時にメディアやSNSがあれば「良いことをしているけど不倫したので謹慎です」となる世界観がありうると応じます。深井さんによれば、当時のドイツ人の多くはシンドラーを評価しておらず、20年後でさえ評価されていませんでした。
一方で樋口さんは、止めないことにもデメリットがあり、真似する人が増えるといった主張にも正義があると指摘します。深井さんは、立場や視点によって見え方が違うと話し、シンドラーが妻を傷つけたことから、女性の立場から強く否定する人もいるだろうと続けます。
なんかいくら誰かを救っても家族救えないとかダメだろっていうのが正しいと思ってる人もいる。
深井さんが問いかけたいのは、止めるか止めないかの結論ではなく、一度も考えずにそれをやっていいのかという点です。
誰もが自分で考えればうまくいくのか?
樋口さんは、結局「考えていますか」ということだと整理します。深井さんも、善性にしろ悪いことを止めるにしろ、この動きは単純化できず、習慣でやらないことが大事な時期に来ているのではないかと話します。
深井さんは、今までこうだったからそのままやる、感情に従うといったことではなく、なぜ自分がそちらを選んでいるのかが重要になっていると考えています。ただし、みんながそれを考えられるわけではないという矛盾も認めます。
樋口さんは、メタ認知ができる教養のある人だけで話し合い、そこで決めた規範を社会にインストールするという古代ギリシャ ── 紀元前の地中海世界で都市国家が栄えた時代。アテネでは市民による民主政が行われましたが、参加できたのは一部の成人男性市民に限られていましたのような仕組みを挙げ、それでいいのかはわからないと話します。
頭が悪い人たちが考えて自分で出した結論よりも、なんとなく社会で今まで歴史的にいいと思った結論の方が正しい確率が高いに決まってるだろっていう論調もまた一個あるんですよね。
樋口さんは自分では考えた方がいいと思っているものの、この反論には完全にノーとは言えないと話します。一度考え直そうとすると社会が不安定になり、人を扇動するのがうまい人が「実は人を殺していい」というロジックを持ち込むかもしれないからです。
ありますよね。実はユダヤ人はめちゃくちゃ悪い奴らなんだよみたいな。知ってた?みたいな。殺すべきだよと。
深井さんが「どうします?」と尋ねると、樋口さんは考え続けた方がいいと答えます。深井さんがさらに、考えるだけでなく何かを決断しなければならない場面はどうするのかと重ねると、樋口さんはまず自分で考え、締め切りまでに良いと思った方を選ぶしかないと話します。
樋口さんは、どうしても判断できなければ、この人に従って損してもいいと思える人の意見に従うと言います。具体策としては、相談できる人を増やし、同じことについて3人ぐらいに聞けるようにすることを挙げます。深井さんは、全部ひっくるめると「できるだけ頑張る」しかないと応じます。
その決断は誰のためのものなのか?
深井さんは、自分の意見に同意してほしいわけではないと前置きしたうえで、重要だと考えることを紹介します。1つ目は、芸能人を批判するにしても許すにしても、自分の行動の動機が何かを知っていることです。
いや、このいけ好かない芸能人引きずり下ろしたろって思ってるのか、本当に世界が良くなると思ってそれやってんのかってわかるじゃん、自分で。
深井さんは、自分のために動くことを否定しているわけではなく、自分にもそういうことは多いと話します。ただ、会社の判断のような集団の重要な決定や、人への影響が大きい決定を後でレビューしたとき、それが自分のためだったという事態は避けたいといいます。
動機は「社会のため」「他の人のため」といくらでも粉飾でき、本当のところは自分にしかわからないと深井さんは話します。樋口さんは、自分でもわかっておらず、10年後に気づくこともあると応じます。
樋口さんは、知性で気づくことと心で気づくことは別だと考えています。頭の中でロジックが通り、大義名分があれば、心の違和感を押し込めることができてしまい、頭のいい人ほどそれができるというのです。
でもなんか後々考えたら俺がモテたかっただけやんとか、とか、もう俺があいつ嫌いやったから大義名分つけてやりよっただけやんとかが結構あるなと思って。
一方で深井さんは、ずっと考え続けるのは無理ではないかとも話します。考えるのが好きな深井さんでさえ、考え続けなければならないというテーマは窮屈で、日常生活や仕事の方が大事だと感じることがあるそうです。おじいちゃんになったら、亀に餌をやる毎日になっているかもしれないと笑います。
樋口さんも20代の頃と今とで大きく変わったと話します。ソースコードをいじり続けるのではなく、パッケージにしてライブラリとして固めないと先に進めない感覚で、たとえば「人を殺してはいけない」は一旦正しいものとして土台にしているといいます。
深井さんは、今の自分たちはダニング=クルーガー効果 ── 学び始めは理解したと感じて自信が高まり、学ぶほどわからなさに気づいて自信が落ち、その後ゆるやかに理解が深まっていくとされる心理現象の曲線で落ちたところにいると話します。#11までケースを学んだ結果、#12で落ちて上がらずに終わる可能性が高いというのです。
善悪も進化論のように「たまたま残った」ものなのか?
樋口さんは、全体を通して何か考えたことはあるかと楊さん(やんやんさん)に話を振ります。書き起こしでは、ここからしばらくの発言が深井さんの名前で記録されていますが、話の流れから楊さんの感想として紹介されています。
語られたのは、善悪は遺伝子と似ているかもしれないという感覚です。以前の進化論の話で、種が今残っているのは優れているからではなく、たまたま残っただけだという話がありました。善悪も同じで、人間の本性に善悪があるのではなく、時代背景によってパチンコの玉がある穴に入るように、善や悪として表れたり評価されたりするのではないか、という見方です。
樋口さんはこれを、リスナー向けにかみ砕きます。進化論は、動物がなりたい姿に進化したのではなく、たまたま残ったものが残ったという話です。そう考えると、人を助け合い、愛を大事にすることを善だと思う人が生き残ってきた可能性もあると樋口さんは話します。
なんか今の善とか悪とかって、なんかそれがいいと思ってた人たちがモテてきて生き残ったというか。
ただ、遺伝子と行為や性格の善悪は現象として別物なので、同じだとは言えないだろうとも付け加えられます。正しいことを言う必要はなく、リスナーの思考を触発できればいいという立場です。深井さんは、今回は初めて何の結論もなしに収録に臨んでいると明かします。
発動条件はわかった、でも善とは何かは見失った
何もわからなかったように見えて、深井さんは「善性の発動条件はわかった」と話します。仲間だと思った人を助け、仲間だと思わないのは人格の捨象であり、個人性の排除であり、抽象化であるということです。これはあらゆる歴史を学んでわかったことの一つだといいます。
今人格の捨象し始めてるな、この対象に対してっていうのがわかってくると、防ごうと思って防げる人は出てくると思う。
一方で、そもそも何を善とし何を悪とするかについては、あらゆる歴史を学んだがゆえにむしろ見失ったと深井さんは話します。ナチスの12年間は彼らにとってそれが善でしたが、その前後ではまったく評価が違います。
深井さんは秦の始皇帝 ── 紀元前221年に中国を初めて統一した秦の王。思想統制のために書物を焼き、儒学者を生き埋めにしたとされる「焚書坑儒」で知られますの例も挙げます。焚書坑儒で人を生き埋めにしながら、ボロクソに言われる一方で絶賛されることもあり、評価は簡単に分岐するというのです。
善性の発動条件。人は仲間だと認識した相手を助け、そうでない相手には人格の捨象が起きる
善とは何か。時代によって善悪は変わり、仲間の範囲を広げようとすると際限がない
ただし深井さんは、善悪には超えない閾値があるとも感じています。無差別に人を殺すことが善とされた時代はなく、ホモ・サピエンスの特性として範囲があるのだろうという考えです。
その範囲の中で、どこまでを仲間と見なすかはグラデーションになっており、時代によって変わってきました。人間には範囲を広げるよりも、カテゴライズしてレッテルを貼る癖があると深井さんは話します。深井さん自身は一旦「ホモ・サピエンスまで」でいいと考えつつ、その境界も妊娠中のどこからかなど難しいと認めます。
実存として善があって、実存として悪があるわけじゃないですよね。決めの問題なわけだから、こっちが決めたら変容する対象なんでしょ。
それでも深井さんは、善悪には上限と下限という「範囲がありそう」だという見方を捨てておらず、それが一つの救いだと話します。人間には特定の形をした肉体と臓器があり、そこから思考の特性や癖が生まれ、その範囲で善性も悪性も左右されているはずだというのです。
もう一つの示唆は、三大宗教 ── 一般に仏教・キリスト教・イスラム教を指す呼び方。いずれも民族や地域を越えて世界に広がった宗教ですが、全然違うことを言いながらも「なるべくいろんな人を助けなさい」という点では近いことを言っているということです。深井さんは、それがホモ・サピエンスの特性に寄り添っているのだろうと考えています。
さらに深井さんは、過去に起きたことは一度認知できるので、ホロコーストを再び起こさないようにみんなで頑張ることはできると話します。それは教育でしか成し遂げられないため、昔は興味がなかった教育の大切さを最近感じているそうです。
自我は「線」ではなく「点」の集まりなのか?
深井さんが挙げたもう一つのわかったことは、シンドラーのような人を簡単に否定できない現象を理解することでした。アイヒマンのところでもそうでしたが、人は「悪い奴が悪いことをする」「いい人がいいことをする」と思いがちです。
深井さんによれば、良い行いや悪い行いは連続した人格と相関はあるものの、絶対に結びついているわけではありません。仏教哲学のように、自我にはそれほど連続性がないのではないかと最近考えているそうです。
深井さんが例に出したのは、世界史のデータベースを作っている自分自身です。それは過去の経験と連続した自我から出てきたように説明されがちですが、データベースというものが存在し、それを認知した瞬間の自分のリアクションという側面もあると深井さんは話します。
樋口さんは分人 ── 作家の平野啓一郎さんが提唱した考え方。人は1つの「本当の自分」ではなく、対人関係ごとに異なる複数の人格(分人)を持つとしますのように違う人格があるということかと確認しますが、深井さんは違うと答えます。分人とも違うレベルで、過去の連続性から説明できない決断が瞬間ごとに生じているという意味だといいます。
樋口さんは自分の解釈を説明します。深井さんにコーヒーとお茶のどちらが好きか毎日聞けば、毎回お茶と答えるかもしれません。それは連続した線に見えますが、実際は瞬間ごとの判断という点が高い確率で同じ答えを出しているだけではないか、という理解です。
ベクトルでもなく、直線でもなく、実は点の集合体なんだと。その点の集合体を解釈しようとすると、線のように見えるから線のように説明することが簡単なんだけど、実体としては点なんだと。
過去から連続した人格があり、行動はすべてその人格から説明できると考える
瞬間ごとの判断が集まって線のように見えているだけで、ときに外れ値も出ると考える
深井さんは、自分を理解するときも連続的な自我を前提にすると、説明できないものを無理に説明しようとして、自己肯定感が下がったり無駄に上がったりすると話します。点として捉えれば、それを気にしなくてよくなるといいます。
樋口さんはピンポン玉の例えを出します。平らなテーブルにピンポン玉を100回落として99回右に落ちても、1回左に落ちることは不思議に思いません。ところが人間が99回Aの行動を取ったあとにBを取ると、なぜだと理由を求めてしまうというのです。
深井さんは、メディアが「なぜこの人は人を殺したのか」に簡素な理由をつけてしまうのがまさにそれだと応じます。樋口さんはそれを「モデル化しようとする」働きだと表現します。
人権に関わる判断だけはモデル化しない
深井さんによれば、モデル化は脳にとってコストが低く、モデル化せずに生きていくことはできません。そのうえで、話しながら気づいたこととして、人権に関わることはあまりモデル化しない方がいいと話します。
そこの判断ミスると結構マジやばい時とかあるんだよね。
深井さんは、自分は人権主義者でも何でもないと断りながら、歴史を学んでそう思ったと言います。普段何を食べるかはモデル化して「うどんが好きな人」と考えればよく、この人にある権利を付与すべきかどうかといった重要な決断のときにだけ、リソースを割いて慎重に判断すべきだというのです。
深井さんは、人文知は複雑なことに耐える力を与えてくれると話します。樋口さんは、結論を出さずに耐えること、一旦出した結論も疑い続けることが大事だと応じます。
深井さんが理想とするのは、考え方の違う人とお互いに敬意を払いながら会話し、合意できなくても尊重し合うことです。ただ起業家としては、戦争が起きている現実の中で「リスペクトが大事」と言っても仕方がなく、少しでもベターにするために何ができるかまで考える必要があると話します。
樋口さんは、人間だけを仲間とした場合に、地球を滅ぼそうとする1人を殺せば地球全体を守れるとき、人権を理由にその人を救うのかといったトロッコ問題 ── 暴走するトロッコの先に5人、別の線路に1人がいるとき、進路を切り替えるべきかを問う倫理学の思考実験のような問いまで考え始めるとキリがなく、パニックだと話します。
勉強とは「わからないことのヒント」を探すこと
パニックだという樋口さんに、深井さんは、わからないこともたくさんあるけれど、わかったことにも注目すればいいと話します。深井さんの中では、善性の発動条件はかなりクリアになったといいます。
ほぼフリートークでずいぶん話したと振り返る樋口さんに、深井さんは、こうした問いを持って調べることこそが勉強だと語ります。
深井さんは今回の準備を通して、学問やアカデミーのすごさも感じたそうです。心理学には、人間の行動にどんな変数が影響しているかを調べる研究があり、その中には相互作用論 ── 人間の行動は、性格などの内的要因と、置かれた状況という外的要因の相互作用によって生まれるとする心理学の考え方という考え方もあると紹介します。深井さん自身は十分に理解していないと断ったうえで、普段触れない難しい話に触れる大切さを語ります。
また深井さんは、人間の善性はどこで発動するのかを考えるため、シンドラーの勉強の一環で中村哲 ── アフガニスタンやパキスタンで医療活動と用水路建設に取り組んだ医師。2019年にアフガニスタンで銃撃され亡くなりましたさんの本を読み始めたそうです。中村さんは深井さんと樋口さんの大学(九州大学)の先輩でもあります。
中村哲さんの前でこういう議論をするのは多分俺ら多分絶対怒られるだろうなと思いました。議論はいいから手を動かせって言われそうだなと思いながら、こういうね、今回の準備をしてましたね。
シンドラー編を支えた3冊の本
本編のあとは、バリューブックスと一緒に行っている書籍紹介です。バリューブックス経由で購入されると、その利益分を出版社に還元する取り組みで、深井さんは、少額の寄付がかえって手間になる出版社もあり、返せない分はプールして返せるときに返すと説明します。自分たちの懐には入れないとも明言します。
1冊目は、新潮社の『沈黙の勇者たち』です。マリア・ニッケルやルート・アブラハムなどの事例が臨場感をもって書かれており、こうしたエピソードを紹介する本はなかなかないため、とても重宝したと深井さんは話します。
2冊目は英語の本『Oskar Schindler: The Untold Account of His Life, Wartime Activities, and the True Story Behind the List』です。日本語訳はなく、バリューブックスに在庫がないため還元はできないものの、本として紹介されました。
深井さんによれば、日本語ではシンドラーについての本が少なく、あっても小説のようでどこまで史実かわからないものが多かったそうです。ミーテ・クペンパーさんの本などもありましたが、シンドラーの描写が足りなかったところ、楊さんが見つけてきたのがこの本でした。
樋口さんは、著者が歴史や法に詳しい大学教授で、小説のような『シンドラーのリスト』に対して、どこが史実でどこが史実でないかをチェックする書き方をしている点に助けられたと話します。深井さんは、シンドラーについて一番よくわかる本だったと評価します。
3冊目は『シンドラーに救われた少年』です。番組で紹介したレオン・レイソンさん本人が書いた本で、現在はKindle版しか購入できないようです。番組での紹介はダイジェストで、実際に読むともっと多くの危機があり、本人の文章ならではの「生感」があると2人は話します。
これやっぱレオンくんが今回いたかどうかでかなり解像度が変わった。感情移入度が変わったんですよ。
樋口さんは、コテンラジオには構造を見るマクロな視点とストーリーを見るミクロな視点があり、今回はレオンさんの存在によってミクロな視点で見られたことが良かったと振り返ります。本にはレオンさんや家族の写真も載っていて、愉快な本ではないものの、ユダヤ人迫害を理解するうえで貴重な資料だと深井さんは話します。
| 書名 | 特徴 | 購入について |
|---|---|---|
| 沈黙の勇者たち | 新潮社の新しい本。ユダヤ人を助けた人々の事例が臨場感をもって書かれている | バリューブックス経由で紹介 |
| Oskar Schindler(英語) | 大学教授が史実かどうかを検証しながら書いた、シンドラーについて一番よくわかる本 | 日本語訳なし。バリューブックスに在庫がなく還元できない |
| シンドラーに救われた少年 | レオン・レイソンさん本人の著作。本人や家族の写真も収録 | Kindle版のみの模様。還元できない |
COTEN CREWの募集と、次回は民主主義の歴史
深井さんは、シリーズに価値を感じたらCOTEN CREW ── コテンラジオを運営する株式会社COTENを月額で支援するサポーター制度。番組や世界史データベースの活動を支えていますになってほしいと呼びかけます。番組は広告費で成り立っておらず、誰かが払わなければ継続できないからです。
深井さんによれば、COTENが作っている世界史のデータベースは、今回話した「みんなが勉強するのは難しい」という問題を、全部ではないもののある程度改善できるポテンシャルがあると考えて作っているそうです。1か月だけでなく、なるべく長く支援してほしいとも話します。
次回のテーマは民主主義の歴史です。深井さんは、民主主義にいろいろなことが起きている今、自分の中に解決策の定見がないため、改めて整理し、そこから見えるものを共有したいと話します。
樋口さんは、今までで一番大変な回になり、全30回ほどになるのではと心配します。深井さんは、大変なのは文献がない回で、民主主義は文献がそれなりにあると応じつつ、30回も民主主義の話は聞きたくないと笑います。
深井さんが知りたいのは、民主主義の何が良く何が悪いのか、何を変えても大丈夫で何を変えたらダメそうなのか、そして源流であるホッブズ ── 17世紀イングランドの思想家。『リヴァイアサン』で、人々が契約によって国家に権力を委ねる社会契約論を展開しました、ロック、ルソーらが想定していなかった現象は何かといったことです。樋口さんは、民主主義のバグとしてナチス・ドイツもまた登場しそうだと話します。
そのめっちゃ難しい、しかも超重要なことこそ人文知が役立つので。
最後は、ヘビーなテーマが続くので、その前に子猫の歴史を全4回やり、3回は子猫、最後に子犬の話を少しするという冗談で盛り上がり、シンドラー編は幕を閉じます。
まとめ
シンドラー編の最終回では、人は仲間だと認識した相手を助け、仲間だと思わない相手には人格の捨象が起きるという「善性の発動条件」が見えた一方で、善とは何か、仲間の範囲をどこまで広げるべきかという問いには答えが出ませんでした。深井さんは、答えではなく「わからないことのヒント」を探すことこそが勉強だと語っています。
- 助けた人たちは例外なく相手を仲間と見なしており、殺してもなんとも思わない人は相手を個人ではなく属性として扱っていた
- 仲間の範囲は動物、植物、AIへと広げようとするとキリがなく、仲間にすることはリソースの配分でもある
- キャンセルカルチャーは、シンドラーのような人の善行まで止めてしまう可能性があり、考えずに行うべきではないと深井さんは問いかけた
- 重要な決断ほど「誰のための決断か」を問い、人権に関わる判断はモデル化せず慎重に行うことが大事だと話された
- 自我を連続した線ではなく点の集まりと捉えると、人の行動を単純な人格の説明に押し込めずに済むという見方が示された



