「カースト制」は存在しない?
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カースト制は教科書にも出てくる有名な身分制度で、「インドといえばカレー、ダンス、カースト」というイメージを持つ人も多いかもしれません。番組でも、インドの歴史を語るうえでカーストは避けられず、しかも現代まで続いているテーマとして紹介されています。
ところが番組の調べでは、インドに「カースト制」というひとつの制度があるわけではないといいます。実際にあるのはヴァルナ ── 古代インドで祭司が唱えた社会区分の理念。サンスクリット語で「色」を意味する語に由来するとされますとジャーティ ── 「生まれ」を意味する語に由来する、地域ごとの世襲的な職業・婚姻集団。インド社会の実際の単位として機能してきましたという別々の概念で、この2つが絡まったものを外から「カースト」と総称しているのだそうです。
番組では、当事者にとって実感のある概念はヴァルナとジャーティのほうで、「カースト」はむしろ不正確な概念だと説明されます。カースト制がひとつの制度としてあるという感覚で理解すると、実態を誤解してしまうというわけです。
バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ(現代はダリットを加えた5階層)という区分けの概念。インド全体で共通の大枠
村や地域を基盤にした世襲の職業集団。内婚・序列・地域固有性を持ち、3000〜4000あるともいわれる。社会を実際に動かしている単位
ヴァルナは「バラモンが語った理想像」だった
番組によると、ヴァルナの起源はアーリア人の来訪にさかのぼります。紀元前1500年頃から紀元前1200年頃にかけてインドに来たアーリア人は、現地にいたインダス文明の末裔の人々と対立し、征服して隷属させていきました。
ヴァルナでは、隷属民がシュードラ、その上の平民がヴァイシャ、王侯や戦士がクシャトリア、そして頂点に祭司階級のバラモンが置かれます。ただしこの区分けは、当時のバラモンが「社会がこうあったら理想的だ」と語ったもので、自分たちを頂点に置いた「ビジョン」にすぎなかったと番組は強調します。
ヴァルナの概念が成立したのは紀元前8世紀から紀元前7世紀、およそ2800年前です。その時点では、社会が実際にその形になっていたわけではありません。
その後、紀元後4世紀から7世紀にかけて、不可触民という概念が加わります。シュードラの人々は混血やヒンドゥー教化を通じて社会の一員として数えられるようになり、その外側で狩猟採集をしていた人々が新たな被差別民になっていったといいます。
不可触民が生まれたことでシュードラへの差別は緩和され、ヴァルナの枠組み自体はむしろ安定していったそうです。ヒンディー語の呼び名「アチュート」は差別的な響きがあるため、番組では当事者が自称するダリット ── 「抑圧された者」を意味する語。不可触民とされてきた人々が、自分たちを指す呼称として用いていますという呼び方を使うのがよいとしています。
差別はインドだけの問題なのか
被差別民が社会に包摂されると、その外側に新たな被差別民が生まれるという流れを聞いて、樋口さんはこう反応します。
これ要は被差別民が必ず必要になってくるんですね。こういう社会構造を作ろうとしたら。
番組では、差別はどの社会にもあると応じます。日本には部落差別があり、ヨーロッパやアメリカには激しい人種差別があります。インドの人々だけが差別をしているわけではない、というのが調べる中での受け止めだったそうです。
カースト制も、客観的に見ればこう語られるだけで、自分たちの社会も同じように語ろうと思えば語れるといいます。番組は、差別を内と外、仲間と仲間でないものを分ける人間の認知から生まれるものだと捉えています。
そのうえで強調されるのが、差別は「放っておいたらやってしまう」ものであり、教育でしか克服できないという点です。差別する人を憎んでも何も解決しないため、広い範囲で大々的に教育するしかない、という考えが示されます。樋口さんは、ホモ・サピエンスである以上差別してしまう習性をメタ認知することから始めるべきだとまとめています。
ジャーティという世襲の職業集団
ヴァルナの区分けが実際に社会の慣習として定着するのは8世紀頃で、概念の成立から1600年ほど後のことです。その定着の形がジャーティでした。
ジャーティは、村の中で洗濯屋、地主、掃除屋、裁縫屋のように職業を分担する世襲の集団です。洗濯屋に生まれれば洗濯屋になるしかなく、糞尿の汲み取りの家に生まれればその仕事をするしかありません。差別は基本的にこのジャーティによって行われていると番組は説明します。
地域固有性の例として、デリーの洗濯屋ドービーとマドラスの洗濯屋ワンナーンは別のジャーティなので、互いに結婚できないといいます。ヴァルナがインド全体で共通なのに対し、ジャーティは村や町の単位で存在し、全体で3000とも4000ともいわれるほど細分化されています。
ジャーティには食事の規制もあります。自分より低いジャーティと一緒に食事をしたり、水や食べ物を受け取ったりすると穢れが移るとされます。インドの料理屋にバラモンが営む店が多いのは、バラモン以外が作ると上位の人が食べられないからだそうです。
各ジャーティはどのヴァルナに属するかも決まっていますが、その関係も単純ではありません。周囲からはシュードラと見られている土地持ちの農民集団が、自分たちはクシャトリアだと主張するような、ずれが起きることもあると紹介されます。
「カースト」はポルトガル人の名付け
「カースト」という名前自体は外来語で、インドの人々が自ら使ってきた言葉ではありません。16世紀の大航海時代に、ポルトガルの航海者がジャーティとヴァルナの慣習を目にして「カスタ」と名付けたのが始まりだといいます。
カスタは、混ざってはならないもの、純血、血筋、人種といった意味の言葉です。番組では、人種で人を分けるのはヨーロッパ人の分け方であり、カーストは人種で分けているわけではないと指摘されます。
1583年から1588年にインドのゴアに滞在したオランダ人の旅行記録には、職業を変えてはならず、親の職業を継ぎ、同じ生業の家の娘と結婚しなければならない、と書かれているそうです。外から見てもわかるほどの慣習があった一方で、詳しい中身は理解されないまま、ヴァルナとジャーティを混同した名前が今も海外に伝わっています。
外から見るとさ、まるでカースト制っていうそのすごくきれいな一つの構造になってるように見えるけれども、実は全然中身は複雑で、何十ものいろんなグループが錯綜してるっていう。
番組では、差別とはもともとそういうもので、人種差別でも日本の差別でも明文化してきれいに分けられるものではないと応じます。場面によって仲良くしたり差別したりする複雑な現れ方をするからこそ、単純化しないことが大事だといいます。日本史に詳しくない海外の人が「日本人はみんな武士だったんでしょ」と思うのと似ている、というたとえも出ています。
「誰となら食事できる?」で見える序列
ジャーティの根底には、穢れが感染するという感覚があります。かつては影を踏まれたりダリットを見たりするだけで穢れるとされた時代もあったそうで、今でも食べ物の受け渡しには気を使う場面が残っているといいます。
この穢れの感覚は、ヴァルナが作られた時にシュードラをヴェーダの宗教を知らない不浄の存在とみなしたところまでさかのぼれる、と番組は説明します。シュードラへの差別がだいぶ薄れた今、その感覚はダリットに向けられています。
番組では、1977年の論文をもとに、ラジャスタン地方のシハーナ村の調査が紹介されます。約50年前のこの村には人口1393人、239世帯、29のジャーティがありました。現在も同じ差別があるとは限らないという前提つきの話です。
| 階層 | グループ | 主な職業 |
|---|---|---|
| 上層 | A〜C | バラモン、マハージャン(商人)、ラージプート(地主) |
| 中層の上位 | D | 神殿の番人、農業、羊飼い、野菜作り、庭師 |
| 中層の下位 | E | 金細工、陶工、床屋、鍛冶屋、仕立て人、召使い |
| 下層の上位 | - | 村の見回り、洗濯、番人、屠殺、皮革職人 |
| 下層の下位 | - | 汚物処理 |
興味深いのは、この序列の調べ方です。「あなたのジャーティとあのジャーティ、どちらが上ですか」と聞いても答えてもらえません。そこで「あの人と一緒に食事ができますか」「あの人が作った煮物を受け取れますか」と一人ずつ尋ねて全数調査すると、序列が浮かび上がったそうです。
この村では商人が地主より上にあり、ヴァルナの順序ではクシャトリアとヴァイシャが逆転しています。番組は、ヴァルナはあくまで大枠として働いているだけで、実際の社会と人々の実感を動かしているのはジャーティだと強調します。
7世紀から続く社会のフォーマットとイギリスの分断統治
ジャーティ制度が機能し始めたのは7世紀から10世紀の間とされます。グプタ朝後期にインド社会の「フォーマット」が確立してから、ムガール帝国の時代もイギリス植民地時代も、そして現代も、基本的にはこの単位で社会が運営されてきたといいます。
では、カーストは役所で管理されていたのか。番組によると、それが起きたのはイギリス植民地時代です。少人数で巨大な人口を効率よく統治するため、イギリスは住民を宗教、カースト、少数民族別に分類し、カーストが表記されるようになりました。
イギリスはヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立や、カースト同士の対立を利用し、インドの人々を一致団結させないようにしていたといいます。もともと内にあって口にするのもはばかられるものだったカーストが、役所での管理や個人の記録と結びつき、より強固な差別として表に出ていったのがこの時代だと説明されます。
もともと
ジャーティは社会の内にあり、表立って語られないものだった
植民地統治
イギリスが住民を宗教・カースト・少数民族別に分類し表記
分断統治
カースト同士の対立を利用し、団結させないようにした
結果
カーストがより強固な差別として表に現れた
ガンディーはカーストを肯定していたのか
ガンディーがカーストを支持していたと書く本もありますが、番組での読解は違います。ガンディーは職業の世襲や村での分業は肯定していたものの、職業にランキングがつくことやヴァルナ制には批判的だったため、カーストを肯定していたとは思えないと語られます。これは番組側の意見として示されています。
「カースト」という言葉が分業と序列の両方を含む粗い概念だからこそ、ガンディーが何に対して何を言ったのかが捉えにくくなる、という指摘です。
インドが独立すると、憲法でカーストによる差別は禁止されました。ガンディーとほぼ同時代のダリット出身のアンベードカル ── インド憲法の起草に中心的に関わった政治家・法学者。ダリット出身で、差別撤廃運動を率いましたは、差別に抵抗する運動を強力に展開し、死の2か月前に仏教へ改宗しています。ブッダがバラモンの階級を明確に否定していたことが背景にあるといいます。
アンベードカルは、ガンディーのやり方を「ぬるい」と強く批判しました。ガンディーがカーストを肯定していたという言われ方は、この批判に由来することが多いと番組は説明しています。
現代のインドでなぜ内婚だけが残るのか
現代のインドでは、カースト差別は法律と憲法で禁止されています。かつて入学願書や就職試験で書かされていたカースト名も書かなくなり、カーストを話題にすること自体がタブーになっているそうです。
ジャーティの4つの特徴のうち、上下の序列はだいぶ消滅しかかっており、職業との結びつきや地域性もかなり薄れてきたといいます。新しい職業が次々に生まれたことも大きかったようです。一方で、なかなか崩れないのが内婚だと番組は指摘します。
内婚が残る理由として挙げられるのが、社会保障の弱さです。年金や医療保険、生活保護が脆弱なため、資金援助、借金の保証人、就職、結婚といった生きるためのリソースは、家族や親族のネットワークから調達されます。そのネットワークがジャーティをベースにしているため、境界を越えると生存の危機にさらされるのです。
社会保障が脆弱
年金・医療保険・生活保護が十分に機能していない
親族ネットワークに依存
援助・保証人・就職・結婚を家族や親族から得る
ネットワークはジャーティが基盤
境界を越えると生存が危うくなる
内婚が残る
生きていくための家族形成と結婚が結びつく
番組では、生きていくための最小の経済単位が家族であり、家族を作るために結婚があるので、結婚は経済問題と結びついて自由になりにくいと整理されます。日本でも結婚の領域だけは変化が遅い、という指摘もありました。
下位のカーストの地位向上のために、法律やNGOの支援も入っています。ただ、権利を主張するためにカーストを単位に組織を作り議員を送り出すことは、裏を返せば自分たちのカーストを固定することにもつながります。自分たちがいかに下かを主張するメリットが生まれるため、構造を崩しにくいケースもあると語られています。
今も色濃く残るダリットへの差別
差別が少しずつ薄れる一方で、ダリットへの差別は今もひどいと番組は強調します。ニュースで年に1、2回ほど耳にするインドの差別の話は、ほとんどがダリットに対するもので、シュードラへの差別のニュースは見たことがないといいます。
人類学者の文献からは、ある事件が紹介されます。上位のカーストの女性がダリットの男性にラブレターを出し、男性は断りました。ところがそれを知った女性の兄弟たちが男性のもとへ行き、なぶり殺しにして井戸に突き落としたというのです。断ったからではなく、関わったこと自体が問題にされた、と番組では受け止めています。
学校で宴会を開くときも、低いヴァルナの人が料理を作ると食べるのを拒む人が出かねないため、バラモンが作るといった配慮がされることがあるそうです。制度を変えるだけでは届かない、文化として心に根付いた問題だという声も出ています。
汚物処理のような仕事に固定されてきたダリットの人々の中には、臭いのため普通の意識では働けず、アルコール依存症になっていく人もいるといいます。2011年の調査でダリットの人口は約2億人。その全員が人権のある生活を送れるまでにどれだけかかるのか、と番組は問いかけます。
IT業界はカーストフリーなのか
インドのIT産業は、もともと存在しない職業だったためカーストと無縁に伸びた、という話を耳にしたことがある人もいるかもしれません。番組では、その説は違うようだと紹介されます。ITの従事者は過半数がバラモン階級だといいます。
統計からわかったのは、ソフトウェア技術者の多くが高カーストで高学歴の親を持ち、大都市で生まれ育った限られた集団の出身だということです。バラモンの人が人事部長になると、仲間のバラモンを採用に集めるような動きも起きるそうです。
アメリカ企業のCiscoでは、バラモンの上司のもとで働くダリットの部下が、ダリットだという理由で迫害されたとして上司を訴える訴訟が起きました。2016年のこの訴訟は、ダリット側が負けたといいます。
ただ、この件をきっかけに、Appleは2020年頃、従業員向けの雇用指針で差別を禁じる項目(人種、宗教、ジェンダー、年齢、家系、障害、性的指向など)にカーストを加えたそうです。日本企業にはまだそうした規定がほとんど入っていないという指摘も、番組で参照した本の中にあったといいます。
番組では、IT分野でダリット出身者が成功する道がゼロから1や10になった面はあるとしつつ、傾向としては裕福な高カーストの人がそのまま進むほうが多いのが実態だとまとめています。
社会のフォーマットを変えるのは教育
いや、これ結構今まで生きてきた浅い知識と今聞いた話結構違うとこあったんで、これ結構意義ある回になったんじゃないかと思いますね。
番組が挙げる最大のポイントは、ジャーティが7世紀頃から続く社会運営の単位であり、そのフォーマットを崩すのは大変だということです。日本でも明治維新を経たあとも、国会議員に元殿様の家系の人が多くいるように、社会構造はそう簡単にはゼロにならないと語られます。
裕福な家には本があり、良い大学に行かせることができ、インドなら子どもの頃から英語教育も受けられます。こうして階級は再生産されていくという話に、樋口さんは、制度より経済的な理由など別のメカニズムで起きているので、誰かが完全になくすのは難しいと応じます。
一方で番組では、明治時代にしていた差別の多くを今の日本人はもうしていないとも指摘します。生活単位が分断されたり作り変えられたりすると、どうでもよくなる差別もあるからです。インドの成長スピードを考えれば、20年後には都市部でほぼ見られなくなることも普通にあり得る、という見通しが語られます。
番組が進めている女性の社会進出やマイノリティの歴史の調査からも、ポイントは教育だとわかったといいます。差別の感覚は生活感覚として家庭の中で当たり前のように継承されるため、明文化の次に外部からの教育がなければ再生産され続けるのです。
法律で差別が禁じられても、幼い頃から親に「あそこの人とは話しちゃダメ」と言われていれば、親の言葉のほうが身につきます。番組では、アメリカのドラマに近年LGBTの登場人物が必ず出てくるようになった例を挙げ、情報発信者が意思を持って示していくことも広い意味での教育だと語られます。日本で一番それを担うべきはメディアだ、という言葉で回は締めくくられています。
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まとめ
「カースト制」は、ヴァルナという大枠の理念と、ジャーティという地域ごとの世襲集団が絡み合ったものに、外から付けられた粗い名前でした。序列や職業の結びつきは薄れつつある一方、内婚とダリット差別は根強く残っています。番組は、差別をインドだけの問題とせず、どの社会にもある人間の性質として捉え、教育によって克服していく必要があると語っています。
- カーストは外来語で、実態は理念としてのヴァルナと、社会を実際に動かすジャーティの2つの概念
- ジャーティは内婚・世襲の職業・序列・地域固有性を持ち、7世紀頃から続く社会のフォーマット
- イギリスの植民地統治で分類・表記され、カーストはより強固な差別として表に出た
- 現代でも社会保障の弱さから内婚が残り、ダリット差別やIT企業での訴訟も起きている
- 差別は家庭で再生産されるため、明文化の先に広い意味での教育が欠かせない







