パーキンス学院で初めての友だちができる
前回までに文章を学び、クリスマスを一緒に喜ぶまでになったヘレン・ケラーは、サリヴァン先生の母校であるパーキンス学院に入学します。家庭教師との1対1の学びから、学校に通う生活への切り替わりです。
パーキンス学院に入っても、サリヴァン先生はヘレンにつきっきりの先生であり続けます。深井さんによると、学院の子どもたちは目が見えない子が多く、指文字を使えるため、ヘレンはここでたくさんの友だちを作ります。
(パーキンス学院では)一緒にね、課外授業に行って、史跡に行ったりとか、海行ったりとかね、いろんなことをして、ここで健やかに実は育っていくんですけども。
聞いたことのない音を、どうやって発音するのか?
深井さんが「ターニングポイントの一つ」と位置づけるのが、10歳ごろに訪れた発音を学ぶ機会です。音を聞いたことのないヘレンが話せるようになるというのは、樋口さんが言うように「模倣できない」状態からの挑戦でした。
ヘレン自身は、指文字や文字だけで意思を伝えることにもどかしさを感じていました。周囲の人が口で会話していることは理解していたものの、話したいと訴えても「できるわけない」と言われ続けていたといいます。
転機になったのは、目と耳の不自由なノルウェーの子どもが唇を指で触って発音を覚え、話せるようになったという話を耳にしたことでした。深井さんは、可能性を示す人の存在を知ることの大切さに触れています。
それを聞いてからもうその思いが抑えられなくなって。それ(発音)を勉強したい、勉強したいっていうのをずっと言い続ける始めるわけ、ヘレンが。
ヘレンはホレイスマン聾唖学校 ── ボストンにあった聴覚障害児のための学校。口の動きを読み取り発話する口話法の教育で知られ、ヘレンの発音指導を行ったのがこの学校のサラ・フラーでしたのサラ・フラー先生のもとで11回の授業を受けます。先生の口に手を当て、その形を真似して声を出し、正しい発音になるまで繰り返すというやり方でした。
確かその鼻と唇と喉にそれぞれ指を当てて、それぞれの形と振動を指で感じて、自分の口でまた再現するっていうのをずっと繰り返す。
この訓練の流れを見ると、ヘレンが頼れるのは指の感覚だけだったことがわかります。
晩年まで続いた発声練習と、吐き続けたサリヴァン先生
ヘレンは1か月ほどで多くの発音ができるようになりますが、深井さんによると発音はきれいとは言えませんでした。ヘレンは一晩中練習することもあり、晩年になっても「できるようになった」という感覚は持たないまま練習を続けたといいます。
声で喋るっていうことが、そのヘレンにとっての、本当になんていうか、すごい強烈な願いの一つだったんですよね。
授業のあとも、ヘレンはサリヴァン先生と練習を重ねます。楊さんによると、喉の奥の形を知るためにヘレンがサリヴァン先生の喉奥に指を入れ、サリヴァン先生は何度も吐いたそうです。
発声練習の難しさについて、樋口さんは「消去法的にやらないといけない」と表現します。深井さんは、正しい発音が一度できても声として記憶できないことを挙げています。
(ヘレンは)唇の形と舌の形でしか彼女はそれを記憶できないので、すごい難しいですよね。再現性を出すのが難しい。だって自分が今高い声出してるのか、低い声出してるのかもわかんないわけだから。
声が裏返っているかどうかさえわからない状態でしたが、学び始めて少しあと、ヘレンは街の人の前で200語ほどの短いスピーチを行い、両親も感動したといいます。
10歳の手紙が示すヘレンの言葉の成長
深井さんは、10歳ごろのヘレンの成長は手紙によく表れていると話し、牧師に宛てた手紙を省略しながら読み上げます。そこには、ボストンの友だちとの別れのつらさや、妹に会える喜び、神様について教えてほしいという願いが丁寧な言葉でつづられていました。
番組で読み上げられた手紙の一節は「世界にこんな可愛らしい子がまたとあるでしょうか」「善良で知恵のある神様について伺うのは喜びです」といったものです。
俺が10歳の時もこんなきれいな文章書けへんよ。
樋口さんが思い出したのは、前回紹介された7歳ごろの「ジョージはヘレンにリンゴをやります」という程度の文章です。3年ほどの間に、ヘレンの文章はそこから大きく変わっていました。
7歳ごろ: 「ジョージはヘレンにリンゴをやります」程度の短い文
10歳ごろ: 季節や感情、神様への関心を敬語でつづる手紙
言語は得意、数学は苦手。目が見えない中での勉強
14歳ごろ、ヘレンはニューヨークの別の学校に移り、サリヴァン先生と暮らしながら発声練習を続けつつ、数学、地理、ドイツ語、フランス語などを学びます。樋口さんはギリシャ語やラテン語も学んでいたはずだと補います。
深井さんによると、文学のセンスがあったヘレンは語学では苦労しなかった一方で、数学には大きく苦しみました。グラフも図形も見えず、筆算もできない状況です。
図形問題どうやって解くんだよって話じゃないですか。
文学的センスがあり、ドイツ語・フランス語などをあまり苦労せず習得
グラフや図形が見えず、特に幾何学に苦しむ
ハーバード大学に断られて「絶対入ってやろう」
15〜16歳ごろ、ヘレンは大学に行きたいと考え始めます。ところがハーバード大学に相談すると、障害者は受け入れていないと遠回しに断られました。樋口さんは、そこにヘレンの性格がよく表れていると話します。
それ(ハーバードに断られたこと)にヘレンがキレて、いや絶対入ってやろうみたいな。いいね。
ヘレンいいよ。そう、すごく性格が分かりますよね。超負けず嫌いなんですよ。
ヘレンが入ったケンブリッジ女学校は、盲人向けではない普通の進学校で、ハーバードの附属校でした。授業では先生が普通に話し、それをサリヴァン先生が指文字に置き換え、ヘレンは手で触れて聞き取ります。
点字の教科書はなく、授業中は指文字を触っているためノートも取れません。ヘレンは授業後にタイプライターでメモをとるしかありませんでした。
ハーバード附属校での学びを支えた二人の生活
樋口さんが数えると、サリヴァン先生がヘレンのもとに来てからこの時点で8〜9年。その間、サリヴァン先生は横で指文字を送り続けていました。
深井さんによると、二人は他の生徒が寝静まったあとも宿題やメモを続けていました。指文字は1文字ずつしか伝えられず、記録も残せないため、ヘレンは一度聞いたことを覚えておく必要がありました。
サリバン先生が読んで、指文字でヘレンに伝えて。で、ヘレンが「あ、ここもう一回ちょっと読んでください」って言って、またそれをその指文字で伝えるその繰り返しだもんね。
サリヴァン先生は手が動かなくなるほどだったといいます。苦手な幾何学 ── 図形や空間の性質を扱う数学の分野。図形を目で見て考えることが前提になりやすく、視覚に頼れない学習者には特に難しい科目でしたについては、サリヴァン先生が針金で図形を作り、ヘレンはそれを触って理解していきました。
楊さんによると、この頃ケラー家の家計は傾き、サリヴァン先生の給料を払えない時期も出てきます。それでもサリヴァン先生は教え続けました。楊さんは、ヘレンが15〜16歳の頃に父親が亡くなったことも理由かもしれないと話します。
もう完全に家族以上ですよね。もうだからサリバン先生この時点で28歳ぐらいでしょ。
楊さんは、7歳まで言葉を知らなかったヘレンと、14歳まで自分の名前を書けなかったサリヴァン先生の二人が、ハーバードを目指す勉強で成績優秀になっていったことに驚きを示しています。
校長の批判で退学、サリヴァン先生が辞めかけた事件
勉強のしすぎでヘレンが体を壊すと、ケンブリッジ女学校の校長先生らは、障害者にそんなハードな勉強をさせているとサリヴァン先生を批判します。校長先生は、ヘレンがサリヴァン先生に依存していることも良くないと考えていたようです。
楊さんによると、校長先生は二人を引き離し、ヘレンを学校で引き受ける話を進めていました。ひどく落胆したサリヴァン先生は家庭教師を辞めようと考え、米西戦争 ── 1898年にアメリカとスペインの間で起きた戦争。キューバの独立問題をきっかけに始まり、アメリカが勝利しましたの看護婦に実際に志願したといいます。
ヘレンが私はもう絶対先生以外の人はいないみたいなことをずっとこう、すごい強い気持ちで主張して、そのまんまサリバン先生はヘレンについていって、学校をやめた後も家庭教師を継続してやっていった
このときヘレンの母親が校長先生の側についたという記述について、深井さんは逆にサリヴァン先生をかばったという記述を見た覚えがあると話し、本によって異なるようです。
試験会場から締め出されても大学に合格
ヘレンは女学校を辞めて家に戻り、新たな家庭教師も雇って大学受験を目指します。予備試験ではサリヴァン先生の同席が認められましたが、20歳ごろの本番の試験では、突然サリヴァン先生の入室が禁じられました。
学校側が指文字のできる人を用意しましたが、深井さんは相当やりづらかったのではないかと見ています。楊さんは、先生がカンニングできてしまうからではないかと推測します。
こうした波乱を経て、ヘレンは合格します。深井さんは、目と耳が不自由な人が今の東大に一般入試で合格すればニュースになるように、当時も全国に知れ渡り、ヘレンは大スターになったと話しています。
哲学が教えた「不完全な知覚」は問題ではない
大学入学後も大変な日々が続き、ヘレンは2冊目の自伝で、大学では友だちがあまりできなかったと書いているそうです。一方で、歴史と哲学の授業には深くのめり込んでいきました。
深井さんが面白いと感じたのは、ヘレンが哲学を通じて、自分の「不完全な知覚」はそれほど問題ではないと気づいていった点です。以前の回で扱った唯識論 ── 仏教の思想の一つで、私たちが認識している世界はすべて心が生み出したものだと考える立場と同じく、受け取っている情報が本当かわからないという議論に触れたのだろうと深井さんは見ています。
そういうのを勉強する中で、その、何て言うかな、知覚が足りないということの意味をいろんな角度から捉え直すことができるようになっていったんですよね、ヘレンが。
ヘレンはカント ── 18世紀ドイツの哲学者。人間がどのように世界を認識しているのかを問い、近代哲学に大きな影響を与えましたやデカルト ── 17世紀フランスの哲学者。「我思う、ゆえに我あり」で知られ、感覚の確かさを疑う方法で思索を進めましたを熱心に学び、思索の世界に深く入っていきます。
深井さんがさらに驚いたのは、嗅覚を研ぎ澄ませ哲学的に考え続けるうちに、視覚で物を見るとはどういうことかを、視覚がなくても想像できるようになったとヘレンが語っていたことです。深井さん自身も意味はつかみきれなかったと話しています。
「負けてたまるか」から「人の役に立ちたい」へ
大学を卒業したヘレンにとって、次の課題は進路でした。在学中の自伝の原稿料や、裕福な支援者からの経済的援助で小さな家を買っており、そこで執筆の仕事をしたい、点字本もたくさん作りたいと考えていました。
ヘレンは、自分は恵まれた環境で育ったからここまで来られたが、世の中の障害者の大半はそうではないと考えていました。その人たちの役に立てたらという思いを、おぼろげに持ち始めていたといいます。
ヘレンはちゃんと自分がここまで来れたのは周りの環境が良かったおかげなんだなっていう自覚があるのはすげえと思ったもんね。天狗になってないもんね。
深井さんによると、24歳ごろのヘレンは、大学入学の頃に強かった「負けてたまるか」という気持ちの角が取れ、どうすれば人の役に立ち愛情を注げるかという観点に移っていました。
大学入学まで: ハーバードに断られた悔しさ、「負けてたまるか」という気持ち
大学卒業時: どうすれば人の役に立ち、愛情を注げるかという関心
自分に何ができるのか、とりあえず文章は書けるかと考えていたヘレンは、誘われて福祉関係の委員会のメンバーになり、社会福祉活動に関わっていきます。深井さんは、いずれ必ずそうなる運命だったと思うと話しています。
サリヴァン先生の結婚とヘレンの罪悪感
この頃、サリヴァン先生は結婚します。相手は、ヘレンの自伝執筆を手伝った大学教授のメイシーさんでした。深井さんによると、サリヴァン先生はそれまで恋愛をほとんどしていなかったそうです。
ヘレンはこの結婚をとても喜びました。結婚が当たり前の時代に、サリヴァン先生が自分のために人生を犠牲にしているという感覚があったからです。
私の幸せな一生っていうのは、先生の不幸な一生によって完成されたものだみたいな、そういったことも(ヘレンは)実は書いてるんですよね。
盲人に自尊心を。ヘレンが掲げた3つの活動
ヘレンの社会福祉活動は、まず目が見えない人の自立支援から始まりました。当時の盲人の多くは仕事がなく貧しく、悲惨な生活を送っていたといいます。
深井さんがキーポイントとして挙げるのは、盲人たちに自尊心がなかったことです。生きていても仕方がないと思っている状態を、ヘレンは変えたいと考えました。
それを変えるには、やっぱり彼ら(盲人)が仕事を通じて自己実現していくっていうのは、非常に自己実現というか、社会の役に立てると思うことはとても大切だと思ってる。憐憫で生きるというのはもう嫌だと。
ヘレンの考えの核にあったのは、憐れみではなく仕事を通じて社会の役に立つことでした。
ヘレンの活動は3つの柱にまとめられます。盲人が就職できる社会の整備、出産時などの細菌感染による失明の予防、そして複数の種類があった点字の統一です。
| 活動 | 背景 | 目指したこと |
|---|---|---|
| 仕事を与える | 盲人の多くが仕事がなく貧しく、自尊心を失っていた | 就職できる社会の整備 |
| 盲人が生まれないようにする | 出産時などの細菌で失明する人が多かった | 消毒などで防げる失明を防ぐ |
| 点字の統一 | 点字に複数の種類があった | 出版する側も読む側も困らないようにする |
ヘレンはサリヴァン先生と一緒に、寄稿や、盲人学校だけでなく普通の学校も回る啓蒙活動を始め、忙しい日々を送ります。本格的な活動は次回で語られます。
樋口さんは、7歳で暴れていた頃から考えると、社会人として産声を上げたようだと感慨を語ります。深井さんは、以前の回で話した「怒りのエネルギー」と「愛のエネルギー」の転換が、大学時代のヘレンに起きたと整理しています。
まとめ
パーキンス学院入学から大学卒業までのヘレン・ケラーは、発声訓練や見えない中での数学、試験会場からのサリヴァン先生の締め出しなど、多くの壁を乗り越えました。負けず嫌いの原動力はやがて他者への愛情へと変わり、盲人の自尊心を取り戻すための社会福祉活動につながっていきます。
- ヘレンは10歳ごろから、先生の口や喉に触れて発音を学び、晩年まで練習を続けた
- ハーバードに断られた悔しさをばねに、サリヴァン先生の指文字を頼りに進学校で学び、大学に合格した
- 哲学を通じて、自分の不完全な知覚はそれほど問題ではないと捉え直していった
- 卒業後は、盲人の就職、失明予防、点字の統一という3つの活動に取り組み始めた
- 深井さんは、大学時代に怒りのエネルギーから愛のエネルギーへの転換が起きたと整理している



