話が通じる相手でも、話したくないのはなぜ?
今回の番外編は、深井さんが「こういう場でなければシェアしない感覚」を持ち出すところから始まります。深井さんは哲学や歴史が好きで、普段から思考を深めたいと考えていますが、ほとんどの人とはその話ができないといいます。
深井さんによれば、哲学の話ができない理由は相手のレベルというより知識差です。知識差が大きいと、会話が知識を補う時間になってしまい、「あなたはどう思うか、私はこう思う」という段階まで進みません。
深井さんは、コテンの会社説明も面倒に感じているといいます。「データベースを作っている」「歴史と哲学の会社をやっている」と言っても通じにくく、コテンラジオで十分話しているため、初対面の人にはあまり説明しないそうです。
あんまり多分スタートアップ系の社長がしちゃダメなんですけど。
そのうえで深井さんが面白いと感じたのは、話が通じる相手なら話したいと思っていた自分が、実は別に話したくないとわかってきたことでした。1000人に1人ぐらい共感する人がいたら面白い、と前置きしながら語ります。
多分ね、本気出さないと話せないからだと思ってんですよ。
深井さんが言う「本気」は、自分と相手の両方の本気です。飲み屋のような場では、相手が哲学を自分以上に修めていても、大した話ができないことが確定しているので、そこで話す魅力を感じないといいます。
どうせ思考なんて深まらないっていう感覚が僕の中にあって。
深井さんにとっては、飲み屋で知識を交換するより、勉強した人がそうした場でどう振る舞うかを観察するほうが面白いそうです。
樋口さんが、荒木さんとこうたさんと続けている超相対性理論 ── 深井龍之介さんが出演するトーク番組。毎回テーマを設定し、出演者同士が議論を深めていく形式で配信されていますはどうなのかと尋ねると、深井さんは「話せる」と答えます。知識量が同じくらいでタイプが違い、しかも話すことを目的に集まった場だからです。
深井さんは、コテンラジオの台本づくりや社内での研究の話し合いも、勉強した人同士で議論できる「至上の喜び」の場だと話します。サッカー選手が試合以外でもサッカーは楽しめても、本気の試合をしたいのと近い感覚かもしれない、とたとえています。
樋口さんは自分にはその感覚がないとしつつ、深井さんの言う「場」は場所ではなく設定なのではないかと整理します。深井さんもそれに同意し、次のように言い換えました。
この前提は、事前に共有されていなくてもかまいません。哲学者の先生と「ルソーの話をしよう」と決めて話すくらいで十分で、雑談から入ってもお互いがそのモードに入っていれば大丈夫だといいます。
それでも深井さんは、話しても自分にとって知の発展が得られそうにないと勝手に判断し、本気で話すのをやめている場面が95パーセントぐらいあると明かします。会社の説明が面倒なのも同じ理由で、本気で出しても受け止めてもらえなさそうだからだと語っています。
会社の説明すらできないのは、会話の種類のせい?
樋口さんも、自身が運営する施設の説明に苦労した経験を話します。飲み会やタクシーの運転手さんに仕事を聞かれて施設「パレット」の話をしても、泊まれる、何かができるといった説明はできますが、そこで目指していることまでは伝えきれないまま降りることになるそうです。
ここで、会話には種類があるという整理が出されます。その場の時間を埋めるための会話、飲み会のように感情を交換して仲を深める会話、そして信念や哲学のような深いところを交換する会話です。
時間を埋めたり、感情を交換して仲を深めたりする。ふわっとした目的で、盛り上がることが大事になる
信念や哲学など深いところを交換する。お互い本気で出してよいという前提が必要になる
深井さんは、「話すのが嫌だ」という点は話の中心ではないと強調します。真夏に外が暑いから出たくない、というくらい当たり前の話で、深井さんが面白がっているのは別のところです。
会社の説明さえも、その会話の種類が違うことによってできないとかいう現象が起こっていて。
深井さんの興味は基本的に本気で話す領域にしかないため、99パーセントぐらいの場で話す気が起きない、という現象が起きているといいます。
樋口さんは、「仕事は何をしているか」という質問の多くは、相手の信念を聞くためではなく「天気がいいですね」と同じく間を埋めるきっかけだと指摘します。深井さんはそれを認めたうえで、自分の側の事情を明かしました。
なんか、わかってもらいたい欲求が強いんで、自分は。
深井さんによれば、正確に理解してもらえないなら最初から何も言わない態度になり、その結果「仕事を答えてくれない、うさんくさい人」になってしまいます。この思わぬ因果の連鎖こそが面白いのだといいます。
正確にわかってほしい
理解してもらいたい欲求が強く、そこに執着してしまう
短くは言えない
立ち話の粒度では、やろうとしていることまで伝えられない
何も言わない
伝わらないなら最初から説明しない態度になる
うさんくさく見える
仕事を答えてくれない人だと受け取られる
深井さんは、この話をすると「コミュニケーションをこうしたほうがいい」と助言されがちだとも話します。しかし改善策はわかっていて、面倒でどうでもいいからやっていないだけだといいます。
この話を持ち出したのは、前回の番外編で出た「思ってもみずにコテンラジオをやっている」という話と同じく、人は思わぬ因果で思わぬ状況に置かれ、勘違いされ続けることがある、という一例だからだそうです。
わかってもらいたい欲求が強すぎて何も説明しないっていう現象が起こり続けているっていう。
深井さんは、説明しまくっているコテンラジオのリスナーに話しかけられても面倒に感じるので「基本詰んでいる」と笑います。結局、下ネタを話し合う相手との時間が楽しく、哲学は本と会話している。だから本を読んでいるのだ、という因果に最近気づいたそうです。
会話が盛り上がることは、報酬にならない?
樋口さんは、多くの人はコミュニケーション自体を目的に話していると整理します。樋口さん自身、立食パーティーで二度と会わないかもしれない相手と5分ほど話すときは、パレットを正確に伝えるのではなく、会話が盛り上がることを目的に粒度を落として話すそうです。
そこの目的を、本当に僕がやってることを伝えるではなくて、ここの会話で盛り上がることを目的にして喋るんですよ。
樋口さんが「深井さんにはそのスイッチがないのでは」と言うと、深井さんは否定します。スイッチはあるものの、場が盛り上がることに自分にとっての喜びがないのだといいます。
インセンティブがないです。やっぱ報酬として機能してないってことです、僕にとって。
深井さんはわかりやすい例として、福岡に来た同世代以上の男性と中洲 ── 福岡市博多区にある九州最大級の歓楽街。飲食店やクラブなどが集まり、出張や観光で訪れる人の接待にもよく使われる地域ですの、女性が席に着くクラブに行ったときの話をします。深井さん自身は、その場をとても楽しんでいるそうです。
深井さんが楽しんでいるのは、そうした場での男性の振る舞いが仕事のやり方と一致することで、だいたい6パターンに分かれるとわかってきたといいます。博多に来た人が楽しんで帰っていくこと自体も嬉しいそうです。
ところが店の女性は、深井さんが楽しんでいないと判断して頑張って話を振ってきます。深井さんにとってその話題は大体が予測の範囲内で、「そうでしょうね」と最低限の愛想を返して終わってしまいます。
なんか帰り道に、なんか今日ほんとすいませんでしたとか言われること結構。
一方で深井さんは、仲間の普段聞けない本音や、店の人の普通と違うリアクションといった「新しい情報」が見られると、自分の人物データベースに蓄積されて楽しいといいます。ただ、その楽しみ方は理解されないし、引かれるので言えないそうです。
樋口さんは、これも「こういう店には異性との会話を楽しみに来ているはず」という一般的な前提とのズレだと指摘します。深井さんはその楽しみが0パーセントではないとしつつ、楽しみ方の質が違うのだと話し、この性質が理解されないこと自体が面白いと語りました。
冷めてる人と、いい人の違いは?
楊さんは、深井さんの開示はインパクトが大きいと受け止めます。深井さんや樋口さんのような捉え方をする人は実は結構いるものの、どうせ言ってもわからないと黙っている「サイレントマジョリティー」ではないか、今回の話で「私も」と思う人が出てくるかもしれない、と話しました。
樋口さんも、自分を冷めた人間だと思っていたが、深井さんのように世界を捉えている人間だったのかもしれないと気づいたといいます。深井さんも、冷めているとよく言われるけれど、実はとても情熱的だと話します。
深井さんは、いい人だと思われていることも大きな勘違いだといいます。目の前の困っている人が助かるのは嬉しいものの、人を喜ばせるために頑張る人とは行動原理がまったく違うそうです。
深井さんは、福祉の領域などでそうした動機で働く人は世界に必要で、いい人だと考えています。そのうえで自分は、一般の人からは性格が悪く冷めた人に見えるかもしれないが、それとも違う、と語りました。
樋口さんは、「いい人」を何で定義するかは人それぞれで、多くの人は目の前の人を助けることをいい人の条件と考えがちだと整理します。深井さんはこれを、人間を理解する解像度が低いという問題だと言い表しました。
深井さんは、会社には良い人を集め、社会への貢献に特化して活動しているので、やっていることは「いい人」だといいます。ただ、人の痛みがわかって共感し、優しく声をかけるタイプの一般的な「いい人」ではない、と話しています。
俺いいことやってるけど。
深井さんは、Xでの芸能人への反応などを見ると解像度が異常に低く、自分はその人たちが思う「いい人」ではないので怖くなるとも話します。楊さんはそれを「全体主義っぽくなる」と表現し、樋口さんは「生きるのが大変そう」と返しました。
日本と中国、どちらが多様性に寛容なのか?
話題は、日本と中国の違いへと移ります。楊さんは、こうした感覚を許容するキャパは日本のほうがまだあるのではないかと言い、中国のほうが他人に無関心だと思っていた深井さんは意外そうに受け止めます。
楊さんは、画一的な価値観を押し付ける領域と多様性を許す領域が、日本と中国で違うのではないかと話します。楊さんの観測範囲では、日本では障害のある人も普通に外を出歩けますが、中国ではそれが難しいそうです。
一方で、会社にはスーツで行くといった決まりは、中国では日本ほど強くないといいます。楊さんの地元の成都 ── 中国西南部、四川省の省都。人口の多い大都市で、ゆったりした生活文化で知られていますでは街で人と目が合うことはほぼゼロですが、日本では意外と目が合うと感じるそうです。人口の規模の違いも関係しているかもしれない、と楊さんは話します。
楊さんが収録中にどら焼きを食べていることに樋口さんがツッコむと、深井さんは、日本ではこうしていじられるが中国ではいじられず、それが心地いいと話します。
全然いいんですけど、なんかリアクションさえめんどくさいんですよ。
楊さんはさらに、廊下を横一列に並んで歩くことをめぐる例を挙げます。
横一列に並ぶのはダメという見えない価値観があり、外れると知らない人からも注意される。「どいて」と言う時点ではもう怒っている
誰もいない広い廊下なら害はないので並んで歩く。人が来たら「ちょっとどいて」と意思表示すればよく、その段階では誰も怒っていない
楊さんも深井さんも、どちらにも良し悪しがあるとしています。樋口さんは「こっちが多様でこっちがそうでない」という簡単な話ではなく、相当細かく個別に見なければわからないとまとめました。
最後に樋口さんが「結局、話しかけていいのか」と尋ねると、深井さんは「話しかけちゃダメです」と答え、樋口さんと楊さんが笑いで締めくくりました。
まとめ
今回の番外編では、深井さんの「本気で話していい前提がないと話したくない」という感覚を出発点に、会話の種類のズレが思わぬ誤解を生む様子が語られました。「冷めている」「いい人」といったラベルの解像度の低さや、日本と中国の空気の違いにも話が広がり、他人を理解することの難しさが浮かび上がります。
- 深井さんは、お互い本気で出してよいという前提がある場でしか、哲学や仕事の深い話をしたくないと感じている
- わかってもらいたい欲求が強いほど何も説明しなくなり、結果としてうさんくさく見える、という因果が語られた
- 会話が盛り上がることが報酬にならない人は、冷めているのではなく楽しみ方の質が違うだけかもしれない
- 「いい人」の定義は多様で、一般的なイメージだけで人を判断すると解像度が低くなる
- 日本と中国の違いは、多様性があるかないかの単純な比較ではなく、領域ごとに細かく見る必要がある




