なぜシチリア島が火種になったのか
第一次ポエニ戦争は、地中海の覇権を握るカルタゴと、イタリア半島で力を伸ばすローマの間で起こった戦争です。前回までの話では、両者の力関係はカルタゴが優勢で、ローマに不平等条約 ── 当事国の一方だけが有利な権利を持つ条約。ここではローマの軍事活動が制約され、カルタゴは自由に動ける内容だったと番組で説明されていますを結ばせるほどでした。
楊さんによると、両国が激突する舞台は、イタリア半島のつま先の目と鼻の先にあるシチリア島 ── 地中海最大の島で、イタリア半島の南西に位置します。古代にはギリシャ人やフェニキア人が植民し、交易と軍事の要衝でしたです。戦争の発端は、この島の中で起きていた内戦のような争いでした。
当時のシチリア島は、西半分がカルタゴ領、東側はシラクサ ── シチリア島東部の古代ギリシャ人の植民市で、シュラクサイとも呼ばれます。当時の島の東側で有力な都市でしたをはじめとするギリシャ人の植民市が並ぶ状態でした。
深井さんは、カルタゴなどの勢力はあくまで上のレイヤーで押さえていただけで、現場にはギリシャ人、先住民、南イタリアの住民などが入り乱れていたと補足します。同盟、交易、争いが錯綜し、領土がきっちり固まったエリアではなかったといいます。
カチッとした、国の領土がパチッと固まっているようなエリアではないんですよね。結構流動性のある、カオスな状態ではあった。
統治されてない、なんか戦国時代味があります。
メッセネを占拠した傭兵集団「マメルティニ」
シチリア島東側の都市の1つに、イタリア半島に最も近いメッセネ(メッセナとも呼ばれます)がありました。楊さんによれば、このメッセネを実効支配していたのは、もともと傭兵団だった人たちでした。
その傭兵団は、シラクサの王が戦争のために雇った人たちです。彼らは「軍神マルスの子供たち」という意味のマメルティニ ── 古代の傭兵集団の自称。番組では軍神マルスの子供たちという意味だと紹介されていますを名乗り、仕事が終わっても解散せずに都市を占拠して住みついてしまいました。
元々ほら、傭兵ってさ、仕事が終わったらまあ解散したりとか、自分の国に帰ったりするんですよね。でも彼らは多分仕事が終わっても解散しないで、そのままそこを攻めて占拠して、そこに住んじゃったっていう。
シラクサの王からすれば、自分が雇った傭兵が勢力圏の中で勝手に都市を支配しているわけで、邪魔でしかありません。そこでシラクサはマメルティニの追討に動きます。
追い詰められたマメルティニの内部では、ローマに助けを求める派と、カルタゴに助けを求める派に分裂が起きました。そして両派がそれぞれ、ローマとカルタゴの両方を呼んでしまいます。
へーなんか迷惑だな。ね、どっちか決めてくれよって感じ。
楊さんは、状況は複雑に見えて実はとても単純だとまとめます。シチリア島の都市同士の内戦で負けそうになった側が、カルタゴとローマの両方を呼んだために、2つの大国が島で激突することになったのです。
傭兵の占拠
シラクサ王が雇った傭兵団がメッセネを占拠し、マメルティニを名乗る
シラクサの追討
シラクサ王が、勢力圏内で勝手に実効支配するマメルティニを追討しようとする
内部分裂
マメルティニがローマ派とカルタゴ派に分かれ、両方に助けを求める
大国の激突
カルタゴとローマがシチリア島で対峙し、戦争に至る
カルタゴにとって、この要請は好機でした。メッセネやシラクサがある東側に介入できれば、シチリア全島を支配下に置けます。いきなり攻め込めば非難を浴びますが、マメルティニに頼まれたから助けたという口実が立ちます。
深井さんは、過去の日露戦争シリーズになぞらえて、シチリア島は当時の朝鮮のような立ち位置だと説明します。要衝を敵国に押さえられると安全保障上の大きなリスクになり、現地の中にもどちらと組むかで対立が生まれていた、という構図です。
勝てそうにない戦争に、ローマはどう踏み切ったのか
ローマ側から見ると、この戦争は大きなリスクを抱えていました。カルタゴは強大な海軍国で、シチリア島は海を渡らなければ行けない場所だからです。楊さんは、船団が駆逐されれば島に送った陸軍の補給路が絶たれ、負ける算段が普通に思いつく状況だったと話します。
ローマはもともと海軍国ではなく、カルタゴに比べれば船乗りさえあまりいませんでした。そのため元老院 ── 古代ローマの有力者からなる評議機関。外交や戦争の方針に大きな影響力を持っていましたは、戦争をしないほうがいいのではないかと慎重に議論を始めます。
一方で、シチリア島をカルタゴに全て押さえられれば、ローマの地中海進出は大きく遠のきます。ローマはイタリア半島をローマ連邦のような形で傘下に置いていましたが、地中海に囲まれた国である以上、その海を抑えられると今後カルタゴに勝てなくなるという危機感がありました。
カルタゴは海軍が圧倒的に強く、補給路を断たれて負ける算段が立ってしまう
シチリアを押さえられ、地中海の覇権が遠のき、後々もっと不利になる
この板挟みの中でローマのコンスル ── 古代ローマ共和政の最高官職。任期1年で2人が選ばれ、軍の指揮権も持っていましたがとった手が、慎重な元老院ではなく、民衆が参加する議会である民会に審議をかけて通すことでした。
楊さんは、そのとき民衆を煽ったのだろうと見ています。戦争に勝てば戦利品がたくさん手に入り、いい生活ができる、という単純なメッセージです。主戦論者がこうして世論を動かし、戦争に突入したという記述があったといいます。
楊さんは、世論を作るには単純でわかりやすいメッセージのほうが効くと話したうえで、民主主義を否定しているわけではなく、決議のプロセスではそうした挙動が出ることがある、という趣旨だと断っています。当時はメディアもなく、民衆に届く情報は元老院やコンスルからのものに限られていた点も指摘されています。
ローマが軍を派遣すれば、不平等条約で制約されていた軍事活動に踏み込むことになります。しかもメッセネには、カルタゴ派に呼ばれたカルタゴ軍がすでに入っていました。ローマが来れば条約違反のうえに両軍が向き合う形になり、戦争はほぼ避けられませんでした。
日和ったカルタゴ軍と、記録に残らない最初の戦い
楊さんによれば、強大なはずのカルタゴ軍は、ここで若干の日和を見せます。カルタゴは強国でしたが、メンタリティはビジネスパーソンで、軍は雇われた人たちだったからです。対してローマは、元老院もコンスルも軍人でした。
決めた後の強さとか押しの強さとかが正直全然違ってて。戦争に関してはね。儲ける力とか全然カルタゴの方が強えよ。
楊さんは、ローマのメンタリティは日本人に似ていて、鎌倉武士団のもっと賢いバージョンのようなものだと例えます。
実際の展開では、まずマメルティニの親ローマ派が、メッセネにいたカルタゴ軍を脅して一度追い返してしまいます。カルタゴ軍は日和って逃げ、怒ったカルタゴ政府はその司令官を磔に処しました。
カルタゴはこのミスを挽回しようと、シチリア北東のペロリアス岬に艦隊と陸軍を送り、メッセネを包囲します。親ローマ派はすでにローマ軍を呼んでいたため、ここで戦争が始まりました。
いやだから。本当に名前にすぐ。
ペロリアス岬という地名に笑いが起きる一幕を挟みつつ、話は最初の戦いへ進みます。楊さんによれば、なぜかこの戦いについては、どちらが勝ったか記録が残っていないそうです。その後ローマがメッセネを押さえていることから、ローマが勝ったのだろうと言われています。
えー、書かれてないってなんじゃそら。
楊さんは、これはまだどういう始まり方をしたかぐらいの話で、本格的な戦争はこの後だと念を押します。
戦争を「コスト」と見るカルタゴ、軍に誇りを置くローマ
樋口さんは、この小競り合いでローマが強い、カルタゴが弱いという印象になったのかと尋ねます。楊さんの答えは、そこまでではなく、カルタゴが少し負けた程度だというものでした。
楊さんは諸説あると断ったうえで、通説として、カルタゴはビジネス重視の人たちで、戦争もコストだと考えていたため、あまり好戦的ではなかったと説明します。
もちろんローマも貿易はやってますよ。貿易もビジネスもやってるんだけれども、彼らは同時に軍っていうもの、重装歩兵ですよね、に対してものすごく自分たちのアイデンティティを置いてたんですよね。
楊さんは、この戦争は他の民族なら始めなかった可能性がとても高いと話します。ちゃんとした海軍を持たないままカルタゴに挑むことは、カルタゴ側も予想していなかっただろうといいます。
普通に考えたらそうだよね。確かに。日本かもしれない。ちょっと日本っぽいところあるかもしれないですね。何クソやみたいな。
楊さんは、ロシアに宣戦布告しないだろうと思われていたところに来るようなものだと応じ、為政者が軍人であることの特徴だと指摘します。開戦すれば負ける算段のほうが強いのに、それでもやると決める精神論が、ローマをここまで押し上げてきたという見立てです。
深井さんは、想像だと断りつつ、国家の課題を解決するときの発想の違いを挙げます。カルタゴなら交渉や外交、ビジネスが上位に来たかもしれないのに対し、ローマでは軍事がごく自然に選択肢に入っていたかもしれない、というものです。
ビジネス重視で、戦争はコスト。軍は雇われた人たちで、国の課題は交渉や外交、ビジネスで解こうとしたかもしれない
貿易もするが、軍と重装歩兵にアイデンティティを置く。為政者が軍人で、軍事が自然な選択肢になっていた
出世の仕組みと「父祖の遺風」が生んだ強さ
楊さんは、ローマの好戦性はローマ貴族の出世インセンティブと深く絡んでいると説明します。貴族が出世するには戦争で勝つことが重要で、戦争は常にチャンスでもありました。
そのためローマでは、成功しても失敗しても、個人のニーズと国家のニーズが一蓮托生で重なっていました。一方のカルタゴでは、ビジネスパーソンがお金を儲けたいという思いと、ローマとの戦争がぶつかり合っていました。楊さんは、個人と国家の利害が重なるかどうかが、カルタゴに二の足を踏ませた一因だろうと推測します。
確かにその国の中で評価されるものが軍事だったら、その国が軍事になるのか。めちゃくちゃ当たり前のこと言ってますけど、これなんか子供の教育とかもそうだなと思ったんですね。
さらに楊さんは、ローマには父祖の遺風 ── 先祖の栄光や軍事的功績を一族が受け継いでいるという、古代ローマの価値観。番組では遺産の遺に風と書くと説明されていますという感覚があったと紹介します。先祖の輝かしい功績を自分たち一族が受け継いでいるという物語を語り続け、それが合理的ではない判断にもつながっていました。
楊さんはこれも、先祖の末裔を名乗って一騎打ちをする鎌倉武士団に近いと話します。そしてスポーツの例を挙げ、成果を出すチームも戦略は合理的に考えながら、試合中は最後まで諦めない根性で戦うと語ります。
ただし楊さんは、ローマを持ち上げて日本を下げるつもりはないと断ったうえで、ローマは精神性を持ちながら、権力が一極集中しないようなシステムはとても合理的だったと補足します。その精神論と合理性のハイブリッドの塩梅が、結果として覇権を握るローマの強さにつながったのではないか、という見方です。
樋口さんは、ここまではローマがオラついてカルタゴが逃げ帰ったぐらいの小さな始まりだと振り返ります。次回からは、最終回まで続くポエニ戦争本編の話に入ります。
まとめ
第一次ポエニ戦争は、シチリア島のメッセネを占拠した傭兵集団マメルティニが、追討を恐れてローマとカルタゴの両方に助けを求めたことから始まりました。海軍で劣るローマが開戦に踏み切れた背景には、軍人が為政者であることや、出世と戦争が結びつく仕組み、父祖の遺風という価値観があったと番組では読み解かれています。
- シチリア島は勢力が入り乱れた流動的な島で、メッセネの内紛がカルタゴとローマの激突を招いた
- ローマの元老院は開戦に慎重だったが、コンスルが民会に諮り、戦利品を訴える単純なメッセージで世論を動かした
- カルタゴは戦争をコストと見るビジネス志向で、最初の小競り合いでは日和ったとされる
- ローマでは個人の出世と国家の戦争が一蓮托生で、合理的でない粘り強さと合理的なシステムを併せ持っていた





