ルール占領の怒りに乗ったミュンヘン一揆はなぜ失敗した?
ナチスの党首になった後のヒトラーを語るうえで、深井さんがまず挙げるのは、ドイツにとっての大事件です。第一次世界大戦後のドイツは、とても払えない額の賠償金の支払いを命じられていました。
ドイツが賠償金を払えなかったことにフランスが怒り、ドイツの稼ぎ頭だったルール工業地帯 ── ドイツ西部に広がる炭鉱と重工業の一大集積地。1923年にフランスとベルギーが賠償金の不払いを理由に軍を送り、占領しましたを軍隊で占拠します。樋口さんは、これを「差し押さえ」と表現しています。
確かに戦争負けたけど、みんな(フランスが)そんなにひどいことすると思ってないわけよ。
ドイツ国民の怒りが沸き立ったタイミングで、ヒトラーはクーデターを起こします。深井さんによれば、ナチスは結果的に民主主義によって権力を得ましたが、もともとはクーデターで権力を取ることを目的にした党でした。
当時のヒトラーにはすでに一定の支持者がいて、ボランティアで1000人規模の軍隊も持っていました。その軍隊を使い、ミュンヘンで当時の政府に対して起こしたのがミュンヘン一揆 ── 1923年11月にヒトラーらがミュンヘンで起こしたクーデター未遂事件。ビアホールから行進を始めたため「ビアホール一揆」とも呼ばれますです。
そこでクーデターを起こしたのが失敗します。普通に失敗します。もう全く成功する予兆なく、普通に超失敗するんですよ。
当時のナチス党員は5万人ほどいたと言われていますが、ミュンヘン一揆はあっさり失敗し、ヒトラーは国家への反逆罪で投獄されます。その獄中で書かれたのが、ドイツ語で『マインカンプフ』、日本語で『我が闘争』と呼ばれる著書です。
ルール占領からヒトラーの投獄までの流れを整理すると、次のようになります。
賠償金の不払い
ドイツは払えない額の賠償金を払えなかった
ルール占領
怒ったフランスが軍隊で工業地帯を占拠した
国民の怒り
ドイツ国民がフランスに激しく反発した
ミュンヘン一揆
ヒトラーが政府に対してクーデターを起こし、失敗した
投獄
反逆罪で投獄され、獄中で『我が闘争』を書いた
一揆を起こした当時のヒトラーは33歳です。深井さんは「ちょうど今の僕と同い年」と話し、樋口さんは、ヒトラーがその3年前までニートのような状態だったことに触れています。
全責任を背負った裁判が、ヒトラーを右派の英雄にした
ヒトラーの投獄中、ドイツではインフレが収まり、失業率もいったん改善して、世の中が落ち着きます。ただし、ヒトラーの投獄を決めた裁判では、ヒトラーの評価を大きく変える出来事が起きていました。
ミュンヘン一揆を一緒に首謀した党の幹部たち、昔からいたドレクスラーらのラインの人たちは、裁判で重い判決が出ることを恐れて及び腰になります。それに対してヒトラーがとった態度は正反対でした。
この時ヒトラーが何を言ったかといったら、全部俺の責任でやったって言うんですよ。
全て俺の責任であって、全く悪いと思ってないし、本当にこれが正しいと今でも思ってますみたいなことを言うんです。
裁判でのヒトラーの発言は新聞で報じられ、バラバラになりかけていた右派政党の人たちにとって、ヒトラーは英雄のような存在になります。深井さんは、ヒトラーが「こう言ったら受けるだろう」と考えて戦略的に振る舞っていた面もあると見ています。
別に人の気持ちわかってるわけじゃないんだけど、そこ(受けるポイント)だけわかるわけ。
ヒトラーの投獄中、右翼はそれぞれの考えで分裂し、共同で活動できなくなっていました。ところがヒトラーが戻ってきた瞬間に全員がまとまります。深井さんは、これを右翼やナショナリストをまとめる才能だと表現しています。
樋口さんが「組織のトップとして優秀なのでは」と問うと、深井さんは、詳しく見ればそれほど優秀ではないと答えます。ヒトラーのやり方は時代の流れと環境にたまたまかみ合っただけで、永続性がないという評価です。
花火みたいな男ですから。
『我が闘争』の思想と、民主主義路線への鮮やかな転換
深井さんによると、ヒトラーは『我が闘争』の中で、社会ダーウィニズムや、アーリア人種が誰よりも優れているという主張、血が混ざってはいけないという考えを書いています。ユダヤ人の血を混ぜてはいけないから、ユダヤ人と関係を持ってはいけないといったことまで述べていました。
『我が闘争』では、経済は国家主導で進めるべきだという主張や、多数決で決める民主主義を否定し、1人の優秀なリーダーにみんなが従う形が一番よいという考えも語られています。階級で分かれることも、マルクス主義も否定していました。
民主主義を否定する思想を持ちながら、ヒトラーは党の方針を民主主義的な権力奪取へと完全に切り替えます。当時のドイツはワイマール共和国 ── 第一次世界大戦後の1919年に成立したドイツの共和制国家。当時としては先進的な憲法を持ちましたが、政情は不安定でしたであり、クーデターが失敗した以上、次はないと判断したためです。
ここは素晴らしいと思います。鮮やかですね。で、反対意見が出るんだけど、全部抑え込むんですよ。ちゃんと。ここは優秀だと思う。
深井さんが評価するのは、ヒトラー不在の間はまとまらなかった党が、ヒトラーが戻ると方針転換も含めてきちんとまとまった点です。樋口さんはこの転換を「しっかりルール上で勝とうということ」と受け止めています。
ゲッベルスのプロパガンダと弁士養成学校で、支持率は37%に
民主主義路線に切り替えたナチスが取ったのが、プロパガンダという戦略です。深井さんは、嘘も平気で交えながらメディアを使って人々を洗脳していくことだと説明しています。
ナチスのプロパガンダを担当したのが、文学青年のゲッベルス ── ナチスの宣伝を担った政治家。のちに国民啓蒙・宣伝大臣としてメディアや文化を統制しましたです。深井さんによれば、ゲッベルスはドイツ人にしては背が低く、さまざまなコンプレックスを抱えていた人物でした。
映画や文学を好んだゲッベルスは、映画だけでなく演劇やポスターなど、あらゆる方法でプロパガンダを展開します。ちょうどラジオや映画が出始めた時代で、それらを使って民衆に考えを浸透させる手法を最も効果的に使ったのがナチスだったと深井さんは話します。
ナチスはもう1つ、党全体の話す力を鍛えました。ヒトラー自身に「喋っただけでここまで来た」という感覚があったため、弁士養成学校を作り、育てた弁士に各地で演説させたのです。
さらにナチスは、富裕層や中間層だけでなく、より貧しい人たちへの送金など細かな施策を重ね、数年で第一党にまで成長します。一気に支持が伸びたきっかけは世界恐慌でした。
ノープランなんだよ、まだ。ノープランなんだけど、口で失業者減らせよ減らせよって言って、それで支持率をまあ……
深井さんと楊さんによれば、ナチスの支持率は37%まで上がります。とはいえ、深井さんは独裁と呼ぶには37%は高くないと指摘し、ここから先にもう一段階の「奇跡」が起きたと話を進めます。
民主制に反対だったヒンデンブルクが、なぜヒトラーに全権を渡したのか
ワイマール共和国には大統領がいて、国家の非常事態には法律や憲法を無視して指示を出し、それを法律にできる強い権限を持っていました。深井さんは、ヒトラーがこの大統領の権限を悪用して独裁権を得たと説明します。
当時の大統領ヒンデンブルク ── 第一次世界大戦で活躍したドイツの将軍で、1925年からワイマール共和国の大統領を務めました。1933年にヒトラーを首相に任命していますは、国民投票で選ばれながら民主主義に反対していました。ドイツ帝国生まれで貴族出身の将軍だったためで、共和国になったばかりのドイツでは、役人にも民主主義に賛成でない元貴族が多かったといいます。
自分が選ばれた制度に反対。
荒れたドイツを見たヒンデンブルクは、民衆に人気のある人物に独裁権を渡したほうがよいと考えます。当時最も人気があったのは、37%を取っていたヒトラーでした。
深井さんは、ナチスが37%までは積み上げ型の努力で支持を得て、残りの70%ほどをヒンデンブルクが一気に押し上げたと表現しています。樋口さんはこれを民主制の「抜け穴」だと受け止めました。
ヒトラーはヒンデンブルクにかなり取り入り、気に入られていました。ただ深井さんは、すり寄りがうまかったというより、ヒトラーの思想がしっかりして見えたことと、人気があったことが一番大きかったと見ています。
当時のワイマール共和国では、議会を通さず大統領の非常事態の権限で物事を進めることが頻繁に行われていました。堅い人物だったヒンデンブルクは、ルールの抜け穴のような使い方を嫌い、それなら最初から独裁権を渡せばよいと考えたといいます。
楊さんは背景として、同時期に共産党も力をつけていたことを挙げます。官僚や元貴族たちは共産党に政権を渡すことだけは避けたいと考え、ナチスは好きではないがヒトラーのほうがましだと判断していました。
その後、国会議事堂の炎上事件を共産党のせいにし、非常事態の権限でナチス以外の政党を作れなくして一党独裁状態にします。最終的には受権法 ── 1933年に成立した、政府に議会を通さない立法を認めた法律。全権委任法とも呼ばれ、ワイマール憲法を事実上無力化しましたによって、憲法に反する法律も制定できる権限がヒトラーに渡りました。
深井さんは、法律を監視する役割の憲法を超えてよいとなれば、憲法は意味を失うと指摘します。楊さんが「議会もいらない」と補うように、ドイツは君主制に近い体制になっていきました。ヒトラーが独裁権を得るまでの流れは、次のように整理できます。
支持率37%
プロパガンダと怒りをあおる演説で第一党に
大統領の判断
民主制に反対のヒンデンブルクが、人気のあるヒトラーに権力を渡すと決めた
一党独裁
国会議事堂の炎上を共産党のせいにし、非常事態の権限で他党を封じた
受権法
憲法に反する法律も制定できる全権がヒトラーに渡った
まとめ
今回のエピソードでは、クーデターに失敗したヒトラーが民主的な選挙で支持を集め、最後は民主制に反対する大統領の判断によって独裁権を得るまでが語られました。独裁は民主制の手続きの内側から生まれたという点が、この回の大きな論点です。
- ミュンヘン一揆の失敗後、裁判で全責任を背負ったヒトラーは右派の英雄になった
- ヒトラーは民主主義を否定する思想を持ちながら、党を民主的な権力奪取へ方針転換させた
- ゲッベルスのプロパガンダや弁士養成学校、世界恐慌の苦しさを背景に、支持率は37%まで伸びた
- 民主制に反対だったヒンデンブルク大統領が、非常事態の権限を通じてヒトラーに全権を渡した





