3代5人、約100年のテューダー朝はなぜ重要なのか
エリザベス1世が属するテューダー朝は、1485年に始まります。エリザベスの祖父にあたるヘンリー・テューダーが、約30年続いたバラ戦争 ── 15世紀のイングランドで、ランカスター家とヨーク家が王位を争った内乱。両家の紋章がバラだったことから、後にこう呼ばれるようになりましたを勝ち残り、ヘンリー7世として即位しました。
バラ戦争は、ランカスター家とヨーク家という2つの家が王位を争った内紛です。テューダー朝はエリザベスの代で終わるため、楊さんは「おじいちゃんとお父さんとエリザベス」の3代の王朝だと確認します。
おじいちゃんとお父さんとエリザベス。でもその間に本当はメアリー1世がいるから。
深井さんによると、テューダー朝の君主はメアリー1世とエドワード6世を加えた5人です。約100年の短い王朝ですが、ここからイングランドが台頭していく礎になったため、イギリス史の中でもとても重要な時代として扱われているといいます。
当時のイングランドは、スペインのハプスブルク家とフランスのヴァロワ家という二大勢力に挟まれ、苦しい立場にありました。しかも16世紀初めは、ペストで人口が大きく減った後の時代でした。
深井さんはさらに、同時代の日本が約1200万人、中国が6000万人だったと紹介します。この顔ぶれの中では日本も「普通に大国」だという話に、楊さんも驚いています。
楊さんは、産業革命以前の国力は人口に直結していたと補足します。人口が多いほど兵隊を集めやすく、生産力もある程度は人口に比例していたからです。
議会の中にいる王様。イングランドの王権はなぜ弱かったのか
当時は、絶対王政 ── 国王が強い権力を集中して国を治める政治体制。16〜18世紀のヨーロッパで、常備軍と官僚制を支えに発達しましたを確立しないと近代化に遅れる時代でした。ただ小国のイングランドは、フランスやスペインの王室から国王や王妃を迎えないと、統治や外交の土俵に乗せてもらえなかったといいます。
深井さんは、こうした強国に常に気を使いながら外交と政治を進めなければならなかったのは「弱い国の必然」だと話します。
もう1つの特徴は、イギリスでは議会の力が強かったことです。王様の下に議会があるのではなく、議会がトップにあり、その中に王様がいる、という国の作り方だったと説明されています。
王様の下に議会があるんじゃなくて、議会っていうのがトップにあって、その中に王様がいるよみたいな、そういう国の作り方をしてるわけです。
そのためイングランドの国王は、フランスやスペインの国王に比べて王権が弱く、単独で法を作ることも課税することもできませんでした。必ず議会の審議にかけ、承認を得る必要があったのです。
イングランドの常備軍はわずか数百人しかいませんでした。楊さんが「コテンラジオのリスナーの方が多い」と冗談を言うほどの少なさです。官僚制度も整っておらず、中国と比べると中央集権はまったく進んでいない状態でした。
フランスは常備軍や官僚を少しずつ育てて絶対王政に向かっていました。テューダー朝も、ローマ教皇の力が弱まったことで王権は強まってきていたものの、深井さんは「強いと言っても全然強くない」と話します。王は議会のメンバーや各地の諸侯・貴族と同意を取り、利害を調整しながら国を治める必要がありました。
ジェントリーとは何者か。紳士の語源になった実力者たち
深井さんが議会の構造を先に説明するのは、後にエリザベスがこの仕組みの中で苦労するからです。当時のイングランドの議会には、貴族が集まる上院の貴族院と、貴族ではないが力を持った人たちが集まる下院の庶民院がありました。
議会とは別に枢密院 ── イングランド国王の諮問機関。国王の側近たちで構成され、政策の立案や実行を担いましたがあり、深井さんはこれを今の日本の内閣にたとえます。枢密院が施策を提案して議会にかけ、承認されたものをさらに推し進める、という構造でした。
枢密院
内閣のような役割で、施策を提案する
議会(貴族院・庶民院)
提案を審議し、承認する
実行
承認された施策を枢密院が推し進める
庶民院にいたのが、ジェントリーと呼ばれる人たちです。深井さんによると、ジェントリーは最下層の貴族とも、貴族ではない庶民のトップとも説明される層で、実力はあるけれど権威がない人たちでした。
不労所得である程度生活できる人。
樋口さんの言うとおり、ジェントリーは金や土地を持つ層でした。ジェントリーは「ジェントルマン」の語源でもあり、「レディース・アンド・ジェントルマン」という言い方もここからきていると深井さんは紹介します。
ジェントリーが力をつけたきっかけは、イギリスがローマ教皇の支配から離れてイギリス国教会を作ったことです。それまでローマ教会がイギリス国内に持っていた多くの土地は国に接収され、その土地を手に入れていったのがジェントリーでした。
エリザベスは、このジェントリーの力を借りて政権を運営していくことになります。深井さんは、フランス革命の回で出てきたブルジョワジー ── フランスなどで力を持った都市の富裕な市民層。フランス革命の担い手となりましたに近い存在だと説明しています。
スペインにすり寄る結婚戦略。アーサーの死とキャサリン・オブ・アラゴン
ヘンリー7世は、約30年続いたバラ戦争を片付けてテューダー朝を開きました。中央集権化を目指したものの、常備軍も官僚制も整わず、ジェントリーの協力がなければ政権運営もできなかったといいます。
さらに王朝を作った直後には反乱が相次ぎました。国王の収入も常備軍も少ないため自力では鎮圧できず、そのたびに議会を招集してお金を集めてもらう必要がありました。
命令する立場じゃなくて、ちょっと力貸してくださいみたいなことを言わないといけない立場なんですよ。
そこでヘンリー7世は、フランスかスペインのどちらかと仲良くしてイングランドを安定させようと考えます。フランスのヴァロワ家とは百年戦争 ── 14〜15世紀にイングランドとフランスの間で断続的に続いた戦争。フランス王位やフランス国内の領土をめぐって争いましたで戦ってきたため関係が悪く、選んだのはスペインでした。
ヘンリー7世は、長男アーサーとスペイン王女キャサリンの結婚を画策し、実現させます。ところがアーサーは15歳で病死してしまいます。ヘンリー7世にとっては、長男を亡くした悲しみに加えて、外交戦略も崩れてしまう出来事でした。
そこでヘンリー7世は、未亡人となったキャサリン・オブ・アラゴンを、次男ヘンリー、のちのヘンリー8世の妻にします。この後キャサリンという名前の女性が4〜5人出てくるため、深井さんは彼女を「キャサリン・オブ・アラゴン」と呼び分けています。同じ名前ばかり続くことに、樋口さんは「別の名前をつければいいのに」とツッコんでいます。
フランスと不仲
百年戦争の相手のヴァロワ家とは組めない
アーサーとキャサリンの結婚
スペイン王家との結びつきを作る
アーサーの病死
15歳で亡くなり、外交戦略が崩れる
ヘンリー8世とキャサリンの結婚
兄の妻を次男が迎え、事なきを得る
ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの間に生まれたのが、エリザベス1世の腹違いの姉メアリーです。当時のイングランドにはまだプロテスタントが入ってきておらず、カトリックしかなかったため、メアリーは自然とカトリックとして育てられました。
カトリックの守護者ヘンリー8世は、なぜ離婚を望んだのか
深井さんによると、ヘンリー8世は若い頃とてもイケメンで、音楽の才能があり、楽曲や詩も残しているといいます。身長は184cmで190cm近くあり、武芸にも教養にも通じていました。
いやーこれね、多分話聞いた後全員満場一致でクズって思うと思います。
ヘンリー8世は後にイギリス国教会を作りますが、それ以前は敬虔なカトリック教徒でした。自らカトリックの守護者を名乗り、ローマ教会からもそう認められていたのです。ルターがローマ教会を批判したときには、反論の著作を書いてローマ教皇に渡すほどでした。
ところが、ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴンの間には、メアリー以外に男の子がなかなか生まれませんでした。当時のイングランドでは、制度上は女性も王位を継承できました。
しかし女王を立てると、当時の価値観ではいろいろな意味で突っ込みどころが多くなります。父の代にやっとまとめ上げ、まだ王権も弱いイングランドで女王が誕生して王権が揺らぐことを、ヘンリー8世は恐れていました。
すでにキャサリン・オブ・アラゴンは40代ぐらいになっており、当時の医療を考えると男の子を産むのは難しいと思われました。そこでヘンリー8世は、新しい若い王妃を迎えなければならないと考え始めます。
ただし、カトリック教徒は基本的に離婚が許されません。楊さんは、キリスト教には7つの秘跡 ── カトリック教会で、神の恵みを人に与えるとされる重要な儀式。洗礼や聖体などとともに、結婚もその1つに数えられますがあり、結婚はその1つだと説明します。
離婚しますだったら、もう当時だったらもうローマ教会に吊るし上げにあってるぐらいの犯罪行為なんですよ。
楊さんは、現代の感覚では結婚や離婚でここまで悩む理由はわかりにくいかもしれないと話します。それでも当時の宗教観では、結婚は教会を通じて与えられる神の恵みであり、そのルールに背くことは教会への反抗だったのです。
それでもヘンリー8世は、離婚はそれほど難しくないと軽く考えていました。ローマ教皇とは良い関係を築いてきたうえ、過去に離婚が認められた例もあったからです。しかしローマ教皇は離婚を認めず、それがイギリス国教会の設立につながっていきます。認められなかった理由は次回以降で語られる予定です。
男子を望んだ王と、国を強くした女王という皮肉
深井さんが皮肉だと感じたのは、ヘンリー8世の願いと実際の歴史の結果です。ヘンリー8世は、王権の弱いイングランドを大きくするには男の王を立てたほうが周囲を納得させられると考え、懸命に男子の後継者を得ようとしました。
王権を安定させるため、男の後継者を強く望んだ
望まなかった女王エリザベスが即位し、イングランドを強くした
ところが、結果的にイングランドを盛り上げたのは女王エリザベスでした。深井さんはこの展開から、個人が常識を超えることがあると語ります。
楊さんは、女王が不安視された理由をもう1つ挙げます。女王は基本的に他国の王室から夫を迎えなければならず、当時は女性が夫より一歩引く立場だったため、夫がスペインやフランスの王家の人間なら国がそちらに引っ張られてしまうおそれがありました。国の独立を守るという意味で、女王は都合が悪かったのです。
深井さんは、男の王を担いだ反乱軍が出てくれば人々は男のほうを選びがちだったと補足します。今の日本でも男性と女性のリーダーが完全に平等とは言えないのだから、当時はなおさらだった、というのが深井さんの見方です。
楊さんは、ヘンリー8世には個人的に男子を持ちたい希望もあったかもしれないが、君主として国のことを考えていたと話します。そのうえで「それでも聞いたらわかるんですけど、クズ」と付け加え、次回はヘンリー8世のクズエピソードが語られると予告して、この回は締めくくられます。
まとめ
テューダー朝が始まった頃のイングランドは、人口が少なく、議会の力が強く、常備軍も官僚制も弱い小国でした。その弱さを補うためにスペインとの結婚外交が進められ、男子を求めたヘンリー8世の離婚問題が、やがてイギリス国教会の設立へとつながっていきます。
- テューダー朝は3代5人、約100年の短い王朝だが、イングランド台頭の礎になった
- 当時のイングランドは人口300万人の小国で、国王は議会の承認なしに法も課税も決められなかった
- ジェントリーは教会から接収された土地を得て力をつけ、エリザベスの政権運営を支える層になった
- ヘンリー7世はスペインと結ぶため、長男アーサーの死後、キャサリン・オブ・アラゴンを次男ヘンリー8世に嫁がせた
- 男子を望んだヘンリー8世の離婚は教皇に認められなかったが、結果的に国を強くしたのは女王エリザベスだった


