砂漠の次は氷山。一行の4割が命を落とした山越え
砂漠を越えた玄奘一行の次の難関は、氷山でした。深井さんによると、玄奘はこの山を越えた先にある遊牧民の王ヤブグ可汗の居城を目指していました。
一行は冬に山の麓に着き、雪解けを待ちます。ところが雪解けを待つ期間が十分ではなく、山越えは大変な苦労になりました。深井さんは結論として、同行者の4割が亡くなったと語ります。
え?え?やば。
玄奘の旅の記録には、天に達するほど高い山で、夏でも溶けない氷河が広がり、氷の塊が道を塞いでいたと書かれているといいます。そのため何十頭もいた馬はここで使えなくなり、牛に替えたりしたそうです。
靴や手袋を身につけても寒さで命を落とすほどで、風が吹けば砂や石が雨のように降りかかったという描写もあります。眠る場所も氷河の上しかなく、深井さんは「テントっていう概念ないよね、多分」と、寝ることそのものが命がけだった様子を想像します。
雪解け待ったけど、十分じゃないならわかった時点で引き返せよってやっぱ思っちゃう。
樋口さんも「もうちょっと待ちゃいいのに」と応じます。深井さんは、玄奘は最初から引き返さないと決めていたのだろうと推測し、「頭がいいのかどうかよくわかんなくなりますよね」と笑います。
遊牧民の王ヤブグ可汗は、玄奘に何を与えたのか?
半数近くを失いながらも、玄奘はついにヤブグ可汗のもとにたどり着きます。記録には遊牧民の王の暮らしぶりが詳しく書かれていて、豪華絢爛なテントに数百人の家臣が並び、その中央に可汗がいたそうです。
深井さんによると、可汗 ── 遊牧民の君主の称号。モンゴルの「カン」「カーン」と同系統の言葉で、集団のトップを指しますはチンギス・カンの「カン」と同じ意味で、トップを指す言葉です。深井さんは、日本でいえば征夷大将軍のような位置づけだとたとえます。
ゾロアスター教徒だったヤブグ可汗は玄奘をとても気に入り、通訳をつけ、各地に宛てた手紙を何通も書いてくれました。この通訳はこの後の旅で大いに役立ちます。
この手紙がなかったら多分途中で死んでますね。この手紙があるから、もうその百何十か国を安全に渡ることができた。
樋口さんは、手紙がパスポートの代わりになっていたのだと受け止めます。番組では、ヤブグ可汗はこの時期の遊牧民集団の中でトップにいた人物で、その保護を受けられたことが安全な旅の大きな条件になったと補足されています。
サマルカンドで重なる、アレクサンドロスと玄奘の足跡
玄奘が次に訪れたのは、現在のウズベキスタンにあるサマルカンド ── 中央アジアのオアシス都市。シルクロードの要衝として古くから栄え、現在はウズベキスタンの都市ですです。深井さんによると、玄奘が来る1000年前にはアレクサンドロスもこの地に来ていました。
だからアレクサンドロスは西から来たでしょ。玄奘東から来たでしょ。
樋口さんは「たまらん」と反応し、これだけ勉強している玄奘ならアレクサンドロスのことを知っていたはずだと語ります。深井さんも、知っていたと思うと同意します。
深井さんは続けて、中国からインドへは直線では行けないと説明します。徒歩では最短ルートの山脈を通れないため、いったん北へ大きく迂回し、そこから南へ下る必要がありました。旅の総距離が地球一周半にもなったのはこのためです。
氷山越え
雪解けが不十分なまま山を越え、一行の4割を失う
ヤブグ可汗
遊牧民の王に気に入られ、通訳と各地への手紙を得る
サマルカンド
手紙を頼りに王に謁見し、保護や物資を受ける
バーミヤン
仏教の聖地で学び、巨大な大仏を目にする
インド
ここからが経典を求める旅の本番になる
サマルカンドは仏教とゾロアスター教の両方が信仰される国でした。玄奘はヤブグ可汗と、以前に資金をくれた王麴文泰の両方の手紙を持っていたため、スムーズに王に謁見し、食料や物資の援助を受けられたといいます。
道中の国々では、滞在中に王が暗殺されて息子が即位し、その息子からも声をかけられて困るといった事件もありました。有名な僧がいる土地では、1〜2か月滞在して学ぶこともあったそうです。
仏教の聖地バーミヤンで、玄奘は何を見たのか?
旅はいよいよ仏教の聖地バーミヤンに入ります。樋口さんがファミレスの名前に反応して笑いが起きますが、深井さんによると、バーミヤンはもともと国の名前で、かつての仏教の一大聖地でした。
氷山や砂漠を越えてきた一行の前に、緑豊かな土地が広がっていました。『大唐西域記 ── 玄奘がインドへの旅で見聞した各地の地理や風俗、宗教をまとめた記録。後世の『西遊記』の素材にもなりました』には、草をはむ羊や馬やロバ、泥で造った小さな家、国王が臣下を連れて出迎えた様子などが記されているといいます。
深井さんによると、バーミヤンには仏教施設が数十か所あり、僧が数千人いました。玄奘はここでも学んでいます。この地には壁面に彫られた巨大な大仏があり、樋口さんは以前タリバンに爆破されたことに触れます。
深井さんは、顔が削られた大仏の写真を見たことがある人も多いだろうと話し、玄奘もこの大仏を見たと言われていると紹介します。そしてここから先、旅はついにインドへ入ります。
インドで待っていた山賊と海賊、そして生贄の危機
インドに入った玄奘を待っていたのは山賊でした。深井さんによると、以前の王から受け取った多額の資金は、ここですべて奪われてしまいます。
これゲームだったら折れますよね。
樋口さんも、これまでは自然と戦ってきたのに、ついに人間から奪われたのは嫌だと応じます。さらに玄奘は海賊にも襲われ、深井さんは「山賊と海賊ダブルアタック」と表現します。
海賊の件は、どこまで史実かわからないとしつつ、玄奘は生贄に捧げられかけたといいます。見た目が美しい玄奘を捧げれば神が喜ぶと考えられ、深井さんの見立てでは、ヒンドゥー教の川の女神に捧げる儀式が始まったそうです。
記録には、生贄にされかけた玄奘が落ち着いてお経を唱え続け、盗賊たちがひるんだと書かれていると番組内で紹介されます。深井さんは「それも史実かもしれん」と応じ、宗教心から捧げようとしていたのに、相手が神聖すぎて逆にためらったのだろうと考えます。
インドに着いてからが本番。ガンダーラとカシミールでの学び
深井さんは、インドに着いたら終わりではなく、そこから経典を求める旅が始まるのだと強調します。樋口さんは「ほぼゴール」だと思っていたと驚きます。
違いますよ。インドに着いてからがやっとスタートなんです。
玄奘はカーピシー、ランパーカーといった国々を巡り、ガンダーラに到着します。ガンダーラの中心はプルシャプラ、現在のペシャワールで、深井さんは中村哲さんの団体の名前にもなっている地名だと触れます。
深井さんによると、ガンダーラはアレクサンドロスの到来によってギリシャ文化と仏教文化が混ざり、仏像がギリシャ風になったとされる土地です。こうした文化の融合はヘレニズム ── アレクサンドロスの東方遠征以降、ギリシャ文化がオリエントやインドの文化と融合して生まれた文化の総称ですと呼ばれます。
玄奘はカシミールに2年間滞在し、高僧との討論や仏典の研究に没頭しました。樋口さんは、玄奘がどれだけ長く滞在したかが、その土地の知的レベルのバロメーターになると言い、深井さんも頭のいい人がいる場所だったのだろうと応じます。
タッカという国でも山賊に襲われ、衣服まで奪われて裸になりますが、その国で布や食料を寄付されたといいます。深井さんは、玄奘は基本的にどこでもとてもよく扱われていると話します。
その後、玄奘はガンジス川流域や、ブッダの生誕地、入滅の地、祇園精舎などのゆかりの地を巡ります。そしていよいよ、旅立ちのきっかけになったナーランダ寺院へ向かうことになります。
王を味方につけた、玄奘のスポンサー獲得力
ナーランダへの到着を前に、深井さんはここで、玄奘がこれほど困難な旅をなぜ乗り越えられたのかを語ります。1つ目に挙げるのは、説得する力の強さです。樋口さんも、関所を越えたときから話術で切り抜けていたと振り返ります。
深井さんによると、玄奘は外交的な能力が高く、自分にスポンサーをつけさせる力が際立っていました。カシミールでの滞在費はすべてカシミールの国が負担し、経典を書き写す人員まで国が出していたそうです。
でもそれ(経典の写し)出して、だってカシミール国プラスないんですよ。
見返りのない国にまで援助させるほど、玄奘は行く先々で必ずスポンサーをつけることの重要性を理解し、実行していたと深井さんは指摘します。人を味方にする力が、旅を支える土台になっていました。
無我だったんでしょうね。自分のためにやってないことが明白にもう見てわかったんでしょうね、みんな。
樋口さんは、会った瞬間に人を味方にするガンディーを思い浮かべます。深井さんは、ガンディーほど高潔ではなかったかもしれないとしつつ、王が寄付したくなる外交力と、難解な哲学を理解したうえで外国語でわかりやすく伝える力を玄奘は持っていたと語ります。
慎重さと無謀さ。両立しないはずの2つをどう使い分けたか
深井さんが挙げる2つ目の要因は、情報収集力です。玄奘は国に入る前にその国の状況を徹底して調べ、着いてからも調べてから次へ出発することを繰り返していました。生命のリスクが高すぎるため、事前の調査が欠かせなかったのです。
深井さんによると、この情報収集の土台になっていたのが言語力でした。樋口さんは、玄奘はそこまで見越して出発前に1年間言語を学んだのだろうと推測し、深井さんも同意します。
そのうえで深井さんがすごいと感じたのは、慎重さと大胆さの両立です。準備を周到にするタイプなら、そもそもこんな無謀な旅はしないはずです。ところが玄奘は、砂漠で引き返さない、氷山を越えるなど、要所で命の危険を冒していました。
要は冒険する、しすぎるとただのバカ。しすぎないと、やっぱりちょっとずつしか会社って成長しない。
起業家でもある深井さんは、この絶妙なバランスが経営でも重要だと話します。玄奘はディフェンスとオフェンスの思考をきちんと切り替えていた、というのが深井さんの見立てです。
国に入る前と後に情報を集め、言語力を生かして状況を調べ尽くす
砂漠や氷山で引き返さず、命をかけるべき場面では危険を冒す
樋口さんは、お坊さんでなければ将軍や王になっていたのではと語り、深井さんも、攻めるべきか動くべきかの判断力は戦争でも同じで、ナポレオンもこの能力が高かったと応じます。
さらに樋口さんは、今ならベンチャーキャピタルから資金を集めていそうだと笑います。深井さんは、玄奘は情熱だけの人ではなく、ロジックの塊である唯識論 ── あらゆる存在は心の働きによって現れたものだとする大乗仏教の思想。玄奘が深く学び、中国に伝えた教えの中心ですを理解し、外国語のディベート大会で6000人中1位になった人物だと語ります。
| 能力 | 具体的な行動 | 旅での効果 |
|---|---|---|
| 説得・外交力 | 王に謁見し、援助を引き出す | 滞在費や写経の人員まで提供される |
| 情報収集力 | 入国前後に状況を調べ尽くす | 生命のリスクを下げる |
| 言語力 | 出発前に1年間言語を学ぶ | 現地での調査や議論を可能にする |
| リスクのバランス感覚 | 調べる場面と命をかける場面を切り替える | 無謀さと慎重さを両立させる |
ケチで他宗教に厳しい?完璧ではない玄奘の弱み
樋口さんは、ロジックも熱量もあり、体も強いイケメンだと玄奘を評したうえで、番組で何度も言ってきたように「ケチ」だと付け加えます。深井さんは、結婚している樋口さんは玄奘に勝っていると冗談を返します。
深井さんによると、玄奘にも弱みはありました。『大唐西域記』の中で玄奘はヒンドゥー教徒など他の宗教を馬鹿にしている箇所があり、他宗教への受容性はあまり高くなかったのではないかといいます。
仏教にそこまで命かけられる反動として、やっぱ他のものを認めないっていう気持ちはあったんだろうな。
樋口さんは、柔軟だった玄奘の兄を思い出します。深井さんは、兄は比較的柔らかい人だったものの、蜀から出ずに旅には出なかったと対比します。樋口さんは、他を捨てたからこそ仏教1つに集中できたのだろうと語り、玄奘の優秀さを改めてかみしめます。
まとめ
玄奘はインドへの道のりで、氷山での多くの犠牲、盗賊による資金の喪失、生贄の危機に見舞われながらも、遊牧民の王の後ろ盾や各国の援助を得て進みました。番組は、その原動力を説得力、情報収集力、そして命をかける場面と慎重に調べる場面を切り替えるバランス感覚に見ています。
- 氷山越えでは雪解けを待ちきれず、一行の4割が命を落とした
- ヤブグ可汗の手紙と通訳が、百何十か国を渡る旅のパスポートになった
- インド到着は旅のゴールではなく、経典を求める本番の始まりだった
- スポンサーを得る外交力と事前の情報収集が、旅の成功を支えた
- 仏教への強い集中の反面、他宗教への受容性は低かったとも語られた




