命がけの覚悟は本当にあったのか?
前回の杉原千畝さんの回を受けて、樋口聖典さんは、つらい話が続いたあとで心温まる内容だったと振り返ります。深井さんはこの回も「いい話」をすると宣言し、シンドラー以外にもドイツにはユダヤ人を救った人がいたと話し始めます。
深井さんが紹介するのは、岡典子さんの著書『沈黙の勇者たち―ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い―』です。この本には、名前の知られていない救援者たちの事例が数多く収められています。
潜伏しているユダヤ人に救済の手を差し伸べた人っていうのは、もちろん超マイノリティですよ。けど、ゼロ人ではなかった。
『沈黙の勇者たち』によると、救援者の動機は政治的な主義や信条よりも、人間としての素朴な思いだった場合が多いといいます。例として挙がるのは、エルンスバッハという小さな村に住む60代の農夫です。この農夫は顔見知りのユダヤ人を自宅にかくまい、密告されて逮捕されました。理由を問われた農夫は「気の毒だと思ったからだ」と答えています。
深井さんは、杉原さんやシンドラーも似たようなことを言っていたと付け加えます。そのうえで、この本で「なるほど」と感じた点として、救援者たちの多くが死を覚悟して助けていたわけではなかったことを挙げます。
救援者たちの行動は、結果として命の危険を大きく伴っていました。それでも本人たちの実感は、怯えながら自分にできる精いっぱいを探したというものに近かったようです。とっさの気持ちで、数分のうちに助けると決めた例も多かったといいます。
命かけたすっごい立派な人たちがいて、その人たちは助けて立派な人で、で、見て見ぬふりをしたその他のドイツ人はとか、ないしは積極的に迫害した人はクズでみたいな感覚を、後世の我々から持ちやすい領域だと思う
深井さんは、救援者を「命を懸けた立派な人」、それ以外を「クズ」と分ける見方は、後世の人が持ちやすい勘違いだと指摘します。この視点は、あとで紹介されるマリア・ニッケルさんの事例にもつながっていきます。
見知らぬドイツ人女性の「あなたを助けたい」
深井さんが詳しく紹介するのは、ユダヤ人女性ルート・アブラハムさんと、ドイツ人女性マリア・ニッケルさんの話です。1942年、ユダヤ人の収容所への移送が本格化し始めた時期に、ルートさんは妊娠7ヶ月の体で工場へ強制労働に通っていました。
当時のユダヤ人は、袖にダビデの星を付けることを強制されていました。そのためルートさんがユダヤ人であることは、周囲から一目でわかる状態でした。それでも工場でかばんを開けると、ときどきリンゴやパンが入っていたといいます。誰かがこっそり渡していたと考えられます。当時は食料が慢性的に不足していました。
ある日の夕方、ルートさんは誰かに見られている気配を感じます。密告が横行する社会で暮らすユダヤ人は、人の気配に敏感でした。この気配は何日も続き、やがて1人の女性が目の前に現れて「あなたを助けたいです」と言いました。この女性がマリアさんです。
迫害しているのはドイツ人です。そのドイツ人から突然「助けたい」と言われても、ルートさんは怖いとしか感じられませんでした。ルートさんは断って逃げましたが、マリアさんは翌日も現れます。ついには勤務先の工場まで訪ねてきて、小麦粉、マーガリン、粉ミルク、ジャガイモ、米などが入ったカゴを渡しました。
カゴの中身は、マリアさんの一家に支給されたクリスマス用の特別配給だったようです。マリアさんの家にも子どもがいました。それでもマリアさんは、お腹に赤ちゃんがいる人が食べるものもなく苦しんでいるときに、クリスマスを祝うことはできないと話したといいます。
それでもルートさんと夫のバルターバルター/ヴァルターさんは、警戒を解きませんでした。とても寒いある日、夫妻の家の扉が叩かれます。ゲシュタポかと身構えて扉を開けると、そこには花を持ったマリアさんが立っていました。「あなたを助けたい」と伝えるためだけに訪ねてきたこの出来事で、夫妻は初めて助けを受け入れようと考えます。
ルートさんとマリアさんの出会いから、夫妻が助けを受け入れるまでの流れを整理すると、次のようになります。
見られている気配
工場からの帰り道、数日にわたって視線を感じる
突然の申し出
マリアさんが「あなたを助けたい」と声をかけるが、ルートさんは断る
食料のカゴ
マリアさんが工場を訪ね、クリスマス用の特別配給を渡す
花を持った訪問
寒い日、マリアさんが自宅を訪ね、改めて「助けたい」と伝える
受け入れ
夫妻が初めて、マリアさんの助けを受け入れようと考える
マリア・ニッケルを動かした1房のブドウ
マリアさんがここまでして助けようとした理由について、深井さんは本に書かれた経緯を紹介します。マリアさんはカトリック教徒で、信仰心が強かったといいます。家は裕福ではなく、13歳で学校に行かずに働き始めました。
マリアさんは最初、住み込みの家政婦として働きましたが、なじめずに重いホームシックにかかります。そんなマリアさんを温かく迎えたのが、ベルリンにあるユダヤ人経営の不動産会社でした。マリアさんはこの会社で、18歳から21歳までの3年ほど働いています。
ユダヤ人が追い詰められていく中で、マリアさんは不動産会社の同僚たちを思い出し、心を痛めていました。1942年の秋ごろ、マリアさんは市場で、手に入りにくくなっていたブドウを買います。帰り道、そのブドウを悲しげに見つめるユダヤ人の子どもを見かけ、かわいそうに思ってブドウを渡しました。
ブドウを渡したあと、マリアさんは昔の同僚を思い出し、誰か1人は絶対に救おうと神に誓ったといいます。そしてたまたま、妊娠していて体調の悪そうなルートさんを見かけ、この人を救おうと決めました。
深井さんは、マリアさんと同じような経験をしたドイツ人はたくさんいたはずだと話します。昔ユダヤ人に親切にされても、見て見ぬふりをした人も多かったと考えられます。それでもマリアさんには、この出来事で「スイッチが入った」と楊睿之さんは表現しています。
なんかね、もうなんか理由とかあるっちゃあるけどないっちゃない。
出生届、偽造の身分証、そしてゲシュタポ
ルート夫妻は、収容所へ連れて行かれるくらいなら死ぬかもしれなくても潜伏しようと決めます。夫妻の潜伏を手伝ったのがマリアさんです。夫妻は出産の3日後に移れる潜伏先を事前に探しておきました。マリアさんの家には電話がなかったため、下の階の店の電話番号を連絡先として教わっています。
ルートさんが産んだ女の子は、レーハと名付けられました。ユダヤ人を絶滅させようとしている行政に出生届を出すことには、ルートさん自身も迷いがありました。それでもルートさんは、ユダヤ人の子どもが生まれた証を残したいと考えて出生届を出したといいます。
たとえ自分たちが生き延びられなかったとしても、証を残したい。
一家は深夜に家を出て、密告のリスクが高いベルリンを離れ、バルテブルフバルテブルフという農村の隠れ家を目指します。バルテブルフは今のポーランドにあたる場所だといいます。赤ちゃんが泣けば人目につき、身分証を求められたら終わりです。そこで生まれたばかりのレーハさんにワインのコルク栓を噛ませて眠らせ、列車に4時間乗って隠れ家にたどり着きました。
潜伏先でも、まったく外出しないわけにはいきません。ルートさんが偽造の身分証明書を頼むと、マリアさんは自分の証明書を譲り、自分は「なくした」と届け出ました。この証明書は、名前はマリアさん、写真はルートさんという状態で使われました。
バルターさんは、マリアさんの夫で国防軍兵士のビリーさんの証明書を譲ってほしいと頼みます。しかし見つかれば全員が殺されかねないため、ビリーさんの運転免許証を渡すことになりました。
これがあるから安全だって思ってたらしい。けど、いざ出した瞬間の気分は絶対バレるって思ったらしいんだよね。
5ヶ月ほどたったころ、ゲシュタポが隠れ家に踏み込み、身分証を出せと怒鳴ります。ルートさんたちは運転免許証を差し出しました。ゲシュタポが確認のためにいったん出ていった10分ほどの間に、一家は自転車と列車で逃げ出します。
マリアさん夫妻は、証明書は「なくした」としらを切り通して、なんとか切り抜けたようです。この一件のあと、ルートさんは、よくしてくれたマリア夫妻にもう二度と迷惑はかけないと思ったといいます。
ルート一家が潜伏を始めてからゲシュタポから逃げるまでの経緯は、次のとおりです。
娘の急病と、戦後に逆転した支え合い
ルート一家はその後、潜伏先を転々とします。食料も乏しい中で、ある日レーハさんが病気になり、顔が腫れ上がりました。ひそかに診てくれた町医者からは、大きな病院に連れて行くよう言われます。しかし大きな病院では身分証の提示が必ず求められます。
もう迷惑はかけないと決めていたルートさんでしたが、頼れるのはマリアさんしかいませんでした。マリアさんは我が子のように心配し、自分が大学病院に連れて行くと言います。マリアさんには女の子がいなかったにもかかわらず、どうやって診察を受けさせたのかは一切語りませんでした。マリアさんはただ「大丈夫だった。すぐ良くなるそうよ」とだけ伝えたといいます。
食事ちょっと多めに買ったら密告される世界でさ、赤ちゃんが泣いてんのにとかいう生活をしてるわけですよね。でもね、生き残るんですよ。
ルート一家は援助を受けながら生き延び、ドイツで12年続いたナチス政権の崩壊を迎えます。深井さんがいい話だと感じたのは、戦後の話です。敗戦の混乱の中でマリアさんの夫ビリーさんが職を失い、マリアさんの一家は経済的に困窮しました。この困窮を、今度はルートさんたちが支えます。
ルート夫妻はニューヨークに移住し、家具店を開いて実業家として成功しました。その後もマリアさんの一家は敗戦国ドイツで貧しい暮らしが続き、ルート夫妻は毎月、食料と医療を送り続けたといいます。
マリアさんとルートさんの関係は、戦中と戦後で助ける側と助けられる側が入れ替わっています。
戦中、マリアさんが食料・身分証・病院の手配でルート一家の潜伏を支える
戦後、ニューヨークで成功したルート夫妻が、困窮するマリアさんの一家に毎月食料と医療を送る
2000年、87歳のルートさんは心臓のバイパス手術を受けます。意識が朦朧とする中で、ルートさんは「ベルリンに行かなくちゃ」と繰り返しました。家族はマリアさんの話を聞かされておらず、何のことかわかりませんでした。
手術から回復したルートさんは、マリアさんの90歳の誕生日を前にベルリンへ向かいます。ルートさんは子ども、孫、ひ孫、そして5、60歳になったレーハさんを連れて行き、そこで初めて家族にマリアさんのことを語りました。
ルートさんは家族に、マリアさんは私たちみんなの天使であり、彼女がいなければここにいる誰もこの世にいない、と伝えたといいます。深井さんによると、2人はこの再会からほどなくして亡くなりました。深井さんは、最後になるとわかっていたからこそ、ルートさんは家族に語ったのだろうと話しています。
デンマークとブルガリアは、なぜ移送を拒めたのか
個人だけでなく国家単位の例として、深井さんはデンマークとブルガリアを挙げます。どちらもナチスの影響下にありながら、ユダヤ人の迫害に協力しませんでした。
デンマークでは、ドイツ人外交官でナチ党員のゲオルゲ・フェルナンド・ドゥクイツゲオルク・フェルディナント・ドゥクヴィッツさんが鍵になりました。ドゥクイツさんはもともと反ユダヤ主義者でしたが、デンマークに滞在する間に考えが変わっていったといいます。1943年、SS ── ナチス親衛隊(Schutzstaffel)の略称。ヒトラーの護衛組織から始まり、治安警察や強制収容所の運営を担い、ホロコーストの中心的な実行組織となりましたはデンマークのユダヤ人を一斉検挙する予定で、移送用の船まで用意していました。
デンマークのユダヤ人は1万人ほどでした。一斉検挙の情報を知っていたドゥクイツさんは、ユダヤ人に「この日に連れて行かれるから逃げろ」と伝えます。この情報がユダヤ人コミュニティに広がり、デンマークのユダヤ人の99%が生き延びたといいます。
ブルガリアの対応は、さらにダイナミックでした。フランスをはじめ多くの国では、ナチスの影響で反ユダヤ的な法律が作られていました。ブルガリアでも1941年に国民保護法が公布されましたが、実際にはきちんと運用されなかったといいます。
事態が大きく動いたのは1943年です。ブルガリアが第一次世界大戦後に管轄下に置いた西トラキアとマケドニアのユダヤ人が、強制収容所へ送られ始めます。その様子を見たブルガリア人は、なぜそんなひどいことをするのかと疑問を持ちました。そして元々のブルガリア領にいるユダヤ人を移送する段階になると、ブルガリアの人々の多くとブルガリア正教会 ── ブルガリアの国民の多くが属する東方正教会の独立教会。オスマン帝国の支配下でも民族的な拠り所となり、社会への影響力が大きい組織ですが政府に働きかけ、移送は実行されませんでした。
深井さんは、正しいかどうかはわからないと前置きしたうえで、ブルガリアで移送が止まった理由について本にある一説を紹介します。
| 観点 | ブルガリアの状況 | もたらした効果 |
|---|---|---|
| 歴史的経験 | オスマン帝国などに長く支配され、マイノリティとして扱われてきた | マイノリティの気持ちを国民全体で理解できた |
| ユダヤ人の社会的位置 | ドイツのようにエリート層に多くはいなかった | 「ユダヤ人が世界を操る」という主張が嘘に思えた |
| 日常の関係 | 同じ言葉を話し、普通の隣人として暮らしていた | 突然の移送を「いやダメでしょ」と受け止めた |
樋口さんは、ドイツの要求を断ることがどれほどの反抗だったのかを尋ねます。深井さんは、移送を進めたい側からすれば、何をされてもおかしくない状態だっただろうと答えます。実際に移送を担当していたアイヒマン ── アドルフ・アイヒマン。ナチス親衛隊の将校で、ユダヤ人の強制移送を統括しました。戦後はアルゼンチンに逃れましたが捕らえられ、イスラエルで裁かれて処刑されましたは、デンマークについて、結果が不十分で不名誉なことだったと述べたといいます。
救うことは「当たり前」だったのか
深井さんは、これでケーススタディの紹介は終わりだとして、シリーズ全体を振り返ります。シンドラーと同じように、ユダヤ人経営者の工場を手に入れてユダヤ人を雇ったドイツ人はたくさんいました。それでも救ったのはシンドラーでした。
マリアさんと同じ光景を見た人や、昔ユダヤ人に世話になった人も、ドイツにはたくさんいたはずです。それでもマリアさんは行動しました。一方でアイヒマンは、法律に従うことが正義だと考えてホロコーストを実行しました。国家単位では、デンマークやブルガリアが移送を拒んでいます。
深井さんによると、救援者たちのインタビューを読むと、多くの人は助けたことを普通のことだと考えていたと書く本もあるといいます。その一例として紹介されるのが、フランスのある地域に赴任したドイツ軍の占領司令官、ユリウス・シュマーリンク少佐です。シュマーリンク少佐は、ドイツ軍の将校でありながら、現地のユダヤ人を含む多くの人を救いました。
シュマーリンク少佐は、人々を助けたのは当たり前のことであり、報酬も評価も必要なかったと語っています。少佐は、心が感じたままに、その時その場で、人としてのたしなみとして助けた、という趣旨の言葉を残しました。深井さんは、この言葉が個人的に示唆深いと話します。
シンプルですね。でもなんか今までの人が言ってたようなことは、言ってしまえばそういうことに近い。
深井さんは、この回で取り上げた人たちの中に、崇高な志を最初から持っていた人はいなかったと話します。ただし、はじめからナチスに反対する思想を持ち、使命としてユダヤ人を救った人ももちろんいたと補足しています。本人の言葉が本心をそのまま表しているとは限らない点にも、深井さんと樋口さんは触れています。
深井さんは、これらの事例を踏まえて善性とは何か、悪人とは何かを考えてみたいと話します。その議論は、シリーズ最終回となる12回目に持ち越されました。
まとめ
シンドラー編11回目は、『沈黙の勇者たち』をもとに、名もなき救援者と国家の抵抗を紹介する回でした。マリア・ニッケルさんの行動も、シュマーリンク少佐の言葉も、崇高な使命感というより素朴な良心から生まれていたことが浮かび上がります。
- 救援者の多くは死を覚悟していたわけではなく、怯えながら自分にできることを探していた
- マリア・ニッケルさんは、ブドウを渡した小さな出来事をきっかけに、ルート・アブラハムさん一家の潜伏を支え続けた
- 戦後は立場が逆転し、ルート夫妻が困窮するマリアさんの一家を支え、晩年には家族そろって再会した
- デンマークでは外交官の警告でユダヤ人の99%が生き延び、ブルガリアでは国民と教会の働きかけで移送が止まった
- 善性とは何か、悪人とは何かという問いは、シリーズ最終回で議論される





