百年戦争は、実は「百年交渉」だった?
ジャンヌ・ダルク編第3回は、前回のフランスの成り立ちと騎士の話を受けて、長く続いたカペー朝が1328年に断絶するところから始まります。深井さんによると、300年あまり続いた王家が途絶えたことでお家騒動が起こり、百年戦争が始まりました。
深井さんはまず、百年戦争は100年間ずっと戦い続けていたわけではないと説明します。動員される兵力は少なく、両者とも戦いを長く続ける力がなかったといいます。
深井さんが紹介したのは、中世史家のニコラ・オッフェンシュタットさんの見方です。この研究者は、百年戦争を「百年交渉」と呼んでいるそうです。100年のうち、戦闘よりも休戦協定を結んで和平交渉を進めていた期間のほうが長かったからです。
深井さんの説明では、和平交渉が決裂したときや、相手から譲歩を引き出したいときに、局地的な戦闘が行われていました。百年戦争の実態は、交渉の合間に戦いが挟まるような形だったといいます。
楊さんは、当時の農民や庶民にとってはつらい時代だったと補足します。戦争中はもちろん混乱し、戦争がない時期には仕事を失った傭兵や騎士崩れが野盗になって村を襲ったからです。楊さんによると、この民衆の体験が後にジャンヌに深く関わってくるそうです。
だって(百年戦争は)百年やから、生まれて死ぬまでずっと戦争期間っていうか。
深井さんは、百年戦争をフランスとイギリスの国家同士の戦いとして見てはいけないと念を押します。この戦争は、フランス王家と、イングランド王でありノルマンディー公でもある人物との争いから始まりました。
国民国家というものが形成される前の時代なので、国民国家同士の戦いというのはそもそも存在しない。
深井さんによれば、「英仏百年戦争」という呼び名は19世紀に作られたものです。当時の人々は、イギリスとフランスが戦っているとも、100年間戦っているとも思っていませんでした。楊さんも、人々は王や領主のどちらにつくかという世界観の中で、対立したり手を結んだりしていたと話しています。
イケメン王の3人の息子は、なぜ次々に途絶えたのか
深井さんは、国のために戦うという意識がない中世の戦争は、世界大戦の総力戦とは命の懸け方も違ったと話します。そのうえで、百年戦争の直接のきっかけとして、カペー朝末期の王フィリップ四世を取り上げます。
フィリップ四世の在位は1285年から1314年で、整った顔立ちから「端麗王」と呼ばれました。楊さんが「今風に言えばイケメン王」と言うと、スタジオでは見た目であだ名を付ける習慣へのツッコミが続きます。
もう見た目でつけるのやめて。
フィリップ四世には男子が3人、女子が1人いました。長男が王位を継ぐ慣習があったカペー朝にとって、男子が3人いれば安泰に見えます。それでも深井さんは、フィリップ四世の代から王家が急に傾き始めたと語ります。
とにかく最後ら辺に出てきた王様の長男が王位を継いだんだっていう、その抽象的な理解の仕方しないとずっと混乱するんでね。
王位継承の流れは次のとおりです。フィリップ四世の死後、長男のルイ十世が即位しましたが、在位わずか18ヶ月で亡くなります。ルイ十世の妻が妊娠していたため、王家は子の誕生を待ちました。
生まれた男子はジャン一世と名付けられましたが、生後5日で亡くなります。次男のフィリップ五世も在位6年で後継ぎのないまま亡くなり、三男のシャルル四世も同じように後継ぎを残さず6年で亡くなりました。
深井さんは余談として、シャルル四世にはフランスでは「端麗王」、スペイン方面のナバラでは「禿頭王」という2つのあだ名があったと話します。この2つが両立することから、深井さんは「ジェイソン・ステイサムのような人」だったのではと笑います。当時、禿頭はそれほど否定的に受け取られていなかったのかもしれない、という話にもなりました。
3人の王子の妻が同時に不倫。王家を揺るがしたスキャンダル
シャルル四世ら3人の王子に後継ぎが生まれなかった理由として、深井さんは当時のスキャンダルを挙げます。フィリップ四世がまだ生きていたころ、3人の王子の妻たちがそろって不倫の疑いで捕まったのです。
深井さんによると、長男ルイの妻マルグリット・ド・ブルゴーニュは騎士フィリップ・ドールネと不倫し、三男シャルルの妻ブランシュはその騎士の弟と不倫していたとされます。次男フィリップの妻ジャンヌは、2人の不倫に便宜を図っていたといいます。
どこまで正しいかわかんないですけど、そのような歴史に残ってます。
深井さんの話では、フィリップ四世は長男と三男の妻の髪を剃り落とし、粗末な衣服を着せて城に幽閉しました。不倫はしていなかった次男の妻は、夫が許したこともあり、まもなく釈放されたそうです。一方、不倫相手の男性たちは非常に重い刑を受け、処刑されました。
フィリップ四世の急死後、ルイ十世が即位したときには妻の子がいましたが、深井さんはその子が誰の子かもわからなかったかもしれないと話します。妻たちが幽閉されている以上、新しい跡継ぎは生まれません。
三人同時っていうのがね、ちょっとでかかったですよね。
いとこか直系か。エドワード三世はなぜフランス王を名乗ったのか
カペー朝の直系が絶えたあと、王位を継いだのはシャルル四世のいとこにあたるヴァロア伯の子、フィリップ六世でした。ここからヴァロア朝が始まります。深井さんは、この継承こそが百年戦争の火種になったと説明します。
深井さんが注目するのは、フィリップ四世のただ一人の娘イザベルです。イザベルはイングランド王に嫁いでいたため、2人の間に生まれた子はフィリップ四世の直系の孫になります。一方、いとこの家から来たフィリップ六世は直系ではありません。
ヴァロア家出身で、シャルル四世のいとこ。フランス王に即位したが、フィリップ四世の直系ではない
イングランド王。母イザベルを通じてフィリップ四世の直系の孫にあたる
深井さんは、「イングランド王」と呼んではいても、エドワード三世もフィリップ六世もフランス人だと強調します。樋口さんは話を聞いて、イギリス国王のほうが実は直系だということですねと理解を示しました。
対立のきっかけは、フィリップ六世がエドワード三世にちょっかいを出したことでした。フィリップ六世は、エドワード三世がフランス国内に持つ領地を没収しようとしました。さらに、当時イングランドと戦っていたスコットランドを公然と支援し始めたのです。
深井さんによれば、エドワード三世はフランス人で、カペー朝の直系で、イングランド王としてはフィリップ六世と対等です。同時に、ノルマンディー公としてはフィリップ六世の家臣でもありました。楊さんは、本人がどの立場で政治力を使うかを選べたと補足し、エドワード三世は直系としての立場を選んだと話します。
お前より俺の方が直系だから俺がフランス王だろっていう。
深井さんは、エドワード三世が最初から王位を主張していたわけではない点を繰り返します。王位の主張は、本心かどうかより、宣戦布告の理由として大事だったといいます。
カペー朝の断絶
直系の男子が絶え、いとこのフィリップ六世が即位する
フィリップ六世の干渉
スコットランドを支援し、エドワード三世の領地の没収を図る
エドワード三世の反発
フランス王の臣下という態度を捨て、直系として王位を主張する
百年戦争へ
宣戦布告を経て、長い争いが始まる
深井さんは、ノルマンディー公でありイングランド王でもあるという矛盾が、ここで表に出たと話します。イングランド王家はフランス王家と同格だったからこそカペー朝の娘を妻に迎えられ、その子が直系になりました。同格なのに臣下という矛盾が、継承問題で一気に噴き出したのです。
楊さんはこの関係を、大企業の子会社の社長が創業者の血筋で、その大企業から買収を仕掛けられて怒るような構図にたとえました。樋口さんは、しかも親会社側には直系がもういないという状況だと付け加え、いかにも人間らしく起こりそうな問題だという話で落ち着きます。
なぜ戦う理由が大事だったのか。勝敗に神の意思を見る中世の戦争観
百年戦争の本編に入る前に、深井さんは当時の戦争観を説明します。キリスト教が強い影響力を持っていた中世ヨーロッパでは、両軍がぶつかる会戦の勝敗を通じて、神の意思や判断が示されるという考え方がありました。
楊さんはこの考え方について、すべての勝敗を神の審判とみなす概念も存在したが、唯一の考え方ではないと補足します。深井さんも同じ立場で、重要な観点ではあるものの、人々がこれだけで判断していたわけではないと話します。
深井さんはこの感覚を、現代の仕事選びにおける年収にたとえます。年収はとても大事ですが、年収だけで仕事を決める人もいれば、そうでない人もいます。神の意思も同じように、人によって重みにグラデーションがありつつ、当時の多くの人が大事にしていたものでした。
邪魔されたから、ムカついたから戦うでいいじゃんって僕たちは思うんだけど、そういうことじゃないんですよ。
深井さんによれば、エドワード三世がわざわざフランス王を名乗って戦ったのも、この戦争観があったからです。どちらがフランス王にふさわしいかは最終的に神の意思として示され、戦いに勝てば神が自分を王と認めたと解釈することもできました。
楊さんは、当時は「勝つ」という事実の重みが今よりずっと大きかったと話します。勝利によって自分たちが善の側にいると宗教的に証明され、未来も勝つことがすでに神に決められていると受け止められたからです。楊さんは、1つの勝利が未来の認識にレバレッジをかけると表現しました。
深井さんは、この戦争観がジャンヌ・ダルクの登場につながると話します。神の声を聞いたというジャンヌが「あなた方が勝つべきだと神は言っている」と語り、実際に戦場で勝ちました。深井さんは、それが当時の人々にとって勝つことは正しいことの証明になったと説明します。
え、じゃあ神様に守られちゃってるの超楽しいってなる。
楊さんは、この戦争観の中では預言者が生まれる余地があったと補足します。現代なら「この試合は勝つかも」という予言が当たっても偶然と思われるだけですが、当時は戦争の勝利を事前に言い当てた人の社会的信頼が一気に高まったといいます。
今回はここで区切りとなり、次回は百年戦争の前半戦が語られる予定です。深井さんによれば、ジャンヌ・ダルクが登場するのは戦争の後半で、彼女が戦争をほぼ収束させる役割を果たします。
まとめ
百年戦争の出発点は、国家同士の対立ではありませんでした。カペー朝の断絶と王妃たちの不倫スキャンダルが後継ぎ問題を生み、いとこのフィリップ六世と直系のエドワード三世の継承権争いへ発展しました。その争いの背景には、勝敗に神の意思を見る中世の戦争観がありました。
- 百年戦争は戦闘より和平交渉の期間が長く、「百年交渉」と呼ぶ研究者もいる
- フィリップ四世の3人の息子が相次いで亡くなり、妻たちの不倫と幽閉もあって、カペー朝の直系の男子が絶えた
- フィリップ四世の娘イザベルの子エドワード三世は、フィリップ六世に領地やスコットランドをめぐって干渉されたことをきっかけに、直系として王位を主張した
- 中世では勝敗が神の意思を示すと考えられ、戦う正当性が重視されたことが、後のジャンヌ・ダルクの影響力にもつながる





