フランス人のルーツは誰なのか
ジャンヌ・ダルク編の第2回は、ジャンヌがフランスの人であることから、フランスのルーツの話から本編に入ります。番組では、過去のシリーズと重なる部分もあるとしたうえで、ジャンヌを理解するために必要なエッセンスだけを取り出すとしています。
最初に置かれる注意は、この時代にはまだ「フランス」という国は存在しないということです。フランスと呼んではいるけれど国はない、と意識しながら聞いてほしいと語られます。
フランスの土地にもともと住んでいたのはケルト系の人々です。番組では、ケルトという言葉はラテン語で「よくわからない人」のような意味だと紹介され、深井さんが「なんちゅうことや」と反応する場面もあります。
このケルト系の人々を、古代ローマ人はガリア人 ── 古代ローマ人が、現在のフランスやベルギー周辺に住むケルト系の人々を呼んだ名前。カエサルの『ガリア戦記』で広く知られていますと呼んでいました。カエサルの回で扱ったように、ローマはガリアに侵攻して征服し、ローマ化を進めます。
その過程でローマ人が流入し、さらにローマ帝国が弱まると、ゲルマン民族大移動でゲルマン人がやってきます。こうしてケルト系のガリア人、ローマ人、ゲルマン人が混ざった人々が、のちにフランク王国をつくることになります。
ケルト系(ガリア人)
もともとこの土地に定住していた人々
ローマ人
ローマのガリア征服によって流入し、ローマ化が進む
ゲルマン人
ローマ帝国の弱体化とともに大移動でやってくる
フランク王国
3つの人々が混ざった状態から生まれる
フランス人のルーツを1つに特定しようとしても、混ざっているのでできない、というのが番組の整理です。深井さんはこの状態を「結構ぐちゃぐちゃというか、ある意味多様性がある」と表現しています。
フランク王国の最盛期と3つへの分裂
フランク王国の最初の王朝はメロヴィング朝で、開いたのはクロービス1世です。クロービス1世は、ゲルマン系フランク人の中のサリ族という部族の頭領だったと紹介されます。
クロービス1世はかなり早い段階でカトリックの洗礼を受けました。番組では、これは政治的な理由によるもので、カトリック教会の後ろ盾や権威を得られたことでメロヴィング朝は栄えた、と説明されています。
メロヴィング朝が数百年続いたあと、第2の王朝であるカロリング朝に移ります。カロリング朝を開いた人の子がカール大帝、別名シャルルマーニュ ── カール大帝のフランス語での呼び名。800年にローマ教皇から西ローマ皇帝の冠を受けたことで知られ、「ヨーロッパの父」とも呼ばれますです。
カール大帝の時代、8世紀後半から9世紀前半にかけてフランク王国は最盛期を迎え、西ヨーロッパ全域に版図を広げます。西ローマ帝国が滅びたあとに生まれたゲルマン系の国々の中で、フランク王国が他国を倒して頂点に立ったという流れです。
しかしカール大帝の死後、フランク王国は内乱状態になり、西フランク王国・中フランク王国・東フランク王国の3つに分割されます。番組では、西フランクがフランス、中フランクがイタリア、東フランクがドイツの母体になったと言われていると紹介しています。
この分割で、ようやく現代人が知っているヨーロッパの形に少し近づく、というのが番組の位置づけです。
「禿頭王」シャルル2世を悩ませた外敵
フランスの前身である西フランク王国には、シャルル2世という王が登場します。この王は「禿頭王」と呼ばれていて、真面目な本にもそう書かれていたという話で、スタジオは少し脱線して盛り上がります。
シャルル2世は、国内の継承問題と、外敵への対応の2つに悩まされていました。外敵の1つめはイスラームです。600年代にムハンマドが現れて一気に拡大したイスラーム勢力は、今のスペインやポルトガルがあるイベリア半島まで来ていました。
西ヨーロッパは以前、トゥール・ポワティエ間の戦い ── 732年、フランク王国の宮宰カール・マルテルが、イベリア半島から北上したイスラーム勢力を現在のフランス中西部で退けた戦いでイスラーム勢力に勝っていますが、シャルル2世の時代にまた脅威が迫ってきたと語られます。
もう1つの外敵が、ゲルマン系ノルマン人であるヴァイキングです。スカンジナビア半島やデンマークのユトランド半島あたりで農業や狩猟、漁業をしていた人々が、理由はよくわからないまま近隣を略奪し始め、特に修道院を襲ったといいます。
ヴァイキングの船は底が浅く、浅瀬にも入れるうえ、海から川をさかのぼって内陸まで来ることができました。大都市はたいてい大きな川沿いにあるので、ヴァイキングは首都のような国の中枢にまで到達できた、というのが怖さの理由として説明されます。
(ヴァイキングは)海のモンゴル兵みたいなもんですよ。もうめちゃめちゃ強い。
西ヨーロッパはヴァイキングにかなり悩まされていたとされ、番組では、ロシアもヴァイキングがつくったものだと触れられています。
ヴァイキングがフランス人になり、イングランドを征服する
シャルル2世の次の時代、シャルル3世はヴァイキングのうちデーン人の首領に対して、西フランク王国への侵攻をやめてほしいと直接頼みます。条件は、キリスト教徒になってくれればノルマンディーの土地をあげる、というものでした。
ノルマンディーは、フランスのイギリス寄りの沿岸にある大きな地域です。デーン人は当時それほど宗教にこだわりがなかったようで、この条件を受け入れて改宗し、ノルマンディー公国が誕生します。
ノルマンディー公国は国として土地をもらったものの、形式上はフランス王の臣下です。そしてノルマンディー公の家は、それから数百年、何代にもわたってフランスで生まれ育つので、もともと攻めてきた側だった人々がフランス人になっていきます。
その流れの中で登場するのがノルマンディー公ウィリアムです。1066年ごろ、ウィリアムは対岸のイングランドに攻め込み、征服してしまいます。これがノルマン・コンクエスト ── 1066年、ノルマンディー公ギヨーム(英語でウィリアム)がイングランドを征服した出来事。ウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を開きましたで、イングランドにはノルマン朝が開かれます。
ヴァイキングの侵攻
西フランク王国を川からも攻め、首都近くまで迫る
ノルマンディーの譲渡
キリスト教への改宗を条件に土地を与え、フランス王の臣下にする
フランス人化
ノルマンディー公の家が数百年フランスで生まれ育つ
ノルマン・コンクエスト
1066年ごろ、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服
番組の要点は、イングランドは「もともとヴァイキングだったフランス人」に征服された、という事実です。高校の教科書にも出てくる話ですが、何度聞いてもピンとこない人が多いだろうとも語られます。
イギリスは長い間フランス文化の人に征服されていたと言うとイギリス人に怒られるかもしれないが、そうとしか言いようのない状態だった、というのが番組の説明です。
臣下なのに対等という「バグ」が百年戦争の火種になる
ノルマンディー公はイングランドを征服してイングランド王になりますが、ノルマンディー公の地位を捨てる理由はないので、そのまま兼ねています。ここで、立場のねじれが生まれます。
フランス国内では、フランス王の部下である貴族
王と王という意味で、フランス王と対等
番組ではこの状態を、臣下であり対等でもあるという「ものすごいバグ」と表現しています。大企業の中では課長だが、グループ企業の中では社長、というたとえも出てきます。
このねじれが成り立つのは、当時の感覚では、人が土地に紐づくのではなく、人が人に紐づいていたからです。属地主義ではなく属人主義で、イングランド王としては誰にも属していないが、ノルマンディー公としてはフランス王に属している、という状態になります。
このいびつな関係は、のちの百年戦争 ── 14〜15世紀にイングランドとフランスの間で断続的に続いた戦争。フランス王位の継承問題などをきっかけに始まり、ジャンヌ・ダルクもこの戦争の中で登場しますの遠い原因になります。イングランド王側からは「なんだお前」と思いやすく、フランス王側からは「お前は臣下でしょ」となる。この意識の差が最終的に争いになっていくと説明されます。
番組では、ここには中央集権がないとも指摘されます。中央集権なら序列が一本の筋で決まるのに対し、この時代のフランスでは上下関係が複合的に走っている、という整理です。
王が守ってくれないとき、騎士が生まれる
中央集権がないことは、内乱が多いことを意味します。そこにヴァイキングの侵入が重なり、攻められる民衆は強いリーダーによる保護を求めるようになります。
しかし、シャルル2世やシャルル3世には人々を守る力があまりありませんでした。特にシャルル2世が877年に亡くなったあと、西フランク王国では短命な王が続き、王権が不安定になって誰も強いリーダーシップを取れない状態になります。
このような状況で自然に生まれるのが騎士です。武力を持つ人が自分で自分を守るようになり、地方の人々が自ら軍事力を強化していくことで、地方分権が進んでいきます。
これ(騎士の生まれ方)、なんか鎌倉?
鎌倉武士だよ。
番組でも、騎士の誕生の仕方は日本の武士の誕生とまったく同じだと応じています。天皇の権威はあるが、それより武力を持つ織田氏や今川氏が出てくる状況にもたとえられ、世界的に同じような時代にこうした現象が起きていたと語られます。
中央集権がない
内乱が繰り返される
外敵の侵入
ヴァイキングに攻められ、民衆が保護を求める
王権の不安定
877年のシャルル2世の死後、短命な王が続く
自衛と分権
武力を持つ人が自ら軍事力を強め、地方の支配権を握る
平和が担保されない時代には、シンプルに武力を持つ人が頼られ、人望を集めていきます。ノルマンディー公はその中でも、イングランドを倒せるほど飛び抜けて強い勢力でした。
ほかにも、今のフランスにあたるエリアには、ブルゴーニュ公、ギュイエンヌ公(アキテーヌ公とも呼ばれます)、アンジュー伯、フランドル伯といった貴族が生まれてきます。のちにはフランス革命などの回でも登場したオルレアン公も、有力貴族として出てきます。
公や伯といった爵位には一応ランクがあるものの、厳密なルールはあまり決まっておらず、ランクが下だから弱いわけでもなかったようだと説明されます。
また、この時点で台頭した「豪族」のような貴族と、騎士はもともと別物です。のちに両者は同一化していき、日本で武士が貴族化していったのに近いことがヨーロッパでも起こります。
選挙で選ばれた王、ユーグ・カペー
9世紀末のフランスでは、強くなりすぎた貴族たちが教会権力と協力して、王の権力を削いでいきます。その最たるものが、王を選挙で選ぶという仕組みでした。
選挙でも血筋は重要な要素ですが、生まれながらに決まっている王と、人に選ばれた王とでは権力がまったく違います。選ばれた王は選んだ側に恩があるので、それほどまでに王権が弱まっていたということです。
カロリング朝はその後も続き、987年、最後の王ルイ5世が亡くなるまで続きます。ルイ5世には後継者がおらず、カロリング家の血から王を選べなくなったため、誰を王にするかが問題になりました。
そこで選ばれたのが、カロリング朝とは別の血を引くユーグ・カペーで、ここからカペー朝が始まります。「カペー」はあだ名で、修道院長でもあったユーグが羽織っていたコートのことだといいます。
ユーグ・カペーはパリ伯にすぎませんでした。当時のパリは、今のような首都としての存在感はまだありません。
それでも選ばれた理由は、曾祖父のロベールがヴァイキングと勇敢に戦って戦死した人物だったからです。ロベールは「ロベール剛胆公」、英語で言えば「ロベール・ザ・ストロング」と呼ばれています。
番組では、あのひいおじいさんが強かったからユーグにしよう、という決め方だったと語られ、根拠が薄いと笑いながらも、それだけヴァイキングが怖かったのだろうと解釈されています。
300年以上続いた「カペー朝の奇跡」
根拠が薄いように見える選ばれ方をしたカペー朝ですが、王家の血は非常に長く続きます。フランスの王朝はカペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝と続きますが、ヴァロワ朝もブルボン朝も実はカペー家の血筋で、いとこ程度の関係です。
日本ではいとこが天皇を継いでも天皇家のままですが、フランスではいとこが継ぐと王朝の名前を変えてしまう、という違いも紹介されます。フランス革命で王が殺されるまで、直系ではないもののカペー家の血が800年ほど続いたといいます。
カペー朝が安定した理由として挙げられるのが、「カペー朝の奇跡」です。この時代の幼児死亡率は50パーセント以上とされるうえ、カトリックは一夫一妻制なので、世継ぎを得るのはかなり難しいことでした。
それにもかかわらず、カペー家では直系の男子が健康に育ち、次の世継ぎがいるという状態が続きました。番組では、大奥を持ち、御三家からも後継者を迎えていた江戸時代の徳川家より続いたことに驚きが示されます。
なぜそうなったのかはよくわからず、誰かに追究してほしい、何か重要なことが潜んでいる気がする、と語られています。
騎士は長子相続の「受け皿」だった
カロリング朝からカペー朝に移るこの時代に台頭してきたのが騎士です。先ほどの貴族とは別ルーツで、決闘をしたり、ディズニー作品のようにお姫様を救ったりするイメージの、まさにど真ん中の時代がここから始まります。
騎士の詳しい説明に時間を割くのは、ジャンヌ・ダルクが騎士の文脈の上にいる人物だからです。女性なのに、という反応も出ますが、騎士という概念を知ると中世ヨーロッパがかなり理解できる、と番組は位置づけています。
騎士といっても、一匹狼の戦士もいれば、多くの部下と所領を持つ貴族のような騎士もいました。傭兵なのかという質問には、傭兵ではなく、お金というより領地をもらう存在だと答えています。
騎士の誕生に影響を与えたのは、長子相続 ── 家の財産や地位を長男がまとめて受け継ぐ相続のしかた。財産の細分化を防ぐ一方、次男以下は家督から外れることになりますの原則化でした。もともとゲルマン民族の慣習は分割相続で、フランク王国が3つに分かれたのも子どもが3人いたからだといいます。
分割相続には、兄弟で揉めて内乱になりやすく、家が分かれて弱くなるという問題がありました。そこで長子相続になり、次男以下の不満を抑えることで内乱を防ぎ、財産を安定して受け継げるようにしたのです。番組では、これが家父長制の、この時代なりの合理性だと説明しています。
分割相続の問題
兄弟が揉めて内乱になり、家も弱くなる
長子相続へ
長男が継ぐことで内乱を防ぎ、財産を安定させる
次男以下があぶれる
生き残った次男・三男の行き場が必要になる
2つの受け皿
教会・修道院の聖職者になるか、騎士になる
あぶれた次男以下の行き先の1つは、教会や修道院の聖職者になる道です。教会はこうした人材を集めて成り立っていた、とも語られます。
もう1つが騎士になる道です。騎士は君主との契約関係があれば、自分の家以外にも比較的自分の意思で仕えることができ、実力次第で栄達もできました。スタジオでは「フリーランスだな」という声も上がります。
騎士には、有力貴族の次男・三男もいれば、農民の家に生まれ上昇志向を持って実力でのし上がった人もいたといいます。とにかく騎士が長子相続の受け皿だったことが大事だ、というのが番組の整理です。
ランスの発明が騎兵を最強にした
騎士が台頭したもう1つの理由は、彼らが活躍する場、つまり戦争があったことです。ただし中世以前の西ヨーロッパでは歩兵が中心で、ゲルマン民族にとって騎兵は偵察などの補助的な役割でした。
ゲルマン人は、フン族やスキタイ人といった馬を巧みに使う騎馬民族と戦う中で、馬の有効性に気づきます。騎兵を少しずつ増やし、首長である領主に従士として仕えさせるゲルマン民族の風習に、騎士の源流があるといいます。
カロリング朝の時代には重装備の騎兵が戦争の主体になりますが、まだ決定的な強さはありませんでした。1066年のヘイスティングスの戦い ── ノルマン・コンクエストの際、ノルマンディー公ウィリアムの軍がイングランド王ハロルド2世の軍を破った戦いでも、ノルマンディー公の騎兵はイングランドの歩兵の盾の壁に止められ、なんとか勝ったという状況だったと語られます。
当時の騎兵は細い槍や剣で突きに行くものの、盾が強すぎて決定的な打撃にならず、盾の隙間から逆に刺されることもあったようです。
この状況を変えたイノベーションがランスです。ランスは木でできた円錐形の太く長い槍で、番組ではチョコ菓子のアポロの先を長く伸ばして持ち手を付けたような形、と説明されています。
細い槍を手の力で突くので、馬の推進力を使えず、盾の壁に跳ね返される
太く長いランスを脇に抱えて水平に固定し、馬の突進力で盾を突き抜け、吹き飛ばす
甲冑を着た騎士が、自分の体重、鎧とランスの重さを馬のスピードに乗せて突っ込み、それが横一列に並んで押し寄せてくると、歩兵には防げません。こうして騎兵は圧倒的に強くなりました。
番組では、RPGなどで馬に乗らずにランスを使うキャラクターは、ただ重いだけではないかという話も出ます。ランスの本来の使い方は、馬に乗って突撃することです。
騎士道の誕生と、教会による騎士の取り込み
ランスで強くなった騎士は、12世紀ごろには社会的な立場も強くなります。同時に、武士がそうだったように、野蛮な存在から騎士の美徳、つまり騎士道のようなものが生まれてきます。
騎士は、父が騎士だからなれるものではなく、それ相応の資質が必要でした。まずランスの戦術をこなすため、30キロほどもある甲冑を着て馬を全速で走らせ、4キロほどの長いランスを片手で固定し、それを数時間続けられなければなりません。
さらに、女性に優しくする、努力する、精神力が強い、弱い者を助けるといった規範が生まれ、これが騎士道になっていきます。こうしたイメージが、ディズニー作品のキャラクター設定にも反映されていると語られます。
もう1つ重要なのが、キリスト教会が騎士を取り込んでいったことです。教会は当初、暴力的で平和を乱し略奪もする騎士をまったく評価していませんでした。しかし騎士が社会的影響力を持つと、教会も自分たちの利害にかなう形で使いたくなります。
それが顕著に表れたのが十字軍 ── 11世紀末から、キリスト教勢力が聖地エルサレムの奪還などを掲げて行った遠征。ローマ教皇の呼びかけで始まり、多くの騎士が参加しましたです。教会は、教皇のために戦う者には贖宥 ── 罪に対する償いを教会が免除すること。のちの「免罪符」の販売もこの考え方にもとづいていますを与える、つまり罪の償いを免除すると言って騎士たちを動かしました。
人を殺す血生臭い仕事をしている自分たちが神のもとに行けるのか、という思いを騎士たちは抱えていたといいます。戦うことが救いにつながると教会に言われれば、修道士にならなくても戦場で救われる、という考えになっていきます。
番組では、騎士の世界は、世襲で固定された封建社会の中に、若干の実力主義を持ち込む「サブエンジン」だったと整理されています。騎士らしくない騎士が軽蔑されるということ自体が、誰でも騎士になれるわけではないという別の基準の存在を示している、という見方です。
ただ、その騎士の論理も、結局はキリスト教の論理にある程度巻き取られていきます。もちろん、キリストなどどうでもよく金が大事だという騎士もいて、そこはグラデーションだったとも語られます。
騎士は普段何をしていたのか
番組は、ジャンヌと直接の関係は薄いものの、中世ヨーロッパを理解するうえで重要だとして、騎士の話をもう少し続けます。まず、騎士は戦争のない時期には、自分で耕すというより農場の経営をしていたといいます。
この頃には、騎士から貴族になる人も、貴族から騎士になる人も出てきて、両者は混ざっていきます。番組では、大企業の役員がスタートアップの役員になることもあれば、スタートアップの経営者が上場企業のアドバイザーになることもある、という現代の動きにたとえています。
この後の時代には、貴族も騎士の美徳を取り入れて自分を騎士だと考え、王まで騎士的に振る舞うようになります。王の直属にも騎士がいて、その下にも騎士がいる、というふうに、騎士は役職のようで役職ではない存在として、複層的にあちこちにいました。
正式な騎士になるには、自分より偉い人の前で跪き、肩に剣を置かれる叙任の儀式が必要だったようです。一方で、戦争のない時期に略奪をしたり奴隷になったりしながら騎士を名乗る「騎士崩れ」もいたといいます。
騎士にとって大事なのは、自分のボスと「忠誠と保護」という契約関係を結んでいることです。この関係は入れ子構造になっていて、騎士は「自分の上司の上司は上司ではない」と考え、直接契約を結んだ相手のためにしか働かない文化で生きていました。
江戸時代初期の日本では将軍が大名の領地替えを行いましたが、フランスではそれはできなかったと本に書かれていた、と紹介されます。番組では、これは王権の強さの違いで、フランスは絶対王政の時期を除いて王権が強くなかったため、騎士は領地を自分の財産だと強く意識していた、と解釈しています。
騎士の美徳についても、誰がどれだけ守っていたかは微妙で、おそらく貴族階級くらいでないと守っていなかったのではないか、という見方が示されます。
番組では、騎士という定義しにくい概念は、ビジネスパーソンという言葉のふわふわ加減に近いとも語られます。自分で名乗れて、正式な入り口のような雇用契約もあり、マナーや「これだけ恩を売ったらこれくらい返す」といった暗黙の了解や美徳がある、という点が似ているという話です。
サラディン回に出てきたカペー朝の王たち
最後に、カペー朝の王の中で、過去の回に登場した人物が紹介されます。1人めはフィリップ2世で、サラディン回で、リチャード1世(獅子心王)と共に十字軍でサラディンを攻めに行き、途中で嫌になって帰った王です。
フィリップ2世とリチャード1世の仲が悪かった理由は、今回の話でわかる、と番組は語ります。リチャード1世はイングランド王で、フィリップ2世はフランス王です。臣下でありながら対等という関係で利害が一致せず、2人は十字軍に行く前からずっと争っていました。
もう1人はルイ9世で、「聖王ルイ」と呼ばれる王です。教会に強く忠誠を誓い、王でありながら聖人に列聖されています。サラディン回を聞けばカペー朝の有名な王たちに触れられる、と振り返りをすすめています。
次回は、カペー朝がついに断絶し、それをきっかけに百年戦争が始まっていく経緯が語られる予定です。
まとめ
今回の回は、ジャンヌ・ダルクを理解する前提として、ケルト・ローマ・ゲルマンが混ざって生まれたフランスの成り立ちと、騎士が生まれ、力と美徳を持つ存在になるまでをたどりました。ノルマンディー公をめぐる「臣下なのに対等」というねじれは、次回以降の百年戦争へとつながっていきます。
- フランス人のルーツは、ケルト系のガリア人、ローマ人、ゲルマン人が混ざったもので、1つには特定できない
- ヴァイキング出身のノルマンディー公がイングランド王を兼ねたことで、フランス王の臣下でありながら対等という関係が生まれ、百年戦争の遠因になった
- ユーグ・カペーに始まるカペー朝は15代341年続き、その血筋はフランス革命まで続いた
- 騎士は長子相続であぶれた次男以下の受け皿となり、ランスの発明で戦場の主役になった
- 騎士道の美徳や教会による取り込みを通じて、騎士は世襲社会の中の実力主義の担い手になっていった





