日清戦争はなぜあっけなく終わったのか
日清戦争は、日本・清・朝鮮がそれぞれ近代化を進めたあとに起きた戦争です。深井さんによると、この日清戦争自体はあっけなく日本の勝利で終わります。
ついに日清戦争なんですけど、この戦争自体はあっけなく日本の勝利で終わります。
はい、我が祖国は弱かった。
開戦前、日本の陸軍と海軍には、清の陸海軍と接触したらすぐに戦闘状態に入れという命令が出ていました。その約1週間後、黄海の豊島沖で日本軍が攻撃を仕掛け、これが日清間の最初の戦闘になります。
楊さんは余談として、豊島沖海戦で起きた高陞号事件 ── 日清戦争の豊島沖海戦で、清兵を運んでいたイギリス船籍の輸送船「高陞号」を日本の軍艦「浪速」が撃沈した事件。国際法上の扱いをめぐって議論になりましたを紹介します。書き起こしでは「甲称号」と聞こえますが、ここでは一般的な表記を使います。当時大佐だった東郷平八郎がこの場面に登場します。
高陞号はイギリスの船で、清の軍隊を輸送していました。東郷平八郎が指揮する船は停船と降伏を求めましたが、高陞号は応じず、東郷は撃沈を命じます。
高陞号に乗っていたイギリス人の上級船員3人は救助されましたが、清国の兵はほとんどが死亡し、その数はおよそ1100人とされます。この事件は、イギリス世論の対日非難を招きました。
なるほど。いやしかし(死者)1100人はえぐいな。
この後もっと人が死んでいきます。
宣戦布告の前に攻撃し、朝鮮を傀儡政権に
陸上でも日本軍は牙山の清軍を攻撃し、平壌まで敗走させました。深井さんによれば、日本はこうした戦闘をしたあとで清国へ宣戦布告しています。
当時は宣戦布告のタイミングにあまりルールがなかったようですが、日本軍は以後も戦ってから宣戦布告する形を続けます。深井さんは、ルールがなかったとはいえ、国際的な評判は悪かったのではないかと話しています。
戦争中、日本は朝鮮と条約を結び、朝鮮を事実上の傀儡政権にしました。朝鮮には日本軍側につくことを義務付け、食料や軍事物資、運搬手段の提供を強要します。
実質朝鮮は日本側についたって言ってもいいんですか、これは。
(朝鮮を日本側に)つかせたということですね。
旅順と朝鮮で起きた虐殺はなぜ起きたのか
日本軍は平壌を陥落させ、黄海海戦でも勝利します。さらに翌月には鴨緑江 ── 朝鮮半島と中国東北部の境を流れる川。現在も中国と北朝鮮の国境になっていますを渡り、その翌月には大連と旅順を占領しました。
楊さんの説明では、鴨緑江は朝鮮半島と清の国境地帯にあたります。鴨緑江を越えることは、日本軍が清の国内へ入り込んでいくことを意味していました。
深井さんによると、日本軍は旅順を占領した際、民間人を含む大量の犠牲者を出す旅順虐殺事件を起こしたとされます。犠牲者数には常に疑義があり、深井さんが読んだ本には「2万人とも言われるが、その数は定かではない」と書かれていたそうです。
まあ何人でも虐殺したらダメだよねっていう感じなんですけど、この数とかですごい戦ったりするよね、何人を虐殺したかとかで。
深井さんは、旅順で虐殺があったことはほぼ間違いないと見ています。兵士の従軍日記には、上級指揮官から「大人の男子を見たら全員殺せ」という指示が出たと書かれたものもあるといいます。
傀儡政権にされた朝鮮では、東学党がふたたび反乱を起こします。日本軍はこの東学党の反乱を徹底的に弾圧し、3万から5万人の犠牲者が出たとされ、首謀者の全琫準は処刑されました。
楊さんによると、この弾圧を主導したのは軍人の川上操六だとされています。書き起こしでは「川上宗麓」と聞こえますが、ここでは一般的な表記を使います。川上操六
川上操六は兵員の輸送や兵站の構築、電信線の維持など、戦争を支えるインフラ整備に長けた人物で、のちに陸軍大将にも昇進します。東学の農民軍が兵站線や電信線を壊そうとしたため、川上は朝鮮農民の殺戮を命じたといいます。
でも、この結果、朝鮮での反日意識が一層高まったっていう結果を招くことになります。
開国
武力で脅されて開国させられる
内政干渉
内乱に乗じて日本に内政干渉される
王宮占領と傀儡政権
王宮を占領され、傀儡政権を作られる
反乱と虐殺
東学党の反乱が徹底弾圧される
深井さんは、朝鮮側から見た一連の経緯を振り返り、反日意識が高まったのは「まあそうなるわなって」と話しています。
講和交渉中も戦い続ける「どこまで取れるかゲーム」
日本軍は勝ち進み、遼東半島の全域を占領します。深井さんの説明では、遼東半島は朝鮮半島の北西から内海に向けて爪のように突き出た中国の半島です。
清はこの時点で大きく負けており、日清間で講和交渉が始まります。ところが日本軍は交渉中も台湾と遼東半島を取ろうとして、戦闘行為を続けていました。
これはね、結構なんか列強の常套手段の一つなんだよね。
だって交渉してる最中にずっと戦闘行為続けてるから、ずるいっちゃずるいんだけど、なんていうか。そうですね。列強ってそういう感じなんですよね。
深井さんによれば、領土を事実上占領していれば、講和条約に「これは自分のものだ」と入れ込めます。そのため日清戦争の終盤は、最後にどこまで取れるかを競う状態になっていました。
下関条約と李鴻章狙撃事件
日清戦争は、下関で結ばれた日清講和条約である下関条約によって終結します。日本は清に対し、朝鮮の自主独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島などの割譲、そして約3億円の賠償金を求めました。
深井さんによると、約3億円という賠償金は当時の日本政府の財政収入の4年分以上に匹敵する規模でした。日本が講和交渉中に台湾と遼東半島を押さえていたのは、下関条約で割譲させるためだったことになります。
講和会談は下関の春帆楼で行われ、清からは李鴻章 ── 清末の政治家・外交官。北洋軍を率いて洋務運動を進め、日清戦争後の講和では清の全権として交渉にあたりましたが来ました。深井さんが調べたところ、春帆楼は今もあるようです。
講和会談の期間中、日本人の小山豊太郎が、宿舎へ戻る途中の李鴻章の顔面を拳銃で撃つ暗殺未遂事件を起こします。李鴻章は亡くなりませんでした。
深井さんによると、小山豊太郎は戦争責任が李鴻章にあると考えていました。さらに、日本はまだ戦果を出せるので講和は時期尚早だとして、李鴻章を殺して講和を頓挫させようとしたといいます。
これ(小山豊太郎は)別にだから政府の人間でもなく、一般の、暴漢って言ってるから。
三国干渉にロシア・ドイツ・フランスが乗った理由
下関条約をめぐる会談の流れで、三国干渉という大きな事件が起こります。日本が遼東半島などを取れば強くなりすぎるとして、ロシア・フランス・ドイツの3国が干渉してきました。
三国干渉を主導したのはロシアです。シベリア鉄道の先に不凍港 ── 冬でも海面が凍らず、1年を通じて使える港。北方に位置するロシアにとって、不凍港の確保は長く重要な課題でしたを求めるロシアにとって、港の候補はウラジオストクと黄海側の大連でした。
日本に大連をふさがれると、ロシアは黄海に出られなくなります。ただ、ロシア1国で干渉すると角が立つため、ドイツとフランスを誘いました。
| 国 | 立場 | 思惑 |
|---|---|---|
| ロシア | 主導 | 大連を日本にふさがれると黄海に出られなくなる |
| ドイツ | 同調 | 海外政策の出遅れを取り戻し、極東に関わる機会にする |
| フランス | 同調 | ロシアとドイツに利益を分け、両国の緊張を和らげる |
イギリスとアメリカも誘われましたが、世論に非難されると考えて辞退しました。結局、ロシア・ドイツ・フランスの3国が日本に干渉することになります。
楊さんは、下関の講和での日本の振る舞いが、ロシアの対日政策を大きく変えたと補足します。ロシアが極東で最も重視していた相手はもともとイギリスで、イギリスを牽制するために日本の動きに期待していた面もあったといいます。
こいつら(日本)は朝鮮独立って言いながら、実は朝鮮独立の第一の敵なんじゃねーのみたいな。
楊さんによると、この時からロシアは日本を明確に脅威と見るようになります。日本を追い詰めすぎるとイギリスと手を組むという慎重論もありましたが、ロシア国内では対日強硬論が大半を占めていました。
最重要の相手はイギリスで、日本にはイギリスへの牽制としての期待もあった
下関の講和を機に、日本を明確な脅威と認識し、対日強硬論が大半になる
列強による中国分割はなぜ「ハイエナ」なのか
三国干渉の結果、日本は遼東半島の獲得を阻止されます。そのあと列強は、清の各地を租借 ── 他国の領土の一部を、条約によって一定期間借り受けて統治すること。形式上は借地ですが、実質的には占領に近いものでしたしていきました。
深井さんの説明では、ロシアは日本に放棄させた遼東半島の旅順と大連を、ドイツは山東半島の一部を租借します。フランスとイギリスも租借地を得て、イギリスは九龍半島に続いて威海衛も租借しました。
日本も、遼東半島を除いて朝鮮半島・台湾・福建省を勢力下に置きます。深井さんは、この状況を「全員でハイエナみたいなこと」と表現しています。
だから武力で脅せばそういうことができるってこと。結局人の戦争に乗じて取るみたいなこともできてしまうような世界だっていうことですよね。
仁義なき戦いですよ。
楊さんは、列強がこうした振る舞いをする国々だったからこそ、日本が富国強兵を必死に進めた動機もわかると話します。深井さんも、弱い国は強い国から当たり前のようにこうした扱いを受けると続けます。
それで正当化するつもりないけどね。一応言っとくけど。
日清戦争は3つの戦争からなる複合的な戦争だった
下関条約で日本の領土になった台湾と澎湖諸島には、台湾総督が送られます。台湾では日本の領土になることを拒む地元の有力者たちが武力で抵抗しましたが、日本はそれも武力で制圧していきました。
楊さんは、日清戦争は広い意味で見ると、3つの戦闘エリアからなる複合的な戦争だったと整理します。
日本は約3億円の賠償金を実際に受け取り、そのうち1億8000万を陸軍と海軍の拡張に使いました。残りは製鋼所や鉄道、電話の拡張などにあてられます。
深井さんは、この賠償金で富国強兵をさらに進め、日露戦争にどうにか勝つというのが、日露戦争までの日本の流れだと説明します。楊さんによると、賠償金で作られた施設のひとつが北九州の八幡製鉄所 ── 1901年に操業を始めた官営の製鉄所。日本の近代的な鉄鋼業の出発点とされ、関連施設は世界遺産にも登録されていますです。
ボロボロになる清と、列強に滑り込む日本
清は日本に支払う膨大な賠償金を自力で払えず、列強から借金をして支払います。深井さんは、この状況を「恐ろしいこと」と話しています。
清はそれまでも段階的に列強から圧力を受けていましたが、日清戦争の敗北で、外交的にも金融的にも列強に従属する状態になります。植民地とは呼ばれないものの、多くの租借地を取られ、実質的な植民地になりました。
一方で日本は、日清戦争に勝って台湾などの植民地を持ち、帝国主義国の仲間に滑り込みます。
もとは超大国として扱われていたが、半植民地化され列強の思うままにされる
台湾などの植民地を得て、帝国主義国の仲間にギリギリで加わる
なるほど。このグループ(帝国主義国)に入れたんですね。なんかギリギリ。
深井さんによると、日本ではこの時期にようやく産業革命が進みます。鉄道、紡績、石炭、肥料、海運などの会社が次々に生まれ、日本経済は資本主義化していきました。
日本人の中国観はなぜ尊敬から軽蔑に変わったのか
日清戦争のもうひとつの大きな転換は、日本人の中国観が尊敬から軽蔑へ変わったことです。深井さんによれば、日本人はもともと中国人を憎んでおらず、学校で漢文を学び、漢字が中国から来たことも理解していました。
家にある屏風や絵画など立派なものの多くも中国由来で、民衆にはむしろ中国への尊敬心がありました。ところが国民国家は敵国を憎悪することで強くなるため、マスメディアでも清を敵として憎む論調が強まっていきます。
さらに清が日本にもろくも敗れたことで、日本人の自尊心は大きく高まります。深井さんが読んだ本によると、この頃から中国人を侮辱する蔑称で呼ぶようになったといいます。
漢文や漢字、中国由来の美術品を通じて、中国への尊敬心が強かった
メディアの憎悪の論調と清の敗北を経て、中国人を軽蔑するようになる
楊さんは余談として、戦時中に神戸市で開かれた戦勝祝賀会を紹介します。会費制のイベントに3500人以上が参加し、周りには数万人の見物人が集まりました。
神戸市の戦勝祝賀会では、県知事が北京を落とす日も遠くないと演説しました。さらに作り物の北京城を作り物の大砲で燃やし、観客が歓声を上げるアトラクションもあったといいます。
日清戦争が生んだ「日本国民」という意識
深井さんによると、中国人を軽蔑することなどを通じて、日本の国民意識も確立されていきます。将軍の下にある大名の藩単位で考えていた人々が、天皇の下にある大日本帝国臣民だと感じるようになりました。
この日清戦争って、日本人全員が同時に体験を共有し合えたイベントなんですよ。
楊さんの説明では、兵士や非戦闘員として戦場に行った人も、日本に残ってメディアで戦地の情報に触れた人も、日清戦争を体験していました。帰還者の話や戦没者の追悼行事も重なり、日本全体が同じ出来事を共有します。
楊さんは、そこに明治天皇への崇拝が加わり、近代日本の国民国家が形成されていったと話します。深井さんも、日清戦争は名目上国民国家化した日本にとって初めての大規模な近代戦だったと補足します。
もう日の本日本っていうチームが国際戦で勝ったっていう感じですよね。
なんかJリーグのチームで普段はやってるけど、今日は日本というチームでみたいな。
対照的に、清は国民国家化に失敗していました。深井さんによると、日清戦争で戦った清軍の兵士は、清国人として戦うというより、軍閥の親分から払われる給料のために働く兵士でした。
そのため清軍は士気が低く、兵士は逃げてしまいます。将軍たちは兵を養う給金を皇帝から受け取っており、兵が死ぬとその分を自分の懐に入れられたため、信頼関係も将軍同士の連携も成り立ちにくくなっていました。
全国民が戦争体験を共有し、国家のチームを応援する国民意識が育つ
兵士は軍閥の親分の給料のために戦い、士気も連携も弱い
善悪ではなく構造を知るという見方
深井さんは、日清戦争からは国民国家がなぜ強いのかがよくわかる一方で、日本が列強の仲間入りのためにひどいことをしていたとも話します。現代でも、日本のこうした行為を「素晴らしかったのか、ひどかったのか」の二択で語る人が多いといいます。
やっぱりこれらを見ていくと、その両方であるというふうにしか言えないっていうのが僕の結論なんですよね。
深井さんによれば、列強はみなやってはいけないことをしており、日本も例外ではありません。一方で、そうしなければどうなるかという危機感が日本にあったことも事実で、正当なやり方があったのかどうかは非常に難しい問題だとしています。
そのうえで深井さんは、虐殺などはしなくて済んだことも多く、しなければよかったと考えています。樋口さんも、良い悪いではなくきちんと知ることが大事だと応じます。
深井さんは、ウクライナとロシアの問題のように、人はすぐ誰が良いか悪いかの話をすると指摘します。善悪の議論も大事ですが、それだけに終始すると、善悪では見えない構造が見えなくなってしまいます。
その、だから歴史って感情がないところを見れるから、構造が見やすいものだと思うんですけど、こうやって現代に近くなってくると入っちゃうよね。
樋口さんは、コテンラジオの話を聞く側にもバイアスがあり、同じ話から深井さんがAと言ったと受け取る人もBと言ったと受け取る人もいると話します。深井さんも、バイアスは自分たちにも必ずかかっていると認めています。
次回、日露戦争の第4のプレーヤー・ロシアへ
次回はロシアを取り上げます。深井さんは、ロシアを日本・清・朝鮮に続く第4のプレーヤーと位置づけ、どのような状況下にある国だったのかを語ると予告しています。
深井さんによると、日清戦争は日露戦争の前哨戦です。日清戦争は朝鮮をめぐる戦争であり、勝った日本は今度はロシアと朝鮮をめぐって戦うことになります。
まとめ
日清戦争は日本の勝利であっけなく終わりましたが、その過程では宣戦布告前の攻撃や虐殺が起き、講和後も三国干渉や列強による中国分割が続きました。清は半植民地化し、日本は帝国主義国の仲間入りを果たすとともに国民意識を確立していきます。深井さんは、この時代を善悪の二択ではなく構造として知ることが大事だと話しています。
- 豊島沖海戦から遼東半島の占領まで日本軍は勝ち続け、旅順や朝鮮では虐殺事件も起きた
- 下関条約で日本は領土と約3億円の賠償金を得たが、三国干渉で遼東半島を手放し、列強が清の各地を租借した
- 清は賠償金を借金で払って実質的な植民地となり、日本は帝国主義国の仲間入りを果たした
- 日清戦争を通じて日本人の中国観は尊敬から軽蔑に変わり、国民国家としての意識が確立された
- 深井さんは、善悪の二択ではなく構造を知ることの大切さを強調している





