王女から庶子へ、それでも「人に恵まれた」幼少期とは?
エリザベスの母アン・ブーリンが処刑されたとき、エリザベスはまだ2歳8ヶ月でした。母の処刑によって、エリザベスは王女から庶子 ── 正式な婚姻関係にない、または婚姻が無効とされた親から生まれた子。王族の場合は王位継承権を失う扱いになりますの身分に落とされます。
庶子になったエリザベスは「レディー・エリザベス」と呼ばれるようになります。仕えていた家臣も次々と辞め、残った人々の規律や道徳も乱れていったと深井さんは紹介します。生後3ヶ月の時点で、エリザベスはすでに母アン・ブーリンとも引き離されていました。
一時は着る物にも困り、古い衣装を縫い直してしのぐこともあったそうです。庶民なら当たり前のことでも、王族としてはかなりつらい状況だったと語られています。
それでもエリザベスは、しっかりとした教育を受けて育ちます。教育係がつき、父ヘンリー8世もメアリーとエリザベスにクリスマスプレゼントを贈るなど、娘たちを完全に無視していたわけではありませんでした。
へー。(エリザベスは)人に恵まれた。
4歳のとき、3番目の妻ジェーン・シーモアが待望の男の子、のちのエドワード6世を産みます。エリザベスは腹違いの姉メアリー1世とともに盛大な洗礼式に参加し、ここで父ヘンリー8世と接点を持ちました。
当時の貴族は1つの城に住み続けず、城や宮殿を移り住んでいたそうです。深井さんによれば、建物が不衛生になって病気が広がるため、住まいを変えていたようです。
でもうね、6歳の時点で40歳の貴婦人かのような厳かな態度で。
6歳のエリザベスは宮廷作法を完璧に身につけていたといいます。腹違いの姉メアリー1世と一緒に暮らしていた時期もあり、メアリーにもかわいがられていたそうです。
ヘンリー8世の再婚劇、肖像画で選んだ妻はどうなった?
エリザベスが成長する間も、ヘンリー8世は妻を次々と替えていきます。3番目の妻ジェーン・シーモアは、待望の男児エドワードを出産したことがきっかけで亡くなってしまいました。
ヘンリー8世が4番目の妻に選んだのは、ドイツのユーリヒ・クレーフェ・ベルク公家のアン・オブ・クレーヴです。この結婚の背景には、勢力を強めていたプロテスタントと手を結び、イギリス国教会 ── ヘンリー8世がローマ教皇から離れて創設したイングランドの教会。王が教会の首長を兼ねる仕組みですの立場を保ちたいという狙いがありました。
当時の王族や貴族の結婚は政略結婚で、結婚交渉は臣下同士が肖像画を交換するところから始まるのが決まりでした。樋口さんはこの肖像画の交換を「写メ見して」のようなものだとたとえています。
ところが、ヘンリー8世は肖像画のアン・オブ・クレーヴを気に入ったものの、実際に会うと見た目がまったく違い、ひどく失望したといいます。アン・オブ・クレーヴは外国語を話せず、アン・ブーリンが得意だった歌や楽器もできなかったそうです。結局、2人はわずか半年で離婚することになりました。
アン・オブ・クレーヴは、前の妻たちが処刑や幽閉にあったことを知っていたため、離婚の求めに逆らえませんでした。大きなショックを受けながらも離婚を受け入れ、「王の妹」の称号と年金を得て、生涯イングランドで不自由なく暮らしたそうです。
そうか、そうか。まあまあまあ処刑はされてないから、まあ良かったんかな。
5番目の妻キャサリン・ハワードはカトリックでした。プロテスタントが盛り上がりすぎたため、今度はカトリックの側に寄せてバランスを取る必要があったからです。
(ヘンリー8世)自身はそのプロテスタント教義に対してそこまで思い入れはないんですよ。
深井さんによれば、ヘンリー8世にとってローマ教会との決別は権力の問題であり、教義の問題ではありませんでした。そもそもヘンリー8世自身はカトリック教徒だったといいます。ヘンリー8世はキャサリン・ハワードを「王の宝石」と呼んで溺愛しますが、キャサリンが昔の恋人と関係を続けていたことが発覚し、激怒したヘンリー8世は彼女を処刑しました。
この年表は、エリザベスが子ども時代に経験した、父ヘンリー8世の目まぐるしい再婚の流れを整理したものです。
最後の王妃キャサリン・パーは、なぜ「キーパーソン」なのか
パー。この人(キャサリン・パー)はキーパーソンです。
キャサリン・ハワードの処刑から1年半後、ヘンリー8世は若い初婚の女性を探していたようですが、最終的に2度の結婚歴があるキャサリン・パーと結婚しました。結婚式のとき、メアリー1世は28歳、エリザベスは9歳、エドワードは5歳でした。
キャサリン・パーは1人目の夫と19歳で死別し、2人目の夫とも死別していました。3人目の夫になる人はもう心に決めていましたが、ヘンリー8世に見初められてしまいます。断ると大変なことが起こりそうだったため、やむなく結婚を受け入れたそうです。
キャサリン・パーはプロテスタントで、教育をよく受けた上流階級の出身でした。宮廷の権力争いからは上手に距離を置き、「できるだけ人の役に立つ」をモットーにしていたといいます。遠征中のヘンリー8世に代わって政治を任されるほど、ヘンリー8世から信頼されていました。
キャサリン・パーは、親が殺されたり追放されたりする中で育ったメアリー、エリザベス、エドワードを気の毒に思い、血のつながらない3人に愛情を注ぎます。特にメアリーは、庶子に落とされた屈辱で精神的に追い詰められていたと語られています。
キャサリン・パーの大きな功績は、ヘンリー8世を説得して、メアリーとエリザベスの王位継承権を回復させたことです。これによって、のちのエリザベス1世の時代が実現することになります。
ここでちゃんと前さばきしてなかったら(エリザベス1世期は)生まれてなかったかもしれない。
キャサリン・パーは、子どもたちが父に愛されていると感じられるようにメッセージを送らせたり、エドワードのために優れた家庭教師団をそろえたりしました。エリザベスもその恩恵を受けて一緒に学びます。エリザベスが「早くお会いしたい」とキャサリン・パーに書き送った手紙も残っているそうです。
ヘンリー8世の死と摂政エドワード・シーモアの台頭
エリザベスが13〜14歳のころ、ヘンリー8世が亡くなります。暴飲暴食で肥満体になり、足の腫れ物や骨髄炎、糖尿病の可能性も指摘されていて、晩年は車椅子で生活していたそうです。
ヘンリー8世は遺言で、幼いエドワードが成人するまでは枢密院 ── 国王に助言し政治を担う顧問機関。深井さんは現代の内閣のようなものと説明していますのメンバー全員で補佐し、誰か1人が権力を握らないようにと命じていました。
しかし実際には、エドワード6世の親戚筋にあたる伯爵エドワード・シーモアがほかの委員を抑え、摂政として最高権力を握ります。エドワード6世の戴冠式も、エドワード・シーモアが取り仕切りました。
遺言では、枢密院全員でエドワード6世を補佐し、1人が権力を握らないようにと命じた
実際には、エドワード・シーモアが摂政として突出した権力を握った
大丈夫ですか?同じ名前死ぬほど出ますけど。
一方、夫を亡くしたキャサリン・パーは、かつて結婚を約束していたトマス・シーモアとひそかに結婚します。トマス・シーモアは摂政エドワード・シーモアの弟でした。
貴族の結婚は勢力のバランスを急に変えるため、枢密院などの承認が必要でした。ヘンリー8世の死の直後に結婚するのは難しい状況でしたが、深井さんは、キャサリン・パーがそれでも結婚したかったのだろうと推測しています。このトマス・シーモアが、のちにエリザベスに深く関わってきます。
10歳で4か国語、エリザベスが受けた英才教育
エリザベスは当時最先端の英才教育を受け、勉強で非常に忙しい日々を送っていました。深井さんは、現代でいえばハーバード大学に行けるような水準だとたとえています。
時代はルネサンス ── 14〜16世紀ヨーロッパで、古代ギリシャ・ローマの学問や芸術を見直した文化運動の最中で、キリスト教化される前の古代の学問を学び直す人文教育が広まっていました。エリザベスは10歳で、英語に加えてフランス語、イタリア語、ラテン語を流暢に話せたといいます。
エリザベスの家庭教師ロジャー・アスカムは、罰するより褒めることを重視し、疑問は臆せず聞くように勧め、自分を表現して話すことを奨励しました。アスカムは学問には正しい生き方が必要であり、学問は楽しくなければならないと考えていたそうです。
アスカムは手紙に「王女様ほど理解力のある人知りませんし、記憶力も誰にも負けません」と書いています。エリザベスはギリシャ語も学び、キケロやソフォクレスなどの古典を読み、数学、天文学、音楽、乗馬、弓なども学んでいました。
エリザベスの勉強法として紹介されるのが、二重翻訳法です。手順は次のとおりです。
番組では、ソクラテスのように問いを重ねて真理に迫るギリシャ哲学の学び方から、エリザベスがロジカルシンキングやクリティカルシンキングを身につけたのではないかと語られます。神が世界を作ったことを前提にしたキリスト教ベースの教育とは異なり、エリザベスは普通のクリスチャンとは違う思考のフォーマットを得たのではないか、という見方です。
エリザベスはつらい幼少期のストレスを、勉強に没頭することで解消していたようです。さらに宮廷では、人の顔色や人間関係をひそかに観察して学んでいたのではないかとも語られ、その経験がのちに生きてくると見られています。
継母の夫トマス・シーモアとの「事件」とは
勉強に励んでいたエリザベスの周囲で、ある事件が起こります。中心にいたのは、キャサリン・パーの新しい夫トマス・シーモアです。トマス・シーモアは海軍をつかさどる海軍卿で、声が大きく騒ぎが好きな、粗野なタイプの人物でした。
トマス・シーモアが来てから、落ち着いていたキャサリン・パーの宮殿の空気は大きく変わります。かっこよかったトマス・シーモアに、エリザベスも少し惹かれていたようで、2人は仲が良く、キャサリン・パーも最初は目を細めて見ていたそうです。
ところがトマス・シーモアは限度を知らず、エリザベスの寝室に来てふざけたり、抱きついたりキスしたりと、高貴な社会では一線を越えたスキンシップを繰り返します。王位継承者でもあるエリザベスとトマス・シーモアについて、「できているのではないか」という噂まで立ち始めました。
ある日、キャサリン・パーは2人が抱き合っているところを見てしまいます。深井さんは、キャサリン・パーが嫉妬からではなく「このままではエリザベスのためにならない」と判断し、エリザベスを信頼できる家臣に託して別の家へ移した点を賢いと評価しています。
粗野な夫の登場
トマス・シーモアが来て、宮殿の空気が変わる
行き過ぎた接触
トマス・シーモアがエリザベスに一線を越えたスキンシップを繰り返す
噂の広がり
2人の関係を疑う噂が立つ
引き離し
キャサリン・パーがエリザベスを別の家へ移す
エリザベスもキャサリン・パーとトマス・シーモアの両方を慕っていたため、離されたことを悲しみました。噂を嫌がっていたこともあり、この時期は心労から体を壊していたそうです。
継母の死、そして10代で知った身の守り方
エリザベスがトマス・シーモアから離された後、キャサリン・パーは再婚後の出産で亡くなってしまいます。エリザベスは悲しみのあまり床に伏し、再び孤児のような状態になりました。
エリザベスを気にかける人が少なくなるなか、摂政エドワード・シーモアは、エリザベスに約束されていた年金をきちんと払っていなかったといいます。さらに、妻を亡くしたトマス・シーモアがエリザベスに求婚するという噂まで流れます。
やがてトマス・シーモアは処刑され、その影響はエリザベスにも及びます。深井さんは、キャサリン・パーが誰の派閥にも属さず、誰からも嫌われないように振る舞っていたのは、宮廷がそれほど緊張感のある場所だったからだと語ります。詳しい経緯は次回に持ち越されました。
深井さんは、近しい人が処刑されたり冤罪を着せられたりするのを見てきたエリザベスが、変に興味を持たれること自体が危険になると学んでいったと見ています。
もうなんなら自分の母親ぶっ殺されてますからね。一番一番身近な人が。
エリザベスは母アン・ブーリンの絵を指輪に入れて、ずっと身につけていたそうです。母の記憶はおそらくなく、母に育てられてもいませんが、深井さんはそこに母への憧れがあったのではないかと語っています。
まとめ
この回では、2歳で母を失って庶子に落ちたエリザベスが、継母キャサリン・パーの愛情と英才教育に支えられながら、宮廷の危うさの中で10代を過ごした様子が描かれました。
- アン・ブーリンの処刑でエリザベスは庶子となったが、教育係や姉メアリーなど周囲の人には恵まれた
- ヘンリー8世は政治的な事情と好みで再婚を繰り返し、妻たちは死去・離婚・処刑とそれぞれの運命をたどった
- 継母キャサリン・パーはヘンリー8世を説得し、メアリーとエリザベスの王位継承権を回復させた
- 10歳で4か国語を話したエリザベスは、人文主義の教育から合理的な思考法を身につけたと考えられている
- トマス・シーモアとの騒動とキャサリン・パーの死を経て、エリザベスは宮廷での身の守り方を学んでいった





