気性が激しいのに冷静、エリザベス1世の素顔は演技だった?
イングランドではメアリー1世の人気がなかったため、エリザベスの即位は国民に歓迎されます。プロテスタントであったことも、歓迎された理由の一つとされています。
即位したエリザベスの性格について、残っている記録では「気性が激しく奔放だった」と言われています。家臣や廷臣にもしばしば感情を爆発させ、スリッパを投げたり平手打ちをしたりしたという話も残っています。
ヒステリックだったって言われてる。
一方で、エリザベスは忍耐強い人物だったとも記録されています。ただし、女王の権威をないがしろにする臣下の態度には容赦がなかったといいます。深井さんは、この点にこそエリザベスの性格を読み解く鍵があると考えています。
要は絶対君主にならなければ近代化に遅れるという時代の中で、家臣になめられてはいけなかったわけですよね、女王として。なので平手打ちしてんじゃないかなというふうに思います。
当時のイングランドでは、女性が君主になること自体は一応認められていました。しかし宗教的には勧められたものではなく、「女性が国を統治するのは神が定めた秩序の破壊だ」「女性が一人で王権を担うのは不可能だ」という考え方が根底にあったと深井さんは説明します。
ただし、女性君主を擁護する論理もわずかに存在しました。宗教改革で登場したカルヴァン ── 16世紀の宗教改革者ジャン・カルヴァン。ジュネーヴを拠点に活動し、カルヴァン派と呼ばれるプロテスタントの一派の源流となりましたは、女性君主は基本的にはダメだとしつつ、類まれな才能を持つ女性が神の意志によって君主になる例外はあると考えていたそうです。
選ばれし者、アナキンスカイウォーカー的な出方で女性君主が現れるっていうことはあるっていう風にカルヴァンも言ってるみたいで。
深井さんによれば、エリザベスはここぞという場面ではとても冷静に判断する理性的な人物でした。感情に振り回されているわけではないことから、深井さんは気性の激しさを「演技」だったのではないかと見ています。
感情の起伏が大きく、家臣にスリッパを投げたり平手打ちをしたりしたと伝わる
忍耐強く、ここぞという場面では理性的に判断した。深井さんは激しさを演技と見る
エリザベスは容姿の美しい若者を好み、見栄えのよくない者を王室で働かせなかったともいわれます。誰もが認めるイケメンが、前歯が1本欠けているだけで雇われなかったという話も残っています。
深井さんは、エリザベスにとって周囲の人々は「自分の舞台に立つ役者」のような存在だったのかもしれないと考えます。美へのこだわりも、政治家としての振る舞いの一部だったという見方です。
中道の枢密院と空っぽの金庫。悪貨とインフレはなぜ起きた?
即位したエリザベスは、枢密院 ── イングランド国王の諮問機関で、当時の政治の中枢を担った組織。番組では内閣にあたるものとして紹介されていますを新しく組み直します。その際に最も気を使ったのが宗教問題でした。カトリックとプロテスタントの両方を入れつつ、どちらかに寄りすぎた人物は外したといいます。
深井さんは、極端を排して中道を行くバランスこそがエリザベスの基本戦略だったと話します。
当時のイングランドは多くの問題を抱えていました。まず、フェリペ2世とメアリー1世が始めたフランスとの戦争がまだ終わっていませんでした。さらにスコットランドのメアリー・スチュアート女王はフランスの王太子と結婚しており、フランスとスコットランドは手を結んでいる状態でした。
メアリー・スチュアートは、エリザベスの即位に異議を唱え、自分にもイングランドの王位継承権があると主張します。王家の血縁が複雑につながっているため、こうした主張は珍しくなかったそうです。
めんどくさそう。
フランスとスコットランドの両方と戦うために莫大な戦費がかかり、イングランドの国庫は空っぽの状態でした。貴族でさえ貧しかった時代だと言われています。
もう一つの問題は、貨幣の質が落ちて信用が下がり、インフレが起きていたことです。16世紀のヨーロッパでは、スペインが新大陸から大量の金銀を持ち込んだことなどから物価が大きく上がっていました。
これ(貨幣の質の悪化)、お父さんのせいだよね。
深井さんによれば、エリザベスの父ヘンリー8世の時代から、テューダー朝はヨーロッパ大陸の戦争に積極的に介入していました。戦費をまかなうために修道院を解散させて財産を接収しましたが、それでも足りず、手持ちの金銀以上にコインを鋳造したのです。
当時は王権がまだ弱く、貨幣の価値はそこに含まれる金や銀の量で担保されていました。質の悪い貨幣を大量に作れば、貨幣の信用は落ちていきます。楊さんは、大陸の商人たちがポンドを信用せず、取引に使わなくなっていったと補足します。
戦争への介入
ヘンリー8世以降、大陸の戦争に積極的に介入し戦費が膨らむ
修道院の接収
修道院を解散させて財産を接収するが、それでも足りない
貨幣の乱造
金銀の量以上にコインを作り、貨幣の質が落ちる
信用の低下
大陸の商人がポンドを信用せず、価値が暴落する
ポンドの価値が暴落したことで、海外のものを買いにくくなり、国民生活に深刻な影響が出ました。一方でメリットもあり、イングランドの毛織物の輸出が急増します。深井さんは、これが約100年後の産業革命へつながる布石になったと話します。
ただし楊さんによれば、輸出された毛織物は完成品ではなく半完成品だったようです。最も付加価値が乗る仕上げの工程は、アムステルダムなど大陸のファッションの中心地が握っていたといいます。
カトリックにもプロテスタントにも寄れない国教問題
財政難と並ぶもう一つの大問題が、国教をカトリックにするかイギリス国教会にするかという問題でした。エリザベスはローマ教皇と断絶したいと考えていました。ローマ教皇とつながっていると教皇にお金を払わなければならず、その余裕がまったくなかったからです。
しかしイングランドはフランスと戦争中で、スペインとは仲良くしておく必要がありました。そのスペインはカトリックの国です。国教会の路線を突き進めすぎると、スペインとの関係が悪くなってしまいます。
ローマ教皇とつながっていると教皇にお金を払う必要があり、財政的に余裕がない
フランスと戦争中のため、カトリック国スペインを敵に回すわけにはいかない
カトリックに行ってもいけない。だけれども、カトリックを刺激しすぎてもいけない。
エリザベスは、ヘンリー8世の時代に出され、メアリー1世のもとで廃止されていた国王至上法 ── イングランド国内の教会のトップを国王と定めた法律。ヘンリー8世の時代に制定され、ローマ教皇からの独立の根拠となりましたを復活させます。ただし、国王の位置づけは「最高の首長」から「最高の統治者」という言い方に変えられました。
深井さんによれば、この言い換えは国王があくまで世俗の権力者であることを強調するものでした。聖職者を刺激しないための工夫だったといいます。
あなたたちのそういう権威を侵すつもりはないですよというアピールでもある。
深井さんは、エリザベスが女性だったことも理由に挙げます。当時は、女性が宗教のトップに座ることがとりわけ嫌われていたからです。
さらにエリザベスは礼拝統一法を作り、カトリックとプロテスタントで異なる礼拝の作法について、どちらにも寄らない折衷案を定めました。礼拝は間を取りつつ、ローマ教会とは断絶するという状態を作り出したのです。
ところが、この折衷にプロテスタントの急進派は満足しませんでした。聖書に書かれていない儀式をやめるべきだと考える純粋な人々が、のちにピューリタンと呼ばれるようになります。深井さんは、国内で居場所を失ったピューリタンがアメリカ大陸に渡り、アメリカができていくと話します。
「女に務まるのか」という逆風をどう封じたか
エリザベスが向き合ったもう一つの問題は、女性蔑視でした。深井さんによれば、この時代の女性蔑視は今とは比べものにならないほどひどいものでした。女性君主を任命したのは神だという拠り所はあっても、多くの人が「女に務まらないのでは」という懸念を抱いていました。
楊さんは、エリザベスには出自をめぐって王位継承の正当性を突かれる材料もあったと指摘します。そのため即位直後のエリザベスは、女性君主へのバッシングを封じ、自分が正当な君主だと示す理論武装を最優先で進める必要がありました。
エリザベスは、君主の座を用意したのは神であり、女性だからといって君主の意向が軽くなることはないと述べています。自分を選んでくれた神への感謝も口にしました。楊さんは、カルヴァンの説を引用したのかもしれないと推測します。
深井さんは、こうした発言は「神が選んだのだから言うことを聞いてほしい」というアピールでもあったと見ています。
幼少期にはストレスで胃を壊していたというエリザベスですが、女王になると非常に自信に満ちていたそうです。深井さんによれば、エリザベスは人を嫌な気持ちにさせず、モチベーションを保たせながら指示を出すのがとても上手でした。その命令の巧みさは、天才的、芸術的なレベルと評価されているといいます。
リーダーとなるべき人だったかもしれない。リーダー体質の人いるじゃないですか。そういう人だったと思いますよ。
フェリペ2世が最も恐れたシナリオとは
スペインのフェリペ2世は、妻のメアリー1世が亡くなったことで、イングランドとの結びつきを失いました。フェリペ2世が最も困るのは、スコットランド女王メアリー・スチュアートがイングランドの君主になることでした。
メアリー・スチュアートはフランスの王太子と夫婦でした。深井さんの説明によれば、もしメアリー・スチュアートがイングランドの女王になれば、フランス、スコットランド、イングランドがすべてヴァロア家 ── 14世紀から16世紀にかけてフランス王位を継承した王家。ハプスブルク家と並ぶヨーロッパの有力王家でしたの影響下に入ってしまいます。
スコットランドとフランスの結びつき
メアリー・スチュアートはフランス王太子と結婚していた
イングランド王位の主張
メアリー・スチュアートがイングランドの王位継承権を主張する
巨大勢力の出現
3国がヴァロア家のもとにまとまり、ヨーロッパの均衡が崩れる
しかもイングランドは、フランスとの戦いで大敗してカレーを失っていました。ハプスブルク家のスペイン王であるフェリペ2世にとって、この事態はなんとしても防ぎたいものでした。
ところが、フェリペ2世はメアリー1世をけしかけてフランスと戦わせ、敗れてしまったため、イングランドでの威信は地に落ちていました。そこでフェリペ2世はエリザベスに近づいていきます。
フェリペ2世は、かつてメアリー1世がエリザベスをロンドン塔に収監したときに口添えして助けたことがありました。その経験から、エリザベスは簡単に懐柔できると考えていたと深井さんは話します。
そしたらエリザベス強くて全然言うこと聞かないんですよ。
求婚から始まった「結婚しない」宣言
フェリペ2世は、エリザベスの即位から4日後に求婚します。当時ヨーロッパの頂点にあったスペインの国王であり、メアリー1世を夢中にさせた自分なら、エリザベスも断らないと思っていたようです。
ところがエリザベスは、最初の議会が招集されて早々に、誰とも結婚しないと宣言します。当時のエリザベスは25歳で、財政が苦しいとはいえイングランドは一つの国なので、花婿候補はたくさんいました。
周囲の誰もが、女性君主には男性の補佐が必要だと当然のように考えていました。しかしエリザベスは、メアリー1世がフェリペ2世にフランスとの戦争をけしかけられ、国民の人気を失っていくのを見ていたと深井さんは指摘します。
これそうだよね。これ(結婚しないこと)もうリスクを排除してるってことだもんね。
エリザベスはその後も家臣から次々と結婚相手を勧められますが、すべてはねのけます。このときエリザベスは、自分はすでにイギリスと結婚しており、国民すべてが自分の子どもであり親族だと語っています。
さらにエリザベスは、後継者の心配はいらない、神は自分の胎から生まれた子よりもこの国のためになる後継者を授けてくださるだろう、とも述べました。深井さんは、この発言を当時の常識から大きく外れたものだと説明します。
この発言は創作だという説もあるそうです。ただ深井さんは、もし本当に言ったのであれば、ルネサンスの人文学を学び、キリスト教以前の社会を知っていたからこそ出てきた言葉だと見ています。
周囲は、本当に結婚しないとは思わず、口だけだろうと受け止めていました。しかしエリザベスは、最後まで結婚せずに生涯を終えます。
デボラのブランディングと「決断しない強さ」
当時、男性の君主には「戦争に強い」というブランドがつきものでした。女性君主のエリザベスは、強さを打ち出しにくい立場にありました。
そこでエリザベスは、旧約聖書に登場する女性の預言者デボラと自分を重ね合わせるブランディングを進めます。楊さんによれば、知識人、詩人、画家、劇作家などを通じてこのイメージを発信する一方、自分を批判する文章には徹底的に検閲をかけていきました。
ロジックを作って、メディアを使ってブランドを作って、自分のセルフブランディングをかけていくんですよね。
フェリペ2世からの求婚に対しても、エリザベスは慎重でした。スペイン大使はエリザベスが喜ぶと思っていましたが、エリザベスは喜ぶそぶりを見せず「考えさせてほしい」と答えます。
エリザベスが即答しなかったのは、スペインを邪険にできなかったからです。スペインは、イングランドにとって最大の交易相手であるネーデルラントを支配していました。求婚を断れば、その交易収入を断たれるおそれがありました。
宗教問題と経済問題の狭間で、エリザベスは体調を崩すほど悩みます。それでも最終的には、結婚しないという道を選びました。
なるほど。どこを選んでも誰かが敵になるんですね。
エピソードの最後に3人は、即位直後のエリザベスの統治を振り返ります。楊さんはそれを「決断しない強さ」と表現しました。
ただし深井さんは、エリザベスは最後にはきちんと決断していると補足します。楊さんは、針の穴に糸を通すような可能性を見つけて決断していったと語り、エリザベスの手法はどちらか一方に振り切らないバランス系だとまとめられます。
でも多分この時はそれ(バランスを取ること)がもしかしたら最良だったってことですよね。
まとめ
即位したエリザベス1世は、財政難、インフレ、国教問題、女性蔑視、そしてフェリペ2世からの求婚という難題に同時に直面しました。エリザベスはどれか一方に振り切らず、演技や言葉の工夫、ブランディングを使い分けながら、慎重にバランスを取って国を治めようとしたと語られています。
- 激しい気性は、家臣になめられないための演技だった可能性があると深井さんは見ている
- 枢密院の人選や国王至上法、礼拝統一法で、カトリックとプロテスタントの中道を探った
- 父ヘンリー8世の戦費と貨幣乱造でポンドの信用が落ち、毛織物の輸出が伸びるという副作用も生まれた
- 「イギリスと結婚した」と宣言し、メアリー1世の失敗を教訓に結婚によるリスクを排除した
- デボラと自分を重ねるブランディングと検閲で、女性君主への逆風に対抗した




