日本人でユダヤ人救済の偉人、杉原千畝とは誰か
シンドラー編は前回まで、ミルグラム実験を扱っていました。今回の回では話題を変えて、ユダヤ人救済で有名な日本人・杉原千畝を取り上げます。
それ(ユダヤ人救済で有名な日本人)が杉原千畝さんっていうんですね。映画にもなっているんですが。
ちょっと(杉原千畝は)思ったのと違うんですよね。
紹介役の楊さんによると、杉原千畝はシンドラーと同じく、イスラエル政府から諸国民の中の正義の人 ── ホロコーストからユダヤ人を救った非ユダヤ人に、イスラエルの記念館ヤド・ヴァシェムが贈る称号。シンドラーや杉原千畝らが認定されていますとして表彰されています。ユダヤの世界では偉人の一人とされる人物です。
杉原千畝は1939年、リトアニア共和国の仮の首都カウナスにあった日本領事館に、領事代理として赴任しました。そこでユダヤ人に日本へ向かうビザを発行し、国外脱出を助けたことが評価されています。
杉原千畝のビザ発行は、日本の外務省に許可されていませんでした。許可に反してビザを出し続け、結果的に多くのユダヤ人を救ったことが、いわゆる「命のビザ」と呼ばれる話です。
医者を拒んだ優等生は、なぜ外交官になったのか
杉原千畝は1900年1月1日、岐阜県の美濃に生まれました。父親は税務職員の公務員です。千畝という珍しい名前は、生まれた地域の名前に由来するといいます。
杉原千畝は小学生の頃から成績優秀で、行いのよさから県や市に表彰されるほどでした。成績表には「誠実」「率直」といった言葉が並んでいたそうです。
転機は中学校で訪れます。杉原千畝は、夏目漱石の教え子だという英語教師の面白い授業に出会い、英語を使って仕事をしたいと考えるようになりました。
ところが親は、杉原千畝に医者になってほしいと望んでいました。杉原千畝は医学の専門学校の受験当日、家を出たものの答案を白紙で提出し、母親の弁当だけ食べて帰宅します。
いいねいいね。パンクスっすね。
白紙提出は学校への問い合わせで父親に知られ、杉原千畝は激怒した父のもとを出て、早稲田高等師範部英語科に入学します。英語の仕事を志した理由は、楊さんいわく若者らしいものでした。
だから要するに今風の言葉で言うとイケてるっていう。英語イケてんなみたいな。
その後、杉原千畝は新聞で外務省の留学生採用試験の募集を見つけます。試験まで1ヶ月しかないなか、時間割を作って計画的に勉強し、合格しました。
ただし配属は希望した英語ではなく、定員の関係でロシア語になりました。杉原千畝はロシア語のプロとして外交の道を歩み、満州、ソ連、フィンランドのヘルシンキでの勤務を経て、1939年にリトアニアへ派遣されます。
たまたまロシア語になったっていう。
リトアニア派遣の本当の任務は何だったのか
杉原千畝のリトアニアでの肩書きは領事代理でしたが、楊さんによると本当の任務はソ連の情報収集でした。ロシア語のスーパーエリートとして、対ソ連の最前線に送られたというのです。
杉原千畝は赴任後すぐに、リトアニア国内で活動するポーランド人のスパイなどと関係を作り、情報を集めていきました。本来の任務でも才能を発揮していたことになります。
ユダヤ難民は、ナチスではなくソ連から逃げてきた
第二次世界大戦が始まると、リトアニアにはポーランドからユダヤ人難民が大挙して流れ込みました。楊さんが読んだ本では、その数は1万3500名とされています。
番組がこれまで扱ってきたのはナチスの話でしたが、リトアニアに逃げてきたユダヤ人の多くは、ソ連が占領したポーランドの地域から来ていました。ポーランドはドイツとソ連に同時に占領されていたからです。
ソ連は共産主義国家で、信教の自由を認めません。ソ連占領下の東ポーランドでは、ユダヤ人の神学校が閉鎖され、シナゴーグ ── ユダヤ教の会堂。礼拝や聖書の学習、共同体の集まりの場として使われる建物ですでの礼拝も禁止されました。
虐殺を伴わなくても、信仰心の厚いユダヤ人にとっては耐えられない環境でした。杉原千畝が助けたのは、宗教弾圧から逃れて信教の自由を求めた人々だったと、楊さんは整理します。
ナチスのホロコーストからユダヤ人を救った
ソ連の支配と信教の自由の弾圧から逃れてきたユダヤ人を助けた
一方で深井さんは、結果の面も補足します。リトアニアに残ったユダヤ人の多くはのちにホロコーストで亡くなったため、結果論としてはホロコーストから救っていることになるというのです。
彼がビザを発行してるその瞬間は、彼が誰から救おうと思って発行してるかっていうと、ソ連の支配から逃げてきたユダヤ人が信教の自由みたいなのを迫害されて、かわいそうだから、それで出してたってことだよね。
なぜ「日本経由・キュラソー行き」のビザが必要だったのか
ユダヤ人難民はどの国も受け入れたがりませんでしたが、リトアニアでは一部の外交官が自主的に救済に動きました。その一人が、オランダ領事代理のヤン・スバルテンレークヤン・ズヴァルテンダイクです。
ヤンじゃん。
ヤンですね。僕の叔父さんですかね。
オランダ領事代理は、カリブ海のオランダ植民地キュラソー島 ── 南米ベネズエラ沖のカリブ海に浮かぶ島。当時はオランダの植民地で、現在はオランダ王国を構成する国の一つですへは入国にビザが要らない、という文面をユダヤ人のパスポートなどに書きました。正式な入国許可証ではなく、効力もおぼつかないものでしたが、何もないよりはましだと考えたのです。
ただ、リトアニアからカリブ海への移動には、ソ連を横断し、日本を経由して船で渡るルートが必要でした。深井さんによると、ソ連は日本の通過ビザがあればソ連内を通ってよいとしていました。
ソ連によるリトアニア併合
リトアニアにもいられなくなり、脱出を迫られる
キュラソービザ
オランダ領事代理が「ビザ不要」の文面を書き、形式上の行き先ができる
日本の通過ビザ
これがあればソ連がソ連内の通過を認める
杉原千畝の領事館へ
ユダヤ人が日本のビザを求めて大挙して押し寄せる
深井さんによれば、実際にキュラソー島へ行った人は一人もいなかったそうです。人々は南米、アメリカ、上海などへばらばらに向かいました。
オランダ領事が半分出してくれてんだよね。もうワンピース必要で。それがその日本のビザだったっていう。
塩対応の外務省と、板挟みの杉原千畝
ソ連はリトアニアを併合すると、日本領事館にも退去を命じました。ソ連にとって領事館は、対ソ連の情報収集の最前線だったからです。その退去を迫られるタイミングで、日本領事館の周りをユダヤ人難民が埋め尽くしていました。
困った杉原千畝は本国の外務省に判断を仰ぎますが、外務省は外国人へのビザ発給ルールを守るよう命じたとみられます。深井さんは、条件を満たした人がいなかった点を指摘します。
そうね、条件を満たしたら出していいけど、満たさなかったら出しちゃダメだよって言うんですけど、条件満たしてる人いないんですよ。
ユダヤ人難民にはお金も渡航チケットもなく、書類を揃える時間もありませんでした。当時の日本政府も、ユダヤ人への対応で複雑なかじ取りを迫られていました。
| 要因 | 中身 | ユダヤ人への向き |
|---|---|---|
| ドイツとの同盟 | ユダヤ人の味方をすることが同盟関係上のリスクになる | 距離を置く |
| 満州国への投資 | アメリカのユダヤ資本を満州に入れたい | 手を握りたい |
| 人種平等の理念 | ドイツのような排斥は日本の人種平等の精神に合わない | 排斥しにくい |
さらに深井さんによると、ソ連側も併合するリトアニアに難民がいることを嫌っており、通過ビザがあればソ連内を通してよいと杉原千畝と握っていました。
ソ連がいいよって言っちゃう。日本はダメだよって言ってるわけ。で、目の前にユダヤ人がたくさんいるから、マジで自分次第なんですよ。
楊さんは、杉原千畝にとって難民は何の関わりもなく、助けなくても咎められない立場だったと話します。それでもビザを出せば、公務員としてのルール違反になる状況でした。
「断ったらかわいそう」ビザ発給とスタンプ乱打
杉原千畝は意を決し、要件に不備があってもビザを発給すると決めました。後のインタビューで語った理由は、とてもシンプルなものでした。
断ったらどこへ行くかね、かわいそうだって言ってるんです。
楊さんが紹介した杉原千畝本人の回想では、東京との無意味な対話を中断し、責任のすべてを負うと決めたといいます。そのうえで、日本から先の旅を証明する書類の有無に関わらず、やってきた人全員にビザを発給したと語っています。
深井さんは、杉原千畝が決断から追い出されるまでずっとビザを書き続けた点に注目します。
なんか書くスピードとかでさ、救える人数変わるじゃん、自分の。なんかすごい状態だよね。
やがて杉原千畝は発行手続きを簡略化するためにスタンプを使うようになります。深井さんによると、そのスタンプは漢字の読めないユダヤ人が彫って作ったものでした。
楊さんによると、スタンプを作ったユダヤ人はこっそりもう1個作って隠し持ち、自分たちで偽造ビザも作っていました。杉原千畝はそれを把握していなかったそうです。
外務大臣を手玉に取ったウラジオストクの読み
ビザの大量発給に対し、松岡外務大臣から「待ってくれ」とお叱りの連絡が来ます。杉原千畝は、条件を満たしていない人はウラジオストクで日本側が乗船拒否すればよい、と返しました。
楊さんは、この返答に杉原千畝の巧妙な意図があったと見ています。ソ連は自国の領土に難民が残ることを許さないため、日本がウラジオストクで乗船を拒否できないと読んでいたというのです。
おそらくは杉原千畝さんはソ連の動きとソ連と日本の力関係まで読んで、こういうことを外務大臣に言ったんだろうというふうに言ってますね。
実際、ビザを持ったユダヤ人は福井県の敦賀に上陸しました。深井さんと楊さんによると、敦賀の人々はうどんやふかし芋、リンゴを与えたり、医者が具合の悪い人を診たりしたといいます。
学校の先生が生徒に差別をしないよう話したというエピソードも伝わっています。深井さんは、ひどい対応をした人もいたはずで、こうした個別の話は美談として伝わっているものだと留保しています。のちに敦賀の人々が聞き取り調査をして、この歴史を復元する動きもありました。
2000通を超えたビザと、駅まで続いた発給
最終的に、杉原千畝が発行したビザは2000通を超えました。深井さんと楊さんは、その過程が最後の最後まで続いたことを振り返ります。
その時の杉原千畝の気持ち。困っちゃったね、断れ切れなくて。
映画では列車の窓からビザを渡す場面が描かれますが、楊さんによれば、駅はソ連兵によって立ち入り禁止だったとする本もあります。その中でも突破してビザを書いてもらった人が5人から6人いた、と書く本もあるそうです。
断らない明石家さんまみたいな。ええでっつって絶対書くらしいですけど。
松岡外務大臣からは、もっと厳密にビザを発行するよう再び連絡が来ます。しかし杉原千畝はすでにビザを発行し終えた後でした。
ソリ少年とのエピソードは何を物語るのか
楊さんは、杉原千畝とユダヤ人の少年ソリ・ガノールソリ・ガノールのエピソードも紹介します。ソリ少年の家は、ポーランドから逃れてきたユダヤ人の家族をかくまっていました。
ソリ少年は親の姿に感動し、お祝いにもらったお小遣いを衝動的に難民救済のため全部寄付します。ところが見たかった映画が見られなくなり、すぐに後悔しました。父親は立派な行為だと褒めましたが、追加のお小遣いはくれませんでした。
ソリ少年が高級食材店を営む叔母を訪ねると、そこで買い物をしていたのが杉原千畝でした。事情を聞いた杉原千畝はお小遣いをあげ、「僕を君のおじさんだと思ってほしい」と言ったそうです。
喜んだソリ少年は杉原千畝を家のパーティーに招き、杉原千畝は実際に訪れました。そこでかくまわれていたユダヤ人から、ポーランドでの体験や逃避行の様子を熱心に聞き、家族には早くリトアニアを出るよう助言しています。
ソリ一家にもビザは発給されましたが、パスポートの紛失やソリ少年の病気が重なり、脱出に失敗してゲットーへ送られます。ソリ少年は最終的にアメリカ軍の兵士に救われ、その時、朦朧とした意識の中で杉原さんが助けに来たと錯覚したと回想しています。
スパイ活動としてもやってるだろうし、シンプルに親切心で言ってる面もありますよね。逃げた方がいいとか言う必要ないからさ。
プラハでもビザを発給し、迎えた戦後
あまり語られない後日談として、杉原千畝はその後チェコのプラハに勤務し、そこでもユダヤ人難民にビザを発給しました。深井さんによると、違反はあっても優秀で替えがたい人材だったため、クビにはならなかったそうです。
もうちょっと癖になってるじゃないですか。
プラハでユダヤ人37名にビザを発給した記録が残っているといいます。終戦後、杉原千畝は外務省に戻りましたが、人員整理の名目で退職させられました。楊さんは、それがビザ発給のせいだったかどうかはわからないと話しています。
ルールを破って救った判断を、どう受け止めるか
深井さんは、杉原千畝の行いをシンプルにいいことだとしつつ、シンドラーとの違いも指摘します。シンドラーは見つかれば死ぬ状況でしたが、杉原千畝の場合の最大のリスクは、おそらく職を失うことだったと深井さんは見ています。
それでも、ナチスドイツと同盟関係にあった当時の日本で職務のルールを破って人を助けた点は、シンドラーと共通すると深井さんは話します。リトアニアはその後ナチスドイツに占領され、9割ほどのユダヤ人が殺されました。
だから結果的にここで出してたことによって、やっぱ命救っちゃったんですけど。これもなんか、何て言うんですかね、なんで?って感じだよね。
杉原千畝の動機は、本によって記述が分かれます。深井さんが読んだ本はキリスト教徒としての心に従ったと書き、楊さんは国益を考えた公務員としての判断だった可能性を挙げる本もあると紹介しました。本人も多くは語らず、動機ははっきりしません。
深井さんはここで、アイヒマン ── ナチス・ドイツの親衛隊将校で、ユダヤ人の強制移送を担った人物。戦後の裁判では命令に従っただけだと主張しましたとの対比を持ち出します。
言われたことをやって、厳しく非難されている
やってはいけないと言われたことをやって、称賛されている
一方で深井さんは、公務員が権限を超えて勝手に決裁すれば国がおかしくなる、とも話します。特に外交では、日露戦争の頃に独断でこじれた例もあり、ドイツとの関係が悪化する可能性もゼロではなかったといいます。
樋口さんは前回のミルグラム実験の回を踏まえ、結果を知る現代の道徳観で簡単に「いいね」と言ってしまう危うさに触れます。それに対し楊さんは、素直な心で感動することにも価値があると応じました。簡単に「いい話」で片づけない問いと、心温まる話としての受け止めの両方が残る締めくくりです。
次回はシンドラー以外にユダヤ人を救った人や、ナチスに従わなかった国などの事例が紹介され、事例紹介の最後になると予告されています。深井さんは12回目で、それらの事例を並べたうえで3人で考えたいと話しています。
まとめ
杉原千畝の命のビザは、ソ連の宗教弾圧から逃れたユダヤ難民に、外務省の方針に反して出し続けたビザでした。結果的には多くの命をホロコーストから救いましたが、ルールを超えた判断をどう評価するかという問いも残されています。
- 杉原千畝は、偶然ロシア語を担当したことからリトアニアに派遣され、本来の任務はソ連の情報収集だった
- ビザを求めたユダヤ人は、ナチスではなくソ連の支配と信教の自由の弾圧から逃れてきた人々だった
- キュラソービザと日本の通過ビザがそろうことで、ソ連横断の脱出ルートが開けた
- 杉原千畝は外務省の許可なく2000通を超えるビザを発給し、ソ連の動きを読んで外務大臣にも対応した
- アイヒマンと対照的な判断を称賛しつつも、権限を超えた公務員の行動を単純に「いい話」で終わらせない視点が示された





