社会契約説を学ぶ前に、何に気をつけるべきか?
コテンラジオの民主主義の歴史編は、ギリシャ、イタリア、イギリスの民主主義をたどったあと、この回からいよいよ社会契約説に入ります。今回から全3回で、ホッブズ、ジョン・ロック、ルソーの社会契約説が順に扱われます。
番組内では言葉の使い分けも決められています。ホッブズ、ロック、ルソー、さらにカントまで含む社会契約に関する言説全体を「社会契約説」、ルソーの著作だけを「社会契約論」と呼ぶ、というルールです。
本題に入る前に、楊さんは政治思想を学ぶときの注意点を挙げます。過去の思想家は、現代とは異なる価値観や世界観のもとで、当時の現実問題に取り組んでいた、という前提です。
(政治思想の中に今の問題を解く鍵があるという)期待を抱いては別にいいんですよ。でも抱きすぎると逆に彼らの思想のフラットな理解を阻害してしまうことが結構あるんですよね。
楊さんによれば、まず思想家たちの問題意識と、それを支える当時の世界観や現実の状況を理解し、そのうえで自分で考えるのがよい順序です。樋口さんも「何でもかんでもすぐ答えを求めて活用したくなりがち」と応じています。
深井さんはさらに、社会契約説は現代人の根幹に関わる主張を多く含み、人を沸き立たせる強いエネルギーを持つ領域だと付け加えます。楊さんの言葉を借りれば「エモい」思想だからこそ、慎重に扱う必要があるということです。
もう1つの注意点は解釈の難しさです。深井さんによると、社会契約説の論理自体はそれほど難しくない一方、宗教色の濃い時代に言葉を選んで書かれたため、本や学者によって解釈が分かれます。
深井さんは何冊も読み、学者2人にも話を聞いたうえで、複数の解釈を紹介すると断っています。番組の説明がスタンダードな解釈とは限らない、という前提で聞いてほしいという呼びかけです。
なぜ王権神授説では主権の争いが終わらなかったのか?
社会契約説が生まれた背景として、深井さんはまずブルジョワジーやジェントリーの台頭を挙げます。大航海時代以降の貿易などで力をつけた、ナイトでも貴族でもない実力ある平民層です。
ただし、こうした中間層の前には身分制社会が立ちはだかっていました。身分秩序は宗教的権威で守られ、王権も神が定めた秩序として、物理法則のように自明のものと考えられていたからです。
深井さんによれば、その考え方の代表が王権神授説 ── 王の権力は神から直接授けられたもので、人民や議会に縛られないとする考え方。16〜17世紀のヨーロッパで絶対王政を支える理論として用いられましたと、身分は生まれつき決まっているという考え方です。社会契約説は、これらへの反論的な理論として出てきます。
楊さんは別の角度として、宗教改革後の宗教戦争を挙げます。ローマ帝国の滅亡後、ヨーロッパに統一権力は二度と現れませんでしたが、ヨーロッパの一体性を支えるインフラとして機能していたのがカトリックでした。
でも宗教で分裂しちゃったんですよ。だから、宗教が社会の秩序を支えるインフラとして機能しなくなっちゃったわけですね。
楊さんによれば、当時の政治の実務家や思想家たちは、宗教が政治の後ろ盾どころか不安定化の原因になりかねないと考えました。そこで、人間の内面に関わる宗教を政治から切り離し、外面である社会秩序を合理的に実現しようという問題意識が生まれます。
中間層の台頭
大航海時代以降、貿易などで力をつけたブルジョワジーやジェントリーが現れる
身分制の壁
宗教的権威に守られた身分秩序と王権神授説が立ちはだかる
宗教の分裂
宗教改革と宗教戦争で、カトリックが秩序のインフラとして機能しなくなる
新しい理論の必要
宗教から切り離して秩序を説明する理論として社会契約説が出てくる
イギリスではさらに、議会と王の対立が続いていました。王は自分が主権者だと考え、議会は自分たちこそ主権者だと主張し、深井さんの言う「そもそも主権者は誰なのか」という問題が内紛の種になっていました。
どちらも繰り返しになるけど、論破ができないっていうのが、実は一つ大きい問題になってたんだよね。
伝統的な論理では「昔からこうしているから」「神の計画に王権が入っている」としか説明できず、相手は納得しません。樋口さんが「膠着状態」とまとめたこの状況に登場したのが、イギリス人のトマス・ホッブズでした。
ホッブズの「ゼロベース思考」は何がすごかったのか
深井さんが強調するのは、ホッブズの考え方の出発点です。それまでの議論は、王や議会の経緯といった目の前の現状をもとに、どちらが正しいかを争っていました。
完全ゼロベースに戻って考え直したんですよね。そもそも人間ってこんな存在じゃない?みたいな。
ホッブズは、議会派と王党派のどちらの話も基本的にはせず、「政府がなかったら人間はどうなるか」「だから政府はどうあるべきか」と論を組み立てました。深井さんは、ここを典型的な哲学の力の発揮だと評価しています。
深井さんは現代に引きつけて、ポスト資本主義の議論などで「そもそも人間とは」に戻って語る人がいるかと問いかけます。樋口さんも「かなり難しいでしょうね」と応じ、前提を一度外すことの難しさが共有されます。
楊さんは、政治、経済、宗教、法律、お金、権力など人間の世界の要素はすべて人為的なフィクションだと言い換えます。ホッブズはそれらを全部初期化し、そこに初期化された人間を置いたらどうなるかを考えた、という説明です。
楊さんは、学者による推論として、ホッブズと交流のあったガリレオ・ガリレイ ── 16〜17世紀イタリアの科学者。天体観測や落下運動の研究で知られ、実験と数学的考察を組み合わせた近代科学の先駆者とされますの影響を紹介します。ガリレオは、頭の中で完全な真空を想定する思考実験によって慣性の法則をつかんだとされます。
深井さんはこれを、物理の問題の「摩擦はないものとする」になぞらえます。ホッブズの自然状態は、いわば「政府はないものとする」という条件で社会を考えた思考実験だということです。
この思考実験の結論として、深井さんはホッブズの核心を先に示します。人間にとって最も重要な普遍的価値は生命の保存であり、個々人が互いに合意して契約するほうが、契約しない場合より生命の安全がましになる、という考え方が後に社会契約と呼ばれます。
内乱と亡命のなかで書かれた『リヴァイアサン』
ホッブズが生きたのは、イングランドで議会と王が対立し、チャールズ1世が処刑された時代です。深井さんによると、ホッブズは祖国の内乱を心底嫌い、「この内乱はどうやったら終わるのか」を強い関心事にしていました。
ホッブズの主張は同時代にはあまり理解されず、後にロックやルソーに受け継がれることで生きていきます。主要な著作は大きく3つあり、それも亡命しながら書かれたものでした。
当時の人々は、ホッブズの主張が王党派と議会派のどちらを擁護しているのかという見方しかしませんでした。ホッブズ自身はどちらも擁護しない態度で書いていたはずですが、国王擁護派と見なされ、命の危険を感じてフランスへ亡命します。
深井さんは、フランスへの亡命が結果的にホッブズの思想形成には良かったようだと話します。祖国の内乱から距離を置いて冷静に見つめ、どうすれば生命の安全を確保できる政治になるのかを執筆のなかで考え続けられたからです。
楊さんは、ホッブズが見た状況をさらに補います。宗教改革による分裂が続くなか、農業、商業、科学技術、印刷技術などの発展で富と権力と知識の配分が流動化し、社会の暗黙の了解が崩れていく時期でした。
神の名において迫害する人だったりとか、逆にあの世で魂の救済を真剣に求める者だったりとか、あとはその人民の名において権力の要求を正当化する者とか、(中略)もういろんな奴らがバンバンバンバン出てくるんですよね。
楊さんと深井さんは、この時代を「乱世」「戦国時代」と表現します。そのなかで完成したのが、不朽の名著とされる『リヴァイアサン ── 1651年に刊行されたホッブズの主著。人間論から始まり、国家の成り立ちと主権のあり方を論じた政治哲学の古典です』でした。
楊さんによれば、『リヴァイアサン』が完成したときホッブズは63歳で、十数年ほどかけて書いたそうです。1つのことをそれほど長く考え続けたこと自体に、楊さんも深井さんも驚きを示しています。
政治の単位を「個人」に変えた転換点
『リヴァイアサン』は人間論から始まります。深井さんは、ここに冒頭で話した「人間とは何か」への立ち返りがはっきり表れていると説明します。
深井さんが特に革新的だとするのは、ホッブズが政治を考える基本単位を人間個人に置いた点です。それまでは、ある団体と別の団体が議会で利害を調整するのが政治の当たり前の感覚でした。
バラバラになった一人一人の人間っていうのが、自分の命を守ろうとすると、こういう風な政治になるよねって話を彼はしちゃったから、個人から出発するっていう潮流がここで出来上がるんですよね。
貴族、庶民、ギルドなど、集団や階層を主語にして利害を調整する
一人一人の個人が自分の命を守ろうとすることから政治を組み立てる
楊さんは、社会を個人にまで解像度を上げて捉えるのは実は当たり前ではないと話します。当時の人々は、どこかのギルドに属しているといった集団や階層を主語に考えるのが普通でした。
樋口さんが、役職や王であるといった立場も取り払えば個人になるのかと尋ねると、深井さんはそのとおりだと答えます。楊さんはこれを「初期化」と呼び、樋口さんは「色はついてない」と言い表しました。
ただし深井さんは、ホッブズの主張をそのまま受け取ってほしいわけではないと念を押します。評価しているのは、当時の状況でこうした発想に至ったことの大きさであり、主張の内容を100%正しいと思っているわけではない、という立場です。
人間は刺激への反応の積み重ねにすぎない?
ホッブズの人間論の特徴は、人間を高貴な存在としてではなく、欲望に駆動される存在として描いた点です。楊さんは「割と悲観的」と表現し、深井さんは道徳心や倫理観で人間を説明しないところが面白いと話します。
深井さんの説明では、ホッブズにとって人間は、五感などを通じて外的刺激を受け取り、それに「いいな」「悪いな」と反応する存在です。そしてこの反応だけで、基本的にすべてが成り立っていると考えました。
全てはこの外的刺激に対する反作用で成り立ってる。だから我々の意志とか意思決定とか、そういうのも全て反作用の表れでしかないよねって彼は言うんですよね。
深井さんの解釈では、ホッブズは血液循環や呼吸のように、人間を誕生から死まで絶え間なく運動し続ける存在として捉えています。快と感じるものが善、不快と感じるものが悪であり、その善悪の判断も結局は主観的だという見方です。
樋口さんは、この考え方は当時の宗教観からすると絶対に受け入れられないだろうと言いつつ、自分にはよくわかると反応します。人間をブラックボックスにたとえ、入力に対して中の関数ごとに違う反応が返ってくるだけ、という感覚だそうです。
ChatGPT見て人間っぽいなと思ってるけど、いやいや人間ってChatGPTっぽいなって思ってるって感じです。
深井さんも、ホッブズの人間観はおそらくそういう感覚だろうと応じます。そのうえで、快不快の判断のなかで最高の価値とされるのが生命の安全、つまり自己保存であり、ホッブズはこれを万人が持つ人間の本性だと考えました。
政府がなければ「万人の闘争」になるのはなぜか
ここから話は自然状態に入ります。自己保存を本性とする人間を、政府も王もいない状態に置いたらどうなるかというシミュレーションで、ホッブズの結論は万人の闘争状態でした。
この闘争を説明するのが自然権です。深井さんによれば、ホッブズにおける自然権は、自分の命を守るために自己の判断に基づいて自分の力を好きなように使う権利を指します。
政府がなければ、誰かが自分を殺しに来るかもしれず、食べ物を奪わなければ餓死するかもしれません。そうした状況で、人は相手を攻撃してでも生き延びようとし、それが自然権の行使になります。
深井さんは、ホッブズも常に闘争が起きるとは考えていなかったと補足します。平和なときは別として、震災などで明日どうなるかわからない状況になれば略奪が起きる、という想定です。
ここから、ホッブズは逆説的な結論を導きます。政府がなく誰にも制限されないはずの自然状態では、自由が逆に命の危険を生むことになります。
完全なる自由は逆に自由の消滅をもたらすというパラドックスが出てくるんですね。
樋口さんは身近な例として、自分の小遣いのために相手をカツアゲする場面を挙げます。やられた側は自由を失っていますし、深井さんによれば、強い者も結託した相手やさらに強い者に倒され、闘争は終わらなくなります。
人間本性
人は自己保存を最高の価値として行動する
自然権
自分の命を守るために、自分の判断で力を好きに使う権利を持つ
自然状態
政府がないため、各自が自然権を行使する
万人の闘争
互いに攻撃し合い、かえって全員が命の危険にさらされる
自然法は自然権の「後」か「並び」か
自然状態と自然権に続いて登場するのが、自然法という概念です。深井さんは理解が難しい概念だとしたうえで、本によって解釈が分かれ、大きく2つの読み方があると紹介します。
自然法の基本的なイメージは、理性によって「これはやってはいけない」とわかるルールです。平和なときには、人を殺せば相手の仲間に殺されるかもしれないと容易に想像できるので、人を殺さない、物を奪わないといったルールが理性で発見されます。
樋口さんが「法則という意味の法なのか」と尋ねると、深井さんは、誰かが作って与える法律ではなく、理性によって発見されるものという感覚だと答えます。
1つ目の解釈では、まず自然権があり、その上で理性によって自然法が見いだされます。ただ、この自然法は極限状態では簡単に破られ、樋口さんの言うように、守った側が損をする状況も生まれます。
2つ目の解釈では、自然権と自然法は並立しています。理性が状況に応じて「攻撃しなければ生き残れない」と命じれば自然権、「今は平和にしたほうがいい」と命じれば自然法になる、という分岐の考え方です。
自然権が土台にあり、その上で理性によって自然法が発見される。レイヤーが異なる
理性が状況判断でどちらを命じるかで、自然権になるか自然法になるかが分岐する。同じレイヤーに並ぶ
深井さんは、どちらが正しいかは判断しかねるとし、3つ目や4つ目の解釈もあるかもしれないと話します。それほど自然権と自然法は今も論争の的だということです。
ただし結論は大きく変わりません。どちらの解釈でも、極限状態では自然法が破られるか自然権が優先され、無政府状態は闘争に向かう、というのがホッブズの自然状態論です。
自然権を手放して「リヴァイアサン」に委ねる理由
闘争状態から抜け出すための答えが、ホッブズの社会契約です。個人が自然権、端的に言えば武力を行使する権利を放棄し、第三者に渡すという発想です。
深井さんは、社会を構成するすべての人から権利を託された第三者を「元気玉」にたとえます。こうしてできた共通権力が主権者となり、人々を統治するという約束を個人同士が結ぶ、というのがホッブズの結論です。
樋口さんは、その主権者は時に王であり、時に議会でもありうると理解し、統治する存在をまず肯定しようという主張だとまとめます。深井さんはこれを肯定し、ホッブズ自身はおそらく王を想定していた可能性が高いと話します。
楊さんは、根本には自然状態で生まれる死への恐怖があると補足します。ホッブズにとって恐怖は重要なキーワードで、国家を設立する動機になると考えられていました。
樋口さんが現代の警察にたとえると、楊さんも、家族を殺されても自分で殺し返すことはできず、それは警察や裁判所の仕事だという例で説明します。
深井さんが重要だとするのは、自然権を放棄した理由です。自然状態よりましになるから放棄したのであり、共通権力が命を奪うことは契約違反になります。
深井さんによれば、ホッブズは究極的には、戦争に行って命を失うのが嫌なら逃げてもよいとまで述べています。楊さんは、ホッブズは主権者と人民の利益が理性的に考えて一致すると、ナイーブに信じていたと見ています。
強大な共通権力は、聖書に登場する怪物にちなんでリヴァイアサンと呼ばれます。深井さんは、強い力がなければ再び自然権を行使する人に言うことを聞かせられないため、あえて怪物にたとえていると説明します。
一方で楊さんは、ホッブズのリヴァイアサンは常に監視する全体主義国家のイメージではないと注意を促します。人民を食い物にする恣意的な支配を、ホッブズは擁護していないということです。
議論を呼んだのは、主権者に反抗してはいけないという主張でした。深井さんは、契約違反になるから反抗してはいけないという読み方がスタンダードだとしつつ、王に従えという王党派擁護に聞こえる面もあったと話します。
ホッブズの論理は人権の源流になったのか?
ホッブズ以前の社会では、国家がなぜ必要かをそもそも考える必要がなかった、と楊さんは話します。王が好きに課税し、都合で人を殺すような社会のなかで、国家の存在理由を自己保存から説明したことになります。
深井さんによれば、ホッブズの主張は過激でエキセントリックなものとして受け取られ、世の中にすぐには受け入れられませんでした。それでも深井さんは、自然権と自然法の解釈がどちらであっても論理として筋が通っていると評価します。
人間社会ってさ、その今の利害関係の延長線上でしか基本的に語られないんだけど、この人間本性に立ち戻って、(中略)すげえ論理なんだよね。
楊さんは、ホッブズの斬新さは科学的な論証という手法を選んだことにあると話します。神や超越的なものは認識できないので、まず目に見える世界に焦点を当てよう、というのがホッブズの立場でした。
楊さんはホッブズの言葉として、建築技術のたとえを紹介します。人間はずっと建築をしてきたものの、ある時から材料の性質や割合を研究し、原理を引き出しました。
ホッブズはコモンウェルス ── ホッブズが用いた、人々の契約によって成立する国家や政治共同体を指す言葉。英語で「共通の福利」を意味する語に由来しますを永続させる原理も、同じように人々が観察し理性で発見していくものだと考えていた、と楊さんは説明します。
最後に深井さんは、ホッブズの自然権が現代の人権のルーツになっていると付け加えます。人間が生まれながらに持つ権利という感覚は、ホッブズ、ロック、ルソーを通じて具体化され、追加されながら今の人権概念へつながっていきます。
次回は、ホッブズより後の時代に登場するジョン・ロックの社会契約説が取り上げられます。
まとめ
ホッブズは、王と議会の主権争いが決着しない内乱のイングランドで、既存の立場をいったん初期化し、自己保存を本性とする個人から国家の必要性を組み立て直しました。その思考実験は同時代には受け入れられなかったものの、個人を政治の単位とし、自然権から人権へとつながる流れの起点になったと番組では語られています。
- 社会契約説は、身分制と王権神授説への反論として、また宗教戦争で揺らいだ秩序を宗教抜きで説明する試みとして生まれた
- ホッブズは「政府はないものとする」思考実験で、自然状態は万人の闘争になると考えた
- 人々は命を守るために自然権を放棄し、第三者である主権者に委ねる。主権者が命を奪うことは契約違反になる
- 自然権と自然法の関係には複数の解釈があり、番組の説明も定説ではないという前提で聞くことが勧められている
- ホッブズの自然権は、ロックやルソーを経て現代の人権概念のルーツになったとされる




