軍のスパイが、潜入先の集会で論破してしまった?
第一次世界大戦後のミュンヘンでは、右派や左派の政治団体が数多く活動していました。軍人だったヒトラーには、こうした団体を国家の立場から監視するという任務があったと深井さんは説明します。
ヒトラーが監視対象として足を運んだのが、ナチスの前身となるドイツ労働者党でした。党首はアントン・ドレクスラー ── ドイツ労働者党の創設者の一人で、初期の党首。ミュンヘンの鉄道工場で働く労働者でしたで、この党は思想の近い人物を招いて講演会を開いていました。
ある集会で、左派の参加者が講演内容に反論しました。スパイとして来ていたはずのヒトラーは、その反論にさらに反論し、ドイツ労働者党側の立場で相手を論破してしまいます。
その集会でスパイで行ったんだよ?スパイで行った集会に議論しちゃったわけ、ヒトラー。
うわもう(議論を)やりたくなっちゃって。
ヒトラーの論戦ぶりを見たドレクスラーは「こいつすごくない?」と驚き、ヒトラーをスカウトします。ヒトラーは任務中の立場から迷い、上司に相談しました。
そしたら上司もいいよ、もう内部に入りなってなって。中からスパイしな。
深井さんによれば、軍もナショナリズム寄りで、ドイツ労働者党の思想とは「ズブズブ」の関係でした。そのため、ヒトラーが党に入ることは軍としても問題にならなかったといいます。
喋りで支持者と寄付を集めた「インフルエンサー」
ヒトラーは入党後、軍を辞めます。ヴェルサイユ条約 ── 第一次世界大戦後の1919年に結ばれた講和条約。ドイツは領土や植民地を失い、巨額の賠償と軍備の制限を課されましたで軍縮を求められていたため、軍はどのみち解散する予定で、ヒトラーも次の身の振り方を考えていたといいます。
ヒトラーが見出された講演会の講師は、ユダヤ人を批判していた学者のゴットフリート・フェーダー ── ドイツの経済思想家。利子や金融資本を批判し、初期のナチスの経済綱領に影響を与えた人物ですでした。党に入ったヒトラーが担ったのは、ここでも「喋る仕事」です。
で、これはね、マッチしますよね。だって政治って喋るのが仕事だから。
ヒトラーは演説で支持者を集め、寄付を募る仕事が抜群にうまく、彼が喋るようになってから入党者も寄付も一気に増えました。深井さんは、もともとのドイツ労働者党を「カフェの奥でサークルみたいに話していた田舎のちっちゃな政党」と表現しています。
樋口さんはこの姿を「まさにインフルエンサー」と言い表しました。さらに初期のヒトラーは軍から給料をもらっていたため、ほかの党員と違ってフルタイムで党の活動に打ち込めたといいます。
だってお金もこの人が集めてる、人もこの人が集めてるってなったら、じゃあもうお前が党首じゃんってなるじゃん。
合併騒動で辞めたヒトラーが、戻る条件にしたものとは
当時は右翼政党が乱立しており、それらを合併する動きが出ていました。党首のドレクスラーは合併に賛成しましたが、ヒトラーは強く反対します。
深井さんによれば、ヒトラーは自分の都合のいいときには平気で考えを曲げる一方、他人が考えを曲げることは許さない人物でした。合併するなら辞めると宣言し、実際に党を辞めてしまいます。
ドイツ労働者党の面々は、半分冗談だと思っていたヒトラーの離脱に慌てました。カリスマ的な演説家を失えば、寄付も入党者も止まってしまうからです。
もうあれですね、吉本からダウンタウン辞めたみたいな。
「戻ってください」と頼まれたヒトラーが出した条件は、自分に権力を渡すことでした。
戻ってくださいってなった時に、ヒトラーが言ったのが、「俺に権力ちょうだい」って言ったんです。僕がいろいろ決めていいんだったら戻りますよって言うんです。
党の面々は成績を残しているからとしぶしぶ受け入れ、ヒトラーに権力を渡した状態で党に戻しました。この直後、党はナチスとして作り直されます。
潜入
軍の監視任務でドイツ労働者党の集会に参加する
スカウト
集会で論破し、党首ドレクスラーに誘われて入党する
台頭
演説で支持者と寄付を集め、党内での立場が強まる
離脱と復帰
合併に反対して辞め、権力の譲渡を条件に戻る
楊さんは「むちゃくちゃ能力高い」と驚き、深井さんは「喋るとこだけ」と応じます。楊さんは、喋りで売れていく姿を芸人と同じだと評しました。
ナチスの綱領は何を掲げていたのか?
ナチスとして党を作り直した際、党は綱領を発表しました。深井さんは、その内容は前回紹介したヒトラーの思想とほぼ一致すると説明します。
綱領の柱の一つが、ドイツ民族の自決権と領土の獲得です。ヴェルサイユ条約で自ら物事を決める権利を失った状態を脱するため、条約の廃止、剥奪された植民地の復活、奪われた領土の回復を求めていました。ロシアへ攻め入って領土を取る構想も、この領土獲得に含まれるといいます。
もう一つの柱が国民の新たな定義で、ナチスの綱領はユダヤ人を国民ではなく外国籍の者とし、同じ権利を与えないとしていました。
さらにナチスの綱領には、所得の中間層を政治ターゲットにした主張も並んでいました。不労所得を持つ人をつぶす、金持ちはよくないといった内容で、資産を持つ者がさらに資産を増やす構図は全体主義の立場からも批判されるものだったと深井さんは話します。
楊さんは、ナチスの綱領のうち最初の柱はヒトラーのやりたいことで、中間層向けの主張は目的のための手段ではないかと整理しました。深井さんもそれを「戦略」だと認めています。
ヴェルサイユ条約は不当だという主張と、ユダヤ人を国民から排除する主張
不労所得や金持ちを批判し、所得の中間層の支持を集める主張
大衆を魅了したヒトラー演説の「テンプレート」
ヒトラーはこうした思想を携えて大衆に演説していきます。深井さんによると、ヒトラーの演説には決まった型がありました。
ヒトラーの演説は、悲惨なドイツの現状を静かに語ることから始まります。なぜこうなったのか、どうすれば未来を取り戻せるのかと問いかけ、樋口さんの言葉を借りれば「共感から入る」のです。
苦境の原因に触れる段階で「こいつのせいだ」という敵が登場し、そこからヒトラーは激しく怒り始めます。世界を善悪の二項対立で捉え、悪いやつらを倒さなければ世界は良くならないと訴えるのが特徴でした。
深井さんは、聴衆の多くが生活に苦しみ、十分な教育や情報を持たない人々だったと指摘します。そこへアカデミックな裏付けのある理屈で「こいつが悪い」と言われると、信じてしまい、怒りがさらに煽られていったといいます。
でもなんかそれやられたら行っちゃいますね。うわってなっちゃいますね。
首相就任演説と『意志の勝利』、身振りまで計算された演説
深井さんは、ヒトラーの演説を実際に確かめられるものとして2つを挙げます。1つは首相就任演説で、先ほどの演説の型に沿った典型例だといいます。
もう1つが、ナチスが作ったプロパガンダ映画意志の勝利 ── 1935年公開のドキュメンタリー映画。レニ・リーフェンシュタール監督が1934年のナチス党大会を撮影し、プロパガンダ映画の代表作とされますです。この映画にはニュルンベルク党大会でのヒトラーの演説が収められています。
深井さんによれば、ヒトラーは他の場面ではあまり戦略性がないものの、演説だけは身振り手振りまで計算して作り込んでいたといいます。敵の話をするときの手振りは特に「やばい」そうです。
あと喋り方ね、韻を踏んでる感じの喋り方をしますよ。聞いてみてください。
深井さんは、ドイツ語がわからなくても韻を踏んでいると感じ取れると話し、神経質そうに髪をかき分ける仕草も見どころだと勧めました。楊さんが演説の勉強になりそうだと言うと、深井さんは「真似できないけどね」と返しています。
ナチスは暴力ではなく選挙で独裁を築いた
演説の効果でナチスは人気を得ていきますが、すぐに大政党になったわけではありません。深井さんは、ナチスがどうやって第一党になっていくのかを次の論点として示します。
ヒトラーってものすごくて、民主主義の中から独裁を作ってるんです、彼、選挙で。
深井さんによれば、ナチスはクーデターを起こそうとして失敗した経験を反省し、民主主義のやり方で権力を目指すようになりました。軍事力ではなく選挙で民衆の心を動かしていった過程は、次回で語られます。
まとめ
この回では、軍のスパイとしてドイツ労働者党に近づいたヒトラーが、演説の才能で党の顔となり、離脱騒動を経て権力を握るまでが語られました。ナチスの綱領は思想と支持集めの戦略が組み合わさったもので、それを届けたのが計算し尽くされた演説でした。
- ヒトラーは監視任務で訪れた集会で論破し、党首にスカウトされて入党した
- 演説で支持者と寄付を集め、フルタイムで活動できたことで党内の立場を強めた
- 合併に反対して辞め、権力の譲渡を条件に復帰したのち、党はナチスとなった
- 綱領はヴェルサイユ条約の否定とユダヤ人排除を軸に、中間層向けの主張を戦略として加えていた
- 演説は静かな共感から敵への怒り、善悪の二項対立へと進む型を持ち、身振りまで計算されていた





