哲学教授から人類学へ。レヴィ=ストロースはどんな若者だったのか
前回は、サルトルを西洋哲学の「ラスボス」、それを倒したレヴィ=ストロースを「勇者」、あるいは「腹の中から出てきたエイリアン」にたとえる話で終わりました。今回はそのレヴィ=ストロースの人物像を掘り下げます。
楊さんによると、レヴィ=ストロースはベルギーのブリュッセル生まれです。父は貧乏な芸術家で、母はユダヤ教の聖職者であるラビの家系の出身でした。レヴィ=ストロースはユダヤ人だったということです。
レヴィ=ストロースは10代で第一次世界大戦を経験し、高校では共産主義に強くのめり込みます。16〜17歳で『資本論』を読んで論文を書き、18歳でその論文が掲載・出版されるほどの秀才でした。
16、17で『資本論』か、やばいな。
レヴィ=ストロースは共産主義団体の事務局長も務めつつ、パリ大学の法学部と文学部の両方で学士号を取ります。23歳でアグレガシオン ── フランスの高等教育教授資格試験。合格者は高校や大学で教える資格を得られ、哲学分野の合格は当時とくに権威がありましたと呼ばれる哲学教授資格に合格し、哲学の先生になりました。
当時の哲学教授は社会的地位がとても高く、教育実習の同期にはボーヴォワールやメルロ=ポンティといった有名な哲学者もいたといいます。
兵役を経て高校の哲学教師になったレヴィ=ストロースは、25歳ごろに人類学に目覚めます。実際に世の中の人がどう考えているかを知らなければ、わからないことがあるのではないかと考え始めたのです。
アマゾン調査、マジノ線、ニューヨーク亡命がつないだ出会い
レヴィ=ストロースは27歳のとき、ブラジルのサンパウロ大学に社会学の講師として赴任します。当時はフランス語が国際的な文化語として高い地位にあり、フランスの学者を招くことがトレンドだったと楊さんは説明します。
レヴィ=ストロースは大学で教えながらアマゾンで先住民の調査を始め、大学を辞めたあとは数百キロの旅をして多くの民族を調べました。この調査録が後に『悲しき熱帯』という本になります。
アマゾンから帰ると第二次世界大戦が始まっていました。レヴィ=ストロースはドイツとの国境の要塞マジノ線 ── フランスがドイツとの国境沿いに築いた大規模な要塞線。第二次世界大戦ではドイツ軍に迂回され、ほとんど役に立ちませんでしたに配属されますが、ドイツ軍はそこを迂回してパリを陥落させます。戦闘らしい戦闘もなく除隊となりました。
ナチスドイツに支配されたフランスは、ユダヤ人のレヴィ=ストロースにとって危険な場所になります。そのためレヴィ=ストロースはアメリカへ亡命しました。
当時のニューヨークには、ヨーロッパから亡命したユダヤ人研究者が大勢いました。そこでレヴィ=ストロースは、哲学者シモーヌ・ヴェイユの兄で数学者のベイユ(アンドレ・ヴェイユ)と、ロシアから来た言語学者ヤーコブソンに出会います。
ベイユは、架空の数学者の名義で数学の教科書を共同執筆したブルバキ派 ── 20世紀フランスの数学者集団。「ニコラ・ブルバキ」という架空の人物名で、数学全体を体系的に整理する大著を書き続けましたのメンバーでした。ヤーコブソンは構造言語学を考えていた人物です。
楊さんのまとめでは、レヴィ=ストロースは亡命先で数学の最先端と言語学の最先端に同時に触れたことになります。そして1943年、35歳のときに、ヤーコブソンに勧められて『親族の基本構造』を書き始めました。
構造主義の前提。「犬」という言葉は何を意味しているのか
楊さんによると、レヴィ=ストロースは戦後パリに戻り、『親族の基本構造』を皮切りに4つの大きな仕事を残します。『親族の基本構造』『今日のトーテミスム』『野生の思考』『神話論理』です。
楊さんは、この4冊の主張を読み解く前に、2つの概念を説明する必要があると言います。ヤーコブソンの構造言語学と、ベイユから着想を得た群論 ── 数学の代数学の一分野。数の集まりと演算の関係を抽象的に扱い、対称性などの性質を研究しますです。ただし、音声だけで伝えるのは無理かもしれないほど難しいそうです。
ベイユの方は難しいかもしれんけど、ヤーコブソンはいけるんじゃないか。
楊さんは、図が載っている本として、橋爪大三郎さんの『はじめての構造主義』を勧めています。
構造言語学のポイントについて、楊さんは、単語には本質的な意味がないと説明します。単語の意味は恣意的に、つまり必然性なく決められている。ただし、その決まり方には二項対立という法則がある、というのが主張です。
楊さんは例として「犬とはどういう意味か」と問いかけます。四本足でワンワン吠える動物が犬で、ニャーニャー鳴く動物は犬ではない。では、遠吠えする狼はどうでしょうか。狼と犬を区別しない民族なら、1つの言葉で両方を呼ぶはずです。
出演者からは、日本語の「ハト」が英語では、公園にいる灰色のpigeonと、平和の象徴の白いdoveに分かれるという例も出ました。
犬っていう言葉が意味しているのは犬そのものではなくて、犬ではないものではないもの。
楊さんによれば、「犬」の意味は「犬ではないもの」との対立関係があって初めて決まります。そして、どこに線を引くかは言語によって違う、というのが発見の中身です。
ソシュールは言語学の何をひっくり返したのか
楊さんは話の順番を戻し、ソシュール ── スイスの言語学者(1857〜1913)。言語を記号の体系としてとらえる一般言語学を開き、構造主義に大きな影響を与えましたを紹介します。ソシュールは一般言語学を始めた人物です。
ソシュール以前の言語学は、言葉の歴史的変化をたどって言語の親戚関係を探るものでした。たとえばフランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語は、ラテン語という親から分かれた兄弟のような言語です。
ソシュールは、そうした研究では言語とは何かが本質的にわからないのではないかと疑問を持ちました。そこで、2つの切り分けを行います。
| 切り分け | それまで・普段使い | ソシュールが見ようとしたもの |
|---|---|---|
| 時間の扱い | 通時的(歴史的な変遷をたどる) | 共時的(時間を輪切りにした今ある言語) |
| 言語の扱い | パロール(普段使いの、文法や辞書から外れもする言葉) | ラング(規則性を持つかっちりした体系) |
ソシュールは、規則性を持つ体系としての言語を、時間を輪切りにして分析しました。その結果見えてきたのが、先ほどの「犬ではないものではないものが犬」という恣意性の問題だといいます。
出演者の一人は、私たちは机という実体が先にあって、それに名前を付けていると感じがちだが、ソシュールは逆を言っている、と整理しました。机とちゃぶ台の境界も、人間が勝手に決めた区分だということです。
楊さんは、聖書でアダムが世界のすべてのものに名前を付けていくエピソードを挙げます。実体に名前を付けていくこうした見方は言語命名目録観 ── 言葉は、あらかじめ存在する物に貼られた名札の一覧のようなものだとする見方。ソシュールの言語観はこれを否定しましたと呼ばれます。
ソシュールが見破ったのは、物と物を分けるのが先で、言葉はその分け方に従ってくっついているという点です。だから言語によって分け方が違い、ハトがpigeonとdoveに分かれるのだと、出演者は確認し合いました。
「ア・イ・ウ」と「K・P・T」に同じ三角形があるとは?
楊さんによると、言語を分解していくと最後に残るのは「区別」だというのがソシュールの主張です。ヤーコブソンはこの考えを、言語の音を分析する音韻論に応用しました。
ヤーコブソンは、ソシュールの影響を受けた言語学者グループプラハ学派 ── チェコのプラハを拠点とした言語学者の集団。ソシュールの考えを受け継ぎ、音の体系を研究する音韻論を発展させましたの一員でした。ヤーコブソンは、音素がどんな規則で区別されているかを考えました。
音素の区別にも恣意性があります。英語ではLとRが区別されますが、日本語では区別されないため、日本人はLとRの発音が苦手です。riceとliceの違いがその例です。また、ドイツ語のウムラウトや英語の複数の「ア」のように、日本語の「あいうえお」以外の母音を持つ言語もたくさんあります。
ヤーコブソンの分析では、母音のアは音が「集中」し、ウとイは音が「拡散」しています。さらにウは高音調、イは低音調で、アはその中間です。2つの軸を取ると、3つの音が三角形に並びます。
ヤーコブソンは、子音のK・P・Tにも同じ三角形があることを発見しました。この点は直感ではわかりにくく、出演者も「受け入れるしかない」と笑っていました。
| 位置 | 母音 | 子音 |
|---|---|---|
| 集中・高低の中間 | ア | K(ク) |
| 拡散・高音調 | ウ | P(プ) |
| 拡散・低音調 | イ | T(トゥ) |
楊さんによると、ヤーコブソンは子どもがどの音から習得するかという発達段階を見て、音の性質を分析したそうです。
物理的な音はグラデーションですが、人間はどこかで勝手に切り分けて聞き分けています。その切り方は物理や人間の性質から必然的に決まっているわけではなく、たまたまそこで切れているといいます。
この区別によってもたらされる法則みたいなことを、このヤーコブソンは構造と呼んだんですよね。
狐拳とじゃんけんは、なぜ「同じ」と言えるのか
レヴィ=ストロースは、母音と子音の三角形の間の変換関係は不変で、そこに1つの構造が現れていると表現しました。アイウの関係とKPTの関係が同じだということです。とはいえ「同じだよね」と言われても、出演者は反論のしようもないと戸惑います。
そこで楊さんが持ち出したのが狐拳です。狐・庄屋・猟師の3つのジェスチャーがあり、狐は庄屋に、庄屋は猟師に、猟師は狐に強いというゲームです。聞き手はすぐに「じゃんけん」だと気づき、一番強いものも一番弱いものもない関係だからだと説明しました。
楊さんは、これをレヴィ=ストロース風に言えば、狐・庄屋・猟師の関係がグー・チョキ・パーの関係と同じなのだと説明します。要素を入れ替えても同じ関係を保つもの、それが構造の定義です。
狐・庄屋・猟師でも、グー・チョキ・パーでもよい
3つがそれぞれ1つに勝ち1つに負ける、という循環の関係
出演者の間では「何を入れてもそういう形になる」「パターンみたいなもの」という言い換えも出て、楊さんもそれにうなずきました。
もう1つの源泉、群論の「1・i・-1・-i」
構造主義に着想を与えたもう1つが、代数学の一分野である群論です。楊さん自身も数学は詳しくないと前置きしつつ、概要を説明します。
楊さんによると、特定の数字を1つの塊にしたものが集合です。その中の数字同士の関係に一定の法則がある場合、それを群と呼びます。もっとも大事なのは、計算に使う数も答えの数も集合の中に含まれていることです。たとえば2×4=8なら、2も4も8も集合に入っていなければなりません。
レヴィ=ストロースの説明でよく使われるのが、1、虚数単位 ── 2乗すると-1になる数で、iと表します。i×i=-1、-1×-1=1となるため、1・i・-1・-iは掛け算の中で互いに行き来しますi、-1、-iの4つの数でできた集合です。この4つをどう掛け合わせても、答えは必ずこの4つのどれかになります。
縦と横にこの4つを並べて総当たりの掛け算表を作ると、枠の中はすべて4つの数のどれかで埋まります。楊さんは、どれだけ入れ替えても変わらないこの要素同士の関係を構造と呼ぶと説明し、樋口さんもすぐに反応しました。
さっきのじゃんけんと一緒。
インセストタブーの謎と、「チョキがチョキである意味はない」という発想
楊さんによると、レヴィ=ストロースは構造言語学と群論から着想を得て、これを親族の研究に転用できると考えました。その対象がインセストタブー ── 近親者同士の性関係や結婚を禁じる社会的な決まり。多くの社会に見られますが、その理由は人類学の大きな論点でしたです。
レヴィ=ストロースが知る限り、インセストタブーはどの社会・どの文化にも存在していました。なぜすべての社会にあるのかは、当時の人類学の大きな謎でした。これに挑んだのが『親族の基本構造』です。
聞き手は、断片的な理論がじわじわと構造主義に近づいている感覚はあるものの、まだ情報を脳に押し込めている気分だと率直に語りました。楊さんは、この回でもっとも大事なポイントを改めて強調します。
楊さんによれば、人はものに意味があり、結びつきには必然的な理由があると思いがちです。しかし構造言語学は、結びつきには特に理由も意味もないと言っているのだと説明します。
聞き手は、「平和」や「フェミニズム」のような言葉も、口にすれば伝わると思い込んでいるが、実は伝わっていないのではないかと結びつけました。楊さんはこれに対し、その言葉とそれ以外との境界の引き方が人によって違うので、同じものを指していないのだと応じます。
聞き手はさらに「恋人かセフレか」という例も挙げ、出演者も実体がないから人によって線引きがまったく違うと賛同しました。
最後に出演者の一人は、構造主義は狐やチョキそのものではなく、グー・チョキ・パーの関係性に意味があると言っているのだと整理しました。私たちはチョキがチョキであることに意味があると感じがちだ、という指摘です。
そうそう、これまだ前哨戦なんで。
今回は構造主義に入る前の「開会式」が終わった段階で、次回以降、レヴィ=ストロースの構造主義そのものをさらに掘り下げていくことになります。
まとめ
今回は、レヴィ=ストロースが亡命先のニューヨークで出会った言語学と数学が、どのように「構造」という考え方につながるのかを、身近な例で準備する回でした。
- レヴィ=ストロースはユダヤ人としてアメリカに亡命し、ヤーコブソンとベイユを通じて言語学と数学の最先端に触れた
- ソシュールは、言葉は実体に貼った名札ではなく、物と物の区別に従ってくっついていると考えた
- ヤーコブソンは、母音のアイウと子音のKPTに同じ対立関係の三角形を見出し、それを構造と呼んだ
- 構造とは、要素を入れ替えても変わらない関係のこと。じゃんけんと狐拳、群論の1・i・-1・-iがその例
- この発想をもとに、レヴィ=ストロースはインセストタブーの謎に『親族の基本構造』で挑んだ




