ローマ帝国が崩れたら、教育はどうなる?
教育の歴史編の第3回は、古代ギリシャ・ローマに続いて、キリスト教が入ってきた後の中世ヨーロッパの教育がテーマです。深井さんはまず、その前提となる社会の大きな変化として西ローマ帝国の滅亡を挙げます。
深井さんによると、ビザンツ帝国 ── 東ローマ帝国のこと。首都はコンスタンティノープルで、西ローマ帝国の滅亡後も1453年まで続きましたは残る一方で、西ローマ帝国は比較的早く滅び、その後のヨーロッパでは各地で国が並び立つ時代になります。
ローマ帝国がある頃っていうのは、そのローマ帝国っていうフォーマットでみんなが治められてたわけですよね。けど、そのフォーマットがなくなっちゃった。
統一から分散の時代。
ローマ帝国の時代には、法律、ラテン語、貨幣、軍事制度、道路、都市計画までが1つの統一規格で整えられていました。帝国の崩壊後に並び立った国々は、今のヨーロッパ諸国の原型になっていったと深井さんは説明します。
ローマ帝国という統一規格のもとで、法律・言語・貨幣・軍事・道路・都市計画が整っていた
統一規格がなくなり、諸国が並び立つ状態に。これが今のヨーロッパ諸国の原型になる
この社会変化によって教育がどう変わったのか、というのがこの回の問いです。
中世ヨーロッパは本当に「暗黒時代」だったのか
深井さんは、中世ヨーロッパの教育は大きく前半と後半に分かれると整理します。前期は修道院での修行が中心で、学校という視点で見れば、いわゆる学校が一度なくなり聖職者を育てる学校しかない状態でした。
中世ヨーロッパの前期には、同時にギルド教育と呼ばれるものが行われていました。そして後期になると、大学が登場します。
この大学が出てきてから、あらゆることが実は変わっていきます。
深井さんは、大学は諸国が並立している状態でなければ生まれなかったと話します。中世を飛ばして古代から現代のような教育へ直接たどり着くことは、おそらくできなかっただろうという見立てです。
中世ヨーロッパは「暗黒時代」「人間の進化が止まった時代」と言われることがあります。深井さんはこれに対し、良くなった・悪くなったという捉え方は色眼鏡すぎるのではないかと語ります。
もう価値判断が入るってことだから、なかなかその正確には(把握できない)。
時代の違いは、社会のパターンやタイプの違いとして見るべきだ、というのが深井さんの立場です。
生活そのものが教育だった中世の子どもたち
中世ヨーロッパでの教育は、基本的に日常生活の中で行われていました。農民なら農民の、職人なら職人の伝統的知識を、性別や年齢に応じて教えられる仕組みです。
深井さんによると、この時代の中世ヨーロッパの教育は徒弟制度 ── 親方のもとに弟子が入り、仕事を手伝いながら技術や知識を身につける育成の仕組み。中世ヨーロッパの職人の世界で広く見られましたが中心でした。座学ではなく、物を作る、麦を植えるといった行為そのものが教育として機能していたといいます。
子どもは小さい頃から仕事を学び始め、ある年齢になって技術を習得すると、大人と一緒に仕事を担う同僚になっていきました。こうした生活の中の教育は、国家や政治権力からはかなり遠いところにあったと説明されます。
中世ヨーロッパでは、ローマやスパルタのように同じ年齢の子どもを一か所に集めることはしていませんでした。子どもは常に大人と一緒に生活していたことになります。
僕たちの仕事場に3歳ぐらいの子供連れてきてて、その子がそれ(大人の仕事)を見ながら学んじゃってる状態と一緒です。
わかるわかる。模倣している。
一方で、仕事だけをしていたわけではなく、詩の朗読や暗唱、物語を聞くといったことも生活の中で行われていました。文字については最低限の習得があった程度とされ、深井さんは「いくつかの単語だけ読める人もいたのでは」と、想像であると断ったうえで推測しています。
中世ヨーロッパで学校の形をとっていたのは、キリスト教関連のものだけでした。当時唯一の知的エリートといえる司祭を育てるため、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽が学ばれていました。これがもともとリベラルアーツ ── 古代ギリシャ・ローマに起源を持つ自由人の教養。中世には文法・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽の7科目として整理されましたと呼ばれたものです。
ただし修道院で学ぶ人たちは、自分が修道士になる修業をしている感覚でした。教えることが自分の仕事だと考える人が集まっていたわけではない点が、今の学校とは大きく違うと深井さんは指摘します。
職場とかそうですよね、だから。教えるのが自分の仕事だって思ってる人ってあんまりいなくて。
職人を育てた「ギルド」とはどんな仕組みか
中世ヨーロッパの教育を理解するうえで、もう1つ重要な概念がギルドです。ギルドは、都市ごとに同じ職業の人たちが作った相互補助の組合のような団体で、例えば「この町の鍛冶屋のギルド」のような形であらゆる職業にありました。
深井さんは、ギルドが生まれた背景を統一権力の不在から説明します。ローマ帝国の時代なら、トラブルが起きても権限を決める人や法律に頼ることができましたが、初期の中世は教会が強く、国家権力がまだ弱い状態でした。
販売をギルドメンバーだけで寡占する。そして生産もギルドメンバーだけで寡占する。
セーフティネットかな。
ギルドは自らのメンバーを徒弟制度で育て、スキルや知見を門外不出のものとして中だけで継承しました。職人の親分にあたるマイスターが弟子を育てる形です。
ギルドの弟子がギルドの正式メンバーになるまでの道のりは、次のように語られています。
卒業制作みたいな。
深井さんは、今のドイツにもマイスター制度が残っていることに触れ、12世紀以降のヨーロッパの職人は学校ではなくこうした教育を受けていたと話します。
雑学として、後の産業革命 ── 18世紀後半のイギリスに始まった、機械化による生産方式と社会の大きな変化。工場制の工業が広がり、多くの手工業者の仕事を変えましたでは、機械の導入に最も抵抗したのがギルドだったという話も出ます。パリでは印刷機の導入に対して、文字を写す写字生のギルドによる暴動も起きたといいます。
深井さんはこの例から、技術の変革によって教育内容が変わり、それまで継承されてきた知見やスキルが価値を失うことがあると指摘します。
騎士の教育と、生まれた瞬間から分かれる学び
中世ヨーロッパでは、騎士も独自の教育を受けていました。騎士は7歳頃から領主の館に住み込み、騎士としての技術や教養を身につけ、女性を尊敬すべきことなども教えられたそうです。
14歳から20歳の騎士見習いは盾持ちと呼ばれ、武術だけでなく礼儀作法や詩を作る技術も学びました。樋口さんは狩りやチェスも加え、深井さんはこれを貴族的な教育とまとめます。
深井さんが繰り返し強調するのは、中世ヨーロッパの教育が細分化されていたことです。現代との違いは次のように整理できます。
高校ぐらいまでほぼ統一的な教育を受け、大学で専攻が分かれてから仕事に就く
生まれた瞬間から進む道が分かれ、学校ではない場で徒弟制度によって教えられる
たまたまその社会にいる大人から教えてもらうみたいな感じになってますね。
大学は「知識人のギルド」だった
深井さんは、1つの国家権力が1つの教育を司ることがなかったからこそ、中世ヨーロッパで大学が生まれたと話します。大学は知識人ギルドであり、国家権力や教会権力から比較的独立した自治の組織として誕生しました。
利害が一致する人々が集まって相互補助することが当たり前の社会だったので、知識人も同じようにした、というのが深井さんの説明です。その結果、知識人は比較的自由な発想を使えるようになり、それがルネサンス ── 14〜16世紀ごろにイタリアから広がった文化運動。古代ギリシャ・ローマの学問や芸術を再評価し、人間中心の思想が花開きましたへつながっていきます。
そもそもいろんなところで勝手に作る文化があったんですね、そこに。
深井さんは、このケースでの大学は国が作ったものではなく、途中からお金も絡んでくる「本当にサークル」のようなものだったと表現します。
中世ヨーロッパの政治権力の分散は、その後の思想家の大量発生につながりました。深井さんは、思想家が世界とは何かを考え直すことで社会が変わり、社会が変わることで教育がまた変わるという流れを描きます。
政治権力の分散
統一権力がなく、諸国やギルドが並立する
大学の誕生
知識人もギルドとして集まり、自治的な組織を作る
思想家の大量発生
比較的自由な発想で、世界とは何かを考え直す
社会と教育の変化
社会が変わり、その結果また教育が変わる
なんか大元を作るんですね、思想家が。
江戸の昌平坂と大学は何が違う?
次回のテーマは、大学がどのように誕生したのか、そもそも大学とは何か、です。深井さんは予告として、江戸時代の日本にも高等教育があったことに触れます。
高杉晋作の回で取り上げた幕府の学校昌平坂 ── 江戸幕府直轄の学問所「昌平坂学問所」のこと。昌平黌とも呼ばれ、儒学を中心に幕臣などを教育しましたもその1つです。高杉晋作が在籍し、「他の生徒は全員クズだ」と吉田松陰に手紙を送ったというエピソードも、番組の過去回で話されています。
昌平坂のような学校は読み書きそろばんにとどまらず、高度な内容を教え、議論もしていました。それでも深井さんは、高等教育と大学は別ものだと話します。
高等教育っていうのは、ある程度発達した文明にはみんなあるんです。でも、大学というのは一つでかい特徴を持っているんです。
大学の特徴が何なのかは次回に持ち越されます。樋口さんが「好奇心くすぐる」と反応し、深井さんは「今言っちゃったら次回言うことなくなっちゃう」と笑いながら回を締めくくりました。
まとめ
西ローマ帝国の崩壊で統一規格を失った中世ヨーロッパでは、教育は生活の中で、身分や職業ごとに細分化して行われていました。統一権力がない中で人々が自ら集まって相互補助する文化が、知識人のギルドとしての大学を生み、思想と社会の変化へつながっていったと語られています。
- ローマ帝国の崩壊で、法律・言語・貨幣などの統一規格が失われ、諸国が並立する時代になった
- 中世ヨーロッパの教育は座学ではなく、徒弟制度による生活の中の学びが中心だった
- 学校の形をとっていたのは聖職者を育てる修道院くらいで、そこでリベラルアーツが学ばれていた
- ギルドは生産と販売を寡占して互いを守り、住み込み・遍歴・マスターピースを経て職人を育てた
- 大学は知識人のギルドとして独立的に生まれ、思想家の大量発生とルネサンスにつながった



