足尾銅山の話で、夫・辻との何がすれ違ったのか?
前回の青鞜の話を受けて、今回は伊藤野枝の家庭が大変なことになると深井さんは切り出します。原因は、初恋の相手であり元教師でもある夫・辻に対して、野枝が抱き始めた違和感です。
辻が働かないことも一因ですが、深井さんが一番大きいと話すのは価値観のギャップです。野枝は足尾銅山 ── 栃木県の銅山。明治期に鉱毒が渡良瀬川流域の農地や住民に被害を与え、日本の公害問題の原点とされる足尾銅山鉱毒事件が起きましたの話をきっかけに社会問題に目覚め、真剣に怒り、どうすればよかったのかと考え込みました。
そんな野枝の横で、辻は「まだあんなことを考えてるの」「あなたがいくら考えたってしょうがない、もっと自分のことを考えろ」と言ったといいます。この一言で、野枝の気持ちは冷めていきます。
これもでもさ、なんか今(話を)野枝目線で言ってるからそうですけど。
辻先生目線もめちゃくちゃ気持ちわかりますよね。
樋口さんのこの指摘に深井さんも同意しつつ、「そもそも働いていない辻が言えることではない」とツッコミを入れます。辻のスタンスは、10年前の自分に関係ない出来事でセンチメンタルに浸るより日常生活を考えろ、という大人の講釈だったと考えられます。
野枝は「そんなこと私だって知っています。でも他人のことだからといって考えずにはいられません」と返しました。社会に関心を持ち、視座が上がった野枝にとって、共感どころか軽蔑してくるように見える辻の態度は耐えがたいものでした。
「もはや辻は共に生きる人ではない」と見えた瞬間
深井さんによると、野枝にとって、社会問題に向き合うマインドを共有してくれることが、共に生きるパートナーの条件になっていきました。辻とのギャップの中で、その条件がはっきりと意識されたのです。
これ、本の中に書いてあったことなんですけれども、もはや辻は共に生きる人ではないと、野枝にははっきりと見えた。
辻は、今宿から飛び出してきた野枝を受け止めた救世主であり、師匠でもありました。ただ、社会に目を向け始めた野枝には、辻の個人主義的で自己中心的な生き方が受け入れがたくなっていきます。
深井さんは、自分の価値観の変化が身近な人間関係を変える現象は今でもあると話します。社会問題に目覚める、起業する、宗教を信じ始めるといったときに、付き合う人ががらっと変わる、人間関係のリセットが起きるというのです。
もう野枝にはついていけないし、天下国家のことよりも目の前のことを考えろという気持ちも、僕は理屈では理解できます。
生き方の温度感が違ってくるのだと深井さんはまとめ、さらに「ちなみに辻は浮気してました」と付け加えます。樋口さんは思わず「ダメ男やん」と笑います。
姑のいびりと子育て、束縛はどこから来たのか
辻の実家に居候していた野枝は、今度は姑である辻の母親との関係が険悪になります。当初は温かく迎え入れてくれた姑も、息子は仕事もせずぶらぶらし、嫁は仕事や勉強で家を空ける状況に、次第にきつく当たるようになりました。
姑は野枝に「女房がそんなんだから辻も浮気したんだ」とまで言ったといいます。姑から見れば、二人の家庭は世間からずれた、あるべき姿ではない家庭でした。
野枝が姑にいびられても、辻は「自分のことは自分でなんとかすれば」と突き放し、味方になりませんでした。それ以来、野枝は二度と辻に相談しないという反抗心を抱いたそうです。
辻との間に2人の子供が生まれ、家は一瞬明るくなります。しかし今度は子育ての方法をめぐって姑との確執が生まれ、家事と育児の合間に読書をすることにも姑は反対しました。
あるあるなんだけれども、野枝にとっては初体験なんです。初めての経験なんです。この全てがね。これが重要です。
今の感覚では当たり前に思えることでも、野枝にとっては初めての体験でした。子供のために束縛が生まれていることに気づいた野枝は、束縛の多い自分の生活を呪わしく思うようになります。樋口さんは、働く女性が少なかった時代背景もあるだろうと補います。
結婚で背負わされた「誤算」を野枝はどう整理したか
野枝は、この後も自分の身に起きることのたびに考察し、文章に残しています。まず分析したのは、結婚によって知らないうちに多くの誤算、つまり想定外を背負わされたということでした。
| 相手・場面 | 想定外だったこと |
|---|---|
| 夫・辻 | 働かない。駆け落ち当初は味方だったのに、社会問題への関心に共感しない |
| 姑 | 外出や勉強に反対し、息子が働かないことや浮気を野枝のせいにする |
| 子育て | 時間を奪われ、勉強も仕事もできず、姑との確執も増える |
| 仕事 | お嬢様の道楽と批判され、稼がなければ子供も生きていけない |
上の表のように、野枝は夫、姑、子育て、仕事という4つの誤算を言葉にして整理しました。深井さんは「すごくない?整理した。しかも言葉に落として」と、その渦中での言語化に感心しています。
自由意志で選んだ道で、なぜまた縛られるのか?
野枝はさらに思考を進めます。辻との結婚は自分の自由意志で選んだ道でした。古い束縛から逃れたはずなのに、時間もお金も家族の協力もない泥沼にまたはまってしまったのはなぜか、と考えたのです。
野枝は、苦しみながらもなお頑張ろうとしている自分をメタ認知し、何が自分を動かしているのかを問います。そこで行き着いたのが、エマ・ゴールドマン ── リトアニア出身でアメリカで活動したアナキスト。女性解放や自由恋愛を論じ、結婚制度を批判したことで知られますが言ったことでした。
野枝の結論は、古いしきたりが自分の心の中に刻み込まれているから、自分がそれを選択して今の状況になっている、というものでした。
姑も縛られている、という二重構造の発見
野枝は姑を考察の対象にします。女は勉強や仕事をしてはいけないと法律で決まっているわけではないのに姑がそう言うのは、姑自身が古い習わしの価値観の中で生きているからだ、と考えました。
姑は男についても古い考え方を持っていました。男は外で働き、一家を支える権威ある主人であるべきだという考えです。実際には息子は仕事を辞めて遊び、嫁が赤ん坊を背負って働いている。姑にとってそれは苦しくてたまらない状況でした。
家事の合間にも本を開いて勉強しようとする、女らしくない嫁への苛立ち
働かず一家の主人になっていない、男らしくない息子への不安
野枝は、姑が息子への不安を嫌みとして自分にぶつけ、息子の尻を叩こうとしているのではないかと考察しました。古いしきたりに姑自身も縛られていると気づいたからこそ、野枝は姑の気持ちにも共感していたと深井さんは話します。
いやこれだってこれいまだに消えてないですよね。両方。
樋口さんは、この価値観は2024年の現代でも領域や業界によっては強く動いていると指摘します。深井さんも、身近な人が姑から「あんたは旦那のおかげで外に出て働けるんだよ」と言われた話を紹介し、姑個人の問題で終わる話ではないと二人はうなずき合います。
離婚はなぜ難しかったのか、結婚という「透明な牢屋」
姑の気持ちも状況の要因も整理できた野枝は、次にどうするかで悩みます。夫と別れれば全部片付くのはわかっている。でも子供がいる以上、我慢しなければならないのか、という悩みです。
支えになったのはエマ・ゴールドマンの思想でした。家を飛び出し、結婚と離婚を経験し、ユダヤ人コミュニティからも排除されたエマから、野枝は、抑圧を内面から振り払うこと、何者にも遠慮せず信じるところへ進むというスタンスを受け取ります。
野枝は、自分がいつの間にか家庭や夫、子供のために良き母・良き妻であろうとしていたことを自覚します。深井さんの言葉では、自分から規範に縛られに行っていた、という認識です。
一方で野枝は、内面の束縛から逃れる難しさもわかっていました。結婚は社会的な制度であり、理不尽や抑圧を個人の努力で解決しようとしても限界がある。実際に野枝は努力したものの、制度が感情や価値観を拘束していてうまくいかなかったと深井さんは説明します。
当時の結婚は今より重く、離婚には大きな社会的リスクがありました。深井さんは、野枝の感覚を自分なりの言葉で表します。
ただし深井さんは、当時も結婚で幸せを得た男女はたくさんいたはずで、簡単には一般化できないとも話します。樋口さんも、結婚を自分を守ってくれる巣と感じる人もいると応じ、深井さんは野枝自身も後に「家庭もいいかも」と思う体験をすると予告します。
「結婚に反逆して恋愛をしよう」という決断
究極の選択を迫られた野枝は、思い切って結婚に反逆し、新しく恋愛をしようと決断します。ここでの結婚と恋愛は、単なる離婚と再婚のプロセスではありません。
社会の制度。自由意志がはめ殺される古い習わし
自由意志を発揮できるもの。人間の運命を最も自由にしてくれる
エマ・ゴールドマンは結婚制度が女性を絶対の従属者にするとし、「結婚は国家と教会から生まれた雑草」とまで言っています。樋口さんは「めっちゃ嫌いやん」と笑いますが、この考え方が野枝の新しい生活への強い後押しになりました。
とはいえ、野枝にも迷いがありました。辻との結婚も自由意志で勝ち取ったものであり、終わらせたくない気持ちがあったのです。その理由の一つが、伊藤野枝がいつしくじるかと見張る世間への意地でした。
なんやったら日本の女性の生き方を提示するぐらいの立ち位置をもう担わされちゃってんですね、その(青鞜)によって。
深井さんは、野枝が「新しい女」の一人だったこと、平塚らいてう ── 女性文芸誌『青鞜』を創刊した女性解放運動家。創刊号の「元始、女性は太陽であった」という言葉で知られますが青鞜を辞めた段階で「新しい女は崩れた」と見られただろうことを挙げます。強いられた結婚から逃げ、身内と決裂までした大きな犠牲も、今の状態を諦めきれない理由でした。
自分の成長を束縛しない恋愛とは何か
それでも野枝は、恋愛に出口を求めるという認識をぶらしませんでした。ただし、辻との自由な恋愛の末に不用意に家庭生活に引きずり込まれたことを、野枝は自分の不覚だと捉えます。
自由な恋愛
自由意志で恋愛ができた
結婚
よし、結婚しようと決める
家庭に入る
旦那の家に入る
構造に縛られる
社会構造にはめ込まれ、自由意志が失われる
この流れを自覚した野枝は、無自覚にまた恋愛に飛び込むことはできませんでした。大事なのは恋愛の中身であり、自分の成長を束縛しない恋愛が必要だと考えたのです。その結果、野枝は離婚し、新しい男性と家族を再構築します。
大杉栄はなぜ野枝の手紙に心を動かされたのか
再婚相手は大杉栄 ── 大正時代の日本を代表するアナキスト。社会運動の中心人物で、たびたび投獄されました。1923年の関東大震災後に野枝とともに殺害されますです。アナキストのリーダー格で、日本の近代思想史上の超重要人物ですが、警察に常にマークされ、しょっちゅう投獄される、一般人からすれば近づきたくない危険な思想家でした。
二人が結びついた背景には、野枝にとって大杉が憧れの思想家だったこと、そして大杉が野枝を評価していたことがあります。大杉は、野枝が辻と一緒に翻訳・出版したエマ・ゴールドマンの本を絶賛していました。
大杉の評価は「あの若さで、しかも女という長い間無知に育てられた者の間に生まれて、あれほど明晰な文章と思想を持ち得たことは実に敬服に堪えない」というもので、深井さんは男尊女卑的な面もあると添えます。
苦しい状況の中で大杉を思い出した野枝は、辻との夫婦の悲しみややり場のない怒りを込めた熱い手紙を書きます。大杉は当初、谷中村の農民の抵抗を世間の同情を期待したものではないかと冷めた目で見ていましたが、野枝の手紙がその考えを吹き飛ばしました。
なんかね、大杉はね、野枝の手紙を読んで反省するんだよ。あのアナキストのリーダー格が。
大杉は「僕は自分の中途半端な学問によって、虐げるものと虐げられるものの階級を決めていた」と言い、それが実感ではなく本の理屈に過ぎなかったと自覚します。さらに、野枝のほとばしる感情こそ本当の社会改革家の精神だと述べたそうです。
ノックアウトしてるやん。すげえパンチ。
恋愛より先にあった「志の共有」と四角関係の修羅場
深井さんが強調するのは、二人の最初の関係が恋愛ではなかった点です。野枝が大杉との結婚で一番大事にしたのは、恋愛感情よりも先にある志の共有でした。二人は本の貸し借りなどを通じて引かれ合い、法的な婚姻を結ばないパートナーになります。
ただしそのとき、野枝には辻との家庭と子供があり、大杉にも妻と愛人がいました。四角関係です。それでも野枝は大杉を奪い取ろうと動き、大杉は3人の女性と同時に付き合おうとするダメ男ぶりを見せます。
大杉の言い分は、アナキズムの自由恋愛 ── フリーラブ。国家や宗教の制度に縛られず、個人の自由意志で恋愛関係を結ぶべきだとする思想で、アナキズムの潮流の中で唱えられましたの思想でした。ただ深井さんは、大杉がこの思想を単に言い訳に使っただけだとする学者の論文を紹介しています。
大杉が愛人に刺されて死にかけ、愛人の友人が野枝を殴り倒すなど、血を見るような修羅場の末、野枝は大杉との略奪婚を果たします。深井さんは、単に恋に燃えて奪ったと見るだけでは学びを抽出できず、実態は違うと予告します。
3度目の結婚と子供、世間のバッシング
野枝は辻と正式に離婚します。深井さんは、辻のその後の人生も興味深く、最後はだいぶ後に餓死すると触れています。
結婚を決め、捨て、勝ち取る。女性が自分の意思を貫いたこの行動は、当時の価値観では常識破りもいいところでした。子供については、長男を辻のもとに残し、赤ちゃんの次男を背負って家を出たものの、経済的に行き詰まって次男も里子に出します。
新しい女と危険人物の結婚、四角関係、子供を捨てたという見え方は、メディアの格好のネタでした。野枝には情欲に溺れた女、母親失格というイメージが定着していきます。
多分僕はその(これまでの)回、ずっと主人公が野枝の状態で聞いてきてるから理解できるけど、この結果だけバーンって週刊誌とかがワイドショーで出されたら、おお、やべえやつとやべえやつが結婚して、何これみたいな。
樋口さんは、そう思ってもしょうがないし、聞いている人がそう思ってもいいと付け加えます。深井さんは、野枝には野枝なりのロジックと信念があったと話し、それは次回以降に説明するとしています。
平塚らいてうや与謝野晶子はなぜ野枝を批判したのか?
批判は世間からだけではありませんでした。平塚らいてうや与謝野晶子 ── 明治から昭和にかけての歌人。歌集『みだれ髪』で知られ、女性の自立をめぐる論争でも発言しましたなど、女性解放運動の界隈からも野枝は批判され、縁を切られます。同級生からは新聞に「体のいい売春婦」とまで書かれる投書もありました。
深井さんは、批判した女性たちが悪いと言いたいのではなく、背景には価値観のギャップがあったと話します。平塚らいてうも当時としては「バグ」だったが、野枝はさらにバグっていた、という捉え方です。
さらに深井さん個人の深読みとして、社会の古いしきたりに折れながら少しずつ戦ってきた女性たちにとって、ブルドーザーのようにすべてをなぎ倒して突き抜けた野枝の姿は、複雑な感情を呼んだのではないかと語ります。
樋口さんは、平塚らいてうにとって自分勝手な行動は女性の地位向上という理念を阻害するものに映ったのでは、と加えます。深井さんも、らいてうがいろいろな人と恋愛するような行動は女性の新しい道徳を打ち立てる道の邪魔になるという見解を残していると応じます。
わかんないですね。これ全部想像で言ってます。
青鞜に関わった女性たちはそれぞれ理想とロールモデルを持っており、そこから外れた昔の仲間だからこそ許せなかったのかもしれない、と二人は話します。大杉と新しい家庭を作った野枝にとって、それは辻との家庭と同じものであってはならず、その考察と実践は次回以降に語られます。
まとめ
伊藤野枝は、自由意志で選んだはずの辻との結婚生活に苦しみながら、その原因を夫や姑個人ではなく、心に刻まれた古いしきたりと結婚という社会構造に見出しました。その分析とエマ・ゴールドマンの思想を支えに、志を共有できる大杉栄との再婚へ進みますが、その代償として世間や仲間からの激しい批判を受けることになります。
- 足尾銅山をめぐる反応の違いから、野枝は辻を「共に生きる人ではない」と感じるようになった
- 野枝は結婚の誤算を整理し、姑も古い規範に縛られているという二重構造を見抜いた
- エマ・ゴールドマンの思想から、結婚は制度、恋愛は自由意志という捉え方で結婚への反逆を決断した
- 大杉栄との関係は恋愛より先に志の共有があり、四角関係の修羅場を経て再婚に至った
- 子供を残した行動などで世間や女性解放運動の仲間からも批判され、縁を切られた





