なぜ近親婚の禁止は世界中にあるのか?
前回までに、レヴィ=ストロースの生い立ちと構造言語学を通じて、構造主義の入り口に立った一行。今回のエピソードは、レヴィ=ストロースの主著『親族の基本構造』から、構造主義の理解を深めていきます。
深井さんは『親族の基本構造』を「すごい厚い」「枕にはちょうどいい」と紹介します。レヴィ=ストロースはこの大著を提出して博士号を取り、アカデミズムで一定の地位を築きました。
やだ、買いたくなーい。
『親族の基本構造』でいう構造とは、深井さんの読み上げによれば「要素と要素の間の関係からなる全体であって、この関係は一連の変形ないしは変換過程を通じて不変の特性を保持する」もの。深井さん自身も「意味わかんないですね」と言い、具体例から説明を進めます。
レヴィ=ストロースがこの構造の考え方で挑んだのが、インセスト・タブー ── 近親者との性交や婚姻を禁じる規範。どこまでを「近親」とするかは社会によって大きく異なりますが、何らかの形でほぼすべての社会に見られるとされます、つまり近親相姦の禁止です。世界のあちこちにあることはわかっていても、なぜあるのかを人類学は説明できていませんでした。
深井さんは例として、日本では3親等以内だと結婚できないこと、社会によってはいとことの結婚が禁じられることを挙げます。中国や韓国の伝統的な価値観では、李さんは李さんと、金さんは金さんと結婚できませんでした。
中国や韓国の同姓不婚は、人類学の言葉では「同じ父系集団とは結婚できない」と表されます。深井さんによれば、かつて「未開社会」と呼ばれた伝統社会でも、非常に広い範囲の人たちが結婚の対象から外れているといいます。
近親の範囲は文化や社会によってバラバラなのに、インセスト・タブーそのものはどこにでもある。だからこそ、その理由を説明できれば、親族関係の一般法則を説明できることになる、というのが深井さんの整理です。
伝播主義も機能主義も説明できなかった理由
それまでの人類学には、大きく2つの考え方がありました。1つは歴史主義・伝播主義で、どこかの民族が身につけた習慣があちこちへ伝わっていった、と説明するものです。
もう1つの機能主義は、ヨーロッパ人から見て意味不明な習慣に「こういう機能があるからだ」と理由を与える考え方です。深井さんは、ある時期に特定の食べ物を食べてはいけないというルールを、その食べ物を絶滅から守るためだと説明する例を挙げます。
では、インセスト・タブーをこれらの考え方で説明するとどうなるのか。歴史主義には、人類はもともとパートナーを固定しない乱婚制で、それが歴史的に一夫一妻制になったという「原始乱婚説」がありました。ただ深井さんは、原始乱婚説は確認しようがなく、説明になっていないと話します。
機能主義は、近親婚を繰り返すと遺伝的に悪い影響があるから禁じられた、と説明しました。けれど深井さんによれば、近親婚で遺伝的な障害が出る可能性は1%ぐらいとされ、30人や50人の集団で暮らす人たちがそれを観察するのは数学的にかなり難しいといいます。
人類学の王道ではない心理学的な説明もあります。幼い頃から生活を共にした男女には性的な欲求が生まれにくい、という知見です。しかし同姓不婚のように、一緒に育っていない相手にも禁止はあるため、この説明でもインセスト・タブーのすべては説明できません。
3つの従来の説明と、それぞれがインセスト・タブーを説明しきれなかった理由を並べると次のようになります。
| 立場 | 説明の内容 | 説明しきれない理由 |
|---|---|---|
| 歴史主義 | 原始乱婚から一夫一妻制へ移った | 確認しようがない |
| 機能主義 | 近親婚による遺伝的な悪影響を避ける | 影響は1%ほどで小集団では観察が難しい |
| 心理学的説明 | 一緒に育つと性的欲求が生まれにくい | 一緒に育っていない相手にも禁止がある |
女性を「妻」と「姉妹」に分ける意味
この難問に対するレヴィ=ストロースの答えについて、深井さんは「めちゃくちゃ女性差別に聞こえる」と前置きし、一旦判断を停止して聞いてほしいと呼びかけます。
レヴィ=ストロースはまず、人類学の先輩であるマルセル・モース ── フランスの社会学者・人類学者(1872〜1950)。『贈与論』で、贈り物のやり取りが社会の結びつきを生む仕組みを論じ、レヴィ=ストロースに大きな影響を与えましたの議論を使い、人間は一般的に交換をする生き物だと説明します。
モースによれば、交換とはコミュニケーションです。コミュニケーションをしない集団は内へ内へと閉じて弱くなるので、オープンでいるには交換するしかない、とモースは考えました。
レヴィ=ストロースは、この交換が親族の間でも成り立つと考えました。そして親族の間で交換されているのは女性であり、そのために親族の中の女性を「妻」と「姉妹」の2つのカテゴリーに分けている、と論じます。
深井さんは、妻と姉妹の区別を、性的な関係を持てる女性と持てない女性を分けることだと言い換えます。区別がなければ集団内の女性を交換に回さなくなるので、区別するためのルールとしてインセスト・タブーがある、というのがレヴィ=ストロースの主張です。
交換への欲求
人間は交換(コミュニケーション)をしたい生き物である
女性の区別
親族内の女性を「妻」と「姉妹」に分ける
交換に回す
関係を持てない女性を他の親族集団へ送り出す
妻を迎える
別の親族集団から女性を妻として受け入れる
ここで、前回の構造言語学で出てきた「対立」が親族の話にも現れます。女性の中に本質的な性質として妻と姉妹がいるわけではなく、区別そのものが恣意的に作られていることこそ、レヴィ=ストロースの発見でした。
樋口さんが、この分析はレヴィ=ストロースが自分で見に行ったアマゾンの文化によるものかと尋ねます。深井さんの答えは、世界中の文献を集めて親族の体系を分析し、そこに共通する考え方を探った、というものでした。
樋口さんは、村同士で女性を嫁がせ合って仲良くやっていく仕組みは多くの国や時代にあっただろうと想像しながら聞いていたと話します。深井さんはそれを名字の例で具体化します。
深井家の子どもは全員「深井」なので深井同士は結婚できず、女性は他の家に出ます。その女性が塚本さんと結婚すれば子どもは「塚本」になり、塚本家の子どもなら深井家の人と結婚できるようになる、という仕組みです。
この名字の仕組みを、深井さんは平行いとこと交差いとこで説明します。父と同性の兄弟であるおじの子どもは同じ名字の「深井」なので結婚できず、父の姉妹であるおばの子どもは「塚本」になっているので結婚できる、というものです。
父の兄弟(おじ)の子ども。同じ名字のため結婚できない
父の姉妹(おば)の子ども。別の名字のため結婚できる
深井さんによれば、レヴィ=ストロースは多くの文化で平行いとことの結婚が禁じられ、交差いとことの結婚が奨励されていることに気づきました。これによって、自分の一族以外の人と結婚する行動にインセンティブが生まれるといいます。
価値があるから交換するのではない?
楊さんは、この話の前提として交換という行為そのものがとても大事だと補足します。
交換するものに価値があるんじゃなくて、交換行為そのものがもう目的なんだと。
交換行為そのものが目的だという考え方を示すため、深井さんは近代人類学の祖とされるマリノフスキー ── ポーランド出身の人類学者(1884〜1942)。長期の現地滞在による参与観察を確立し、トロブリアンド諸島のクラ交易の研究で知られますの研究を紹介します。舞台は、南太平洋に大きな輪のように並ぶトロブリアンド諸島です。
トロブリアンド諸島では、首飾りと腕飾りが右回りと左回りに何百年も交換され続けてきました。島の間は離れていて渡るのは危険なのに、人々は大冒険をして、生活にほとんど意味のない飾りを持ち帰ってきます。
しかも(その飾りを)死ぬほど大事にしてるらしい。
隣の島から「くれ」と言われると、大事だからこそ渡すのを渋ります。それでもいつかは渡さなければならず、交渉を経て飾りが移っていく。この営みは、ヨーロッパ人の目には何の意味もないばかばかしいことに映りました。
モースはトロブリアンド諸島の事例から、この人たちにとっては交換することそのものが大事なのだと見出しました。交換によって島と島のコミュニケーションが促されていきます。
島を何周も巡った腕飾りや首飾りは伝説となり、非常に価値あるものになっていくといいます。
楊さんは、交差いとこと平行いとこの区別は、交換で説明できる一方、機能主義では説明できないと強調します。どちらのいとこも血のつながりの濃さは同じなので、一方とだけ結婚できる理由が機能主義的には見当たらないからです。
楊さんの整理では、人は交換を根源的な欲求として持ち、親族間では女性をその媒介物として使っている。そうすると、交換する相手としない相手という対立がどこかで必然的に生まれます。区切りの位置は文化によって違っても、区切り自体は必ずある、というのがレヴィ=ストロースの指摘です。
カリエラ人の婚姻ルールと「クラインの四元群」
レヴィ=ストロースはさらに、数学者アンドレ・ヴェイユアンドレ・ヴェイユの助けを借りて、婚姻のルールを数学的にも示します。題材は、オーストラリアのアボリジニの一民族であるカリエラ人です。
カリエラ人の社会には2つの半族 ── 1つの社会を2つに分けた集団のそれぞれ。婚姻や儀礼で相手方の半族と役割を分担する形で、各地の社会に見られますがあり、どちらの半族も居住地1と居住地2に住んでいます。半族と居住地の組み合わせで、カリエラ人は4つのグループに分かれていることがフィールドワークでわかっていました。
深井さんはこれを日本に置き換えます。日本人全体を平氏と源氏に分け、さらに西日本と東日本に分ければ、「西日本の平氏」「西日本の源氏」「東日本の平氏」「東日本の源氏」の4グループになります。
カリエラ人は自分のグループとは結婚できず、残る3つのうち1つのグループとしか結婚できません。深井さんのたとえでは、西日本の平氏は東日本の源氏としか結婚できない、という形です。
カリエラ人の子どもは母親の半族を継ぎ、父親と同じ場所に住みます。東日本の源氏の父と西日本の平氏の母から生まれた息子は「東日本の平氏」になり、その息子は西日本の源氏としか結婚できません。
深井さんの説明が込み入ってきたところで、樋口さんが図で整理します。
その四角の四隅がありまして、その四隅で線で結んでないところとしか結婚できない。
永遠に対極線上で婚姻を繰り返すという。
一族を世代ごとにたどると、子どもは4つのグループの四隅をぐるぐる移動していくように見えます。楊さんが「それは交換するためだった」と受けると、深井さんも「交換するため」と応じます。
この4グループの仕組みは、群論のクラインの四元群 ── 4つの要素からなる群で、どの要素も2回繰り返すと元に戻るという性質を持ちます。数学者フェリックス・クラインにちなんで名付けられましたと同じ形をしているといいます。クラインは、内側をたどるといつの間にか外側になる「クラインの壺」を考えた数学者です。
楊さんは、深井さんの「壺があると思うんですけど」という言い方に笑いつつ、小説にも出てきたと懐かしがります。
カリエラ人の婚姻ルールと四元群の構造がまったく同じだと示されたことには、大きな意味がありました。当時の数学で群論は最先端の考え方で、アボリジニは人類学で最も遅れた人々だと見なされていたからです。
当時の人類学で最も遅れていると見なされたアボリジニの社会形態
当時の西洋数学で最先端とされた群論の考え方
深井さんによれば、機能主義は「この文化でこれをやっているのは、この文化の別の事情と関係がある」といった個別の説明しかできませんでした。日本人の腸が長いのは米を食べるからだ、というような説明です。レヴィ=ストロースは、それとは違う人類の一般法則を見つけ出したのでした。
なぜ接点のない文化が似た仕組みを持つのか?
樋口さんは、西洋が船でやってきて植民地支配をするまで接点のなかった文化同士が、なぜ似たことをしているのかと問いかけます。
なんか似たようなことしてるぞって。なんなん?なんでなんでしょうね。
深井さんは、この問いは次回に扱う『今日のトーテミズム』と『野生の思考』で説明されていると前置きします。簡単に言えば、物事を分けて対立の構造を作り出すことが人間の最も基本的な思考方法なので、世界の認識の仕方が似通ってくる、という答えです。
楊さんは、この話が前回の構造言語学に収斂すると補足します。「あ」「い」「う」の境目は言語によって少しずつ違っても、対立構造を作って識別すること自体は共通している、という話です。
樋口さんは、構造主義の扉を開けたら扉が鏡の間のようにずっと続いているようで、気が遠くなりつつも面白いと感想を語ります。楊さんも、自分がわかっているかどうかがわからないと打ち明けます。
深井さんは、構造言語学の回と同じく、もの自体に意味があるわけではない点を強調します。インセスト・タブーに何らかの意味があるから行われているのではなく、思考の最も根源に、何かと何かを対立させる働きがあり、その対立はある種のランダムさの中で作られている、というのが最も着目すべき点だといいます。
楊さんは、そこには2つの要素が入っていると整理します。交換したいという欲求は普遍的なもので、家族同士の交換は婚姻、つまり女性を送り合う形になる。その上で、どこまでをインセストとするかは恣意的に決まる。ここが『親族の基本構造』のわかりにくいところだと楊さんは話します。
樋口さんが自分たちは構造主義を何割くらい理解しているのかと尋ねると、楊さんは本質的には今の話で100%のはずだが、実践が難しいと答えます。次回の4回目では、身近な問題を構造主義で考えるとどうなるかを話す予定です。
樋口さんも、人が何でもラベリングやカテゴライズをしたがることについて考えが湧いてきたと話し、次回の最終回へとつながっていきます。
まとめ
レヴィ=ストロースは、インセスト・タブーを遺伝や歴史の理由ではなく、交換のために女性を「妻」と「姉妹」に区別する構造として説明しました。その構造はカリエラ人の婚姻ルールとクラインの四元群の一致にまで広がり、人間の思考の根本に「対立させて区別する」働きがあることを示しています。
- インセスト・タブーは世界中にあるが、近親の範囲は社会ごとにバラバラである
- 歴史主義・機能主義・心理学的説明では、インセスト・タブーを説明しきれなかった
- レヴィ=ストロースは、交換のために女性を恣意的に区別する構造としてタブーを捉えた
- カリエラ人の婚姻ルールは、群論のクラインの四元群と同じ構造を持っていた
- 対立を作って区別することが人間の基本的な思考方法だから、接点のない文化も似通う




