負け戦のなかで、プロパガンダはどこまで通用したのか
ゲッベルス編の最終回は、第二次世界大戦が始まり、ゲッベルスがプロパガンダに力を注いでいた前回の続きから始まります。楊さんは冒頭で、今回の結論を「ゲッベルスは死にます」と一言で示しました。
最終回でゲッベルスは死にます。
いや、ちょっとなんかシンプルなんやな。結論ファーストですね。
楊さんによると、この時期のゲッベルスは「プロパガンダの限界」に直面します。理由は単純で、ドイツが戦争に負けていくという事実を、宣伝では覆せなかったからです。
(ドイツが)負けていくっていう絶対的なファクトを、やっぱりですね、プロパガンダは覆しようがないんですよね。
開戦当初のドイツは電撃作戦で勝ち進んでいたため、勝利の事実を伝えるだけで宣伝の目的は果たせました。しかし戦況が悪化すると、国民が体感する現実とゲッベルスの宣伝内容がどんどん離れていきます。
その象徴が、連合軍によるドイツ本国への爆撃でした。万を数える人が亡くなり、主要都市が焼け野原になる惨状は、隠し通せるものではありませんでした。
ここでゲッベルスは、あえて爆撃の実態を公表します。「連合国の空軍による恐怖爆撃」という言葉を使い、敵がどれほど野蛮かを国民に訴えたのです。報道に接した国民は激怒して団結し、楊さんはこの対応にゲッベルスの臨機応変さを見ています。
もう一つの限界は、敵国とのプロパガンダ合戦でした。連合国側の宣伝のレベルも上がり、ナチスドイツに迫っていきます。
ヒトラーとゲッベルスが過去に語った公約が守られていないことを、毎日番組で取り上げて世界に発信した
ドイツのラジオに「それは嘘である」と割り込んだり、ヒトラーやゲッベルスに似た声で「ドイツは負けている」とデマを流したりした
こうした心理戦はドイツ国民に疑心暗鬼を生み、ゲッベルスも神経をとがらせていたという記録があるそうです。樋口さんはこの応酬を「ハッカー対決みたい」と表現しました。
そんな、なんかハッカー対決みたいなことやってたんですね。
「嵐よ起きよ」の総力戦演説は、なぜ熱狂を生んだのか
楊さんによると、1942年の年末から1943年にかけて、ゲッベルスの手元には公表できる良いニュースが何もなくなりました。ヒトラーへの熱狂も次第に冷めていき、ゲッベルスは世論の報告書からその実態を知っていました。
それでもゲッベルスは宣伝をやめませんでした。楊さんはその姿を「ぶっ壊れたラジオのように」と表現しています。ボロ負けの真実を急に公表すれば政権転覆のおそれもあり、できることは敵への憎しみと恐怖を煽ることだけでした。
そして1943年2月18日、ゲッベルスは勝負に出ます。国力を総動員して戦争に臨む国家総力戦への支持を取り付けるための、総力戦演説 ── 1943年2月、ベルリンのスポーツ宮殿で行われたゲッベルスの演説。聴衆に「総力戦を望むか」と問いかける場面で知られ、ナチスの宣伝演説の代表例とされますです。
この演説でゲッベルスは、それまで隠してきたドイツの困難な状況を、ナチ党幹部として初めて公にしました。生活水準を捨て、速やかに戦争能力を高めなければならないと訴え、「ドイツは必ず生き残る」と戦争継続を呼びかけています。
演説は「さあ国民よ起て、そして嵐よ起きよ」という言葉で締めくくられ、ラジオで聞いたドイツ人は熱狂したといいます。この演説の後、ドイツは国家総力戦に移行していきました。
ただし楊さんは、ゲッベルスが自分の成果を水増しして公表している節もあると付け加えます。樋口さんは、何が真実だったのか今では振り返れないことに気づきます。
だからもう何がどれが真実なのかも、結局今振り返れないってことですよね、これね。
ヒトラー暗殺未遂で、宣伝大臣はどう出世したのか
総力戦に移行したドイツで、ゲッベルスはその最高責任者になります。本来の仕事はプロパガンダで、戦地で銃を持つ立場ではありません。きっかけは、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件とクーデター未遂事件でした。
ヒトラーに反対する将校たちが時限爆弾でヒトラーを爆殺しようとしましたが失敗し、ヒトラーは生き延びます。爆殺とセットで、ベルリンではクーデターが起きていました。
そのとき、たまたまベルリンにいた唯一のナチ最高幹部がゲッベルスでした。ゲッベルスは自分を逮捕しに来た軍人に「ヒトラーは死んでいない、電話で話してみろ」と言い、実際に話させて寝返らせたといいます。
だからゲッベルスの機転によってクーデターが鎮圧されたっていう風に言ってもいいんですよね。
へー。肝は据わってますよね、この人ね。
この功績で、ゲッベルスはヒトラーから総力戦全国指導者に任命され、内政全般に大きな発言力を得ます。さらに首都防衛の最高責任者であるベルリン防衛総監も兼任しました。
ゲッベルスは暗殺未遂事件そのものも宣伝に使います。ヒトラーが奇跡的に生き残ったのは神の意志だという物語をつけて、国民に発信したのです。楊さんは、骨の髄までプロパガンダの専門家だと伝わるエピソードだと話しています。
総退却のさなか、なぜゲッベルスは映画を見続けたのか
1943年から1944年にかけて、ドイツは引き返せないほど負けていきます。かつて権力を誇った宣伝省には、苛烈な非難の投書が多く届くようになりました。
投書には「宣伝大臣、あなたが示した軍艦や新しい兵器はどこに行ったのか」「ゲッベルス、お前こそ一人で前線に行け」「殺人者ども」といった怒りの言葉が並んでいたそうです。
それでもゲッベルスの総力戦キャンペーンは、異常ともいえるエネルギーで続きました。1944年、国防軍が総退却するなかでも宣伝映画を作り続け、著名な俳優に出演を強制したといいます。
さらにゲッベルスは、絶望的な状況下でも自宅で毎日映画を鑑賞していたそうです。ベルリンがソビエト軍に占領される数か月前まで、ディズニー映画を見ていたといいます。楊さんはこの光景を、シュールで不気味だと感じています。
樋口さんは、あくまで想像だと断ったうえで、自分の経験を重ねました。メンタルが落ちていた時期にも、将棋だけはずっと指していたといいます。
僕やっぱりメンタルめちゃくちゃ病んでる時でも将棋だけはずっと指してたんですよ。
唯一これ(将棋)だけは本当に好きなものだって純粋に思えるもので、微塵のなんか隙もないんですよ、そこに。
楊さんも、ヒトラーもゲッベルスも心身の健康を損ない、病気も出ていたことに触れ、映画はゲッベルスにとって現実逃避だったのかもしれないと応じます。ただし二人とも、これはすべて想像だと強調しています。
ベルリン陥落前夜、最後の宣伝戦は何を仕掛けたのか
ベルリン陥落が迫り、ドイツの敗戦は時間の問題になります。楊さんはこれを1944年11月頃としています。宣伝省も崩壊寸前で、書類はシュレッダーにかけられ、紙くずが連日焼却炉で燃やされていました。
その中でゲッベルスは、最後の宣伝戦を2つ仕掛けます。1つ目は国民の士気を保つための短期的な宣伝です。ソ連軍に占領されれば老若男女問わず酷い目に遭うと恐怖を煽り、戦って死ぬほうがましだと発信しました。
放送局は「国民よ立ち上がれ」と大音量で叫び、ゲッベルス自身もベルリンを守らない者は国家反逆者として処断すると宣言します。多くの人がナチス親衛隊 ── ナチ党の武装組織で、略称はSS。ヒトラーの護衛から始まり、警察権力や強制収容所の運営、武装部隊まで担う巨大組織になりましたの手で見せしめとして電柱に吊るされたといいます。
2つ目は「プロパガンダ爆弾」と呼ばれる予言的な仕掛けです。ゲッベルスは自分の名を歴史に残したいと考え、ドイツが負けたら公開されるメッセージを仕込みました。
そのメッセージには、ドイツの敗北とともに第三次世界大戦が始まり、ソビエトがイギリスを破壊して共産主義化させる、といった想像上の未来が書かれていました。ゲッベルスは、予言した人物として歴史に記録されることを望んだようです。
しかし楊さんによると、この2つの宣伝はほとんど意味をなしませんでした。ドイツ国民にとって、もはやプロパガンダはどうでもいい状況になっていたのです。
ヒトラーの遺言に背いた首相は、どう最期を迎えたのか
1945年4月22日、ゲッベルスは家族とともに、ヒトラーのいる総統官邸の地下壕に移ります。同時にスタッフも逃げ出し、巨大な権勢を誇った宣伝省は一瞬で崩壊しました。
ベルリンはソ連軍に包囲され、市街戦が始まります。白旗を掲げた家はナチス親衛隊に撃たれ、何もしなければソ連兵に殺されるという状況だったといいます。
地下壕では、ヒトラーと愛人のエヴァ・ブラウンが結婚式を挙げ、ゲッベルス夫妻が付き添い人を務めました。楊さんは、15年前にはヒトラーがゲッベルス夫妻の立会人だったことに触れ、運命的だと語ります。
ヒトラー夫妻は翌日に自殺し、ゲッベルスはヒトラーの遺言で首相に任命されます。ヒトラーは戦争の継続を求めていましたが、ゲッベルスはすでに地下壕で死ぬつもりでした。
楊さんが紹介したゲッベルスの言葉では、ゲッベルスは初めて総統に従うことを断固拒否し、死に至るまでヒトラーの味方であり続け、総統の傍らで生を終えると表明したといいます。
首相となったゲッベルスはソ連と講和交渉を行いますが、決裂します。その後、1945年5月1日、ゲッベルスは妻と6人の子どもを道連れに自殺しました。
最期には諸説あり、楊さんは『第三帝国の興亡』の記述を紹介します。妻マクダが予防注射の名目で6人の子どもに毒を注射し、その後ゲッベルス夫妻は地上に出て、親衛隊の衛兵2人に後頭部を撃ってもらったとされています。
遺体はゲッベルスの指示でガソリンをかけて焼かれました。直後に地下壕の人々が大急ぎで脱出しましたが、夫妻の遺体を気にかける余裕のある人はいなかったそうです。
「嘘つきの死」は、なぜ信じてもらえなかったのか
ゲッベルスの自殺の翌日、ベルリンは陥落します。ソ連軍は燃え残ったゲッベルス夫妻と子どもたちの遺体を回収して検視解剖しました。陥落後のベルリンではソ連軍による略奪が続き、多くの女性が被害に遭っています。
ベルリン市民がゲッベルスの死を知ったのは、ずいぶん後のことだったそうです。ゲッベルスがずっと嘘をつき続けてきた人物だと知っていたため、死のニュースそのものがデマではないかと疑われました。
ソビエト側が遺体の写真を公開した後も、ドイツの人々は「あのやり手のゲッベルスならアルゼンチンやスペインに隠れているのでは」と噂し合っていたといいます。それでも最終的に、ゲッベルスはナチスドイツの中心人物の一人、大悪人として歴史に名を残しました。
語り終えた楊さんと樋口さんは、ゲッベルス一家の悲惨な結末に、戦争そのものの姿を重ねます。
命と精神を極限まですりつぶし合うっていうことなので、戦争は。
人はなぜプロパガンダに説得されてしまうのか
本編の後、樋口さんに感想を聞かれた楊さんは、調査チームが調べた「人はなぜプロパガンダに説得されるのか」という研究を紹介します。これは楊さん個人の意見ではなく、調べた内容だと断っています。
1つ目の要因は、伝え手の信憑性です。情報の発信者がどれほど専門性と信頼性を持っていると見られているかが、説得されるかどうかを左右します。当時は国民国家 ── 国民という共同体を基盤に、明確な国境と主権を持つ近代的な国家の形。19世紀以降のヨーロッパで広まりましたそのものが、専門性と信頼性の最も高い存在の一つでした。
2つ目は受け手側の特性です。楊さんは「元も子もない話」と前置きしつつ、教育程度の低い人ほど感情に訴えられやすいという研究を紹介しました。
反対意見も含めた多面的なコミュニケーションのほうが、態度変化が大きかった
一つの意見だけを伝える一面的なコミュニケーションのほうが、態度変化が大きかった
楊さんによると、ヒトラーもこれに沿ったことを述べています。宣伝は単純化した少数の課題に絞り、右か左かを選ばせ、知識人や上流階層ではなく大衆を魅了することに本質がある、という考えです。子どものほうが説得されやすいこともヒトラーは認識しており、ナチスはヒトラーユーゲント ── ナチ党の青少年組織。10代の少年少女を組織し、思想教育や軍事的な訓練を行いましたを作りました。
樋口さんは、簡単に答えを出してくれる人を信じやすい現代の傾向と重ねます。以前の若新さんの回で、簡単に答えを出してはいけないという話があったことも思い出していました。
3つ目は、聞き手の権威主義的パーソナリティです。強いものや権威を無批判に受け入れ、従わない人を非難するマインドのことで、異常なものではなく誰でも持ちうるといいます。特に社会不安が高まると、人はこのマインドに走りやすくなります。
楊さんは社会学者エーリッヒ・フロム ── ドイツ出身の社会心理学者・精神分析家。ナチズムを支えた大衆心理を分析した『自由からの逃走』で知られますの分析を紹介します。書き起こしでは書名が「自由の闘争」となっており、『自由からの逃走』と考えられます。
フロムは、経済に展望が開けず不安に置かれたドイツの民衆が、自由を放棄して権威への服従を求めた結果、ナチズムの台頭を許したと分析しました。言語化しにくい不安をわかりやすくシンプルに説明してくれるものを求めた結果が、反ユダヤ主義やヒトラーへの心酔だったと楊さんは話します。
樋口さんは、人間は安定したい生き物で、権威ある人のシンプルな答えは安定をくれるから信じやすいと応じます。そのうえで、自分が実践しているバイアスの調整法を明かしました。
権威がある人の意見はちょっと否定的に聞くし、例えば後輩とか学生とかの意見はなるべく肯定的に聞くっていう、バイアスをかけることによって調整するっていうのをかなり意識的にやってるんですけど。
意識的にやる努力がそこで求められてくるんですよね。自然にはなかなかできないですからね、人間は。
楊さんは、こうした論点をさらに知りたい人に向けて『情報操作のトリック』という文献を挙げています。
「そうかも」と思ったとき、一度寝かせられるか
深井さんは、この回をプロパガンダに人がどう反応してしまうかの面白い例だと受け止めます。ドイツ人に限らず第二次世界大戦時の日本でも「国に騙された」と言われますが、それは一面の真実であり、信じた側の責任という問題も残ると話しました。
深井さんの見立てでは、人間はそもそもファクトをそれほど重視できません。その根拠として、人間の知覚システムの不備を挙げます。
僕たちの知覚システムってものすごく不備があるんですよね。見えないところがいっぱいあるし。
深井さんによると、体の前面と背面では神経細胞の数が違い、感じ方も違いますが、人はそれを自覚していません。背後で手を叩かれてすっきりしたときに「背後霊が除霊された」と言われると、身体感覚があるぶん信じてしまうといいます。
知覚の不備
体の感覚や社会の仕組みを、人は正確に把握できていない
漠然とした違和感
「最近具合が悪い」「最近景気が悪い」と感じる
納得できる説明の登場
除霊や、単純化された敵の物語が差し出される
信じてしまう
感覚と説明が合うため、確かめないまま受け入れる
ドイツ経済の不振には、戦争による国債や多額の賠償金など複合的な理由がありました。経済学や国際情勢の知識があればそれを想像できますが、知識がなければ「マジカルな世界」で景気が悪いと感じるだけになる、と深井さんは説明します。
そこで深井さんが求めるリテラシーは、そうかもと思ったときに一旦寝かせる力です。
僕たちがそういう動物であるみたいなことの自覚みたいなことがやっぱ必要なのかな。
樋口さんは、コテンラジオで鍛えられた感覚があると話します。ヒトラーはただ欲望に従う悪人だと思い込んでいたのが、構造上そう振る舞うしかない時代と環境があったと知り、感覚と現実のずれを何度も経験したからです。
自分の感覚を信じられないっていう経験をしないと疑うことできないなって今思ったですね。
深井さんは、前半の「教養の低い人」という言い方も、単に教育の問題ではなく、ファクトを探る態度のことだと捉え直しました。その態度が、不安定な時代へのレジリエンスや、権威への向き合い方にも関わってくるといいます。
ゲッベルスは本当に「悪魔」だったのか
深井さんがもう一つ大事だと考えたのは、ゲッベルスが特別な人間ではないという点です。ゲッベルスのような人は今の時代にもたくさんいて、能力を発揮しているといいます。
今の人々は、第一次世界大戦に敗れた直後のドイツのような状況にいないから、たまたまそうした目に遭っていないだけで、紙一重だと深井さんは話します。
深井さんによれば、ゲッベルスを特別な才能を持つ悪魔的な人間とみなせば、再来を防ぐだけで済みます。しかし実際はそうではない、というのがこの回の重い示唆です。
樋口さんは、以前の三大宗教の回で出た「思想家が人間に最も大きな影響を与えた」という話と重ねます。政府の中に宣伝省があるのではなく、宣伝省の中に政府があるほど、人の気持ちを扱うことが重要だったと話しました。
最後は冗談で締めくくられます。「以上は全部嘘でした」と言う楊さんに、樋口さんが「ヤンヤンゲッペルス?」と返し、「コテンラジオのヤンヤンです」という名乗りに「権威、安心する」「信憑性がある」とかぶせる掛け合いです。
樋口さんは、ファクトと距離を置きながら、情報とは笑って付き合うくらいでちょうどいいのではないかと話し、ゲッベルス編を閉じました。
まとめ
ゲッベルスは敗戦という動かせない事実の前でも宣伝を続け、最後は一家心中という形で生涯を終えました。後半の議論は、人がプロパガンダに説得されるのは特別な弱さではなく、人間の知覚や不安の性質によるものだという点に向かっていきます。
- 戦況が悪化すると、国民の体感と宣伝内容が乖離し、プロパガンダは限界を迎えた
- ゲッベルスは総力戦演説や暗殺未遂事件の物語化など、状況を何でも宣伝に使い続けた
- 1945年5月1日、ヒトラーの遺言に背いて一家心中し、その死すらデマと疑われた
- 伝え手の信憑性、受け手の特性、権威主義的パーソナリティが、人を説得されやすくする
- 「そうかも」と思ったときに一旦寝かせる力と、ゲッベルスを特別視しない視点が大切だと語られた





