最澄が死ぬまで願い続けた「大乗戒壇」とは?
最澄と空海シリーズの最終回は、冬の時代を迎えていた最澄のその後から始まります。ひたむきに耐える最澄を評価する人が、朝廷の中に少しずつ現れてきました。
深井さんによると、藤原冬嗣や、桓武天皇の子どもにあたる吉峰安世らが最澄を評価するようになり、朝廷での最澄の地位は再び上がっていきます。嵯峨天皇は空海を盛り立てていましたが、最澄にも支える人々が出てきたといいます。
その最澄には大きな念願がありました。最澄の天台宗は弟子を僧として認める段階までは許されていましたが、最終的には東大寺で授戒 ── 仏教の戒律を正式に授ける儀式。日本では受戒を経て初めて正式な僧と認められ、その場所を戒壇と呼びますを受けなければなりませんでした。
戒律を授けるっていうのが最終認定試験。
ところが東大寺は都市仏教の側で、最澄と対立していました。そのため最澄が送った弟子に戒律を授けず、天台宗は僧を一人前にできない状態が続きます。楊さんは、弟子が他の宗派に移ることもあったようだと補足しています。
最澄の悲願は、本物の大乗仏教の戒律を授ける権利と場所を比叡山に持つことでした。それが実現して初めて、天台宗は独立した勢力となり、衆生を救う活動に直接取り組めると考えていたのです。
ただ、旧仏教勢力にとって、最澄への権利付与は既得権益を削られることを意味します。嵯峨天皇は、桓武天皇以来の最澄を大切にする流れも、旧勢力も無視できず、板挟みになりました。
最澄の大乗戒壇設立の働きかけは、どのように実を結んだのでしょうか。流れを整理すると次のようになります。
冬の時代
藤原冬嗣らが最澄を評価し、朝廷での地位が少しずつ上がる
東大寺の壁
弟子の授戒を東大寺が拒み、天台宗は僧を出せない
請願と板挟み
最澄は天皇に戒壇設立を願い続けるが、旧勢力の反対で実現しない
死後の許可
最澄の死から○週間後に一向大乗戒壇の設立が許可される
(最澄は)ほんと死ぬまでこれをずっと言い続けるんですよ。で、言い続けて死んじゃうんですよね。
深井さんは、亡くなったから許可が出たのか、本当にギリギリ間に合わなかったのかはわからないとしたうえで、朝廷の世論を変えた点で「結局彼はやり遂げた」と評価します。こうして比叡山延暦寺はある意味で完成し、出演者たちが以前訪れた改装中の一向大乗戒壇も、この最澄の人生の結晶だといいます。
うわぁ、おめでとう。いや、ほんとおめでとうっすわこれ。
その後、最澄の弟子の円仁や円珍は再び唐に渡って密教を学びました。最澄が密教不足に苦しんだことや、国家仏教として密教が求められていることを知っていたからです。比叡山は天台に加えて密教も強化し、真言宗と並ぶ日本密教の拠点になっていきます。
深井さんは当時の密教を、今でいう最新のミサイル防衛のような技術力にたとえます。権力者のニーズに応える技術を持たなければ、独立性を保てないという見方です。
空海が高野山を選んだ理由に「水銀」があった?
一方の空海は、晩年もどんどん成功を重ねていきます。真言密教の本格的な拠点づくりを朝廷に願い出て認められ、修行に最適な山として高野山を選びました。
高野山は都から遠いものの、害虫が少なく、瞑想しやすく、人里離れているといった条件がそろっていました。さらに選定の根拠の一つとして、水銀が採れることがあったといわれています。
水銀ってすごく仏教にとってすごい重要な資材で、メッキ、金メッキに絶対必要なんです。
深井さんは、水銀の鉱脈には経済的な価値もあると指摘します。山を開くには人夫が必要で、資金集めに空海もかなり苦労したといいますが、その点も戦略的に進めていたようです。
お金がないと人が動かせないから。
空海は高野山とは別に、都の東寺に密教の拠点を置くことも許されました。奈良の南都仏教がまだ都に寺を構えられていない中で、東寺を任されたことは、空海が新しい時代に認められた僧であり、密教が国家仏教として認められたことを名実ともに示したと深井さんは語ります。
著作、文書指導、土木工事。空海のマルチな才能と最期
空海は即身成仏や言語学に関する著作を数多く書き、宮中では文章のうまさを生かして役人に文書指導もしました。仏教が総合学問だったこともあり、土木 ── 道路や堤防、ため池などの施設をつくる技術や工事のこと。古代の僧は大陸の先進技術をもたらす担い手でもありました工事の監督として派遣されることもありました。
工事監督とかもその故郷の香川に行って、その池の修築の土木工事して、それがめちゃくちゃすごくて、みんなめちゃくちゃビビったみたいな。
ただの天才ですね、本当に。
若い頃にエリート官僚養成の大学に嫌気がさして辞めた空海は、真言密教を極めるための学校もつくります。そして死期を悟った空海は、座禅を組んで水以外を断ち、そのまま衰弱して亡くなったと伝えられています。
えっ?そんな感じで死ぬんですか?
ただし真言宗の中では、空海は今も生きているとされています。高野山の奥の院では、毎朝6時と10時半の2回、空海のもとへ食事が運ばれるそうです。
樋口さんは、仏になれば過去から未来まで永遠に生き続ける存在になるという考え方に基づいているのかもしれないと話しますが、詳しくは調べられていないと断っています。深井さんは、晩年はもっと詳しく話せるものの、全部話すと15話ほどになるため簡単にまとめたと説明しています。
シリーズを終えて見えた、2人の人間ドラマと仏教の難しさ
本編を終えた振り返りで、樋口さんの心に最も残ったのは、最澄と空海のキャラクターと立ち位置の違いでした。
天才で、自由にスルスルと自分の夢を叶えていく
大乗仏教的にみんなを救う発想で、冬の時代も一歩一歩着実に進む
同じ時代に生き、交わり、やがて絶交した2人の関係を、樋口さんは「人間ドラマ」だと表現します。
深井さんがまず挙げたのは、自分は仏教をまったく理解できていなかったという実感でした。仏教は座学では勉強しきれず、理解がとても難しいと感じたといいます。
葬式と法事の時だけに、マジでわけわかんないお経書いてあって、そのお経読んでもなんか大したこと書いてねえなって正直思ってた。
深井さんの仏教への見方は、シリーズを通して大きく変わりました。
仏教はただの葬式仏教で、お経にも大したことは書いていないと思っていた
凄まじい哲学体系があり、本気で追求した人たちがつくったものだと感動した
なめててすいませんでしたって感じですね。
樋口さんによれば、今回は深井さんの事前準備がこれまでで一番つらそうに見えたそうです。深井さんは、アメリカ編やお金の歴史の回は面白さを抽出するのが難しかったのに対し、今回は最初から面白いのに説明が難しかったと振り返ります。
深井さんは、空の思想も華厳経も法華経も般若経も、大乗仏教も結局理解できていないと話します。そのうえで、理解できないことがあると知る謙虚さを改めて感じたといいます。
彼らが本気じゃなかったら、僕の人生(に)つながってないわけだから。
深井さんの家は浄土真宗で、親鸞が生まれたのも最澄が比叡山を開いたからです。1200年ほど前の人々の本気が、今の自分の人生につながっていることが面白かったと語っています。
怨霊を恐れた古代人は本当に「バカ」だったのか?
深井さんがもう一つ挙げたのは、言霊を大切にし、呪力による国家防衛に本気で投資した古代日本の感覚です。中学生や高校生の頃は、怨霊を恐れて陰陽師や祈祷に頼るなんて意味がないと思っていたといいます。
怨霊とか恐れてバカかと。
しかし当時の情報と彼らのロジックを考えると、自分より頭のいい人たちが本気で考えた結果がそこだったとわかり、面白く感じたそうです。樋口さんも、新しいものが正しいとは限らないと応じます。
深井さんは、300年後の人から見れば、現代のコロナ対策も「バッカじゃねえの?」と思われるかもしれないと例えます。その時代ごとにわからないことを本気で考え、生きた人たちの営みが歴史なのだと改めて感じ、謙虚になれたといいます。
話題は唯識論 ── 大乗仏教の思想の一つで、あらゆる存在は心の認識がつくり出したものだと考えます。認識の働きを細かく分析する体系をもっていますにも及びます。深井さんは、認知のプロセスを分解し、自我とそうでないものをどう認識するかを突き詰めた唯識論を、認知心理学や認知脳科学のようだと評します。
樋口さんは、日本では宗教にスピリチュアルなイメージが強いものの、突き詰めると「ただのスピリチュアルで終わらせてはいけない部分がある」と改めて感じたと話しています。
「念仏だけでいい」は仏教の劣化なのか
深井さんは、大乗仏教がいかに早く悟るかへ向かっていく流れを最初に学んだとき、仏教がどんどんインスタントになり、劣化しているのではないかと感じたといいます。特に鎌倉仏教以降の「念仏を唱えていればいい」という教えには、どれだけ簡略化するのかと思ったそうです。
ところが当時の社会状況に照らすと、見え方が変わりました。2人は、原始仏教の視点と当時の人々の現実を対比させながら語ります。
簡略化され、怠惰で、退化しているように見える
戦乱や病で明日死ぬかもしれず、文字も読めない人々を救うための本気の工夫
教育もない。もうなんなら文字も読めないし、日々生きるのに本当に精一杯な人たち。この人たちがどうやったら救われるかってことを考えた時に出てきてるのが、多分そのね、
明日死ぬかもしれないっていう人にとっては、もう南無阿弥陀仏を唱えたらさ、それで心がいくらか救われたりとか、(中略)もうそれももう希望なんだよね。
深井さんは、念仏を唱えるだけでも嘘ではなく、そのベクトルは悟りの方向を向いていると考えます。目の前の人をどう悟りへ導くかを本気で考えた結果であり、バカにしてはいけないと思ったといいます。
明日死なない時代に、仏教はどう変わりうるか
深井さんは、仏教が時代によって教義を変えてきたものなら、時代が大きく変わった今、教義も変わっていいかもしれないと話します。樋口さんも、素人ながら今後の仏教がどうなるのかを想像したといいます。
だって今はみんな明日死ぬかもしれない生活を、別に東アジアの人たちってほとんどの人がしてないでしょ。
そうした時代には、もう少し哲学的な話をしたほうが救われる人がいるかもしれない、と深井さんは考えます。原始仏教などの考え方が自分にとって衝撃的な哲学だったからこそ、その話をきちんと伝える形で仏教がリバイバルしてもいいのではないかという提案です。
樋口さんは、収録を重ねるうちに仏教にすっかり興味が湧いたと話し、「ヤンヤン教に入りますよ」と冗談を飛ばします。深井さんは、コテンラジオは特定の宗教や政治思想にこだわらず、いろいろなものの良さを紹介していきたいとまとめています。
最後に、出演者たちも内容を2割ほどしか理解できていないかもしれないとしつつ、何度も聞き直し、もっと深く興味を持つ入り口にしてほしいと呼びかけ、シリーズは幕を閉じます。
まとめ
最澄は大乗戒壇の設立を死ぬまで願い続け、その許可は死後に下りました。空海は高野山や東寺を拠点に多方面で才能を発揮し、今も生きているとされています。シリーズを終えた出演者たちは、仏教の奥深さと、古代の人々の本気が今につながっていることを実感していました。
- 最澄の悲願だった比叡山の大乗戒壇は、最澄の死後に許可され、延暦寺はある意味で完成した
- 空海は修行環境に加え、水銀が採れることも理由に高野山を選んだとされる
- 深井さんは、仏教を葬式仏教と見ていた認識を改め、凄まじい哲学体系への感動を語った
- 念仏仏教は劣化ではなく、明日をも知れない人々を救おうとした本気の工夫だったと捉え直された
- 明日死ぬ心配が少ない現代には、哲学としての仏教を伝える形もありうると提案された




