メアリー1世はなぜ結婚を急いだのか
イングランド女王に即位したメアリー1世には、早く結婚してほしいという声が強く上がっていました。世継ぎを残すためと、夫に政治を補佐してもらうためで、深井さんによれば、女性君主には夫の補佐が必要だというのが当時の常識だったといいます。
メアリー1世自身にも結婚を急ぐ理由がありました。プロテスタントで、感情的にも嫌っていた異母妹エリザベスに、王位を渡したくなかったのです。
メアリー1世は、メンターのような存在だった神聖ローマ皇帝カール5世 ── ハプスブルク家の君主。神聖ローマ皇帝とスペイン王を兼ね、ヨーロッパの広大な領域を支配しました。宗教改革の時代にルターとも対峙した人物ですに助言を求めます。返ってきた答えは「それなら自分の息子と結婚してはどうか」というもので、その息子がフェリペ2世でした。
カール5世はフランス王フランソワ1世と戦い、劣勢に立たされていました。イングランドを味方に引き込めるこの縁談は、カール5世にとって願ったり叶ったりの話だったといいます。
当時のフェリペ2世は26歳、メアリー1世は37歳で、11歳差の結婚になります。メアリー1世はすぐには返事をせず、「考えさせてほしい」と答えました。
メアリー1世の不安は複数ありました。外国人との結婚への拒否反応、スペイン人の母キャサリン・オブ・アラゴンを持つ自分がスペインを統治するフェリペと結べばスペイン色がさらに強まること、そしてヘンリー8世晩年の外交の軋轢でイングランド国民がスペインを嫌っていたことです。
さらにメアリー1世は、若い頃の多大なストレスから月経不順などの婦人病を抱えていたとされます。高齢での初産になることも、メアリー1世にとっては怖いことでした。
そんな中で、フェリペ2世の肖像画が届きます。肖像画のフェリペ2世はイケメンで、心を奪われたことが結婚の後押しになった、と書かれた資料があるそうです。
本当かどうかはわかりません。本当にそんな単純な人だったのかどうかはわかりませんけど、そういう風に書かれてたです。
楊さんは別の要因として、メアリー1世の家庭教師ファン・ルイス・ヴィーヴェスの影響を挙げます。ヴィーヴェスはキリスト教界で女性教育について発言力のあった人物で、夫の国の繁栄に尽くす良妻賢母であることや、結婚こそ女性の一生で最も大事なことだと説いていました。
(メアリー1世には)結婚しない選択肢とか、結婚を迷う選択肢っていうのは多分あんまなかったんじゃないかなと思います。
「称号だけの王」をフェリペが受け入れた理由
フェリペ2世の側にとっても、イングランド女王との結婚は政治的に大きなメリットがありました。メアリー1世もまんざらではなくなり、縁談は進んでいきます。
ただし、国同士の交渉である結婚契約の内容は、フェリペ2世に厳しいものでした。フェリペ2世にはイングランド王の称号は与えられるものの実権はなく、国務に口を出せず、官職や聖職禄の任命権も持たず、イングランドではメアリー1世のほうが上とされたのです。
だいぶ不利ですね。
だからフェリペにとってはあまりうまみないんですよ。
それでもフェリペ2世が結婚を選んだ理由について、深井さんは「イングランド王になれること」が大きかったと説明します。一度王になれば、自分の子供がイングランド王になる可能性がとても高いからです。
神聖ローマ帝国もスペインもイングランドもハプスブルク家となれば、対立するフランスのヴァロワ家を周囲から囲めることになります。
結婚
実権はなくてもイングランド王の称号を得る
継承
自分の子供がイングランド王になる可能性が高まる
包囲
神聖ローマ・スペイン・イングランドをハプスブルク家が押さえる
対抗
対立するヴァロワ家のフランスを囲む
楊さんは、人口もGDPも富の量もスペインとは大きく違っていたため、フェリペ2世の側は「一度結婚して中に入ればどうにでもできる」と考えていたかもしれない、と話します。深井さんも、ハプスブルク家はスペイン自体を王女との結婚で獲得しており、同じことをイングランドでも起こせると考えていたと補足しています。
国民の不安とワイアットの乱、高まるエリザベス待望論
一方、イングランド国民にとってこの結婚はめちゃくちゃ嫌なものでした。スペインはカトリックの急先鋒のような国で、せっかくイギリス国教会になってローマ教会の力を弱めたのに、カトリックが完全に復活してしまうと受け止められたのです。
カトリックが戻れば、教会に税を納めなければならず、収入の一部を奪われるかもしれないという恐怖がありました。さらに大国スペインに女王が嫁ぐ形になれば、イングランドが吸収されてなくなってしまうのでは、という怖さもあったといいます。
即位当初は人気のあったメアリー1世ですが、この結婚話で人気は急落します。4か所ほどで反乱の兆しがあり、多くは潰されたものの、トマス・ワイアットに率いられたワイアットの乱 ── 1554年、メアリー1世とフェリペ2世の結婚に反対して起きた反乱。ケント州の貴族トマス・ワイアットが率い、ロンドンに迫りましたが鎮圧されましただけは実際に起きてしまいました。
メアリー1世の人気が落ちる一方で、プロテスタントのエリザベスに期待が寄せられていきます。スペインと結ぼうとするメアリー1世より、エリザベスのほうがいいのでは、という勢力も出てきました。
勝手な期待を寄せられて。
ところがエリザベスにとって、この期待はめちゃくちゃなストレスでした。エリザベスはストレス性の腎炎にかかり、頭と腕のひどい痛みで身動きが取れないほどの不調に悩まされていたそうです。
ロンドン塔で死を覚悟したエリザベス
ワイアットの乱が起きると、メアリー1世はエリザベスをロンドンに召喚しようとします。エリザベスが体調不良で行けないと答えると、今度は反乱軍に加担しているのではないかと疑われてしまいました。
どうしても無理やん。どうやっても無理やんもう。
メアリー1世はロンドンでの演説で反乱を鎮圧しますが、エリザベスへの嫌疑だけが残ります。エリザベスとワイアットが接触したという噂も流れ、メアリー1世の側近たちはエリザベスを処刑すべきだと口をそろえました。
楊さんは、潜在的な対抗勢力を早めに潰すというメアリー側の判断は「正しいっちゃ正しい」と話し、深井さんも「どちらが先に殺されるかわからない状態だった」と補足します。
エリザベスは本当に体調不良だったため、10日間ほどかけて55キロほどを移動してロンドンへ向かいます。到着後、メアリー1世に面会を求めても、3週間ほど何の沙汰もないまま過ごさせられ、厳しい取り調べも受けました。
エリザベスはメアリー1世に手紙を書き、疑いがあるなら直接話してほしい、反乱など誓って起こそうとしていないと訴えます。しかしメアリー1世は関与を決めつけており、手紙を読んで逆にキレてしまったといいます。
9日間だけ女王だったジェーン・グレイ ── メアリー1世の前に擁立され、わずか9日間で廃位されたイングランド女王。その後、反逆罪で処刑されましたの処刑から、まだ5週間しか経っていない時期のことです。ロンドン塔に収監されたエリザベスの従者たちは先に泣き出しましたが、エリザベス自身は弱音を吐くなと言い、覚悟を決めていたようです。
さらに、捕らえられたワイアットが拷問の末、エリザベスが陰謀に加わったと証言してしまいます。しかしワイアットは処刑台の上で、あれは拷問で言わされた嘘だったと撤回しました。
嫌疑
召喚に応じられず、反乱への加担を疑われる
収監
ロンドン塔に収監され、取り調べを受ける
自白
拷問されたワイアットがエリザベスの関与を証言
撤回
ワイアットが処刑台で証言は嘘だったと語る
解放
収監の法的理由がなくなり、2ヶ月後に釈放
ただ、解放後のエリザベスも廃屋同然の邸宅に移されるなど、立場のない状態が続きます。事件の10ヶ月後ほど、メアリー1世が妊娠したと思い込んで機嫌のいい時期にようやく面会できましたが、潔白を訴えても「まだ嘘をつくのか」と言われ、監視は続きました。
楊さんは、メアリー1世がこれほど厳しく振る舞った背景に、自身の正当性の問題があったと指摘します。母キャサリン・オブ・アラゴンとヘンリー8世の婚姻はいったん無効にされており、メアリー1世の生まれの正当性には傷がありました。
深井さんの補足によれば、カトリックを復活させれば婚姻の無効が無効になり、自分は王位継承権を間違いなく持っていると主張できるようになります。カトリックの復活は、メアリー1世の政治生命にとって大事なものだったのです。
フェリペ2世の努力と、幻に終わった妊娠
肖像画どおり、フェリペ2世は実物もイケメンでした。深井さんによれば、王者の威厳と気品を持ち、優しく、愛想がよく、清潔でセンスのいい服を着ていて、単純にモテる人だったそうです。
よかった。ちゃんとほんと加工してなかったんですね。
一方でフェリペ2世の側は、メアリー1世との結婚をかなり残念に思っていたようです。側近の記録には、メアリー1世は年より老けて見え、華がなく、全く魅力を覚えないとまで書かれていました。
側近は、この結婚の目的をよく理解するフェリペ2世の振る舞いを「並大抵の人間にはできない努力」と記しています。それでもフェリペ2世は本心を悟られないよう細心の注意を払い、メアリー1世をよく立てたため、メアリー1世からとても好かれていたと記録に残っています。
ビジュアルについての記述が異常に細かく残っていることについて、楊さんは印刷術が広まり、王室もゴシップの餌食になった時代だったからではないかと話します。
やがてメアリー1世に妊娠の兆候が現れます。医者も間違いないと判断し、カール5世も祝福し、人気が落ちていた中でも国民は喜びました。
多分この時がメアリー一世が人生で一番幸せだった時だと思う。
しかし予定日を過ぎても子供は生まれず、実際には妊娠していませんでした。お腹が膨らみ、月経が止まり、乳も出る状態でしたが、この時点で子宮癌だったのではないか、それに伴うホルモンの異常ではないか、という説もあるそうです。
異端取締法と「ブラッディメアリー」
メアリー1世はカトリックの復活を進めます。ヘンリー8世は国王至上令 ── 1534年にヘンリー8世が定めた法。国王をイングランド国教会の唯一の最高首長とし、ローマ教皇の権威から離脱しましたによって国王を宗教のトップに据えていましたが、メアリー1世はこれをカトリックに戻そうとしました。
最大の争点は、もともと修道院や教会が持っていた土地でした。すでにジェントリ ── 貴族の下に位置する地主層。修道院解散で放出された土地を買い取り、地域の実力者として力をつけていましたと呼ばれる実力者たちに移っており、これを戻すと本当に反乱が起きかねないため、土地は戻さないことにします。
その一方で、メアリー1世は異端取締法を制定し、異端者を火あぶりにしました。300人ぐらいがこれで殺されたといいます。
異端かどうかを判断する基準として、深井さんは次のような点を挙げています。
- 教皇を教会の長と認めるか
- 英語の聖書を読んでいないか
- ミサの作法がカトリックのものか
当時の聖書はラテン語でなければならず、訳すのはもってのほかでした。基準に合わなかった人は、必ずしも処刑ではないものの弾圧され、プロテスタントはここで激しく迫害されます。
300人もの人々を殺したことで、メアリー1世は「ブラッディメアリー(血のメアリー)」と呼ばれるようになりました。今ではカクテルの名前にもなっています。
深井さんは、離婚のために行われた父の宗教改革をなかったことにしたいという心情もあったのでは、とあくまで想像として語ります。有名な人物まで処刑したことで、メアリー1世は決定的に嫌われ、今でもイギリスで人気がないそうです。
楊さんによれば、当時のイングランドでも有力な貴族にはカトリックが残り、共存していた部分もありました。ただ大多数はプロテスタントが勢力を強めていたため、弾圧への跳ね返りが大きかったといいます。
フランス出兵の大敗とカレーの喪失
フェリペ2世がイングランドを味方に入れた理由の一つは、ヴァロワ家のフランスに対抗するためでした。そこでフェリペ2世は、イングランドとスペインで一緒にフランスを攻めようと持ちかけます。
その前年、カール5世は国内をまとめきれずに引退し、神聖ローマ帝国を弟フェルディナンドに、スペインを息子フェリペ2世に任せていました。つまりこの時点で、フェリペ2世はスペイン王になっていました。
イングランド国内では強い反対がありましたが、メアリー1世はフェリペ2世に説得されて出兵を決めます。
説得
スペイン王フェリペ2世が共同出兵を求める
出兵
反対を押し切り、メアリー1世が出兵を決める
大敗
イングランドはこの戦いで大惨敗する
喪失
大陸に唯一残っていた領土カレーを失う
カレーを失ったことで、イングランドは大陸への足がかりを完全に失いました。この敗北も重なり、メアリー1世の人気はさらに落ちていきます。
メアリー1世の死と、エリザベスに渡されたバトン
その後もう一度、妊娠したと思ったら違ったという悲しい出来事を経て、即位から5年目にメアリー1世は急に重体に陥ります。卵巣癌と言われ、骨髄炎も併発していたといいます。
死を意識したメアリー1世は、エリザベスを次の王位継承者として承認します。樋口さんの「最後許す」という受け止めに対し、楊さんと深井さんは、仕方なくという感じではないかと話します。
仕方ない、要はエリザベス以外の人たちがもっとやばいから。
メアリー1世はかつて、エリザベスはヘンリー8世の子ではなくアン・ブーリンが愛人と作った子だとまで言っていました。それでも、おそらくテューダー朝の血を継ぐエリザベスに継承させたほうがましだと判断したのです。
ただし条件として、メアリー1世はカトリックの信仰を守ることと、借金を払うことをエリザベスに約束させました。出兵によってイングランドは膨大な借金を抱え、ローマ教会の土地を売り払っても足りないほどお金がなかったといいます。
メアリー1世は42歳で亡くなります。エリザベスは大人しくしながら、この時をずっと待ちわびていました。
楊さんは、エリザベスが受け取ったイングランドはボロボロの状況だったと指摘します。その状況がどれだけ厳しかったかは、次回語られる予定です。
楊さんはまた、エリザベスがメアリー1世たちの失敗や失政を間近で見てきたことに注目します。
弟も姉も亡くなり、姉とは仲たがいして責められ、自身もストレス性の病気で死にそうになる。周囲の失敗から学んだエリザベスが、いよいよ女王として歩み始めます。
まとめ
メアリー1世は世継ぎと政治の補佐を求めてフェリペ2世と結婚しましたが、カトリック復活への不安、プロテスタント弾圧、フランス出兵の大敗が重なり、人気を失っていきました。病に倒れたメアリー1世は、ボロボロのイングランドを、条件付きでエリザベスに託すことになります。
- フェリペ2世は実権のない契約でも、イングランド王の称号と子による継承、ヴァロワ家包囲を狙って結婚した
- ワイアットの乱でエリザベスは関与を疑われてロンドン塔に収監され、死を覚悟したが、証言の撤回で解放された
- カトリックの復活はメアリー1世にとって、自身の生まれの正当性を取り戻す意味も持っていた
- 異端取締法で300人ほどを処刑したことで、メアリー1世は「ブラッディメアリー」と呼ばれた
- フランス出兵でカレーを失い、借金を抱えたイングランドを、エリザベスは姉の失敗から学びつつ受け継いだ





