遊牧集団から「国家」へ ― ウゲデーの時代に起きた変化
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チンギスは西夏征服の途中で亡くなりましたが、その後モンゴルは遺言通りに西夏を滅ぼします。次の汗(カーン)にはウゲデーが即位しました。
この即位も本来は指名されていたものの、クリルタイ ── モンゴルの最高意思決定会議。有力者が集まって次の君主などを決めた合議の場ですでは相当紛糾したといいます。それでも最終的にウゲデーに決まりました。
深井さんが注目するのは、ウゲデーの代からモンゴルという組織が急速に「国家っぽく」なっていった点です。それまでは遊牧民の強い集団という色合いが濃かったといいます。
それまでほんと遊牧民のなんか強い集団みたいな感じだったんだけど、ここからすごい急速に国家っぽくなっていきます。例えば首都を作るとか。
象徴的なのが首都です。それまで首都がなく、宮殿ごと移動し続けていました。深井さんはこれを「内閣府がずっと移動し続けている」ような状態だと例えます。
さらに税金の導入や駅伝制の整備も進みました。駅伝制とは、一定距離ごとに馬を置いておき、元気な馬に乗り換えながら長距離を移動する仕組みです。
駅の字ってそういう意味なんです。馬が一日走る距離ごとに馬の宿みたいなのを置いて、そこで補給したり馬を替えたり。
一つのセンターに金・女真・ウイグル ― 多国籍すぎる文書行政
ウゲデーの時代には文書行政センターも設置されました。ここで深井さんが驚くのは、その運営体制の多国籍ぶりです。
長官は金から獲得した契丹人の耶律楚材 ── モンゴルに仕えた契丹出身の政治家。行政制度の整備に関わったとされます。書き起こしでは「やりつ素材」と呼ばれています、次官は女真族の人物、その次はウイグル人でした。異なる民族の人材が一つのセンターで統治にあたっていたのです。
多国籍というか、もうグローバル企業だね。
深井さんはこれを、日本企業がインド人・アメリカ人・中国人を集めて新しいセンターを作るような状態だと例えます。そのうえで、これをマネジメントできていたこと自体がすごいと話します。
超グローバルで最先端ですよ。マネジメントできないですよね、日本人なかなか。
なぜ首都を作っても宮殿は動き続けたのか
首都カラコルムは建設されました。しかしこの時点でも政府は移動し続けていたといいます。楊さんによれば、後のクビライも冬は北京、夏はモンゴル高原と移動していました。
深井さんは、この落ち着きのなさの背景に街に対する考え方の違いがあると指摘します。遊牧民にとって街は住む場所ではなく、補給地点だというのです。
だからカラコルムを作っても、それは移動する宮殿への補給しかしてくれない場所だった、と深井さんは説明します。街の位置づけそのものが農耕民の感覚とは異なっていたわけです。
深井さんは、もし現代の首相やアメリカ大統領が季節ごとに居場所を変えていたら、と冗談交じりに話します。移動宮殿という発想が、いかに私たちの常識から離れているかを示す例です。
一度の会議でヨーロッパ・インド・南宋・高麗へ ― 攻めすぎる決議
チンギスがやり残したこともありました。金がまだ完全には滅んでおらず、これを殲滅したいという課題が残っていたのです。
さらに驚くのは、チンギスの死後のクリルタイで決まった内容です。一度の会議で、ヨーロッパ・インド・南宋・高麗への遠征軍派遣が同時に決議されました。
多すぎ。一回でやりすぎでしょ。
楊さんは、彼らが自分たちのキャパシティで「これはできる」と考えていた点に注目します。全く別方向の地域への同時遠征を、実際にやれると判断していたのです。
でもできると思ってるんだね。彼らのキャパシティが、これできるやんって決議したんでしょうね。
ヨーロッパ遠征はロシア、ポーランド、オーストリア、ブルガリアにまで及びました。そしてこの遠征の途中で、ウゲデー自身も亡くなってしまいます。
汗選びで紛糾し続けた帝国が、早く終わった理由
ウゲデーの死後、モンゴル帝国は次のカーンを選ぶたびに紛糾し続けたといいます。楊さんによれば、その紛糾は10年ほどに及んだ時期もありました。
そして5代目のクビライ・カン、つまり日本に攻めてきた人物の代で、大きな一つのモンゴル帝国はいくつもの国に分裂してしまいます。分裂しなかった中枢は、中国王朝としては元と数えられています。
ただし深井さんは、彼ら自身に中国王朝という感覚はなかったかもしれないと補足します。中国大陸はあくまで植民地という位置づけだった可能性がある、というわけです。
クビライの即位から100年ほどで、モンゴルは中国から追われるほど衰退します。深井さんは、アレクサンドロスのマケドニア帝国よりは長続きしたものの、それでも早く終わったと評します。
後継者選びが毎回もめること。深井さんは、これが広大な帝国の短命さにつながったと見ています。あまりに広すぎたことも、統一の維持を難しくしたと話します。
鉄しか考えていなかった男が、世界史を動かした
一方で、この巨大な経済圏がもたらした影響は絶大でした。五つの国に分かれた後も、緩やかにモンゴル交易の大経済圏が形成され、グローバリゼーションが一気に加速したといいます。
楊さんは、統治者が同じになったことで統一規格が作りやすくなった点を挙げます。たとえば銀の普及など、お金の歴史にもつながる変化が起きました。
ここで二人が強調するのは、チンギス自身はこうした影響を全く想定していなかったという点です。世界史を変えようなどとは考えていなかったのに、結果的にルネサンスにまでつながる影響を残しました。
楊さんは、当時のユーラシア大陸がそれまでで最も国境の少ない時代だったと話します。国境が減ったことで、さまざまな文化や技術が生まれ、伝わっていきました。
朱子学・有田焼・銀 ― モンゴルがつないだ意外な線
モンゴルが残した影響は、思わぬところにつながっています。楊さんが挙げるのが朱子学 ── 南宋の朱熹が大成した儒教の学派。後の東アジアで大きな影響を持ちましたです。もともと儒教の世界では異端とされ弾圧されていたといいます。
その朱子学を復活させたのがクビライ・カンでした。モンゴルの時代は宗教や学問がフリーダムで、自由にやってよいという空気があったため、朱子学がよみがえったのです。
さらに元は人材採用のために科挙 ── 試験によって官僚を採用する中国の制度を復活させ、その試験問題に朱子学を取り入れました。それがやがて日本に伝わり、後の時代に高杉晋作らが学ぶことにつながっていきます。
だから何かがどっかと絶対繋がってるっていうのが面白いね。
もう一つの例が有田焼です。深井さんによれば、そのルーツの一つが元の作った染付の陶磁器だといいます。元の時代には中国文化が大きく花開いたそうです。
白い磁器にコバルトブルーの染付。あの様式は、中国の磁器の作り方と西アジアの染料が合体して、元の時代に生まれたものだと深井さんは説明します。文化が交わる場所だったからこその産物です。
元が復活
弾圧されていた朱子学をクビライが復活させる
科挙に採用
人材採用のため科挙を復活させ朱子学を試験に取り入れる
日本へ
後の時代に日本へ伝わり高杉晋作らが学ぶ
モンゴル帝国は「土地を持たないApple」だった
後半は、シリーズ全体を振り返る対話に移ります。楊さんがまず語ったのは、学校の社会の授業で見ていたモンゴルとの印象の違いです。
楊さんは、社会の授業では土地をベースに国境を教わると指摘します。しかし話を聞くうちに、その世界地図の見方は今わかりやすいからそうしているだけの一つの見方に過ぎない、と感じたといいます。
そこで楊さんが持ち出したのが、現代のグローバル企業との類似です。Appleは各国に拠点を持つものの、土地そのものを持っているわけではない、というのです。
(モンゴルは)企業に近いなと思ったんです。アメリカにただ拠点があるだけで。
深井さんはこれを受けて、敵対的買収で相手を滅ぼし、オーナー企業が入れ替わるようなイメージだと応じます。土地に縛られない、まさに概念の違う存在だったわけです。
危機の中で判断し続けた「ベンチャー起業家」チンギス
深井さんが面白いと感じたのは、チンギスのリーダー像です。資料が少ないため実像は究極的にはわからないとしつつ、彼が常に危機的状況にあったことを強調します。
たとえばチンギスは、嫌っていたはずの金の配下になる決断もしました。金はタタルの親玉であり、そのタタルとは激しく戦っていた相手です。それでも生き残るために臣下になる環境に彼はいた、というのです。
そして鉄への強いこだわりです。リスクを冒して鉄資源を確保し続けたことが、そのまま強さにつながっていきました。深井さんはこれを起業家的だと評します。
深井さんは、優秀な部下ボールチらを従えていた点も含め、チンギスはベンチャー企業っぽいと繰り返します。危機の中で適所適所の判断を重ねていった姿が、そう見えるのです。
戦は下手でも「まとまる」 ― ジャムカとの決定的な差
深井さんが最も興味深いと語るのが、ジャムカ ── チンギスの盟友であり後に敵対した人物。戦闘指揮官として優秀だったとされますとの対比です。戦闘技術や戦闘指揮官としては、ジャムカの方が優秀だったといいます。
それでもチンギスは、みんなから見たときに「この人がリーダーになったら全体的にいい」と思われた人物でした。どこかが突出していいのではなく、全体的にまとまる。そのまとまりこそが、この時代には強さになったのです。
深井さんは、モンゴル高原がそれまで長く統一されなかったのは、この「まとまり」が欠けていたからだと説明します。もともと強い人たちが、まとまりさえすればこれほど強くなった、というわけです。
深井さんはこれを大器晩成型のタイプだと表現します。断トツで能力が高いわけでも、負け知らずでもない。むしろ能力というより性質の問題だ、と話します。
能力でもないよね、これね。性質だよね。
楊さんは、まとまっているが弱い集団ではチンギスは輝かなかったかもしれない、と応じます。弱さのボトルネックが「まとまっていないこと」だった集団と、彼の性質がマッチしたのだ、という見方です。
戦利品の分配と、最も低い立場から始めたこと
深井さんは、チンギスが尖った人材を集め同じことに集中させられた鍵は、戦利品の分配のうまさにあったと見ています。分配が公平だったことで、不満を抑えつつ全員をまとめ上げられたというのです。
そのうえでスーパートップダウンの組織を築いていきました。ただし深井さんは、このやり方を今の組織にそのまま適用するのは絶対にお勧めしませんと釘を刺します。あくまで当時のモンゴル高原のインセンティブに合っていたやり方だ、というわけです。
深井さんが重視するのは、チンギスが当時のリーダーの中でも最も低い立場から始まった点です。父イエスゲイの死後に部下は離散し、ほぼ何もない状態から30代まで普通の遊牧民として暮らしていました。
だからこそ庶民の気持ちがわかった、と深井さんは考えます。他のリーダーはもう少し血統がよく、部下がいる状態から始まっていました。この出発点の低さが、彼のリーダーシップを支えたのです。
楊さんは、これを前のシリーズで語られた「17メートルの家でよかった」という話に重ねます。ゼロに近い立場を経験した人と、最初から命令する側に慣れている人とは違う、と話します。
晩年に人をまとめる人物に共通するもの
深井さんは、晩年になって人をまとめるタイプの人物には共通点があると指摘します。アレクサンドロスの回でも触れたことです。
その共通点とは、若い頃に人の気持ちがわかるための経験をしていることです。同じ立場、同じ辛さを味わい、その人たちの気持ちがわかる状態で新しい世界を見る。そこで培った苦労がうまく交差したとき、大きなことが起こる、というのです。
深井さんは、劉邦・劉備・チンギス・カン・徳川家康などを例に挙げます。逆に、出発点から能力が突出していたアレクサンドロスや項羽、ジャムカのようなタイプには限界が見える、と対比します。
楊さん自身、チンギスに残虐で豪華なイメージを持っていたといいます。しかし今回勉強して、人物像のイメージが全く変わったと振り返ります。地道に一つ一つ苦労を重ねて大帝国の基盤を作った人物だった、というのです。
深井さんは、彼が何度も死にかけていたことにも触れます。首に矢が刺さったという逸話もあり、どこで死んでもおかしくなかったといいます。
何も持たなかったから強かった ― 全体のために動く感覚
深井さんは、チンギスが晩年まで何も所有していない状態だったことを、強さの秘訣の一つに挙げます。守るものがないからこそ動けたのだ、というのです。
もちろん民族という守るべきものはありました。しかし、いい車を守るように何かに執着することがなかった、と深井さんは説明します。関心はつねに、大きくなった民族をどうするか、という点にあったといいます。
ただし深井さんは、これを高い倫理観によるものだとは考えていません。当時のモンゴル人の倫理観は、私たちのものとはまるで違ったからです。妻の略奪も平気で行われていた、と指摘します。
その倫理観の中で、チンギスは合理的で冷静な判断を重ねました。自分のためというより、みんなが生き残るための道を選んできた感覚がある、と深井さんは語ります。
楊さんは、これを「虫の社会」に似ていると表現します。悪い意味ではなく、女王アリと働きアリのように、役割を果たすことで種族を合理的に生き残らせる仕組みへの連想です。
連帯感の作り方が、農耕民とは違った
楊さんは、チンギスが細かいことを気にしていなかった点にも改めて注目します。外国人を重役につけたり、衣装にこだわらなかったり。そうしたところはどうでもいい、という姿勢です。
深井さんは、その背景には必要なものが少ない遊牧民の感覚があると説明します。蓄えないという性質は、蓄える農耕民とは根本的に異なるのです。
そのうえで深井さんが指摘するのが、連帯感の作り方の違いです。同じ服を着ているから連帯するわけではない、というのです。多国籍の人材が服もバラバラなまま連帯できていたことが、その証拠だといいます。
楊さんはこれを、現代の「私服OK」「実力主義」の職場になぞらえます。深井さんは自分は方向音痴だから遊牧民には向かないだろう、と笑いつつ、その世界の合理性を面白がります。
楊さんは今回のシリーズ全体を、まるで違う世界を覗き見していたような感覚だったと振り返ります。深井さんも「SFを見ている感じ」だと応じ、これまでのシリーズとは違った面白さがあったと締めくくりました。
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まとめ
チンギス・カンの死後、モンゴルはウゲデーの代から急速に国家化し、多国籍の統治や広大な経済圏を通じて世界史を大きく動かしました。一方でチンギス自身は、最も低い立場から始め、何も持たず、全体が生き残る道を合理的に選び続けた人物として描かれます。
- ウゲデーの代で首都・税制・駅伝制・多国籍の文書行政が整い、遊牧集団が急速に国家化した
- チンギスは鉄と生き残りしか考えていなかったが、結果的に朱子学の復活や有田焼、銀の普及など広範な影響を残した
- 後継者選びが毎回紛糾したことと、帝国が広すぎたことが、短命さの一因と語られる
- チンギスの強さは突出した能力ではなく、尖った人材をまとめ上げる「性質」にあったと分析される
- 最も低い立場から始め、何も所有せず全体のために動いた姿が、彼のリーダー像の核として振り返られた







