大学は建物ではなくコミュニティだった?
コテンラジオの教育の歴史編は、前回までのキリスト教と教育の話を受けて、今回は「大学」の誕生がテーマです。深井さんは、大学の登場によってあらゆる変化が起こったと前置きし、そのルーツと特徴を伝えたいと話します。
深井さんによると、今日につながる意味での大学が誕生したのは12世紀後半から13世紀後半です。もともと大学は前回紹介したギルド ── 中世ヨーロッパの職業別の同業者組合。商人や職人が互いの利益を守るために結成し、営業や品質のルールを定めていました的な存在で、建物ではなく人の集まりのことを指していました。
大学っていう建物があるとかいうわけじゃないんです。人の集まりのことを大学。
この時期のヨーロッパでは、職業的な知識人が生まれてきます。背景の一つは、農業生産性の向上で社会が豊かになり、「知識人であるだけでお金をもらえる」状況が出てきたことだと深井さんは説明します。
(知識人は)自分の肉体を動かす生産活動はしなくてもいい人たちなの。
ボローニャ、パリ、オックスフォード。一気に広がった大学
最初の大学については諸説あり、アズハル学院 ── エジプトのカイロにあるイスラーム教育機関。10世紀に創設され、現存する世界最古級の高等教育機関の一つとされますを最初とする見方もあります。ただ、ヨーロッパで最初の大学とされるのはイタリアのボローニャ大学で、一応1158年の成立とされています。
深井さんは、人の集まりなので設立年をいつとするかは難しいと補足します。その次にできたパリ大学は1231年の成立で、樋口さんは「70年、80年」とその間隔に驚きます。
13世紀に入ると、イングランドのオックスフォード大学やケンブリッジ大学、イタリアのモデナ、レッジオ、アレッツォ、パドヴァ、ナポリ大学、中央ヨーロッパのプラハ、ウィーン、クラクフ、ハイデルベルク、ライプツィヒ大学などが一気に生まれます。
深井さんは、15世紀までにヨーロッパで70〜80の大学が作られるほど、この200〜300年で急速に広がったと話します。
権力の対立のすき間で育った独立性
深井さんによれば、大学はもともと教師や学生の相互扶助組合でした。それが、教皇、神聖ローマ皇帝、領主たちの権力対立を利用し、自らの権利を獲得する独立した勢力へと成長していきます。
具体的には、兵役免除や税金の一部免除、ある程度の自治権といった特権を、国王や皇帝、ローマ教皇から認可される形で勝ち取っていきました。
へー、すごい。ただのサークルがちゃんと機能を帯びてきてるんですね。
こうしたことが可能だったのは、政治権力が分散していたからだと深井さんは説明します。一人の支配者がいれば従わされて終わりですが、利害の一致しない複数の権力者がいたため、その間に入り込めたというわけです。
俺はこっちにつくからもう少し優遇してくれみたいなことを言って、自分の権利を獲得していくというのをコミュニティがやったんだよということですね。
権力の分散
教皇・皇帝・領主の利害が一致せず対立していた
間に入る交渉
知識人の組合が、それぞれの権力者と駆け引きする
特権の獲得
兵役免除、税の一部免除、自治権などを認可される
都市を渡り歩く「移動民」が知識人になった
知識人という職業が生まれた背景として、深井さんは都市の発展を挙げます。10世紀頃から農業生産力が上がり、ヨーロッパの人口が増え、農業をしない人々が都市に住むようになって貨幣経済が発達しました。
ただ、人々は都市やその周辺の農村単位で生きていました。その都市の間を移動する商人や修道士が情報を運ぶ「メディア」となり、こうした移動民が知識を集積して、独立した職業としての知識人になっていったといいます。
すごい。なんか花と蜜蜂みたいな。
深井さんは、知識人たちがもともと都市に縛られずに動き、権力の間を縫って権利を主張してきたため、組織の形成過程から越境性と独立性を持っていたと説明します。
(大学に国家権力からの独立の気風が)なんであるかっていうと、もともと国家権力から出てきてないからです。彼らは。
樋口さんが、大学は小中高の上にあるものだと思っていたと驚くと、楊さんは「ヨーロッパは」と限定します。日本では明治時代に国主導で大学というフォーマットを入れたものの、独立の気風はあると楊さんは話します。
行政の拡大と、アラブ世界からの「逆輸入」
大学の誕生を後押ししたもう一つの理由は、行政組織の発達です。深井さんは、組織が大きくなると直接お金を稼がない仕事が増えるのは会社と同じだとたとえます。
上場したらめっちゃその経営企画とか何々とかいっぱい必要だとか、そういういわゆる直接お金稼いでないんだけど、でかい組織には必要だっていう部署があったりするわけですよね。
都市が大きくなると、文章に長けた人や、他の都市との論争で相手を説き伏せる論理、法学の知識を持つ人が求められ、専門家へのニーズが高まったと深井さんは説明します。
さらに、古代ギリシャで栄えた哲学や自然科学は、中世ヨーロッパには直接引き継がれず、アラビア語に翻訳されてイスラーム世界で研究されていました。深井さんは、当時のイスラームが中世ヨーロッパより豊かだったからだと考えています。
その知識が十字軍 ── 11世紀末から13世紀にかけて、西ヨーロッパのキリスト教勢力が聖地エルサレム奪還などを掲げて行った遠征。イスラーム世界との接触の機会にもなりましたなどを通じてヨーロッパに持ち帰られ、アラビア語から逆輸入されたのがこの時期です。
他の土地から自分たちのルーツを知るみたいな。おもろ。
古代ギリシャ
哲学や自然科学が勃興する
イスラーム世界
アラビア語に翻訳され、保存・研究される
十字軍など
ヨーロッパがイスラーム世界にアクセスする
中世ヨーロッパ
アラビア語から逆輸入され、大学が受け皿になる
「ユニベルシタス」とボローニャ大学の誕生
深井さんは、初期の大学は校舎すら持たず、究極的には全員が移動すれば大学ごと移動できるほどだったと話します。英語のユニバーシティの語源は、組合団体を意味するラテン語のユニベルシタス ── ラテン語で「全体」「団体」を意味する語。中世には同業者の組合を指し、英語のuniversityの語源になりましたで、知識人のギルドでした。
では、なぜボローニャで最初の大学が生まれたのか。当時はローマ教皇と皇帝が叙任権闘争 ── 聖職者を任命する権利をめぐるローマ教皇と神聖ローマ皇帝の争い。11世紀後半から12世紀前半に激化しましたで争っており、周辺の自治都市は自らの権利の正当性を論証する必要に迫られていました。
そのために法学を学ぶ必要が生まれ、法学者や法学の学生が集まりました。この法学の学生たちが組合を形成し、独立性を持つに至ったのがボローニャ大学だと深井さんは説明します。ボローニャ側にとっても、正当性を主張するための専門家がいる状態は好ましいものでした。
シンクタンクみたいなもんかも。
もともと学生と教師の関係は、学生がお金を払って教師を家に呼ぶような家庭教師レベルのものでした。規模が大きくなり組合団体化すると、教師は組合団体に雇われる立場になります。深井さんは、これが端的に言えば大学の誕生だと話します。
学生たちは団体の力で、授業をちゃんとやらない教師に対して「変な話ばかりするな」「同じことを何度も言うな」「新しいことを教えろ」と求めていたといいます。
雇われてますからね。言われるのはしょうがない。
カレッジは教師の組合。卒業証書が生まれた理由
パリ大学の形成過程はボローニャ大学と異なり、教師が組合を作りました。深井さんによれば、これがカレッジです。今の意味とは違いますが、もともとカレッジは教師の組合、ユニバーシティは学生の組合でした。
え?あ、ユニバーシティとカレッジ違うんや。
教師たちは学生から自らの権利を守るために団結し、学位授与権を持つことで学生に対抗しました。深井さんは、つまり卒業証書は教師が自らの権利を守るために作ったものだと話します。
学費を払わない人には学位を与えず、学位を与えることは権威を渡せる存在になることを意味しました。教師たちはこの学位授与権も、当時の権力者と渡り合いながら保証してもらったといいます。
学生の組合から始まり、学生が教師を雇う。学生の力が強く、学生同士の横のつながりが重視された
教師の組合から始まり、学位授与権で学生に対抗した。教師の権力が強く、師弟関係が重視された
深井さんは、学生が団体を作って教師に給与を払うことと、教師が学位を与えることの2つが、まさに大学が大学たる所以だとまとめます。
学位を出せることは、権威を再生産できること
当時の学位の価値について、深井さんは、今も博士の地位は高いものの当時はもっと高かったと話します。ボローニャ大学の学位がドクトル(ドクター)、パリ大学の学位がマギステル(マスター)で、もともとは同じ意味でした。
深井さんが「めっちゃ大事なポイント」と強調するのは、学位を大学が与えられることの意味です。
博士を作れるんですよ、大学。独立した権力として。
深井さんは、大学がこうした権力を勝ち取りながら独立した組織として形成された系譜があるため、大学は非常に自治的なのだと説明します。そして、国家権力に左右されすぎずに知識人を生み出したことが、その後の自由な発想につながったといいます。
古代国家の国家の教育のために必要だから、あなたたちにお金を払いますと言ってやってるバージョンだと、おそらくこの後起こる思想爆発が起こってないんですよね。
樋口さんは、番組で繰り返し出てくる「誰から金をもらうか」が大事だと応じます。深井さんは、現代の国立大学は国家が補助していますが、国民が主体の国家なので概念が違うと補足しました。
ただし、当時の大学も完全に自由だったわけではなく、キリスト教の中での思考からは解放されておらず「比較的自由になった」程度だと深井さんは付け加えます。
学位はごく一部のエリートのものだった
深井さんによると、ドクトルやマギステルの学位はかなり数を絞っており、誰でもなれるものではありませんでした。ほとんどの人は学位のためではなく、純粋に勉強するために大学へ通っていたといいます。
今はどっちかっていうと卒業するために行ってるじゃん、特に日本の学生とかって。けどそういうのが最初からではなかったということですね。
識字率も高くない社会で、学位を取った人々は神学について議論できる貴重なエリート層でした。深井さんは、この人たちが宗教論争を始めていくのだと話します。
パリ大学の前身は教会でしたが、既存の教会権力が揺らぐ中で協同組合が大学に転化し、大学の自治を教皇から保証してもらうようになりました。
アリストテレスが時代を超えて広まった
ボローニャ大学とパリ大学の成立後、ヨーロッパ各地に大学が広がります。深井さんは、それだけ専門性の高い知識が求められるほど人口が増えていたのだと説明します。各地は最初、ボローニャとパリの卒業生を招いて大学を作っていたそうです。
意外なことに、教育内容や教え方には地域性がなく画一的だったといいます。中心はアリストテレスを中核とする古代ギリシャの知識とキリスト教信仰の知識で、ここでスコラ哲学 ── 中世ヨーロッパで発展した学問の方法。キリスト教の信仰とアリストテレスなどの古代ギリシャ哲学を、論理的に調和させようとしましたが出てきます。
大学は逆輸入された知識の受け皿となり、世界を神の存在だけで説明せず、古代ギリシャから学べることを吸収しました。とはいえキリスト教の地位の方が高い状態は続いていたと深井さんは話します。
樋口さんが地域性のなさを不思議がると、深井さんは、大学を作った人々がもともと都市間を移動する移動民だったため、都市を越えた共通フォーマットを持つのは自然だったと答えます。
当時の学び方は、テキストを講読し、問題を設定し、議論・討論して解決していくもので、深井さんはこれも画期的だったと評価します。学位を取れば他の大学で教えられるため、大学には自己再生産の機能もありました。
深井さんは、大学を通じてアリストテレス的な考え方がキリスト教会にも浸透し、ルネサンス、宗教改革、フランス革命にもつながっていき、何百年もかけて社会を大きく変えたと話します。
アリストテレスすごい。
古代ギリシャと、ほぼ同じ時期の中国の諸子百家 ── 中国の春秋戦国時代に現れた多くの思想家や学派の総称。孔子の儒家や老子の道家などが含まれますについて、樋口さんは今使っている教養の6割ぐらいがそこ由来で、残り4割が近代以降ではないかと話します。
そこの多分歴史ってもう人類の中でもなんか一番脳みそがライジングした時代だったかもしれないね。
衰退、アカデミーの台頭、そして大学の復活
深井さんは、大学はこのまま今につながったわけではないと続けます。独立的だった大学は、その後国家権力に取り込まれて一度衰退していきます。ただ、それは一面的な見方で、高等教育にお金を出す人が他にも現れ、大学以外の知の場が出てきたともいえます。
大学が出てきた頃は国家権力が分散していましたが、その後ヨーロッパでは国家権力が大きくなり絶対王政 ── 16〜18世紀のヨーロッパで、国王が強大な権力を握って統治した政治体制。フランスのルイ14世の時代が代表例ですに突入します。そのため大学は国家権力に取り込まれていったと深井さんは説明します。
一方で、より自由に知を追求したい人々は、出資元が異なる場で活動しました。深井さんは、デカルト、ジョン・ロック、スピノザ、ライプニッツといった近世の哲学者は大学教授を生業とせず、在野の研究者や執筆者だったと話します。スピノザは不遇のまま亡くなっています。
この間に勢いを持ったのが専門学校やアカデミーで、絶対君主制の中で軍事・医学・工学など特殊な知識を扱い、そこで学ぶ人が社会的地位を得ていきました。アカデミーがヨーロッパ中に作られた数はアカデミーの数とされています。
その後、近代的大学の直接の祖先とされるフンボルト型大学 ── 19世紀初頭にベルリン大学の創設とともに広まった大学モデル。教育と研究の統一を理念とし、近代大学の原型とされますが出てきます。それが世紀ごろで、それまではアカデミーの全盛期で「大学なんていらない」と思われていた時代があったといいます。
復活した大学の大きな違いは、研究機関も兼ねるようになったことです。最初の大学は教えることが仕事でしたが、近代以降の大学は教師が研究もし、教えもする組織になり、それによって復権していったと深井さんは説明します。
初期の大学は教師と学生の組織で、教えることが仕事だった
フンボルト型大学以降は、研究と教育の両方を担う組織になった
伝えたかったのは「権力が分散した社会」から生まれたこと
深井さんは、台本の半分ほどしか読んでいないとしたうえで、今回伝えたかった核心を語ります。研究を始めたことよりも、大学の最初の出方そのものが面白いのだといいます。
樋口さんは、お金を出したのが学生で、勉強したい人々が勝手に集まって始めた点が面白いと話します。
国主導じゃないところがなかなかユニークだよね。
最後に深井さんは次回の予告をします。ギルドの時代には人々は年齢や子供のことをあまり気にしていなかったのに、大学ができた後、急に子供のことを考えるようになったといいます。
子供って概念って当たり前じゃないんだよね。なくても生きていってる人たちがいたんだよね、過去。
まとめ
ヨーロッパの大学は国家が作った教育機関ではなく、都市を移動する知識人や学生、教師の組合として生まれました。権力の分散を利用して特権と学位授与権を勝ち取ったことが、自治の気風と自由な知の土台になったと語られています。
- 大学はもともと建物ではなく、ギルドのような人の集まりで、ユニバーシティの語源は組合団体を意味するユニベルシタス
- ボローニャ大学は学生の組合、パリ大学は教師の組合(カレッジ)から生まれ、卒業証書は教師が権利を守るための仕組みだった
- 学位授与権によって、大学は権威を自ら再生産できる独立した存在になった
- 大学はアラブ世界から逆輸入された古代ギリシャの知の受け皿となり、のちの社会変容につながった
- 大学は一度国家に取り込まれて衰退し、アカデミーの台頭を経て、研究機関を兼ねることで復権した




