老人は敬われたのか、邪険にされたのか
コテンラジオの今回のテーマは、社会が「老人」と見なした人たちをどう扱ってきたかです。深井さんによると、調べた文献には具体例が並ぶばかりで、全体として何が言えるのかがなかなか見えてこなかったそうです。
文学作品や神話から推察した事例も多く、チームで文献をまとめるのに苦労したと深井さんは振り返っています。そのうえで、わかりにくさを避けるために、先に結論を示しました。
老人と見なされた人たちがどのように扱われるかということは、いくつかの因子が複雑に影響して、結果論として決まっていく。
で、社会によって全く扱いが違っていて、共通の傾向などはない。
深井さんが示した結論は、老人が敬われる社会、邪険にされる社会、一部の老人だけが敬われる社会があり、どれになるかはいくつもの因子の絡み合いで決まるというものです。「宗教的に敬われるから」のような単純な説明では、歴史上の老人の扱いは説明できないといいます。
深井さんが挙げた因子は、次の6つです。
これらの因子が社会ごとに異なる配分で働くため、老人の扱いは時代によってもエリアによってもバラバラだった、というのが今回の調査結果です。
同じ時代でも、騎士の老人と庶民の老人は別世界
1つ目の因子は、その老人がどの社会階層に属しているかです。深井さんは中世ヨーロッパを例に、庶民、騎士、聖職者の違いを説明しました。
中世ヨーロッパの庶民の老人は、働けなくなると家族のケアをあてにするしかありませんでした。ただし、庶民については記述がきわめて少なく、実態は正直わからないと文献には書かれていたそうです。
中世ヨーロッパの庶民の老人がケアを受けられるかどうかは、社会情勢にも左右されました。中世の初期から中期にかけてヨーロッパでは大家族が解体されて核家族化が進み、老人を介護せずに放置する老人遺棄が増えたといいます。
一方、同じ時代の騎士階級では、年齢はほとんど問題にならなかったそうです。兜をかぶって殺し合う世界では、若いかどうかより強いかどうかが重要でした。
そこ(騎士階級)に関しては結果が全てだし、今強くなくても過去強かったっていうだけで尊敬されるっていう現象が起こってるってことですね。
中世ヨーロッパの聖職者も、年を取ってから役割と一定の尊敬を与えられ、引退後は養老院で過ごす選択肢もありました。深井さんは、司教まで務めた人が物乞いになるのは教会のメンツに関わるので、捨てるわけにいかなかったと説明しています。
| 階層 | 老人の扱い | 背景 |
|---|---|---|
| 庶民 | 家族のケア頼みで、老人遺棄も増えた | 核家族化の進行。記述が少なく実態は不明 |
| 騎士 | 功績があれば老人でも尊敬された | 戦いでは年齢より強さや戦績が重視された |
| 聖職者 | 役割と尊敬が与えられ、養老院も選べた | 元司教を捨てることは教会のメンツに関わった |
富を蓄えられない社会で、老人はどうなったか
2つ目の因子は、社会が階級制を持っているか、富を蓄積できるかどうかです。深井さんは、階級制は一応ないけれど富を蓄積できる現代社会を例に、富の蓄積は年齢が上の人に有利に働くと話しています。
逆に、階級制がなく富も蓄積できない社会では、老人が厄介払いされる傾向があったといいます。深井さんが文献から紹介したのは、シベリア北東部で半遊牧生活を送るヤクート族の例です。
文献によると、ヤクート族の父親は家畜を所有し、子どもを売ったり殺したりできるほどの権威を持っていました。しかし父親が衰えると、息子たちが財産を奪い、老いた父親を死ぬままに放置したと書かれているそうです。
深井さんは、ヤクート族の記述について「本当か?」と疑う姿勢も大事だと強調しました。楊さんも、ヨーロッパ人が見てそう思ったことを引用している可能性があり、今の人類学者が見ればこのようには見えないかもしれないと補足しています。
なかなか(この事例を)一般化するのにちょっとね、ためらうよね。
ほかにも、ボリビアの森林に暮らすシリオノ族では40歳で消耗した親が食料の分配から忘れられ、ナイル地方のシリク族では衰えの兆しが見えた首長が殺されてしまう、といった例が文献に並んでいました。
深井さんによると、これらの例を出したのは、富を蓄積できない社会との対比を示すためです。71の民族における234の特性データからは、狩猟民ほど老人を冷たく扱い、農耕民のほうが老人に温かく接する傾向が見られるといいます。
狩猟採集中心で階級性が弱い。老人が厄介払いされる傾向がある
農耕や商業が中心で階級性がある。老人が権威を持ちやすい
商業も老人と相性がよく、中世の商人は老齢期に絶頂期を迎えることが多かったそうです。楊さんは、ある程度の蓄積を作るには年を取らないとできないからだと説明しています。
貧しくても老人を敬う社会はなぜあるのか
3つ目の因子は、宗教や社会文化的な背景です。この因子が働くと、富がなくても老人が尊重されることがあるため、文献を読んだ深井さんたちは「人類の傾向は何なんだよ」と混乱したそうです。
例として紹介されたのが、フエゴ島の海岸に住む約3000人のヤーガン族です。ヤーガン族はほとんど常に飢えていて、すべての時間を食料探しに費やしていましたが、老人を優しく扱っていたといいます。
樋口さんが「経験が役立つからか」と尋ねると、深井さんは、ヤーガン族では役立っていない人も含め、老人全般が役立つ存在と認知されていたのだろうと答えました。アリューシャン族も、富を蓄積しないのに老人の境遇が幸福だったとされています。
アリューシャン族は子どもを大切にし、大切にされた子どもが大人になって両親をさらに大切にする、という好循環があったそうです。
なんか老人がどうとかっていうよりは、人を大切にするかどうかみたいなのがそもそも違う気がするな。
深井さんは、社会ごとにどの物差しを重視するかの配分が違うから、老人の扱いは複雑になるとまとめました。そのうえで、東アジアも儒教の影響で老いを大切にする文化的背景を持っていると指摘しています。
楊さんによると、江戸時代の日本では藩や幕府が長生きを称揚し、長生きした人にボーナスが与えられることもあったそうです。
お年寄りを大事にするとか、敬老精神とか、これとかもうね、元をたどればやっぱ[儒教のOSから出てきた振る舞いなんですよね。
楊さんは、福祉制度が整っていない江戸時代に、儒教的な敬老精神を活用して老人の世話を血縁者や地域に任せた、という見解も紹介しました。樋口さんは、国が老人に生きていてほしいから、儒教を使って家族や民間にケアを任せた、と受け止めています。
繰り返しの社会では、なぜ老人が強いのか
4つ目の因子は、社会が反復的かどうかです。同じことが繰り返される社会では老人の知識や知恵が蓄積されて有利になり、変化の多い社会ではそうならないと楊さんは説明しました。
楊さんは、この違いを2種類の知能で説明しています。新しい環境に対応する流動性知能 ── 新しい問題をすばやく処理する知能。直感力、情報処理の速さ、図形の処理などを含み、一般に年齢とともに低下するとされますは老人になると落ちていき、言語能力やコミュニケーション能力などの結晶性知能 ── 経験や学習によって蓄積される知能。言語能力、理解力などを含み、年齢を重ねても維持・向上しやすいとされますは上がっていくそうです。
直感力、情報処理のスピード、図形の処理など。老人になると落ちていく
言語能力、理解力、創造力、コミュニケーション能力など。老人になると上がっていく
楊さんによると、エジプトのナイル文明やメソポタミアの灌漑農業のように毎年同じ農業を繰り返す社会では、経験が溜まる老人が重宝されました。寒冷なフエゴ島のヤーガン族も反復する社会だと考えられ、古代中国で親孝行の「孝」の思想が育ったのも同じ理由だといいます。
なんか空を見て嵐が来るぞって老人が言えた方がいい。
一方、16世紀のルネサンスのように世の中が激動し技術革新が起きる時代には、結晶性知能はあまり使えません。この時代の宮廷は老人を排斥していき、老人は過去を称えて現代を非難する憎たらしい存在と見なされたそうです。
16世紀のフランスの哲学者モンテーニュ ── 16世紀フランスの思想家。著書『エセー』で、人間や老い、死について自身の経験をもとに考察しましたも、老年は侮られやすいので、老人は家族に愛されるよう自分で努力すべきだと述べていたといいます。
日本でも、中世の動乱期には老人の権力が奪われ、隠居の概念が広がっていきました。楊さんが紹介した鎌倉時代から戦国時代への変化は、次のとおりです。
楊さんは、混乱期には老人の力があまり役に立たず、若い人たちがバリバリやることのほうが大事だったからだと説明しています。深井さんは、混乱期には既得権益を壊す動きが起こり、既得権益を多く持ちがちなのが老人だという観点も付け加えました。
老人が権力を持つとどうなるのか。ローマに見る若者の反発
5つ目と6つ目の因子は、若者との関係性と、老人の人数の割合です。深井さんは、老人が権力を持つと若者から反発されるのは、昔からの一般傾向だと話しています。
古代ローマでは老人の人口が多く、ローマ法が家長に家族や奴隷への強い支配権を与えていました。政治の世界でも、85歳まで働いた大カトー ── 古代ローマの政治家。質実剛健な伝統を重んじ、晩年まで政界で強い影響力を持ちましたのように、老人が強い力を振るっていたそうです。
古代ローマでは、老人への反発がエンタメの領域に表れました。喜劇では父親と息子の対立が大きなテーマになり、老人は「息が臭い」「腹が出た」などのひどい表現で揶揄され、老人の性欲も笑いの対象にされたといいます。
要は権力を持ってる反動として、このような言説が増えてくるという現象が昔からあるんだよってことを言ってる。
その後、ローマ帝国で家長権が弱体化すると、老人の間で自殺が流行し、老人は文学にほとんど登場しなくなったそうです。深井さんは、権力がなくなると揶揄する現象もなくなると説明し、中世に商人の老人が力を振るったときにも同じように若者から嫌われたと付け加えました。
老人の人数の割合も、老人の扱いを左右する因子です。深井さんによると、老人が少ないと社会の議題に上がらず、多いと議題に上がります。中世中期のペスト流行で若者が多く亡くなり老人の割合が増えると、老人を扱う文学作品が増え、若者と老人の対立も描かれたそうです。
6つの因子を現代日本に当てはめると
深井さんは6つの因子をおさらいし、現代の日本社会がどれに当てはまるかを整理しました。
| 因子 | 現代日本の状況 | 老人への影響 |
|---|---|---|
| 社会階層 | 過去に比べれば平等社会 | 階層による差は小さい |
| 富の蓄積 | 富のストックがある | 老人に有利 |
| 宗教・社会通念 | 儒教的な敬老の文化がある | 老人を大切に扱う方向 |
| 反復か激動か | 激動の時代と見なされている | 老人に不利 |
| 人数の割合 | 老人の割合が増えている | 議題に上がり揶揄されやすい |
| 若者との関係 | 政治の世界などで権力を握っている | 揶揄されやすい |
深井さんは、日本社会では老人が揶揄もされる一方で大切にも扱われており、簡単には語れないと話しています。老人の扱いは個人差と社会差があるうえに、因子が複雑に絡み合った結果として出てくるので、一概には何も言えないといいます。
樋口さんも、現代の老人の扱われ方には本当に両方ある、と同意しました。
老人というカテゴリーは粗すぎるのではないか
一概に何も言えないとわかったうえで、チームで議論を重ねた深井さんがたどり着いたのは、意外な結論でした。
深井さんによると、人は「老人」という架空の階層を想定して一律に認識していますが、そんな人は1人もいません。誰を老人と見なすかは社会が決めたカテゴリーによるもので、65歳以上、75歳以上といった制度上の年齢区分に認知が引っ張られているだけだといいます。
楊さんは、生物としてのヒトが老化する現象は実際にあり、その現象に引っ張られつつも、別のロジックで老人というカテゴリーが社会の中で立ち上がっていると補足しました。
深井さんは、現代の老人をめぐる問題は、老人という社会認識の解像度が低いことから起きているのではないかと考えました。知識と経験がある、体力が衰えている、富と名声を蓄えた、社会的パワーを持っている、といった正反対の面を、老人という1つの粗いカテゴリーが包んでいるからです。
勉強した限り、老人みたいな単位の人間をまとめることになんの意味もないんじゃないかなと。
楊さんは、老人の問題をジェンダーになぞらえました。ジェンダーは染色体、自認、性的指向などの組み合わせで捉えるようになっており、老人も細かい解像度で捉えないと、国家が守るべき社会的弱者にきちんとフォーカスできなくなるといいます。
深井さんは、大ざっぱな区分が生まれた原因として、年齢区分を挙げました。肉体の衰えには個人差があり、生産能力を失うかどうかとも別なのに、衰えの中央値に合わせた年齢区分で、すべての人間を見るようになってしまったと指摘しています。
深井さんは、30代で「おじさん」「おばさん」と言い始める日本社会の習慣にも、同じ解像度の低さがあると話しました。楊さんは「グラデーションが実態だと思う」と応じています。
老いを考え直す動きは、これまでにあったのか
楊さんによると、アラサーやアラフォーの呼び方には社会制度上の実害があまりありませんが、高齢者の問題は国民国家の行政政策に深く絡むため、重要な問題になります。
人文学で老いが考えられるようになった出発点として、楊さんは1970年代のフランスの哲学者ボーヴォワール ── フランスの哲学者・作家。『第二の性』で知られ、1970年に老いを論じた著作『老い』を発表しましたを挙げました。当時のフランスは高齢者人口の増加が社会問題になっており、多くの老いの研究書がボーヴォワールを参照しているそうです。
深井さんは、今の社会も人文学に予算を投じて老いの問題を捉え直したほうがいいと話しています。現代の社会は、年齢区分以外で老人を定義できていないからです。
番組では、年齢で区切る理由としてコストの問題も挙げられました。本当に働けない人を助けるなら能力テストや審査基準の議論が必要ですが、そのコストを払うより60歳や65歳で区切り、6〜7割が納得する落としどころにしてきたのではないか、という見方です。
老人像を修正する動きも、すでに起きています。1970年代のアメリカでは、高齢者が自分たちの権利を主張するグレイパンサーズ ── 1970年代にアメリカで結成された高齢者の社会運動組織。年齢差別に反対し、世代を超えた連帯を訴えましたが、「老人は役に立たない」といった老人神話に異議を唱えたそうです。
日本でも、平成9年の厚生白書が「老化しているかどうかは年齢で決まる」「高齢者のほとんどは健康を害している」「高齢者は非生産的である」といった固定概念の見直しを呼びかけ、新しいアクティブな老人像を打ち出したと紹介されました。
アクティブな老人像が生んだ、新たな押し込み
厚生白書が示した新しい老人像にも問題がありました。番組では、年齢に関わらずアクティブに活動する老人像を示しただけだったため、今度は「老人はアクティブでなければならない」という観念が生まれたと指摘されています。
固定概念の見直し
厚生白書が「高齢者は非生産的」などの老人像の見直しを呼びかけた
アクティブな老人像
年齢に関わらず活動する老人像が提示された
新たな押し込み
アクティブに活動できない老人が、認知症などのネガティブな枠に押し込まれた
出演者たちは、老人の捉え方を変えるのは相当難しく、そもそも難しいことにすら気づいていなかったと話しています。そして、捉え直しにこそ人文学が役立つという考えが示されました。
年齢で区分するにしても、区分の層を増やしたほうがいいという意見も出ました。昔の30代と今の30代は違い、50代もこれからの世代なのに、「おじさん」という言葉が持つ斜陽感と実際の役割がかけ離れているからです。
アクティブな老人も、アクティブでない老人も、どちらも実在します。どちらも「老人」と呼んでしまう解像度の粗さこそが問題で、解像度を上げていく必要があるというのが、今回のエピソードの結論でした。
次回からは「老いと死の歴史編」の後半として、死とは何か、人間は死をどう扱ってきたかが4回にわたって語られる予定です。
まとめ
コテンラジオの今回のエピソードでは、老人の扱いは社会階層、富の蓄積、宗教・文化、社会の反復性、人数の割合、若者との関係という6つの因子の絡み合いで決まり、共通の傾向はないことが示されました。そこから、「老人」という粗いカテゴリーそのものを見直す必要がある、という気づきにつながっています。
- 老人の扱いに共通の傾向はなく、複数の因子が社会ごとに異なる配分で絡み合った結果として決まる
- 富を蓄えられる社会や、同じことが繰り返される社会では、老人が権威を持ちやすい
- 老人が権力を持ったり人数が増えたりすると、若者からの反発や揶揄が生まれやすい
- 老人というカテゴリーは社会が年齢区分で作ったもので、正反対の面を1つにまとめた粗い区分だった
- アクティブな老人像を打ち出すだけでは新たな押し込みが生まれるため、より高い解像度での捉え直しが求められる





