遊牧民の帽子はなぜ高いのか
番外編の中編は、深井さんがかぶっていた背の高い帽子の話から始まります。深井さんは帽子が重く、首がカクンとなり、耳のあたりも痛いと訴え、収録の途中で脱いでいました。
鷹鳥屋さんはこの帽子の見た目を、円柱の帽子を折って垂らした「一反木綿」のようだと表現します。楊さんがなぜこれほど高い帽子にしたのかを尋ねると、鷹鳥屋さんは遊牧民の生活に理由があると答えました。
鷹鳥屋さんによると、馬から降りたときに近くに人がいることがわかるように、遊牧民の帽子は長かったり高かったりすると聞いているそうです。深井さんも「馬の背より高くないと」と応じ、衣装が生活の中から発展してきたことが語られます。
(高い帽子にも)ちゃんと理由があるんですね。
帽子の模様にも話が及びます。深井さんが模様にイスラムらしさを感じると言うと、鷹鳥屋さんはアラベスク ── 植物の蔓や幾何学的な形を連続させたイスラム美術の装飾様式。偶像表現を避ける伝統の中で、モスクの壁面などで高度に発展しましたのような幾何学模様の美しさはイスラムの伝統だと説明しました。
ヨーロッパは「クソ田舎」だった?
深井さんは、鷹鳥屋さんがトルコに詳しいことを紹介し、この日がオスマン帝国編の収録日なので一緒にオスマンの話をしたいと切り出します。鷹鳥屋さんは、筑波大学のトルコ研究者たちに比べれば詳しいとは言えないとしつつ、トルコが大好きだと話します。
オスマン帝国の何が好きかと問われた鷹鳥屋さんが挙げたのは、ビザンツ帝国を落としたメフメト2世 ── オスマン帝国の第7代スルタン。1453年にコンスタンティノープルを攻略してビザンツ帝国を滅ぼし、「征服王」と呼ばれますのコンスタンティノープル入城の絵でした。白馬に乗り、剣を構えた奴隷兵士が横に控える1枚絵のインパクトが好きだといいます。
さらに鷹鳥屋さんは、当時の西洋の王朝は「クソ田舎」で、産業革命以降に調子に乗ったヨーロッパの豪族たちがオスマンにボコボコにされるのがスカッとすると、率直に語りました。深井さんも「すげえわかります」と同意し、普段はあえて言わなかったが、ヨーロッパは結構遅れていたと応じます。
鷹鳥屋さんが例に挙げたのは歯磨きです。イスラムには昔からスワークと呼ばれる歯磨きの道具があり、十字軍の記録にはイスラム側の歯磨きを「牙を研いでいる」と見たような記述があるといいます。ヨーロッパには歯磨きの文化がなかった、というのが鷹鳥屋さんの見立てです。
鷹鳥屋さんはまた、イェニチェリ ── オスマン帝国の常備歩兵軍団。キリスト教徒の子弟を徴用して育成し、銃で武装した精鋭部隊として知られましたやシパーヒーといったイスラムの信仰戦士が強かった理由の一つに、清潔さを挙げます。お祈りの前に口をすすぎ、手足を洗う習慣があったため疫病が流行りにくく、親衛隊が病気にかかりにくいことは強いファクターだったと話しました。
これはちょっとすごい話ですね。宗教的な動きがちゃんと自分たちの身を守ることになってた。
話はキリスト教とイスラム教の性格の違いへ進みます。鷹鳥屋さんは、キリスト教を「大工の息子のニートが作った宗教」と言い放ったうえで、きれいに言えば理想主義だと言い直しました。
一方で鷹鳥屋さんは、イスラム教は商人が作った宗教なので、実利や生活に合理的に根差していると説明します。豚肉の禁止も当時の合理性を追求した結果であり、長生きや健やかな暮らしにつながる延長線上にある、という見方です。
鷹鳥屋さんが語った2つの宗教の対比は、次のように整理できます。
理想主義。「右の頬を打たれたら左の頬を」という理想でいこうとする宗教
商人が作った宗教。実利や生活に合理的に根差し、豚肉の禁止なども当時の合理性に基づく
深井さんも、医学では西洋がかなり遅れていたと補います。ペスト以降、風呂に入ると病原が入るという考えから入浴をやめてしまい、清潔だったローマ帝国のような習慣も失われていったといいます。
ただし鷹鳥屋さんは、キリスト教への敬意も口にします。宗教画や芸術、賛美歌に昇華させたのは宗教的情熱があってこそで、そこは本当に尊敬すると話しました。そのうえで、同じ宗教的情熱から十字軍も来たと付け加え、「ワンショットゲストだから言いたい放題言って消える」と笑います。
アタテュルクと「奴隷戦士は仮面ライダー」
鷹鳥屋さんは、オスマン帝国だけでなく、トルコ共和国の建国の父であるケマル・アタテュルク ── ムスタファ・ケマルとも呼ばれるトルコ共和国の初代大統領。オスマン帝国崩壊後に独立戦争を指導し、近代化改革を進めましたを深く尊敬していると明かします。伝記を読んで4回ぐらい泣いたそうです。
深井さんは、オスマン帝国編が長くなりすぎたため、今回はメフメト2世までを扱ったと説明します。オスマンの父エルトゥールルは飛ばしてオスマンから始め、アッバース朝やファーティマ朝などイスラム帝国の流れも少し紹介したといいます。
一方で深井さんは、マムルーク朝はあえて出さなかったと話します。マムルークの奴隷戦士まで出すと、奴隷戦士がいっぱい出てきて混乱するだろう、という判断でした。
これを受けた鷹鳥屋さんの例えが、仮面ライダーです。奴隷戦士が多すぎると、仮面ライダー龍騎のようにライダーが多すぎてどれがどれかわからなくなる、と表現しました。深井さんも、ウルトラマンも出ているのにライダーまでたくさん出すと混乱するので、仮面ライダーBLACKしか出さなかったと例えに乗ります。
2人は世代が同じで、BLACKやシャドウムーンの話で盛り上がり、深井さんが例えなのか本当の話なのか自分でも混乱する一幕もありました。
イェニチェリと軍楽はなぜ心をつかむのか
深井さんは、オスマン帝国の中でもイェニチェリが単純に好きだと語ります。きっかけは、中学生の頃に流行したパソコンゲーム「エイジオブエンパイア」に、銃を持った歩兵部隊としてイェニチェリが登場したことでした。
僕ね、単純にイェニチェリが結構好きなんですよ。
深井さんは、ゲームのイェニチェリのちょこちょこした動きや、日本語の発音にない名前の面白さが記憶に残っていたといいます。鷹鳥屋さんは、イェニが「新しい」、チェリが「軍」で「新しい軍」という意味だと補足しました。
このイェニチェリから僕はオスマンに結構入っていきましたね。
スレイマン大帝の巨大なターバンにも話が及びます。深井さんは顔の10倍ぐらいあると表現し、黒柳徹子さんも目ではないと笑いました。鷹鳥屋さんは、あそこまで大きいと機能ではなくただのおしゃれだろうと話します。
深井さんは「パシャ」のようなトルコ語の響きも好きだと話します。鷹鳥屋さんはパシャは将軍のような意味だと補い、トルコ語にはチャ・チュ・チョの音が意外と多いと説明しました。深井さんが大分弁と似ていると言うと、鷹鳥屋さんも大分県民はトルコ語と親和性が高いかもしれないと応じます。
深井さんは、イェニチェリのような軍隊は同時代に出てこないと指摘します。普通は騎兵が主力のところ、銃を持った歩兵の重武装部隊というのはとても新しく、他の地域でああした銃の歩兵が出てくるのはだいぶ後だといいます。
鷹鳥屋さんが付け加えたのは軍楽隊です。モーツァルトのトルコ行進曲で知られるように、軍隊のマーチはトルコ発祥だといいます。深井さんはメフテル ── オスマン帝国の軍楽隊、またはその音楽。太鼓やシンバル、管楽器で兵士を鼓舞し、ヨーロッパの音楽にも影響を与えましたの曲「ジェッティンデデン」をSpotifyで聴いていると明かしました。
鷹鳥屋さんによると、当時プロイセンなどがトルコの軍楽を真似したものの、あまりにお粗末で、トルコの大使が笑ったという記録が残っているそうです。一方で、何もかもトルコが起源だとする「大トルコ主義」と呼ばれる行き過ぎた考え方もあると、注意も添えました。
鷹鳥屋さんは、トルコ語と日本語は文法がよく似ていて、日本語の語順のままトルコ語に置き換えても通じると話します。トルコは日本に好意的で、アナトリア半島が貿易と文化の中継地点だったことも、トルコの文化の厚みにつながっているといいます。
イェニチェリ姿でイスタンブールを歩くと
深井さんがイスタンブールのロマンを語り、まだ行ったことがないと言うと、鷹鳥屋さんは、ボスポラス海峡の真ん中でモスクと夕日が見える瞬間は最高だと勧めます。
鷹鳥屋さん自身は、赤いイェニチェリの衣装を着てイスタンブールのカフェに座り、「コンスタンティノープル陥落」を読んだそうです。その格好でタクシム広場やバス停を歩いていると、トルコ人のおばちゃんから握手を求められたり、写真を撮られたりしたといいます。
深井さんは、日本に置き換えると外国人が何を着て歩くような状況かを考えます。鷹鳥屋さんは、紋付き袴に扇子を差し、裃を着けて歩くようなものだろうと答えました。
(裃を着た外国人がいても)握手しに行かんよね。
深井さんも、偽物ではなくガチのちょんまげで歩いていたら驚くのと同じぐらいだと続けます。鷹鳥屋さんは衣装を本格的な店で買い、店長から「この店を20年やっているが、イェニチェリの衣装を買いに来た日本人はお前が初めて」と言われたそうです。
皆さん(トルコの人たちは)その時どういう気持ちなんですか?嫌な気持ちではないんですよね。
鷹鳥屋さんによると、嫌がられることはなく、面白がってもらえたといいます。ライフルを持った兵士に手招きされ、怒られるのかと思ったら盛り上がって迎えられ、ほっとしたというエピソードも披露されました。
ムスタファ・ケマルはなぜ救国の英雄なのか
話はアタテュルクに戻ります。鷹鳥屋さんによると、アタテュルクが戦った当時、イギリスなど周辺国の後押しを受けたギリシャ軍が、オスマン帝国の後にできる新しいトルコを潰そうと攻めてきたといいます。
鷹鳥屋さんは、その関ヶ原のような戦いとしてサカリア川の戦いを挙げます。食料も補給もない中で塹壕戦を戦い続け、なんとか勝利したくだりで2回ぐらい泣いたと話しました。樋口さんの「中国の秦みたいになっていたかも」という言葉に、鷹鳥屋さんは東西南北で分割されていただろうと応じますが、深井さんは「みんな意味全くわからんけど」とツッコミを入れます。
深井さんは背景を整理します。オスマン帝国は末期に近代国家となった西欧に押され、第一次世界大戦でも負け、民族自決の流れでセルビアやギリシャなどが独立していきました。その中で、オスマン内で若くして出世した青年将校のムスタファ・ケマルが、今の政府に任せていたら国がなくなるという危機感から盛り返したといいます。
深井さんはこの構図を明治維新っぽいとも表現し、鷹鳥屋さんは「救国の大英雄」と呼びます。鷹鳥屋さんによると、ムスタファ・ケマルはギリシャのテッサロニキ出身で、ガチガチのトルコ人ではなかったものの、オスマン人という括りの中から国の解体を見て、トルコ人の国を作ろうとしたといいます。
日本で例えるならと聞かれ、深井さんは「高杉晋作が最後まで生きて英雄になった」ようなものだと答えます。鷹鳥屋さんはさらに、高杉晋作が農業も頑張り、文字も作ってしまうようなものだと加えました。
鷹鳥屋さんは、ケマルの格好でアンカラの墓所を訪ねて敬礼し、アタテュルクのグッズを山のように買って帰ったそうです。軍も政治も農業もできて文字まで作れ、しかもイケメンで、もっと世界的に評価されていいと個人的には思うと話します。
深井さんは、次にオスマン帝国の後半をやる場合はスレイマン大帝とムスタファ・ケマルをフィーチャーしたいと構想を明かしました。
オスマンの人材登用は何が違ったのか
深井さんは、オスマン帝国にはなぜ優れた君主やリーダーが出てくるのかと問いかけます。鷹鳥屋さんは、スレイマン大帝の後はいろいろ言われるとしつつ、出自を問わず優秀な人間を取り立てるシステムが大きかったと答えました。
鷹鳥屋さんによると、大宰相になった人には元奴隷が多かったといいます。ベドウィンを基盤とする他の地域では、どの部族の出身かで優遇されることが強かったのに対し、オスマンはオスマン家の下に大宰相を置き、権力集中型から官僚機構へと分散していったと説明します。
深井さんは、メフメト2世のコンスタンティノープル攻略の功績が、有力な家の権力をなくす転換点になったのではないかと考えています。チャンダルル・ハリル・パシャからザガノス・パシャへの移行を例に、専制君主制をつくり、家にこだわらない「貴族ゼロ」に近い国家が形成されたと話しました。
鷹鳥屋さんも、若いうちに優秀そうな人材を集めて教育し、宮殿に入れたり地方に預けたりして、見込みがあれば中央に登用する仕組みがあったと補足します。人材の登用と発掘が優れていたのではないか、という見方です。
やっぱ人材の生かし方って、結構僕、遊牧民の方がうまいなっていうふうにすごい思いますね。
鷹鳥屋さんは、使えるものを使わなければいけないという切迫感があったからだと応じます。深井さんも、厳しい環境で育った思考様式だろうと同意しました。
逆に、その切迫感がなくなり官僚主義がガチガチになると、国に傾きが見えてくると鷹鳥屋さんは話します。内部の反乱が起き、外部から攻められるのはパターンだといい、深井さんは中国とも同じで、どの組織にも当てはまるのだろうと受けます。
切迫感のある時期
使えるものを使うしかなく、出自を問わず優秀な人材を登用する
切迫感が薄れる
官僚主義がガチガチになり、人材の選び方が変わる
内部の争い
派閥争いや内部の反乱が起きる
外部からの圧力
外から攻められ、国が傾いていく
深井さんは、本編でも触れる論点として中国王朝との比較を挙げます。中国王朝は皇帝・宦官・官僚の3つの勢力のバランスで成り立つ専制君主制のモデルで、それに対してオスマンにはデヴシルメ ── オスマン帝国がキリスト教徒の少年を徴用し、改宗と教育を経て軍人や官僚に育てた制度。イェニチェリや大宰相の供給源になりましたという人材徴用がありました。
鷹鳥屋さんは、オスマン皇帝にハレムの勢力、イェニチェリなどの軍人、大宰相が加わり、時代ごとにバランスが傾いていったと補足します。深井さんは、宦官が政治に深く入らないオスマンと深く入る中国という違いはあっても、どの王朝も似た登場人物の構図になっていくのが面白いと話しました。
王朝もバンドも「3代目」が勝負?
鷹鳥屋さんには自論があります。3代目がしっかりしている王朝は長続きするというものです。足利は義満が、徳川は家光が頑張ったから長期政権になった、と例を挙げました。
深井さんは、これはバンドも同じだと即座に応じます。ファーストアルバムの次、そしてサードアルバムがどうなるかで、そのバンドが続くかどうかが決まるという見方です。鷹鳥屋さんも、3枚目のアルバムが良いと20年続く、と納得しました。
ファーストアルバムは野心的なんですよ、どのバンドも。セカンドでなんかファーストで売れたやつをなんかどうする?みたいなのがあって。
深井さんが語ったバンドのアルバムの段階は、次のように整理できます。
深井さん自身は、オスマン帝国は7代ぐらい、あるいは10代ぐらいまで比較的素晴らしい君主が続いたと見ていて、ラッキーなのか、他に理由があるのかと問いかけます。鷹鳥屋さんは、拡大期には優秀な人を置かなければならないが、守りに入って官僚機構やイェニチェリ、大宰相に都合のいい人が据えられた瞬間に、国は傾くと答えました。
深井さんも「全く同感。企業と一緒だな」と応じます。国の繁栄という本来の目的ではなく、社内闘争のような国内闘争のために人を据えるようになると、組織は変わってしまうという話です。この考え方を、鷹鳥屋さんは「サードアルバム理論」と名付けました。
深井さんは、オスマンの初期のスルタンたちは「オラオラ」と攻撃的だったと話します。鷹鳥屋さんも、宗教的背景がバラバラな人たちがエルトゥールルやオスマンを掲げて集まった過激なグループがルーツだと応じ、初期メンバーが尖っていたバンドがセカンドで丸くなる姿に重ねました。
深井さんは、初期のスルタンたちはそこを突破する野心を持っていたと続けます。2代目オルハンからスルタンを名乗り、「2つの海」を持つ者といった称号があったことに触れ、鷹鳥屋さんはこうした称号を見ると「2つの」はかっこいいと笑いました。
「中東で一番有名な大分人」はなぜ控えめなのか
称号の話から、深井さんは鷹鳥屋さんの肩書き「中東で一番有名な日本人」を持ち出します。鷹鳥屋さんは、王室外交を重視する中東で一番関心を持たれているのは天皇陛下なので、それを差し置いて自分が一番有名とは言いにくいと話しました。
そこで深井さんが提案したのが、中東で一番有名な大分人という肩書きです。鷹鳥屋さんも、控えめでありながら大分をアピールできると気に入り、大分にUターンしなければと笑います。
話題は大分の特産品を中東に売る案へ広がります。鷹鳥屋さんによると、ゆずは売れそうだが、カボスはライムとぶつかるといいます。唐揚げについては、フライドチキンを好む人たちなので、大分らしくとり天をやりたいと話しました。
一方で鷹鳥屋さんは、関サバのような鮮魚は中東まで運ぶと鮮度が落ち、柑橘も長距離輸送では農薬の問題があると、現実的な課題も挙げます。深井さんは、元農業経験者ならではの視点だと感心していました。
話が盛り上がったため、収録は前編・後編では終わらず、続きはエピローグへ持ち越しになりました。深井さんは途中は何を言っているかわからなかったが、最後の大分の話でようやくわかったと笑い、「大分パシャ」という言葉で締めくくられます。
まとめ
鷹鳥屋明さんを迎えた中編は、遊牧民の帽子から始まり、ヨーロッパとイスラムの比較、イェニチェリやメフテル、ケマル・アタテュルクの救国の物語、オスマン帝国の人材登用、そして王朝が長続きする条件まで、遠慮のない語り口で広がっていきました。
- 鷹鳥屋さんは、清潔さを保つイスラムの習慣が疫病から兵士を守る強いファクターだったと語った
- イェニチェリは銃を持つ歩兵の重武装部隊として、同時代にない新しさがあったと深井さんは見ている
- ケマル・アタテュルクは、解体寸前の国からトルコ人の国を作り上げた救国の英雄として語られた
- オスマンの強さは出自を問わない人材登用にあり、切迫感が失われると国は傾くという見方で2人は一致した
- 3代目が王朝の命運を分けるという自論は、バンドのサードアルバムになぞらえて「サードアルバム理論」と名付けられた





