久々の「人」がテーマ、サラディンはいつ登場する?
コテンラジオの今回のシリーズは、老い・障害・社会福祉の歴史という概念系の三部作が続いたあとに始まった、久々に人物をテーマにしたシリーズです。
樋口さんは、前シリーズは長すぎるのではという議論もあったものの、リリース後は評判がよかったと振り返ります。収録途中で第2子がダウン症とわかったこともあり、個人的にも思い入れの深いシリーズになったそうで、リスナーの感想を募っています。
そのうえで発表されたのが「イスラームの英雄サラディン 十字軍が最も恐れた男の生涯」というテーマです。深井さんは、2023年は人物をテーマにした回を多くしようと考えていると話します。
今回シリーズ12話なんですけど、まあ6話ぐらいかな?6話ぐらいから出てくるかな?出てきたらいいな。
主人公がなかなか登場しないのはコテンラジオでは恒例で、樋口さんも「もう驚かなくなった」と笑います。深井さんは、背景を知らないとサラディンの業績を聞いても実感がわかないと説明します。
サラディンがエルサレム奪還した。へーつって。あ、それはこうだなみたいになんないんだよね。
楊さんも、十字軍はキリスト教世界から、サラディンはイスラーム世界から出てきた勢力であり、どちらも日本のリスナーにはなじみの薄い分野だと指摘します。だからこそ時代背景や構造的な知識を丁寧に伝えないと、コテンラジオらしい面白さは伝わらないという考えです。
十字軍とは何だったのか、なぜ現代でも政治的な言葉なのか
深井さんによると、サラディンは十字軍と戦った人物で、キリスト教側から見れば好敵手でした。語弊はあるとしつつも、簡単に言えば十字軍を追い返し、エルサレムを十字軍から取り返した人であり、イスラームでは英雄とされています。
そのため、このシリーズはまず十字軍側から話を始めます。十字軍とは、11世紀末から13世紀末ぐらいまでの約200年間に、西ヨーロッパのキリスト教勢力が、エルサレム周辺やエジプトといった西アジアのイスラーム圏へ何度も遠征したことの総称です。
遠征の回数は数え方によって7回、8回、9回と分かれ、9回とする場合は中東以外の場所への遠征も含めていることがあるそうです。
深井さんは、十字軍の時代を、現代の人がイメージする中世ヨーロッパのファンタジーの世界観の「ど真ん中」だと表現します。騎士が鎧を着て、お姫様がいて、政略結婚が行われ、白いマントに赤い十字を背負って馬で戦うような時代です。
十字軍は学校でもキリスト教対イスラーム教の宗教戦争として習うことが多いものです。深井さんはその理解は間違ってはいないとしつつ、このシリーズを聞き終えると「そんな単純じゃない」とわかるはずだと話し、そこが今回の肝だと位置づけます。
現代でも十字軍が宗教戦争として捉えられている例として、深井さんは2001年の同時多発テロ ── 2001年9月11日、アメリカでハイジャックされた旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルなどに突入したテロ事件。約3000人が犠牲になりましたを挙げます。当時のジョージ・ブッシュ大統領がテロとの戦争を十字軍にたとえ、大きな物議を醸しました。
一方で、ウサマ・ビン・ラディンなどアラブ側の指導者も、批判的な意味で「新十字軍」という言い方をし、反西洋・反アメリカの文脈で十字軍という言葉を持ち出したといいます。十字軍という言葉は過去の遺物ではなく、今も政治的なメッセージを帯びた概念として使われています。
なぜ人々は命と財産をかけてエルサレムへ向かったのか?
深井さんが最初に投げかける問いは、十字軍がなぜ起こったのかというものです。何も考えずに聞けば「エルサレムに行った」で終わる話ですが、深井さんは当時の条件を考えると「めちゃくちゃやばい」ことだと強調します。
当時のほとんどの人は、住んでいる場所から半径数キロの外にすら出たことがありませんでした。警察もなく治安も不安定で、盗賊や人さらいが多い道中を越え、遠いエルサレムまで行き、そこで戦争をして命を落とすこともあったのです。
しかも参加したのは鎧を着た騎士だけではありませんでした。老人や女性、子どもも行ったという記述さえあるといいます。
十字軍の参加費用は基本的に自己負担で、武具・食料・衣服は自分で用意しなければならず、貴族でさえ借金をして参加していたそうです。民衆の場合は遠征中に農業ができず、運よく生きて帰っても畑は荒れていて、生活そのものが立ち行かなくなります。
出発前
武具・食料・衣服を自費で用意し、貴族でさえ借金をする
道中
治安のない長い道のりで、盗賊や人さらいの危険にさらされる
現地
エルサレムで戦争をし、命を落とす危険がある
帰還後
農業ができなかったため畑が荒れ、生活の立て直しが難しい
樋口さんが「鎧の領収書は切れないんですか」と冗談を言うと、深井さんは切ったところで見合わないと返します。十字軍の参加者は、生活のすべてを破壊するほどのコストを払って遠征していたのです。
そこになぜ行くのかっていうのがね、やっぱポイントなんだよね。
深井さんが示す結論は、ローマ教皇が呼びかけたから人々は行った、というものです。では、なぜローマ教皇の呼びかけでそれほど多くの人が動いたのか。その理由を理解するために、話はローマ帝国の時代までさかのぼります。
少数派だったキリスト教は、なぜローマ帝国の国教になったのか
深井さんによると、当時のローマ帝国は非常に栄え、同時期の漢帝国と並ぶ人類トップクラスの人口を抱えていました。キリスト教はイエスの弟子たちから少しずつ広がっていきましたが、信徒は帝国総人口の1割ほどだったといわれ、まだ少数派でした。
それでもキリスト教は、入信者向けの問答集や訓練、何が異端かの規定などを会議を開いて少しずつ整え、組織化を進めていました。深井さんはこの時期を「創生期」と表現します。
転機は313年に訪れます。それまで弾圧されていたキリスト教に対し、コンスタンティヌス帝がミラノ勅令 ── 313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世らが出したとされる勅令。キリスト教を含む信仰の自由を認め、キリスト教公認の画期とされていますを出し、望む宗教を信仰する自由を認めたのです。
さらに免税や寄進、下級裁判権など、キリスト教会に特権を与える動きもありました。樋口さんはこれを「国からお墨付きが出た」ようなイメージだとまとめます。深井さんは、この寛容令は皇帝の政治的なニーズから出されたものだと説明します。
その約80年後の392年、テオドシウス帝の時代にキリスト教はローマ帝国の国教になります。信者がめちゃくちゃ多かったわけではなく、キリスト教という組織を政治の味方につけるインセンティブが大きかったため、国教化も政治的なニーズで進んだといいます。
深井さんはここで、国教化と民衆への浸透は別の話だと注意を促します。キリスト教が民衆にまで広く一般化するのは十字軍の時代ごろで、それまでは為政者が先に取り入れ、民衆には徐々に広がっていくという構造でした。
国教化の前から、キリスト教はローマ帝国の外にも広がっていました。3世紀末にはアルメニアがキリスト教化され、ゾロアスター教の国であるペルシアや、現在のバグダッド近くのセレウキア、エチオピアにも広がったと深井さんは紹介します。
修道院とは何か、なぜ十字軍に関係するのか
キリスト教が広がる過程で、重要な施設として修道院が生まれます。深井さんによると、信仰を広める場である教会に対し、修道院は俗世から離れて禁欲的な規律を守り、信仰を深める場所でした。
信仰を広める場で、俗世とのつながりを持つ
俗世から離れ、禁欲的な規律を守って信仰を深める場
樋口さんは、修道院はもともと非政治的な場所だったものの、その性質が後に変化していくと補足します。深井さんも、4世紀ごろに生まれた「ピュアな宗教心を追求する」修道院が、後に十字軍に関わってくると予告します。
ローマ帝国の東西分裂と、西ローマ帝国の滅亡
キリスト教が国教化されたわずか3年後ぐらいに、ローマ帝国は東西に分裂します。深井さんによると、実質的にはすでにまとまりを失っていた帝国が正式に2つに分けられ、ローマ世界はその後二度と一つに戻らなかったといいます。
深井さんは余談として、ローマ帝国はヨーロッパの基礎だと語ります。現在のイギリスあたりから中近東、北アフリカまでを含む広大な範囲がローマ帝国であり、それが二度と戻らなくなったことが世界を大きく変えたという見方です。
東側はビザンツ帝国 ── 東ローマ帝国の通称。首都はコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)で、1453年にオスマン帝国に滅ぼされるまで約1000年続きましたとして長く続き、オスマン帝国のメフメト2世に滅ぼされるまで存続します。一方の西ローマ帝国は、ゲルマン人の流入によってすぐに滅びました。
西ローマ帝国の滅亡は476年で、分裂から80年ほど後のことです。皮肉なことに、皇帝はゲルマン人から身を守るためにゲルマン人を傭兵として雇っており、その傭兵隊長に追放されてしまったといいます。
日本でいうとちょっと武士に近いかもしれないですね。武士の武力を使いたいがために、天皇とか貴族が使ったら逆に食われたっていう。
深井さんは、西ローマ帝国の滅亡によって西ヨーロッパには帝国がなくなり、誰も一つにまとめて統治していない状態になったと説明します。この状況で、ローマ教会は後ろ盾を失って危機に陥ります。
ローマ教会は最初からキリスト教世界のトップだったのか?
深井さんによると、ローマ教会は最初からキリスト教世界を統べていたわけではありません。当時のローマ教会は、五本山 ── 古代キリスト教で重要視された5つの総大主教座。ローマ、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムを指しますと呼ばれる5つの大司教区のうちの一つに過ぎませんでした。
キリスト教が各地に布教し、民衆に浸透していく過程でいくつかの派閥ができ、それぞれの大司教区が争い合うライバル関係にあったといいます。楊さんも、5つの大きな教会の中で一強となる教会がまだ出てきていない時代だったと補足します。
その中で台頭したのが、ローマ教会とビザンツ帝国のコンスタンティノープルの教会です。ローマ帝国の首都は分裂の60年ほど前にコンスタンティノープルへ移っていたため、ローマは元の首都、コンスタンティノープルは今の首都として、どちらの教会にも権威がありました。
今の首都の教会で、後ろ盾のビザンツ帝国が存続している
元の首都の教会だが、後ろ盾の西ローマ帝国が滅びてしまう
ライバル同士の2つの教会のうち、ローマ教会だけが後ろ盾を失ったのです。深井さんは、ここからローマ教会が一強になっていき、その権力が最も高まるのが十字軍の時期だと語ります。
もともとそんなに権力を持ってなかったローマ教会、ローマカトリック教会が、この何百年かをかけて、十世紀とか十一世紀、十二、三世紀ぐらいまでの間にものすごい権力を獲得していくんだっていう流れが十字軍にめちゃくちゃ関係してるってことなんですね。
後ろ盾を失ったローマ教会は、ゲルマン人とどう手を結んだのか
保護者を失ったローマ・カトリック教会が選んだのは、新たに来たゲルマン人と手を結ぶことでした。ただしゲルマン人の国家は、東ゴート王国、ランゴバルド王国、フランク王国などいくつもありました。
楊さんは、ゲルマン人というと同じ文化や言語を共有する集団をイメージしがちだが、それは後世の枠組みであり、当時の人々の間にはそこまでの同一性はなかったと指摘します。多様な大集団を、その時々の実力者がまとめていたといいます。
さらにゲルマン人の国々の多くは、ローマ教会から見て異端のアリウス派 ── 4世紀の司祭アリウスの説に由来するキリスト教の一派。イエスを父なる神と同質とは認めない立場で、ニカイア公会議で異端とされましたが、ゲルマン人の間に広まりましたを信仰していました。ローマ教会にとっては、キリスト教が広がってはいるものの違う派閥が広まっているという厳しい状況でした。
そこで運よく現れたのが、フランク王国の王クロービスです。クロービスはカトリックの洗礼を受けますが、深井さんによると、戦争に勝ったら改宗しようと神頼みし、それが聞き入れられたから改宗したような経緯だったそうです。
楊さんは、クロービスの妻がカトリックで、夫に改宗を勧めたという記述もあったと付け加えます。深井さんは、実際には複合的な要因があるだろうとしつつ、かなり偶発的な改宗だったと話します。
フランク王国側にもメリットがありました。支配する土地はもともとローマ帝国の領土で、キリスト教を国教としていたローマ人が住んでいます。被統治者であるローマ人を治めるうえで、キリスト教を政治的に取り入れることは都合がよかったのです。
ローマ教会の事情
西ローマ帝国を失い、新たな後ろ盾が必要だった
フランク王国の事情
キリスト教徒のローマ人を統治する必要があった
クロービスの改宗
フランク王国の王がカトリックの洗礼を受ける
良好な関係
ローマ教会が王に権威を与え、両者が密接に結びつく
深井さんは、大事なのは単にキリスト教化したことではなく、ローマ教会と同じカトリックの派閥になったことだと強調します。フランク王国と密接に関わりながらローマ教会が台頭していく流れは、次回以降に語られます。
権威と権力が重なるとき、宗教は統治をどう支えるのか
初回の締めくくりに、樋口さんは国という枠組みと、思想や宗教という枠組みが別々の分け方で存在し、それが混ざり合っている点が面白いと語ります。
深井さんは、この時代の国は「誰に所属しているか」ではなく「誰が統治者か」という感覚だったと説明します。統治者がどの民族・言語・宗教なのかと、被統治者がどの宗教なのかは、必ずしも一致しませんでした。
深井さんによると、この時代の宗教は思考パターンや生活スタイル、世界観が合わさったパッケージでした。統治者と被統治者の宗教が食い違えば統治上の大きな問題になるため、統治のニーズからキリスト教への改宗が起きていたといいます。
深井さんは改めて、ローマ教会は5つの大司教区の一つでしかなく、西ローマ帝国滅亡直後には苦境にあったと整理します。そこから10世紀、11世紀にかけて徐々に強くなりますが、それでもまだ一強ではなく、そこまでに長い時間がかかったと話します。
そして、ローマ教会の「強さ」を考えるうえでは、宗教界の権威と政治的なパワーが重なっているけれど別々の層であることが重要で、それが十字軍に深く関係してくると予告します。
楊さんは、権威と権力の関係はこの後のイスラームの話にも出てくると補足します。支配者に「お前を統治する」と言われたとき、人々が何によって納得するかという問いです。
拳だけじゃその効かない時ってあるんですよ。じゃあ拳以外で何を(使って)支配領域の人を納得させるかっていう話が、実はその権威なんですよね。
深井さんは、宗教改革のシリーズでも扱った権威と権力の話を、次回からより詳しく掘り下げていくと話し、初回は幕を閉じます。
まとめ
サラディンと十字軍編の初回は、サラディンが登場する前段として、なぜ人々がローマ教皇の呼びかけで命がけの十字軍に参加したのかという問いを立て、ローマ帝国のキリスト教国教化からローマ教会とフランク王国の結びつきまでをたどりました。
- 十字軍は宗教戦争と理解されがちだが、番組では「そんな単純じゃない」ことをシリーズを通して示すとしている
- 十字軍への参加は自費で、生活のすべてを壊しかねないほどのコストがかかっていた
- キリスト教は政治的ニーズによって公認・国教化され、民衆への浸透は十字軍の時代ごろまでかかった
- ローマ教会は5つの大司教区の一つに過ぎず、西ローマ帝国滅亡で後ろ盾を失ったが、フランク王国と結びついて台頭していく
- 宗教界の権威と政治的な権力が、重なりつつも別の層であることが十字軍を理解する鍵になる






