やったことは少ないのに、なぜ後世に影響が残るのか?
この回の出発点は、楊さんが少し前にラジオで吉田松陰を取り上げたときに抱いた疑問です。吉田松陰 ── 幕末の長州藩の思想家・教育者。松下村塾で高杉晋作や伊藤博文らを教え、安政の大獄で処刑されましたは30歳ほどの短い生涯で、弟子の高杉晋作や山縣有朋に比べると、実際にやったことは少ないといいます。
楊さんによれば、吉田松陰の活動は本を書くことや全国を回ることが中心で、維新で大活躍した人たちほどの行動量はありません。それでも後世への影響は大きく、今も自己啓発書やビジネス書が数多く出ています。
(吉田松陰の)やった行動っていうのはそんなに多くないのに、なんで彼はそんなに影響、後世に対して影響が今も保ち続けられてるんだろうっていう疑問がある。
深井さんは、この問いは二人の間でよく出る話だと応じ、同じ構造を持つ人物として孔子を挙げます。孔子は数百キロほどの範囲で活動し、本も書いておらず、仕官もほとんどできないまま一生を終えたといいます。
論語も別に彼(孔子)が書いたものではないので、弟子との問答をしてただけみたいな。
それでも儒教 ── 孔子の教えを源流とする思想体系。仁や礼を重んじ、中国・朝鮮半島・日本など東アジアの政治や倫理に長く影響を与えてきましたは東アジアで大きな存在感を持ち続けています。楊さんは儒教を「人類史上最高クラスの思想体系」と表現しました。
深井さんはさらにイエス・キリストも例に挙げます。イエスが活動した範囲はとても狭く、直接話を聞いた人も数百人ほどだったと深井さんは見ていますが、キリスト教は西洋でも日本でも大きな影響力を持っています。
深井さんによると、歴史を学んでいると、生前に大きなことをしていないのに社会的な影響がとても大きい人物や現象に、何度も出会うといいます。
短期の成果と長期の影響、何が違う?
深井さんは、生前の行動が少ない人物が大きな影響を残すというトピックは、現代人、さらには人間にとってとても大事だと考えています。今の時代だけを生きていると分かりづらく、歴史を学ばない限り見えにくいからだといいます。
深井さんが背景に挙げるのは、成果を求められる競争社会です。資本主義のもとでは、何をアクションできたか、短期的に何を達成したかが評価軸に置かれやすく、楊さんも「目に見える成果だよね」と応じます。
深井さんは、短期的な成果を評価すること自体は否定しません。ただし、人間や社会には短期的な影響だけでなく長期的な影響もある、と指摘します。
長期的な影響って得てして行為から生まれなくて、こういう人間がいたっていう、その存在の認知だよね。
深井さんは、イエス・キリスト、孔子、吉田松陰、ガンディーといった例は思想家や宗教家に多いと話します。楊さんも、説教や遊説をしただけだと応じ、深井さんはそうした人々の影響は普通の将軍よりも大きいと続けます。
何をアクションできたか、何を達成したかという行為から生まれ、現代の評価軸の中心にある
行為よりも「こういう人間がいた」という存在の認知から生まれやすい
深井さんは自身の経験にも引きつけます。スキルを教わったり習得したりするよりも、「こういう人がいるんだ」「本当はこういうこともできるんだ」と知らなかった存在を知ることのほうが、長い目で見て一番勉強になってきたといいます。
深井さんにとって歴史が好きな理由もそこにあり、歴史は知らないものの存在を知る題材が豊富だからだと話しています。
ニートの存在も社会に影響している?
深井さんは、存在による影響はイエス・キリストのような特別な人物に限らないと話します。生きている人間同士も、行為をしていなくても、存在しているだけで互いに影響を与え合っているという考えです。
ニートがいるっていうこと自体が、俺らにものすごく強い影響を与えてると思うんだよね。社会と僕たちに。
深井さんは、それが良い影響ではないと考える人も多いだろうと認めたうえで、その良し悪しは現代の人間には判断できないと述べます。歴史を学ぶと、ある現象が結果的に良かったかどうかは分からないことが見えてくるからです。
例として深井さんが挙げるのは、前の代の王が悪かったからこそ、それを反面教師に英雄が現れ、世界が良くなっていくケースです。何が良い因子だったのかを評価するのは難しいといいます。
楊さんが、死後何百年も経ってから評価される偉人もいると補うと、深井さんは孔子や始皇帝 ── 中国を初めて統一した秦の王。郡県制や文字・度量衡の統一を進めた一方、焚書坑儒などで後世の評価が大きく分かれてきましたを挙げます。評価されたりされなかったりしても、影響を与えている点は変わらず、良し悪しは時代ごとの評価や結果論でしか表せないという見方です。
そこから深井さんは、人間は自分が何もしていなくても生きているだけで大きな影響を与えている、という考えに行き着きます。
深井さんは、残りの1パーセントでは好きなこと、つまり社会に対して活動する中で自分のエネルギーが出ることをやろう、という感覚で生きていると話しています。
楊さんは、そう考えると気が楽になり、逆にいろいろなことができそうだと受け止めます。「こうすべき」という考え方もなくなる気がする、と続けました。
深井さんは、べき論も大事だとしたうえで、現代はべき論が外れていく時代だと話します。倫理観で動く人は減り、「面白いから」「エネルギーが出るから」で動く人が増えているとして、今は面白いこととすべきことの過渡期なのだろうと述べています。
なぜ「存在」が後世を動かすのか?
楊さんが「存在するだけで価値がある」とまとめると、深井さんは、最初の問いである「なぜ彼らは影響を与えたのか」にまだ答えていないと話を戻し、楊さんに考えを尋ねます。
(生前に)影響を与えた人数は低くても、それがめちゃくちゃ濃ゆかったりとか、それかもしれないと思ったもんね。
楊さんの考えは、目に見える行動よりも思想活動の濃さに理由があるのでは、というものです。深井さんはこれに同意しつつ、さきほどの「存在」の話でも説明できると続けます。
彼らの存在がすごく極端に何かを示唆するものだったからだと思うんだよね。だから影響を与えてる。
深井さんによると、吉田松陰は何もできなかったものの、とてつもなく強い意志を貫いてすぐに亡くなりました。弟子たちはそういう師匠の存在を知ることで、自分たちを奮い立たせ、エネルギーをもらったといいます。
イエス・キリストについても深井さんは、史実かどうかは分からない伝説上の話だと断ったうえで、死に際に弟子のために祈っていたという説に触れます。裏切った弟子がそれを知れば、その行為から影響を受けるだろうし、そういう人間がいたこと自体が後世の人々にも影響を与えている、という見方です。
極端な生き方
強い意志を貫く、裏切った弟子のために祈るなど、何かを強く示唆する存在がある
存在を知る
弟子や後世の人々が、そういう人間がいたことを知る
奮い立つ
知った人がエネルギーをもらい、自分を奮い立たせる
長期的な影響
生前の行動量を超えて、後世へ影響が広がる
楊さんが「生き様ということになるのかな」と尋ねると、深井さんは、そういう生き様の人間が存在すること、そしてその存在を知ることが、人に影響を与える因子になるのだと答えています。
教訓は「何もない」、その代わりに得られるもの
楊さんが、この話からどんな教訓が得られるのかを尋ねると、深井さんの答えは「何も」でした。無理に教訓を得なくてもいい、というのが深井さんの立場です。
短期的影響と長期的影響があって、長期的影響の因子としては、そういう存在するというものが大きく影響を与えるんだなっていう現象として理解してる。
深井さんは、教訓というより、こうした社会現象がありうると分かることに意味があると話します。そうすれば、目の前で起きていることを短期的評価だけでなく存在として評価する、という概念を価値判断に選択的に取り入れられ、評価の幅が広がるといいます。
楊さんは、行動や目に見える成果だけで短期的に評価すると、自分も辛くなり、他人に対しても「今何もできないから価値のない人間だ」という判断を下しかねないと応じます。
深井さんはさらに、自分の人生を例に挙げます。もし深井さんが何もしなかったとしても、息子がそれを反面教師に圧倒的な何かをするかもしれないし、逆に何もしないかもしれない。その影響は人知を超えている、と話します。
深井さんにとって、歴史を学ぶ意味のひとつは、短期的な評価だけで人を測らない視点を持てることにあるようです。楊さんも「伝わると思う」と応じ、この回は締めくくられました。
行動や目に見える成果だけで短期的に評価し、自分も辛くなり、他人を「価値がない」と判断しかねない
短期的な評価もしつつ、存在として評価する視点を選択的に加え、評価の幅が広がる
まとめ
吉田松陰、孔子、イエス・キリストのように、生前の行動は少なくても後世に大きな影響を残した人物の背景には、行為ではなく「そういう人間がいた」という存在の認知があると深井さんは語ります。その視点は、成果を求められる現代で、自分や他人を短期的な評価だけで測らないための手がかりになるかもしれません。
- 生前の行動量が少なくても、存在が極端に何かを示唆する人物は後世に大きな影響を残す
- 長期的な影響は、行為よりも「こういう人がいた」と知ることから生まれやすい
- ある存在が良い影響か悪い影響かは、その時代の評価や結果論でしか語れない
- 深井さんは、生きているだけで99パーセント目的を達成しているという感覚で生きている
- 短期的な評価もしつつ、それだけで評価しないことにリベラルアーツの意味がある


