なぜ伊藤野枝は「男に依存した女」と批判されたのか
前回の伊藤野枝編では、伊藤野枝が大杉栄と正式に結婚し、世間の風当たりが強まったところで話が終わっていました。楊さんは、野枝が犠牲を払って手に入れた辻との結婚生活をほぼ捨てて、大杉栄と新しい家庭を作ったことを「大決断」と表現します。
楊さんによれば、野枝にとって大杉栄との新しい家庭は、辻と作った家庭と同じものでは意味がありませんでした。今回の回は、野枝がどんな考え方をし、それを大杉栄とどう実践していったのかが中心になります。
一方で、当時の野枝と大杉栄はメディアの格好のネタでした。世間や友人たちの目には、略奪愛の末に子どもまで捨てて新しい男にのぼせた「情欲にまみれた背徳」の行動に映っていたといいます。
野枝を批判した一人が、作家の野上弥生子 ── 大分県出身の小説家。明治から昭和にかけて長く活躍し、『海神丸』『迷路』などの作品で知られていますです。楊さんは、野上弥生子が大分のフンドーキン醤油の創業家の生まれで、もともと野枝と非常に仲が良かったと紹介します。
その野上弥生子は、二人の子どもを捨てた女に社会全体との対決を引き受ける力はない、精神の独立と自由が野枝にはない、と手厳しく書きました。さらに、何事にも男の媒介を必要とする女に創造者の孤独に耐える力はない、とも批判しています。
深井さんは、この批判の構図そのものに注目します。野枝本人にとっては自由を選んだ結果である大杉栄との結婚が、野上弥生子には「男への依存」、つまり自由ではない状態として見えていたからです。
大杉栄との結婚なのに、野上さんは(野枝を)自由じゃないって認識してる。
ここ、マジ人間面白いでしょ。
結婚の「破滅」を野枝はどう分析したのか
楊さんは、野枝の名誉のためにも、野枝自身の信念と考え方を丁寧にたどりたいと話します。野枝は辻との結婚の失敗を「破滅」と呼び、なぜ破滅したのかを自分で考察していました。
野枝が考察した理由はシンプルで、次の一歩を間違えないためでした。女性が自由意志で結婚し、さらに失敗まで経験したケースは当時ほとんどなく、参照できる材料がないため、野枝はすべて自分で考えるしかなかったと楊さんは説明します。
野枝の考察の前提は、結婚の破滅をネガティブに捉えるのをやめることでした。どっちつかずで停滞するより、一度破滅したほうがはるかに清々しい。辻とは夫婦としてやっていけないとわかったから離れただけで、世間の言うように愛欲に溺れて大杉栄のもとへ走ったのではない、というのが野枝の立場です。
野枝の分析では、失敗の根本原因は、自分と辻がまるで違う人間だとはっきりわかったことでした。価値観のずれは、社会問題への意識と社会運動への関わり方にあり、社会運動をしたい野枝にとって、辻はパートナーとして合わなかったといいます。
野枝はさらに、姑との同居や、子育てに予想外の手間がかかることなど、初めての結婚生活で想定外の出来事が重なったことも振り返っています。そのうえで、自由意志で恋愛すれば結婚後も自由意志を発揮できると思っていたのは勘違いだった、と結論づけました。
結婚すると、野枝は無意識のうちに結婚という制度にはまり込み、妻や母の役割を求められて、違和感を抱えながら我慢し続けていたといいます。野枝はそれを、昔ながらの「女のあるべき道」を歩かされていたのだと捉え直しました。
自由意志で恋愛して結婚すれば、結婚後も自由意志を発揮し続けられると思っていた
結婚は見えない社会制度の上に成り立ち、無意識のうちに妻・母の役割にはめ込まれると気づいた
この気づきから、野枝は男女が愛し合うことを個人の問題ではなく社会の問題として考えるべきだ、という立場をとります。結婚、家庭、性、お金、倫理道徳を、自分の主観から一度離れて社会の側から見る、いわばメタ認知をしようとしたのだと楊さんは解説します。
楊さんによれば、野枝にとってもう一つ大事だったのは、愛し合っても男女それぞれの個性が失われない関係性をどう作るかでした。そこまで意識しなければ、また制度の中で気づかないうちに「嵌め殺される」という危機感があったと考えられます。
深井さんは、野上弥生子の批判は結果だけを切り取った、ワイドショー的な見方から生まれたものだろうと話します。野枝の人生を追ってきた立場からは、野枝の言っていることはまっとうにしか聞こえず、その「ずれ」が重要だというのです。
大杉栄を選んだ決め手は「志を共有できる同志」
野枝が新しいパートナーに大杉栄を選んだ理由も、野枝の中で整理されていました。楊さんの言葉を借りれば、男性として愛する以前に、志を共有できる同志だったからです。
野枝が求めたのは、社会問題への情熱を笑う人ではなく、谷中村 ── 足尾銅山の鉱毒問題で遊水地化のために廃村とされた栃木県の村。田中正造らが村民とともに抵抗したことで知られますを一緒に見に行き、一緒に社会運動をしてくれる人でした。
楊さんは、野枝の価値観を推し進めたいわけではないと断ったうえで、野枝が自分の特性や軸をしっかり認識してから夫婦関係の構築に踏み込んだ点を強調します。女性が自分の大切なものを家庭運営に反映させることが難しい時代だったからこそ、そうせざるを得なかったとも話しています。
まあだから自分が大切にしているものを大切と思ってくれない状況はきついですもんね。
「子どもを捨てた母」は本当に子どもを捨てたのか
家庭を運営するうえでのもう一つの大きなテーマが、子どもでした。野枝は辻との間の長男を辻のもとに残し、次男を里子に出したことで、世間から激しく叩かれていました。楊さんは、今の時代から見ても賛否が分かれる話だと前置きします。
野枝は、すでに冷え切った辻との仲を子どもに見せ続けるより、離婚したほうが子どものためだと考えました。すぐに割り切ったわけではなく真剣に悩んだものの、憎しみ合う両親のもとで子どもが幸福になれるとは思えなかったといいます。
子どもを捨てたと言われることについて、野枝は、子どもが成長すれば自分が捨てたのではないと大人として話し合えると信じていました。もし理解してくれない子どもなら、母親に捨てられたと思われても構わない、とまで書いています。
深井さんはこの考え方を「人格が独立している」と表現し、楊さんも、野枝は親と子を一体化したものではなく、それぞれ独立した人格として捉えていたと応じます。これは当時としてはかなり珍しい考え方でした。
野枝は、子どもにより大きな影響を与えるのは親ではなく社会であり、だからこそ間違った社会を変える仕事に進むことが子どものためにも自分のためにもなる、と述べています。また、何が子どもの幸不幸かを外の人間が決めることはできず、親がいないから不良になるわけではない、とも書きました。
野枝の考える親の役割は、子どもの将来に勝手な期待や空想を持たず、子ども自身が自分のことを処理できるようになるまで適切なサポートをすることだけでした。楊さんは、束縛、コントロール、期待が介在する親子関係を想定していない点に、野枝のアナキズム ── 国家や権力による支配・強制を否定し、個人の自由と自発的な協力にもとづく社会を目指す思想。大杉栄は日本のアナキズムを代表する人物です的な価値判断の根幹があると見ています。
深井さんは、野枝の思想には全面的に共感できるとしながらも、親と離れることが本当に子どもに悪影響を与えないのかについては、現実にはいろいろあるはずだと話します。
そうなんです。(親と離れた子どもが)みんな(不幸)ではないです。ただ、不幸せになってる子供もいる気がします。なんでめっちゃ難しいなと思ってます。
大正時代に人為的に作られた「母性愛神話」
楊さんは、野枝の子ども観が当時ほとんど受け入れられなかった理由として、母性愛神話の存在を挙げます。母性愛神話とは、母親なら誰でも上手に子育てができる、産みの母こそ子育ての適性がある、母の愛は絶対的で崇高だ、と賛美する考え方です。
楊さんが紹介する発達心理学者の説によれば、母性愛神話は野枝が生きた大正時代に、社会的なニーズによって人為的に作り出されました。「母親なのに子育て一つできない」という批判が勃興したのも、大正時代からだといいます。
背景にあったのは資本主義の形成です。夫は外で稼ぎ、妻は家で家事と子育てをするという性別役割分業が進み、都市では核家族化が進みました。楊さんによれば、1920年の時点で日本の核家族世帯は50%を超えていました。
資本主義の形成
夫は外で働き、妻は家で家事・育児という性別役割分業が進む
核家族化
都市化で核家族世帯が増え、1920年には半数を超える
子育ての母親一任
母親一人が子育てを背負うことが社会的に「最適」とされる
母性愛神話の流布
近代家族を支える理想の母親像として広まる
母性愛神話を実際に流行らせた人物として、楊さんは教育者の下田次郎 ── 明治から昭和初期の教育者で、女子教育の分野で活動しました。著書『胎教』などで良妻賢母的な女性観を説いたことで知られますを挙げます。下田次郎の著書『胎教』はベストセラーになりました。
『胎教』では、女性の天職は子どもを産んで母となることであり、独身の女性や子どもを産まない女性、家族を見捨てて職業を選ぶ女性は自然に背く、と言い切られていました。下田次郎は別の本で、子どものために自己犠牲する母親の子に限って成績が良い、とも書いています。
これ今こんなこと言ったら大炎上ですよね。
楊さんは、同じ学者の説として、子育てを一手に担わされた母親たちの重圧から親子心中の件数が倍増し、社会問題になったと紹介します。母親が子どもを連れて心中するケースは父親の3倍で、道連れにされた子どもは2歳が最も多かったといいます。
未遂に終わった母親の声として、自分が死ねばこの子が幸福になるかわからないから誰の手にも渡すまいと思った、といった記録が残っています。学者は、母親のいない子どもほど気の毒な子どもはいない、という価値観が社会にインストールされたことが背景にあると考察しています。
楊さんは、この価値観の中で野枝の親子観を見れば、ある意味で叩かれて当然だったと話します。深井さんは、核家族がすでに大正時代に多数派だったことが意外だったと驚いていました。
今なんかとても子育てが大変になってきていて、共働きアンド核家族化してるからっていうのがあると思ってたんですけど、当時からすでに核家族はしてたんやっていう。
楊さんは、現代とは集計の仕方が違う可能性もあると補足しつつ、親子心中のような社会問題が現れた以上、家族モデルの変化はかなり関係していたのではないかと話しています。
「言葉に体重が乗っている」野枝の思考のすごみ
楊さんは、叩かれながらも自分の考えを固めて書き続けた野枝の生き方に「リスペクトしかない」と語ります。一つひとつの体験に向き合い、答えにたどり着こうとする姿勢から、野枝の言葉と人生がリンクして血肉が宿っている印象を受けるといいます。
深井さんも、野枝はエマ・ゴールドマン ── アメリカで活動したリトアニア出身のアナキスト。女性の自由や恋愛・結婚制度の批判を論じ、野枝は彼女の論文を翻訳していますなどの生き方を引用しながらも、自分で選んで再構築し、オリジナルな答えを出そうとしていると評価します。楊さんは、野枝が机上の空論ではなく、失敗や挫折、喧嘩を経て考えを紡いだ「圧倒的な当事者」だったと強調しました。
深井さんは、勉強好きな人ほど体験より誰かの言葉を引用して思想家のように振る舞いがちだと話し、自分にもその側面があると認めます。そのうえで、野枝の言葉が大杉栄に反省を迫るほどの力を持っていたことに触れ、二人は野枝の言葉の重みをこう表現しました。
体重乗ってる。
血の匂いがする。
『青鞜』廃刊と、貧しくもおしどりだった大杉との暮らし
この時期、野枝はもう一つ大きな決断をします。編集長を引き受けて1年後に、青鞜 ── 1911年に平塚らいてうらが創刊した女性による文芸誌。女性解放の議論の場となり、野枝は後に編集を引き継ぎましたを廃刊にしたのです。
楊さんによれば、廃刊の理由はバッシングによる購読者数の激減、大杉栄との恋愛をめぐるゴタゴタ、そして第一次世界大戦による物価高騰、特に紙のコストの上昇でした。それでも世間では、子どもを捨て、大杉栄に頼り、『青鞜』まで放り出したという物語として描かれたといいます。
大杉栄との新しい生活で、野枝は再び妻となり母となりました。大杉とは思想上の同志であり、いつもおしどり夫婦だったそうですが、貧困は変わりませんでした。野枝が新聞に小説を連載しようとしても、危険人物である大杉栄の妻として断られたといいます。
大杉栄が雑誌を発行しても、印刷が終わった途端に警察に押収され、借金だけが残ることもありました。アナキズムは言論統制の対象だったのです。
印刷する前に止めてやってくれよ。
金がない中でも、この夫婦は人を助けました。亡くなった同志の妻が訪ねてきたとき、大杉栄は野枝の服を質屋に入れて借りたお金を全部渡し、野枝も不平を言わなかったといいます。家には労働者や社会活動をしたい人が出入りし、居候たちが夫婦のお金を自由に使っても何も言わなかったそうです。
楊さんは、誰かのために自分の何かを差し出す価値観が二人の間で一致していたと話し、深井さんも「揃ってないと無理だね」と応じます。
話の中では、大杉栄との間の子どもは5人とされ、辻との子ども2人と合わせて計7人を産んだことになると確認されています。野枝の故郷の今宿では野枝を揶揄する歌が流行り、一族の中には帰ってきたら尼にしてやると野枝の母の前でハサミをちらつかせる人もいました。けれど、野枝の母は「やれるものならやってみれば」という態度で動揺しなかったといいます。
家庭の中で社会運動はできるのか
一旦は幸せを手にした野枝ですが、考えることを止めませんでした。野枝の根幹は社会に働きかけることであり、「自分事は社会事、社会事は自分事」という世界観を持っていたと楊さんは説明します。
ただ、家庭を持てば家事と育児に追われます。実際、大杉栄との結婚後の野枝は、出産や育児、大杉の仕事の手伝いに追われ、『青鞜』時代のような目立った活動はしなくなっていきました。
いや、それ(家庭と社会運動の両立の仕方)知りたいよ、俺。
野枝がたどり着いた結論は、家庭と社会運動を二者択一にしなくてよいというものでした。家庭の中で意志を持って生活を構築し、実践すること自体が、そのまま社会運動になるという考え方です。
その第一歩として野枝が取り組んだのが、大杉栄との一対一の関係を対等で独立したものにすることでした。家庭の中でそれを達成できれば、古い習わしの打破につながるというロジックです。
深井さんが、家庭で得た知見を書いたり話したりして社会に残すという意味かと尋ねると、楊さんは、読んだ限りそこまでの記述はなかったと答えます。今でいえばインスタで発信するような発想は、野枝にはなかっただろうといいます。
自分の行動が変わる
家庭の中で意志を持って生活を組み立て、実践する
関係が変わる
人間関係、組織との関係、社会との関係がドミノ倒しのように変わっていく
社会が変わる
社会の一人である自分の変化が、因果の中で社会の変化につながる
楊さんは、アナキズムには、自分の行動が変わると、自分と結ばれたさまざまな関係もドミノ倒しのように変わっていくというロジックがあると説明します。深井さんはこれを、社会の一人ひとりが考えて生活すれば、おのずと社会が変わっていくという世界観として整理しました。
「私はエゴイストです」と言い切った野枝の結婚観
家庭と大杉栄との関係に焦点を当てた野枝は、まず自分の中のエゴイズムを肯定しました。自分は他者のための犠牲的な心は滅多に働かず、すべての基準が自分にある、と明確に言語化したのです。
野枝は、どれほど愛し合い信じ合っていても、二人の人間は究極的には別々の人間だと自覚することが大事だと考えました。どちらかが愛のために自分を完全に犠牲にしても幸せにはならない、というのが野枝の主張です。
さらに野枝は、結婚は強制されてするものではなく、母となることも女性の自由な選択によるべきだと述べました。自由な母を貶めるのであれば、結婚は悪であり、女が自分自身を売ることでもある、とまで書いています。
パートナーに求める第一の条件として、野枝は「いかに自分自身を理解してくれるか」を挙げました。楊さんは、今では当たり前に聞こえるこの条件が当時は普通ではなく、女性を理解することは結婚する男性にとって当たり前ではなかったと解説します。
深井さんは、この「理解されない」感覚を、子どもが「お風呂に入りたくない」と言ったときの大人の反応にたとえます。深井さん自身、同じだと言うつもりはないと何度も断ったうえでのたとえです。
でも本当はもしかすると、今日足を怪我してめちゃくちゃ血が出て痛いから入りたくないかもしれないし、今からちょうど見たいアニメがあるから、それを見終わってから入りたいかもしれない。
もしかしたら当時の男女もそのように扱われてたって思ったら、自分を理解してくれるっていうのが当たり前じゃないっていうのは想像はできるかも。
楊さんはこのたとえを「バシッとくる」と受け止め、人を理解するにはコストを払わなければならないと応じました。
同志、友人、夫婦。野枝が決めた関係の優先順位
野枝は、古い伝統的な家庭にとらわれない夫婦関係の作り方も言語化しています。大杉栄との関係から紡がれた考え方で、一言でいえば、男女としての関係以前に同志としての関係を大事にするというものです。
野枝は自分の体験から、男女という性別の違いを夫婦関係の前提にすると、いつの間にか古い夫婦関係に絡め取られ、女性が従属的な立場に置かれると理解しました。それを避けるために、夫婦関係を作る前提そのものを変えようとしたのです。
野枝は夫婦の関係性を3つに整理し、優先順位をつけました。一番は同志、次に友人、最後に夫婦という順番です。
野枝によれば、こうした築き方をすることで、家庭の中で夫婦の対等性を確保できます。楊さんは、これこそが野枝の考える「家庭からできる社会変革」だったとまとめます。
楊さんは、今の夫婦がみな社会問題に関わりたいわけではないとしつつ、性別の違いによる結びつきを最優先に置かなかった点に学びがあると話します。子どもがほしい、肉体的な快楽といった理由ではなく、未来で共有できるものを大事にするという考え方は、現代にも通じるといいます。
深井さんは最近聞いた話として、夫婦関係は3つの機能から成り立つという考え方を紹介します。子育てや家庭経営をともにするライフパートナー、セックスのパートナー、そして性とは切り離した恋人同士のような関係です。
| 機能 | 中身 | 補足 |
|---|---|---|
| ライフパートナー | 子育てや家庭の経営を一緒にする | 夫婦という言葉の中で3つがごちゃっと一つになりがち |
| セックスのパートナー | 性の対象としての関係 | 3つすべてを備えていなくてもよいという話もある |
| 恋人同士のような関係 | 性とは切り離した恋人としての関係 | 野枝は家庭と活動を一体化したため、相手に全機能を求めたと深井さんは見る |
深井さんは、野枝の場合は家庭と活動をすべて同一にしようとしたからこそ、パートナーに3つの機能が必要になったのだろうと考察します。そこを解像度高く分解した結果が、同志・友人・夫婦という整理だったのかもしれません。
ずっと考えさせられてますよ、俺。今日の収録。
伊藤野枝編は、次回で最終回を迎えます。
まとめ
今回の伊藤野枝編では、世間から「子どもを捨てたアバズレ」と叩かれた伊藤野枝が、辻との結婚の失敗を分析し、母性愛神話が広まる大正の社会の中で、独自の親子観と「同志としての夫婦」という家庭像を言葉にしていく姿が描かれました。同じ出来事でも、見る方向によって印象がまるで変わることが繰り返し示されています。
- 野枝は結婚の失敗を「破滅」と呼びつつ前向きに捉え、結婚という制度に無意識にはめ込まれる危うさに気づいた
- 野枝が大杉栄を選んだ決め手は、男性として愛する以前に社会運動の志を共有できる同志だったこと
- 親と子を独立した人格と捉える野枝の考えは、大正時代に人為的に広まった母性愛神話と真っ向から対立した
- 家庭の中で対等な関係を実践することが社会運動になるという、アナキズム的なロジックを野枝は持っていた
- 夫婦関係の優先順位を同志、友人、夫婦の順に置いたことに、現代にも通じるパートナー観のヒントがある


