「何をしてもいい」幼稚園は何を残したのか
しくみデザイン代表の中村俊介さんは、父親の転勤で各地を移り住む子ども時代を送りました。滋賀県長浜市で生まれ、彦根市で小学校の途中まで過ごし、その後は群馬県で高校まで暮らしています。
大学は名古屋、大学院は九州芸工大と、中村さんにとっては転々とするのが普通の人生でした。中村さん自身は、同じ場所に居続けるのはむしろ苦手で、人付き合いより自分で何かをやるほうがデフォルトだったのかもしれないと振り返ります。
ものづくりの原点として中村さんが思い出すのは、彦根の新興住宅街です。誕生日か何かに子ども向けの大工道具をもらい、建築中の家の大工さんから端材をもらって、空き地で秘密基地のようなものを釘で打ち付けて作っていたといいます。
さらに中村さんが母親に聞いてわかったのは、通っていた幼稚園が中村さんの世代を最後に取り壊される予定だったことです。そのため校舎に落書きしても、床に釘を打ってお店屋さんごっこの台を作っても、すべて許される1年だったそうです。
母親は、その体験が中村さんの「作るのが好き」に影響しているのではないかと話していました。中村さんはそこから、「これをしなさい」ではなく「してもいいよ」と許されることの大切さに気づいたといいます。
樋口聖典さんは、同じ材料でも命令されたら意味が変わってしまうと、自分に置き換えて想像します。
これ多分もし、その端材と大工道具を親に連れて行かされて、あなた今から夜までにここで何か作りなさいって言われたら、うぜえよ、俺サッカーしたいよってなるかもしれないですね。
深井龍之介さんも、人類史を学ぶなかで同じことを感じてきたと応じます。
ゲームを買えない中学生がMSXで手にしたもの
中村さんは、「何をしてもいい」だけでは人は困ってしまうので、道具や環境まで用意してあげるのがよいと考えています。この考えはSpringin'にも共通していて、中村さんのプログラミングの原体験もまさに道具との出会いでした。
中村さんは大学で建築学科に進んでおり、プログラミングを習ったことはありません。きっかけは中学生のときに買ってもらったMSX ── 1980年代に普及した家庭用パソコンの統一規格。キーボード一体型でゲームも遊べ、ゲーム機とパソコンの中間のような存在でしたです。
周りがファミコンを買うなか、中村さんは少しひねくれて違うものが欲しかったといいます。ゲーム機だと親に止められそうなので、「これはパソコンだから」と言えば買ってもらえるかもしれない、という計算もあったようです。
ただ、ゲームソフトはそうたくさん買ってもらえません。そこで中村さんが頼ったのが、プログラムのコードが紙面にびっしり載った雑誌、通称ベーマガことBASICマガジン ── 1980〜2000年代に刊行されたパソコン雑誌。読者投稿のプログラムが掲載され、読者は誌面のコードを手で打ち込んで遊びましたでした。
中村さんは誌面のコードを写経のように打ち込みました。1文字でも間違えると動きませんが、正確に写せばゲームが遊べます。やがて数字を少しいじると動きが変わることに気づき、コードに意味があることへの興味が芽生えました。
転機は、MSXファンという雑誌の読者投稿コーナーです。1行ほどの短いジョークプログラムを受け付ける欄に、中村さんはPRINT命令だけを使ったプログラムを送りました。
中村さんのプログラムは、画面の幅を1文字に縮めて、下から棒が飛んでいき「命中」と表示するだけのものです。最後に2色を無限ループで切り替えると、当時の遅い画像処理のせいで縞模様になり、お祝いしている感じが出たといいます。
はがきに手書きで送ったプログラムは採用され、コメント付きで雑誌に掲載されました。中村さんは今でも覚えているほどの成功体験だったと語っています。
「プログラミングできます」から始まったCAD開発
中学生での掲載経験は、中村さんに「自分はプログラミングができるのではないか」という、本人いわく変な自信を残しました。その自信が、名古屋での大学時代につながります。
大学の近くに、ツーバイフォー工法向けの建築構造CAD ── コンピューターで図面の設計や作図を行うソフトウェアの総称。建築や機械の設計で広く使われていますを作る会社がありました。先輩のつてでアルバイトの話が来たとき、中村さんは面白そうだと感じ、「プログラミングできます」と若干嘘に近い自己申告で採用されます。
実際には社内の言語がわからず、中村さんは切羽詰まって勉強を始めました。そこで幸運だったのが、ちょうどWindows95が登場し、その会社もWindows向けにソフトを作り直すタイミングだったことです。
GUIベースのプログラミングは社員全員にとって初めてで、会社は先生を1人招いて全員で学ぶ体制をとりました。中村さんは家の土台の形を抜く部分の担当になります。
中村さんは一番年下の学生で、できないことを自覚していたぶん、先生の教えを最も素直に受け入れたといいます。楊睿之さんはその点に反応しました。
それがでかい。やっぱそれが、それがでかいですよね。
自負のある社員が先生と対立しがちだったのに対し、中村さんはかわいがられていろいろ教わり、CAD開発に特化したプログラミング力が身につきました。すると今度は「自分は建築をやりたいんだっけ」と思い始めます。
設計する人と作る人が違い、施工や設備など多くの会社が入るため、自分で作りたいものを作れないと感じた
「こんなのが欲しい」に対して全部自分で作れるので楽しいと感じた
大学院に落ちて「ラッキー」と思えた理由は?
バイトに夢中だった中村さんは、名古屋大の建築学科の大学院に落ちます。それでも中村さんは「ラッキー、堂々と辞められる」と感じたそうです。
指導教官の宮本先生に何がしたいのかと聞かれ、中村さんはプロダクトやソフト、デザインなど全部自分で作りたいと答えました。宮本先生が紹介してくれたのが、九州にある「俊介に合いそうなめちゃくちゃ変な大学」、九州芸工大でした。
中村さんは初めて国内線に乗って福岡に降り立ち、研究室を見学してグラフィック系の研究室に入ります。ところが、絵を描いて入試を通ってきた学生たちに比べ、中村さんの絵はそれほど上手ではありませんでした。
いや、またさっきと同じパターン。なんかプログラミングできるつって入って、意外とできない。
中村さんは建築の図面やパースは描けるものの、イラストやアートは描けません。研究室の年下の学部生のほうが断然上手で、デザイナー一本では無理だと感じたといいます。
そこで中村さんが考えたのが、2つの「そこそこ」の組み合わせです。絵は普通の人よりは描け、プログラミングもプロには及ばないが原理はわかる。両方そこそこできる人はまだあまりいないと気づき、コンセプトまで考えたプログラミング作品を作り始めました。
賞金稼ぎで全作品が受賞した戦略
九州芸工大に移った中村さんは、親から「もう知らん」と言われて仕送りもありませんでした。遠隔で続けていたプログラミングのバイトも減っていくなか、どうせ稼ぐなら自分のやりたいことで稼ごうと考えます。
中村さんがコンペ情報の集まるサイト「登竜門」を見ると、賞金が10万円や100万円のものが並んでいました。最初に頑張って作って出した作品が部門賞を取り、10万円を手にします。これが2つ目の大きな成功体験になりました。
中村さんは自分をアーティスト気質ではなくロジカル系で、締め切りがないと頑張らないタイプだと語ります。そこでアワードへの応募を自分への枷、つまりモチベーションにしたといいます。深井さんも「完璧に同じ」と共感していました。
こうして作った作品は、数は多くないものの、すべて賞を取ったといいます。中村さんはその根っこに、今の状況を一番楽に、効率よく、自分の好きな方向へ持っていきたいという気持ちがあったと話しています。
話が盛り上がりすぎて時間を超え、深井さんは次の会議のためここで退席しました。以降は樋口さんと楊さんが中村さんの話を聞いていきます。
「大きい人」を作るための法人化
受賞を重ねた中村さんは、自分の才能を「いろいろなものの組み合わせを素早くできること」だと考えています。コンセプトやビジョンのずっと先を見て、そこへの道筋を組み立てるのは得意な一方、作ること自体はそれほど得意ではなかったと後から気づいたそうです。
中村さんは研究室で、年下の絵の上手な学生に「コンセプトやロジックは考えるから、絵を作ってほしい」と声をかけて共同制作しました。その作品も賞を取り、自分よりできる人を集めれば、もっといいものが作れると気づきます。
中村さんによれば、会社を作った理由には補助金という事情もあったものの、根本は1人でできることには限界があり、自分の得意なことに集中したかったからです。法人は法的には人なので、中村さんは「大きい人を作ろう」と考えたといいます。
中村さんが突き詰めた結果、好きなのは「ここに向かいたい」「そのためにはこうすればいい」を考えるところまででした。中村さんは、解決策がわかった時点で満足し、究極的には自分で作らなくてもいいとまで話しています。
熟考できない人が瞬間で答えを出せるのはなぜか
中村さんは大学院時代、自分の脳の特性を把握しようと試行錯誤していました。わかったのは、時間をかけて考える熟考が苦手で、同じことをぐるぐる回ってしまうということです。
その一方で、中村さんは瞬間的に答えを見つけるのが得意です。受託の打ち合わせでは、クライアントの課題、やりたいこと、環境、世の中の技術をその場で集め、すぐに提案を出せるといいます。本人はこれを直感ではなく「瞬間芸」と呼んでいます。
中村さんがその瞬間芸を支えていると考えるのは、日々の体験のストックです。ユニバーサルデザインを研究していた中村さんは、アフォーダンス ── 環境や物の形が、人に特定の行動を自然に促すという考え方。デザインの分野では、使い方が説明なしで伝わる設計を指して使われますを例に挙げます。
押すのか引くのかわからない扉ではぶつかってしまいますが、反対側に取っ手しかない扉なら人は迷わず押します。中村さんは、使いにくいと感じたものに慣れず、なぜそうなっているのかを分解して蓄える習慣を持っていたそうです。
体験する
日常で使いにくいもの、困っていることに出会う
分解する
なぜそうなっているのかを要素に分ける
ストックする
分解した要素を頭の中に溜めておく
掛け合わせる
目の前の課題や、会社の技術・人と組み合わせて答えを出す
中村さんは「アイデアを思いつくわけではなく、ストックした種を組み合わせているだけ」と話します。目の前の課題と掛け合わせるので、毎回違う答えになるのだそうです。
KAGURAやSpringin'に共通する根っこは、できない人をできるようにしたい、自分が楽をしたいという思いです。座右の銘を聞かれると「楽」と書くという中村さんは、楽と楽しいが同じ字であることを気に入っていて、熟考は得意な人に任せていると語ります。
専門家にならず「常に隣」にいる強み
樋口さんは、中学生の「命中」プログラムを振り返り、画像処理の遅さを使ったところに注目します。プログラミング言語の設計者が想定していない、枠の外側から発想を持ち込んでいるという指摘です。
中村さんの才能の中に、枠を超えたところから違う発想で持ってくるっていうのがなんかあるような気がしたんですよ。
中村さんの答えは、思いついたのではなく、正攻法では勝てないという前提が先にあったというものでした。中村さんは、ピアノが弾ける子なら練習せずに弾けるものを作ろうとは思わないと例えます。根底には、到達していないことへの劣等感があり、だからこそ別のものを組み合わせるしか手段がないのだといいます。
樋口さんは、中村さんがバイトで建築の世界にプログラミングを持ち込んだように、新しい世界に飛び込んでは別の世界のものを持ってくる構図があると話します。中村さんも、完全な専門家にはならず「常に隣」にいると認めました。
樋口さんはさらに、深井さんやCOTENの「才能博士」タカチンさんと話している才能の定義を紹介します。
だからまさに楽してできることで、他の人があんまりやらないことっていうのがなんか才能みたいな話を、ちょっとこれ言葉が悪いかもしれないですけど、してて。
樋口さんの見立てでは、多くの人は向いていないことを「やるべきだ」と歯を食いしばって続けています。中村さんは、やらなければならないから頑張るということは、たぶんしたことがないと答えました。
小さな成功体験を量産するSpringin'のアワード
樋口さんは、中学時代の中村さんの体験がSpringin'の構造そのものだと指摘します。面白いと思ったから作り、雑誌でシェアし、評価された。その流れがアプリに組み込まれているという見方に、中村さんもうなずきました。
おもろい
面白そうだと感じる
作る
自分で作品を作る
シェアする
雑誌やアプリで人に見せる
評価される
採用や受賞という形で認められる
中村さんは、世界一になることより、何かに選ばれた経験をたくさん積むことが大事だと考えています。そのためSpringin'では、スポーツや梅雨の雨といったテーマで社内アワードを開き、最近は企業スポンサー付きのアワードにまで広げています。
最近の例が、福岡の明太子メーカーふくやさんと組んだ、明太子をテーマにしたSpringin'内のコンテストです。応募するだけで抽選で200人に明太子が届き、それを食べて発想を膨らませてもらう形で始まりました。
ふくやさんとのコンテストには150以上の作品が集まり、明太子愛にあふれた、ゲームとしても面白い作品が多かったそうです。スポンサーへの効果もありましたが、中村さんにとってそれは副次的なものです。
中村さんは賞の種類を増やして十数人は必ず入賞するようにし、一次審査通過者の名前も出しています。月に何度もあるアワードのどれかにはまるほうが、権威あるアワードの1位より本人にとって価値が高いと考えているからです。
アワードを乱発すると価値が下がるという声に対しても、中村さんの答えは明確です。アワードの価値を高めたいのではなく、できるだけ多くの人に「俺、賞を取ったんだ」と言わせたいのだといいます。
評価軸を増やすと、誰が救われるのか
樋口さんは、賞を増やすことのもう1つの意味をスポーツに例えます。
走るのめっちゃ得意な人は走るのでは勝てるけど、でも重量挙げでは全然勝てないじゃないですか。
走ることのアワードしかなければ、重量挙げが得意な人は認められません。中村さんは、まさにそれをやりたいと応じ、子どもの中にどんな個性やクリエイティビティが眠っているかは本人にもわからないので、掘り出す機会を広げたいと話しました。
樋口さんは、前の回で触れたという女の子の気持ち悪いイラストを例に、「気持ち悪い賞」があって優勝したらうれしいはずだと語ります。評価されることで「こういう絵を描いても許されるんだ」という感覚が生まれるという見方です。
要は学校でラップの授業ないんですよ。だからラッパーなりたくてラップずっと練習してる高校生とかって親と先生に評価されないんですよ。
樋口さんは日常的に子どもたちと向き合っていて、現代音楽のような曲が好きな子も親に評価されにくいと話します。多様な評価軸で評価される場がある世界は優しく、その世界を作ろうとしている中村さんは優しい人だと興奮気味に語りました。
中村さんは、Springin'とコラボしてくれる企業を募集していると呼びかけます。樋口さんも、一度立ち消えになったいいかねパレットとのコラボをあらためてやりたいと申し出ました。
樋口さんは、自分がしたのは女の子1人に対する個別の関わりだったのに対し、中村さんは同じことを仕組みとして作っていると対比します。
でも中村さんやられてることって、そのまさに(会社として)仕組みを作ってる。
「しくみ」を世界語にしたいという社名の狙い
樋口さんは、受託制作から始まった株式会社しくみデザインが、今は本当に仕組みを作っていると指摘し、設立時から今の形が見えていたのかと尋ねます。中村さんは、見えてはいなかったが、楽をするための仕組みを作りたかったのは確かだと答えました。
十数年前の設立当時、ベンチャーは英語の社名が主流で、日本語の社名は少し恥ずかしい雰囲気があったそうです。それでも中村さんは日本語が好きで、1つの言葉が多くの意味を含むところに惹かれていました。
中村さんによれば、「仕組み」は英語に一対一で訳せません。状況によって訳し方が変わる言葉を、日本語ではまとめて「仕組み」と言えてしまうのだといいます。
| 場面 | 英語の訳し方の例 | 備考 |
|---|---|---|
| 構造物の仕組み | ストラクチャー | 構造そのものを指す場合 |
| 関係性の仕組み | システム、メカニズム | 状況によって変わる |
| 人の関係や作り方 | 一語では訳しにくい | 日本語ではどれも「仕組み」と言える |
中村さんは、音の柔らかさを残すために社名をひらがなの「しくみ」にしました。英語でも使われる「旨味」のように、世界中の人が「この仕組みがね」と話す状況を作れるかもしれないと考えたそうです。
樋口さんは味の素の旨味のような存在になると応じ、非言語のプロダクトで世界に展開する同社なら、その未来もあり得ると話します。
確かに富士山、芸者、忍者、天ぷら、仕組みですよね。
中村さんは、それがだんだん夢ではなくなってきている気がすると語りました。最後に樋口さんは、中村さんが終始楽しそうに、お金儲けの話をせずプロダクトや子どもたちのことを語っていたのがうれしかったと締めくくっています。
まとめ
中村俊介さんの半生には、「してもいいよ」と許された環境、そこそこの能力を組み合わせる発想、小さな成功体験の積み重ねが一貫して流れています。その経験が、評価軸を増やしてより多くの子どもに受賞体験を届けるSpringin'の設計や、「しくみ」という社名に結びついていました。
- 取り壊し前の幼稚園で何をしても許された経験が、中村さんの「作るのが好き」の原点になった
- 中学生でMSXの1行プログラムが雑誌に採用された体験が、後の挑戦を支える成功体験になった
- 絵とプログラミングを「両方そこそこ」できる強みを組み合わせ、賞の傾向を調べて作品を作り、すべて受賞した
- 中村さんのアイデアは、日常の違和感を分解してストックし、目の前の課題と掛け合わせることで生まれる
- Springin'では賞を増やして多様な評価軸を用意し、できるだけ多くの子どもに「賞を取った」という体験を届けようとしている





