エリザベス1世の母アン・ブーリンは、どんな教育を受けたのか?
ヘンリー8世は、男の子を産む新しい妃を迎えるため、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を考えていました。その相手として見初めたのが、キャサリンの侍女アン・ブーリンです。アン・ブーリンはのちにエリザベス1世を産む女性です。
深井さんによると、ヘンリー8世がアン・ブーリンと再婚しようとした理由は「国のため」と「男として」の半分半分でした。愛人ではだめだった理由は国のためで、2人はこの時点ですでに不倫関係にあったといいます。
愛人じゃダメだった理由は国のためです。
アン・ブーリンの父は外交官のトマス・ブーリン卿です。1512年ごろ、トマスは11歳の娘を、神聖ローマ皇帝の長女でネーデルラント総督のマルガレーテに預けたいと打診しました。マルガレーテの宮殿は、当時ヨーロッパで最も文化水準が高いと言われていた場所です。
トマス・ブーリンの狙いは、娘を王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女にすることでした。王妃の侍女になるには高い教養が必要です。幼いアンはとても賢い子どもだったらしく、賢い侍女を求めていたマルガレーテは受け入れを快諾しました。
(アン・ブーリンは)まさかそのキャサリン・オブ・アラゴンを離婚させて自分が妻になるとは、この時は多分思ってなかった。
マルガレーテの宮殿には学校があり、貴婦人や将来の王が学んでいました。そこでは、当時ヨーロッパの共通語だったフランス語のほか、ダンス、歌、楽器、雅な立ち振る舞い、会話術、狩猟、お芝居まで学ぶ必要があったそうです。
深井さんは当時のフランス語の位置づけを、空海や菅原道真が漢文を学んだことに例えています。アン・ブーリンの学友には、のちの神聖ローマ皇帝カール5世 ── ハプスブルク家の君主で、スペイン王も兼ねた人物。宗教改革期にはルター派の諸侯と対立し、その対応に苦しみましたもいました。番組で深井さんは、カール5世を「ルターとバチバチやった人」と紹介しています。
フランス帰りのアンは、なぜ宮廷で注目の的になったのか
イングランドは、百年戦争以来仲の悪いフランスを避け、スペインと手を組んでいました。そのため、イングランド人のアン・ブーリンがスペイン側のマルガレーテのもとで修行するのは自然なことでした。ところが、のちにイングランドとスペインの関係が悪化し、アンはマルガレーテの宮殿を出ることになります。
イングランドはその後フランスに接近します。アン・ブーリンはフランス王フランソワ1世の王妃クロードの宮廷に移り、当時からおしゃれとされていたフランスの作法を身につけました。
アン・ブーリンには、1つ年上の姉メアリー・ブーリンがいました。メアリーはアンより先にヘンリー8世の愛人になりましたが、すぐに捨てられたといいます。姉が捨てられるのを見たアンは、自分は同じ目に遭いたくないと考えていたそうです。
姉のメアリー・ブーリンの方がだいぶ美人だったとされます。それでも、長く外国の宮廷で過ごしたアン・ブーリンには、高貴なオーラがありました。
一方で、外交官の手紙にはアン・ブーリンの容姿がひどく書かれています。「左手の小指の隣にはもう1本指が生えている」「顎の下に大きいイボがある」といった内容です。深井さんは、アンが一時期権勢を誇っていたため悪く書かれたのだろうと見ています。
アン・ブーリンは、こうした容姿の欠点を隠すために首にリボンを巻くなどの工夫をしました。その装いが逆におしゃれとして宮廷で流行し、アンはますます注目を集めていきます。
「アヒルちゃんに接吻」、ヘンリー8世はどんな手紙を書いたのか?
アン・ブーリンが19歳ごろ、ヘンリー8世は35歳ごろでした。16歳年下のアンに夢中になったヘンリー8世は、熱烈な手紙を書いています。深井さんはその一部を読み上げました。
手紙の中でヘンリー8世は、「あなた以外の女性への愛情を捨ててあなただけに仕えます」と誓っています。さらに「間もなくあなたの可愛いアヒルちゃんに接吻できることでしょう」と書き、署名は「あなたのものになった者の手で書かれた手紙です。ヘンリーより」でした。深井さんによると、「アヒルちゃん」は胸を指す隠語だそうです。
でもなんか500年後ぐらいにここで(ラブレターを)バラされるのマジかわいそう。
深井さんは、こうした手紙自体は書いてもかまわないと話しています。教養の高いヘンリー8世は、凝った表現の手紙で相手を振り向かせるのが好きだったのだろうと見ています。
それでもアン・ブーリンは、結婚しない限り関係を許しませんでした。姉のメアリーの末路を見ていたからです。簡単に手に入らないからこそ、ヘンリー8世はさらに夢中になったと深井さんは説明します。
私のアヒルちゃん渡さないわ。
聖書を持ち出した離婚は、なぜ教皇に拒まれたのか
ヘンリー8世の王妃キャサリン・オブ・アラゴンは40歳を過ぎ、死産と流産を繰り返していました。ヘンリー8世は教会に離婚を申し出ます。そのための理屈として持ち出したのが、旧約聖書 ── ユダヤ教とキリスト教に共通する聖典。レビ記はその中の1書で、祭儀や生活上の規定が多く記されていますのレビ記にある「あなたの兄弟の妻を犯してはならない」という言葉でした。
キャサリン・オブ・アラゴンは、もともとヘンリー8世の兄の妻でした。2人は教皇の許可を得て結婚していましたが、ヘンリー8世は「聖書によれば、この結婚は成立していないのではないか」と主張したのです。
今更。
ヘンリー8世は、教皇クレメンス7世なら認めてくれると考えていました。ところが、当時クレメンス7世は神聖ローマ皇帝カール5世に監禁され、その支配下にありました。カール5世にとって、キャサリン・オブ・アラゴンは同じハプスブルク家の最愛の叔母です。
離婚を申請
レビ記を根拠に、兄の妻との結婚は無効だと教皇に訴える
教皇の立場
クレメンス7世はカール5世に監禁され、その支配下にあった
皇帝の圧力
叔母キャサリンの離婚を望まないカール5世が、認めるなと圧力をかける
結果
離婚が実現しなくなる
ヘンリー8世は、なぜ議会を使って国教会をつくれたのか
正式な王位継承権を持つ男の子を得られないことは、ヘンリー8世にとって大問題でした。当時はルターの活動が勢いを増していた時期です。ヘンリー8世は、ローマ教皇の支配から抜け出して自らの教会をつくろうと考え、議会の力を借りることにしました。
鍵になったのは、下院である庶民院にいたジェントリー ── 貴族と農民の間に位置するイングランドの地主層。爵位は持たないものの地域で力を持ち、のちに議会政治の担い手にもなりましたです。ジェントリーは実力を持ちながら、既存の支配構造を壊したいと考えていました。貴族院は賛成しませんでしたが、ヘンリー8世はジェントリーを味方につけ、議会の決定を「国の意見」として教皇にぶつけ、イギリス国教会をつくることに成功します。
ヘンリー8世は、聖職者会議が持っていた立法権を取り上げ、ローマ教会への上納金も禁じました。さらに至上権 ── 国王がイングランドの教会の唯一最高の首長であると定めた考え方。1534年の国王至上法で法的に定められましたを定め、自分が教会のトップであるとする法律を通します。深井さんは、北欧でも同じようにカトリック教会から離れる動きがあり、時代がそういう流れだったと話しています。
樋口さんは、大陸と比べたイングランドの宗教改革の特徴に注目します。
キリスト教の教義をめぐる対立から始まった
国王の離婚問題というお家騒動がきっかけになった
基本的に国家の論理でやってるよね。
国教会をつくった動機は離婚だけではありません。当時のイングランド王室はお金が少なく、最大の地主だった教会や修道院の土地と財産を取り上げたいと考えていました。また、教会側の人間が宮廷の官職に入り込み、ローマ教皇庁のためにスパイ活動までしていたため、この機会に叩き潰す狙いもあったといいます。
アンとの結婚の陰で、キャサリンとメアリ1世はどうなったか
ヘンリー8世がローマ教会からの独立を急いだのには、別の理由もありました。アン・ブーリンがすでに妊娠していたのです。子どもが生まれる前に正式に結婚しなければ、その子は王位継承権を得られません。
ヘンリー8世は、生まれてくるのは男の子だと勝手に確信していました。強硬策で国教会をつくると、怒った教皇はヘンリー8世を破門します。しかし、深井さんは、教皇の権力がすでに下がっていたため、破門が大きな問題にならない時代になっていたと説明しています。
ヘンリー8世は、ローマにいた大使を呼び戻して外交関係を断ちました。そのうえで、カンタベリー大司教トマス・クランマーにキャサリン・オブ・アラゴンとの結婚は無効だと宣言させ、アン・ブーリンと正式に結婚します。
この結婚によって、2人が深く傷つきました。1人はキャサリン・オブ・アラゴンです。キャサリンは軟禁状態に置かれ、離婚から3年後に亡くなります。もう1人は娘のメアリ1世で、正式な王女の立場を失って冷遇されました。母と娘は、キャサリンが亡くなるまで一度も会えませんでした。
こういう経験からメアリ1世というのは精神病になっていくんですけどね。
待望の子が女の子だったとき、ヘンリー8世は何をしたか
ヘンリー8世が待ち望んだアン・ブーリンの子は、女の子のエリザベス1世でした。ヘンリー8世は激怒したといいます。しかもその頃にはアンへの興味をなくし、アンの侍女ジェーン・シーモアに心が移っていました。
アン・ブーリンは気が強く嫉妬深い性格で、ヘンリー8世の愛人をきつく責めたため、ヘンリー8世の愛が冷めたという記述もあるそうです。アンはその後2回流産しています。深井さんは、この時代の出産は本当に命がけだったと話しています。
ヘンリー8世の心が離れると、それまで王に好かれて羽振りの良かったブーリン家への反発が一気に強まります。アン・ブーリンは身の安全のためにも離婚を拒みましたが、ヘンリー8世はアンを殺すことを選びました。
ここら辺が僕がやっぱなんかさっき言ったクズってここだと思うんだけど、こんなことする?って思うんですけど。
ヘンリー8世は、アン・ブーリンが5人ほどの男性と、さらに実の弟とも不貞を働いたとして、アンと男性たちを処刑しました。冤罪ではないかと言われています。そしてアンの処刑後すぐに、ジェーン・シーモアと結婚します。
アン・ブーリンが処刑されたとき、エリザベス1世はまだ2歳でした。母が犯罪者とされたことで、エリザベスも異母姉メアリ1世と同じく王女と呼ばれなくなります。エリザベス1世の人生はいきなりハードモードで始まったと深井さんは表現しています。
なんで昨日まで王女様って呼ばれたのに。急にみんな呼ばなくなったの?みたいなことをこの2歳の子が言ってるんですよね。
殺さなくてもよかったのでは?王の重圧とアンへの恐れ
樋口さんは、ヘンリー8世を少し弁護します。王にとって跡継ぎがいないことは大きな重圧でした。ライバルの親戚から後継者が出れば、自分の政治的な立場が脅かされるからです。また深井さんは、イングランドには側室の制度がなく、正式な妻の子でなければ跡継ぎにできなかった事情も挙げています。
まあでも冤罪で処刑するのはな。
深井さんも、離婚してどこかに住まわせればよかったのではと話します。そのうえで、ヘンリー8世がアン・ブーリンの反撃を恐れていた可能性に触れています。
樋口さんは、頭の良いアン・ブーリンが離婚後に反乱を起こす可能性を挙げました。深井さんはこれに同意し、のちのヘンリー8世の妻の中には教養があまりない人もいて、その妻は殺されなかったと紹介します。アンが頭が良かったからこそ、反対派を味方につける前に殺したのかもしれない、という見立てです。
この時代生まれたらもう居酒屋やって一生終わりみたいです。
次回は、2歳でハードモードの人生を歩み始めたエリザベス1世の幼少期と、何人もの妻を処刑したり追放したりしたヘンリー8世のその後が語られる予定です。
まとめ
ヘンリー8世は、跡継ぎの男子を求めてアン・ブーリンとの結婚にこだわり、教皇と決別してイギリス国教会をつくりました。しかし生まれたのは女の子のエリザベス1世で、アンは冤罪とされる罪で処刑されます。宗教改革の裏にある王家の事情と、エリザベス1世の過酷な出発点が見えてくる回です。
- アン・ブーリンはマルガレーテやクロード王妃の宮廷で磨いた教養と気品でヘンリー8世を夢中にさせた
- カール5世の圧力で離婚が認められなかったヘンリー8世は、ジェントリーの支持を得て議会を通じて国教会をつくった
- イングランドの宗教改革は、教義ではなく国家の論理と王室の財政事情からも進んだ
- キャサリンとメアリ1世は冷遇され、アンは処刑され、エリザベス1世は2歳で王女の立場を失った
- 王の重圧はあったものの、アンを処刑した背景には頭の良いアンへの恐れもあったのではないかと語られた






