📝 エピソード概要
項羽を破り皇帝となった劉邦が、不安定な新国家「漢」の統治基盤を固めていく初期の国造りの実態を描きます。秦の郡県制と封建制を折衷した郡国制の導入や、匈奴との厳しい外交、儒者による儀礼の整備といった政策を紹介。
しかし、エピソードの核心は、天下統一に最大の功績をあげた韓信、彭越、英布といった功臣たちが、中央集権化という「構造的な理不尽」によって次々と粛清されていく過程です。皇帝の権力維持のため、個人の徳や恩義とは無関係に排除が必要となる、専制君主制における苛烈な力学が浮き彫りになります。
🎯 主要なトピック
- 皇帝即位と統治課題: 劉邦が帝位につき、旧六国勢力や封建制のパラダイムがほぼ解体された中で、戦争優位な秦のシステムと、功臣への報償という難しいバランスの取れた統治システム構築が求められた。
- 漢帝国の統治システム「郡国制」: 中央は郡県制、周辺地は諸侯王(功臣たち)に与えるという妥協的な統治体制を採用。劉氏以外の諸侯王国に対しては厳格な管理と緊張関係が敷かれた。
- 異民族「匈奴」との苦戦: 強大化した匈奴の冒頓単于に大敗し、漢帝国初期は娘の政略結婚や貢物によって平和を維持せざるを得ないという、事実上の臣従関係を強いられた。
- 儀礼の整備と儒者の登用: 荒くれ者が多かった宮廷の秩序を確立するため、劉邦は軽蔑していた儒者(叔孫通)に儀礼のルール作りを命じ、これにより皇帝としての権威と規律が確立された。
- 最大の功臣・韓信の粛清: 最も功績が大きかった韓信は、裏切りの疑念と構造的脅威から、恩人である蕭何に罠にかけられ、劉邦の遠征中に妻の呂后(りょこう)の主導により処刑された。
- 彭越の残虐な末路: ゲリラ戦で活躍した彭越は、反乱鎮圧への協力拒否を理由に捕らえられ、呂后の策略により無実を訴えた直後に家族もろとも殺害され、遺体は塩漬けにされて諸侯への見せしめとされた。
- 蕭何と張良の処世術: 生き残った頭脳派の功臣、蕭何はあえて金の亡者を装い人気を落とすことで劉邦の疑念を回避。張良は早期に引退し、政治的リスクから距離を置くことで天寿を全うした。
💡 キーポイント
- 功臣の粛清は、劉邦の個人的な感情だけでなく、中央集権化を目指す王朝において権力維持のために不可避な「構造的なデフォルト」であり、歴史の普遍的教訓である。
- 最強の将軍であった韓信は、武功に自信を持ちすぎ、専制君主下の政治的力学(コントロールできない者は危険分子であるという原則)を理解しきれなかった。
- 劉邦の皇后である呂后は、夫の統治安定化のため、彭越を偽りの親切で騙し、極めて冷酷かつ主導的に粛清を進める恐怖政治の実行者として機能した。
- 蕭何は「利益に目がない臣下は危険」という君主の心理を見抜き、自身が金銭でコントロール可能な存在であることを示すことで生き残りの道を選んだ。

