山を挟んで対峙する項羽と劉邦、人質になった父
前回のエピソードはこちら
今回のエピソードでは、まず戦いの終盤に入った項羽と劉邦の状況が語られます。武力で猛威を振るう項羽ですが、腹心の部下を少しずつ失い、実は消耗が進んでいたと深井さんは説明します。
戦いの終盤、二人は項羽山という山を挟んで対峙していました。それぞれの山の頂上に城を築き、間の谷を隔てて向かい合う地形だったと説明されます。
一キロメートルも離れてないんだわ、お互いが。
この彭城の戦いのあと、実は劉邦の父と妻は項羽の人質になっていました。彭城の戦いは、項羽が首都を取られたものの、その後に劉邦軍をボッコボコにした戦いです。
えー、そうなんや。
項羽は高い台に劉邦の父を乗せ、劉邦に降伏を迫ります。「今すぐ降伏しなければ、お前の父を煮てしまうぞ」という脅しでした。
父を煮るならスープを分けろ、劉邦のかわし方
項羽の脅しに対し、劉邦は詭弁で切り返します。楚の懐王の命で一緒に咸陽を目指した頃、二人は兄弟のようなものだった、だから自分の父を殺すのはお前の父を殺すのと同じだ、という理屈でした。
さらに劉邦は、父を煮るなら自分にもそのスープを一杯分けてくれと言い放ちます。深井さんは、これは脅しが効いていないこと、動じていないことを示すための返しだと解説します。
その自分の父さん煮ちゃうんだったら、俺にもそのスープ分けてって言うんですよ。
むしろ逆に項羽を挑発してるっていう風にも見えますね。
項羽は次に、いたずらに兵士を死なせるより二人で決着をつけようと一騎打ちを持ちかけます。しかし劉邦はこれに応じませんでした。
楊さんは、この返しには「項羽よ、お前には知恵がない」という含意も読めると指摘します。実際に知恵を巡らせているのは、劉邦ではなくその周りの人たちだったとも語られます。
罪状10個と、指に当たったと嘘をついた重傷
項羽は血気盛んな兵に挑戦させますが、漢軍の弓の名手に射殺されてしまいます。怒った項羽が出てきて睨みつけると、その名手は怖くて逃げ出したと伝えられています。
いや、項羽すご。
一方の劉邦は、このやりとりの中で項羽の罪状を10個挙げて非難します。番組では、約束に背いて劉邦の領地をずらしたこと、宋義を殺したこと、秦の宮殿を焼き陵墓を盗掘したこと、降伏した秦王を殺したこと、秦兵20万人を生き埋めにしたことなどが紹介されます。
これに激怒した項羽は、劉邦めがけてクロスボウを撃ちます。矢は劉邦の胸に刺さる重傷でした。
胸に刺さってるのがみんなにバレたらやばいから、痛ぇ指に当たったって言います。
劉邦は陣営に戻ると起き上がれないほどでしたが、軍の動揺を防ぐため、張良は劉邦を無理やり起こし、各陣営を回らせたと語られます。虚勢を張り合っていても、両軍ともすでにギリギリの状態でした。
自分から破る休戦協定、張良と陳平の進言
楚軍は食料がなく、劉邦も攻められて相当に苦しい状況でした。継戦能力がないとは言えないため罵り合っていたものの、両者はなんだかんだで休戦協定に向かいます。
劉邦はまず父と妻を返すよう申し入れます。項羽も一度は拒否したものの、自国に戻って体制を立て直したい事情があり、休戦協定が成立します。劉邦が挙兵してから3年が経っていました。
父と妻が釈放され、そのまま東西に別れて帰るはずでした。ところがここで、張良と陳平が「今こそ攻めましょう」と進言します。
逆に体制立て直されたら勝機がなくなると。休戦協定踏み倒しましょう。
人質だった父も戻り、憂いがなくなった今こそ一気に攻めて滅ぼすべきだという提案でした。自分から結んだ和議を破るのは大きな意思決定でしたが、劉邦も項羽と早く決着をつけたい思いがあったと語られます。
期日に来ない韓信、領土で釣る張良の策
劉邦は韓信や、当時魏の大臣になっていた彭越を誘い、楚を討つ手はずを整えます。ところが肝心の韓信が期日に現れませんでした。
韓信抜きで楚軍を追撃した劉邦軍は、項羽の強さの前に一部の戦いで敗退します。盤上をひっくり返せるほどの力を持つ韓信の合流が不可欠でした。
劉邦が張良に相談すると、韓信と彭越の領土を増やし、項羽を倒せば楚の地を彼らに与えると約束しましょう、という策が示されます。恩賞というインセンティブを与えて参戦させる狙いでした。
だからこの時のイニシアティブは(韓信が)握ってるんですよね。
楊さんは、立場上は韓信が劉邦に従属していても、実力では韓信の方が上で、情勢の動かし方を握っていたと指摘します。劉邦はここでも韓信に妥協したことになります。
本拠地を奪われ回復不能に、崩壊する楚
妥協を経て韓信軍が南下します。項羽と直接ぶつかる前に、韓信の部隊は項羽の都・彭城やその周辺を次々に奪っていきました。
項羽が唯一立て直せる策は、自分の都に戻って補給することでした。しかしその補給の本拠地が潰されたことで、回復の見込みが失われていきます。
さらに南方も劉邦のいとこに切り崩され、楚の大司馬・周殷のような内部の人間まで裏切ります。国も内部も崩壊し、補給を必要とする自軍だけが残る状態に追い込まれていきました。
垓下に集結する全軍、10万対30万の逆転
ついに追い詰められた項羽は、垓下の地で劉邦率いる軍と対峙します。ここに韓信も合流し、全軍が集結しました。休戦協定はもはや形骸化していました。
兵力差は決定的でした。韓信軍だけで30万、彭越軍などを加えればさらに多く、一方の項羽軍は10万に減っていました。
うわ、これやばいじゃないですか。
深井さんは、10万という数字自体は決して少なくないと補足します。それでも状況が違ったのは、30万側が韓信軍だったからでした。
軍事的な才能で言えば、もう韓信は項羽よりも上なんです。
劉邦は韓信を先鋒に総攻撃を開始します。項羽は一度は敗れるものの持ちこたえますが、左右から他の武将が攻めかかり、ついに楚軍は大敗します。兵は少なく食料も尽き、幾重にも包囲されました。
四面楚歌に泣く項羽、虞美人の歌
包囲された夜、劉邦側は項羽に精神的な動揺を与えるため、周囲で楚の国の歌を歌わせます。これが四面楚歌の由来です。
楚歌、楚歌って楚の国の歌って意味なんや。
楚は項羽の故郷であり、強い思い入れのある土地でした。首都を落とされたうえ、周囲を囲む大軍が楚の歌を歌う。項羽は自分の国の人間に殺されようとしていると感じ、ここで初めて泣いたと語られます。
そして項羽は歌を詠みます。深井さんは、力は山を抜き気は世を覆う勢いがあったが、事態は思うようにならず、愛馬の騅も前に進まない、という内容だと紹介します。
「時利あらず」という表現から、深井さんは、項羽が敗因を自分ではなく運の悪さに求めていると読み解きます。初めての失敗で、状況の構造を理解しきれていなかったのかもしれないと語られます。
悲劇の英雄として司馬遷は描こうとしたんでしょうね。
心が折れた項羽と、システムの差という敗因
深井さんが注目するのは、歌のあとの項羽の心の折れ方です。かつては3倍、10倍の兵とも戦って勝ってきた項羽が、10万を率いて韓信に負けた後、今までとは違う崩れ方を見せます。
彼をずっと支えてきた自尊心が人生で初めて折れたかもしれない。
腹心が死に、自ら前に出ても韓信に勝てず、補給路を断たれ故郷を奪われた。自尊心で支えていたものが一気に降りかかり、自分にはカリスマ性も戦争以外の力もないのかもしれないと感じたのではないか、と深井さんは推し量ります。
もう一つの敗因として、社会システムの差が挙げられます。漢は秦由来の新システムを採用し、楚は旧システムのままでした。この差が経済力、動員力、ガバナンス力に表れたと語られます。
旧システムのまま。戦闘は極めて強いが、ブレーンを重用せず、評価軸が戦争一つに偏っていた
秦の新システムをメタ認知して早期に採用。現状理解力と人を登用する力で、実力ある人材を集めた
深井さんは、項羽が陳平や韓信を取り逃したのは、彼の評価軸が戦争に偏っていたためだと指摘します。強すぎて一度も負けなかったことが、失敗から学び成長する機会を奪ったとも語られます。
彼が自分の失敗とか挫折から反省して成長していく時間的な余裕を与えられなかった時代に生まれてたっていうのが、彼の不運ですよね。
八百騎で包囲を突破、烏江の渡し場での決断
項羽の最期が語られます。10万の兵がいながら、項羽は精兵800人だけを率いて夜半に包囲を突破し、馬で逃げていきました。深井さんは、残りの兵を置いて少数で出るこの決断も項羽らしいと語ります。
劉邦軍は騎兵を出して追撃し、項羽の首に莫大な懸賞金をかけます。淮水を渡る頃には100人ほど、東城に着く頃にはわずか8騎になっていました。
項羽は「これは天が自分を滅ぼそうとしているのだ」と口にします。番組では、樊噲からすればそれはお前のミスだと言われる場面だと補足されます。
烏江の渡し場に着くと、船の管理人が「急いで渡りなさい、この先の江東で数十万を集めて王になれる」と再起を勧めます。しかし項羽は丁重に断りました。
なぜ項羽は再起を勧める船を断ったのか
かつて江東から8000人の若者を率いて挙兵したのに、その全員を死なせてしまった。どの面下げて彼らの父兄に会えるだろうか、というのが理由でした。深井さんは、劉邦なら「ラッキー、まだ集められる」と迷わず逃げただろうと対比します。
人からかわいそうって思われるぐらいだったら、もう死んだ方がいいやって思うっていう見方もできますよね。
自ら首をはねた最期、奪い合われた遺体
項羽は愛馬の騅を、声をかけてくれた渡し守に譲ります。この馬に乗って5年、向かうところ敵なしだった名馬を殺すに忍びない、という理由でした。
馬を降りた項羽は剣を持って漢軍に挑み、一人で数百の兵を討ちます。楊さんは、もはや勝利のためではなく、自分の気持ちを解き放つための戦いだったと本の記述を紹介します。
全身に十数か所の傷を負い、死を悟った項羽は、漢軍の中に昔なじみの呂馬童を見つけます。項羽は、自分の首に千金と万戸の領地の懸賞がかかっているなら、お前にそれを恵んでやろうと言い、自ら首をはねて死にました。享年30歳ほどでした。
これ武士らしく死にたいっていうところでしょうね。
項羽の首には莫大な懸賞金がかかっていたため、周囲の兵が群がり、遺体を奪い合って殺し合いになります。数十人の死者が出た末に、遺体を得た5人の兵士は大出世したと伝えられます。
社会はすでに軍功社会になってるから、平民でも軍功さえ立てられれば特権階級になれる道が開けるんですよ。
項羽の一族を劉姓に、ハイブリッドな新帝国へ
項羽の死に接した劉邦は、ひどく悲しんだと書かれていますが、これも学者の間ではパフォーマンスとされていると語られます。
劉邦は項羽の一族を殺さず、全員を自分の劉姓に変えて取り入れました。項羽の親族にも土地を与えたと伝えられます。
この後、漢は郡国制という制度を敷きます。もともとの漢の土地は秦由来の官僚制、韓信らに与えた土地は王を置く封建制という、両者を組み合わせたハイブリッドの体制でした。
うわぁなんか死に際、そんなメンツ大事にしやがってみたいな評価の人もいるだろうけど、僕は結構わかる感じですね。
次回以降は、新しい帝国をどう作っていくのか、そして劉邦がその後どうなっていくのかが語られる予定です。
このシリーズの次のエピソードはこちら
まとめ
最強を誇った項羽は、休戦協定の裏切り、垓下での包囲、四面楚歌を経て烏江で自らの命を絶ちました。この回は、その最期を追いながら、戦闘の強さだけでは覆せなかった敗因を浮き彫りにします。
- 項羽は父を人質に劉邦を脅すが、劉邦は「スープを分けろ」と動じず、罪状10個を挙げて応じなかった
- 劉邦は張良・陳平の進言で自ら結んだ休戦協定を破り、韓信・彭越に領土を約束して参戦させた
- 垓下では10万対30万、しかも30万は項羽以上と評される知将・韓信の軍で、形勢は完全に逆転した
- 四面楚歌で心が折れた項羽は、戦争に偏った評価軸でブレーンを活かせず、システムと登用力で劉邦に敗れた
- 烏江で再起を断った項羽は自ら首をはね、劉邦は一族を劉姓に取り込み、官僚制と封建制のハイブリッド帝国を築いた







