老いと死は関係ない?三部作で見えてきた前提のずれ
コテンラジオの今回のシリーズは「老いと死の歴史」です。深井さんによると、もともとは「老いと障害の歴史」として調べ始めたものの、老いと障害は別のものだと気づいたといいます。
その結果、この企画は三部作になりました。1つ目が今回の老いと死の歴史、2つ目が障害の歴史、3つ目が社会福祉の歴史で、障害と社会福祉についてもすでにかなり調べ終えているそうです。
さらに深井さんは、老いと死もあまり関係がなかったと話します。昔は若くても死ぬのが当たり前だったため、「老いるから死ぬ」という感覚そのものが薄かったというのです。
老いるから死ぬとかじゃなくて、死と老いるが関係ない認知で捉えられてるんで、これも僕たちのバイアスだったことが調べながら気づいてきたみたいな。
え?でも老いたら死にますよね。
関係ないんですよ。老いなくても死ぬんですよ、人間。
深井さんの説明では、老いる前に死ぬ人が多い社会では、人生の終末期を目にする機会のほうが少なかったといいます。樋口さんは「言われりゃわかるんですけど」と、まだ腑に落ちない様子でした。
なぜ「老い」の歴史は研究が少ないのか
深井さんが最初に断っておきたいと話したのは、人文学の領域で老いを扱った研究が世界的に少ないという点です。文献自体が少なく、文学作品や神話から老人の扱いを推察するような資料も多かったといいます。
そのため今回の内容は、研究が進めば簡単に覆されるかもしれない、と深井さんは前置きしています。楊さんも、老いの研究は医学や福祉の領域に偏っていて、人文学的な研究は意外に貧弱だったと補足しました。
これ本当はだから人文学に投資するってこういうのが研究されるってことなんだよね。
一方で、現代の日本にとって老いは切実なテーマです。深井さんは、日本の65歳以上の人口が29.1%と3割近くに達し、2040年には35%まで伸びるといわれていることを紹介しました。
平均寿命についても、2019年時点で男性81.4歳、女性87.5歳という数字が挙がります。深井さんは、これは2019年に生まれた赤ちゃんが平均で何歳まで生きるかの推計だと補足しています。
こうした高齢化によって、老年期の生きがい、年金、高齢者介護、そしてエイジズム ── 年齢を理由にした偏見や差別のこと。高齢者に対するものが代表的ですが、若さを理由にした差別を含めて使われることもありますといった課題が社会問題として意識されている、と深井さんは整理しました。
老いることができる生物は、実は少ない
楊さんは、老いには人間にとって避けられないという特徴があり、多くの人は自分がいずれ老いると思いながら生きている、と話します。そのうえで、実は老いることのできる生物は少ないと指摘しました。
例として挙がったのがセミとシャケです。セミは夏が終わると死に、シャケは川をさかのぼって卵を産むとすぐに死んでしまいます。どちらにも「老いる」というプロセスがありません。
楊さんによれば、野生動物は体力が落ちると天敵に襲われたり、暑さ・寒さ・飢えにさらされたりして、老いる間もなく死んでしまいます。例外は、ペットや動物園の動物のように、人間がつくった環境で暮らす動物だけだといいます。
自然淘汰の圧が強く、体力が落ちると天敵や飢えで死ぬため、老いる前に命が尽きる
ペットや動物園のように自然淘汰の圧が軽減され、動物も老いることができる
しかも人間が接するのってそういう動物が多いから、動物って普通に老いるよねっていう感覚やったんですけど、いきなりもうバーンってやられてます。
深井さんは、この話から「老いと死はあまり関係ない」という冒頭の主張がわかりやすくなると続けました。老いてから死ねる環境ができたのは、人間にとっても結構最近だというのです。
老人を決めるのは年齢ではなく「働けるかどうか」
次に深井さんが投げかけたのは、人類は何をもって人を老人と認識してきたのか、という問いです。答えは、一部の貴族社会などを除き、ほとんどの時代で人は年齢によって老人かどうかを決めていなかった、というものでした。
戸籍管理がない社会では、そもそも人の年齢を正確に把握していません。そうした社会で老人かどうかを分けていたのは、体力的に仕事ができるかどうかだったと深井さんは説明します。
だからずっと働いてたら、農作業とかずっとできてるんだったら別に老人扱いされないし、それで働けなくなれば急に扱いが変わっていくみたいな。
一方で、昔にも年齢的な高齢者はいました。深井さんは、紀元1世紀のローマ帝国では人口の6〜8%が60歳以上だったといわれていると紹介しています。文明化されていない土地では、この割合はもっと低かっただろうとも話しました。
年齢ではなく体力で決めるということは、個人差がとても大きいということでもあります。40代でひどく老いていると見なされる人もいれば、70代や80代でも元気に働いていて老いて見えない人もいる、と深井さんは言います。
ほんとや。俺ここスタジオ4階なんすけど、もう上がってきた時喋れないぐらい息切れして。その区分でいうともう俺老いてますね。
老い始めてる。まだでも働けるんで。
聖女と呼ばれる老女、絞め殺される老人。社会ごとの扱いの差
老人の扱いに大きな個人差があったことを示すため、深井さんはいくつかの地域の例を紹介しました。ただし冒頭の前置きどおり、どこまで正確かはわからない、と断っています。
6〜10世紀のトルコ・モンゴル系の人々では、一部の老女が聖女と呼ばれ、最高神も老いた姿で語られていたといいます。その一方で、健康な老人だけが尊敬され、残りの老人はなおざりにされたり、場合によっては捨てられたり絞め殺されたりしていたそうです。
老人だからどうっていう扱い方は誰もしてないんですよ。この人がどんな人か、どういうことができる人かによって扱いが分岐してるっていう、めちゃくちゃ当たり前の話なんだけど。
ほかの地域でも、老人の扱いは一律ではありませんでした。深井さんが挙げた例を並べると、次のようになります。
| 地域・時代 | 重んじられた老人 | そうでない老人 |
|---|---|---|
| 6〜10世紀のトルコ・モンゴル系 | 一部の老女は聖女と呼ばれ尊敬された | なおざりにされ、捨てられたり絞め殺されたりした |
| サブサハラアフリカの部族 | 2、3人が神と霊に次ぐ地位で神聖視された | 排除されていた |
| ナイジェリアのティ部族 | 知識と能力を持つ老人が権威を持った | 丁寧に扶養されるが無価値と見なされた |
| 10〜12世紀のヨーロッパ中世 | 宗教の領域で重要なポストを占めた | 身分の低い老人は若者の言いなりだった |
中世ヨーロッパでは、9世紀のマルセイユの記録で、貧しい農民でも成人の11%以上が60歳を超えていたそうです。それでも一般の老人についての記述はほとんどなく、社会的に問題として切り出されていなかったと深井さんは見ています。
ケルト人やゲルマン人の法律には、父親の体力が衰えるとその権威が消滅するという慣習があったといいます。体力を失った父親の扱いは、周囲の意向に任されていました。
宗教界では年齢が上の人が地位を占める傾向があり、年齢が分かっている教皇19人の就任時の平均年齢は54.3歳でした。深井さんは、変化が少なく同じことを繰り返すストック型の社会ほど年長者が有利になると話し、宗教がまさにそれにあたると説明しています。
樋口さんが「神様といえば白ひげのおじいちゃん」と話すと、深井さんは、尊敬すべき対象が若者として描かれるか老人として描かれるかも社会によって違うと返しました。ただし全体としては、肉体が衰える老いそのものには、どの社会もネガティブな感情を持っていたそうです。
閉経で「老い」とされた女性たち
深井さんによると、ヨーロッパでは一般的に、女性は閉経すると年寄りとして扱われるようになったといいます。出産という人生の主要な機能を果たせなくなったと見なされたためです。アジアについては、調べた限りデータが見つからなかったそうです。
興味深いのは、閉経によって逆に得られる権利もあったことです。女人禁制の場に閉経後なら入れる例があり、ランバ族では閉経を過ぎた女性が男のサークルに入り、部族の問題解決に関わることを認められていたといいます。
これは権利逆に獲得してますね。
楊さんは、障害の歴史を調べた際にも、古代メソポタミアでは子どもを産めない女性が障害者として扱われていたのではないかという考察があったと補足しました。出産できるかどうかは、昔の人々にとって重要な物差しだったといえます。
深井さんは、文学作品の中でも老女の扱いが不遇だったと話します。グリム童話などでは女性自体の扱いが悪いうえに、老女になるとさらに扱いが悪くなる傾向があったと、参考にした本に書かれていたそうです。
年齢で人生を区切り始めたのは中世キリスト教だった
では、年齢で老人を区分するようになったのはいつからなのか。深井さんによれば、社会全体で一般化したのは年金が登場した1950年頃で、今からおよそ70年前のことだといいます。
ただし、一部の特権階級を年齢で区切ることは、ヨーロッパでは中世のキリスト教社会から行われていました。その土台になったのが、キリスト教の中にあった、人生をいくつかの区切りで考える発想です。
深井さんが紹介したのは、スペインのセビリアのイシドルス ── 6〜7世紀に活躍したセビリアの大司教。百科全書的な著作『語源』で知られ、中世ヨーロッパの知識の土台に大きな影響を与えた人物ですが広めた、人生を5つに区切る考え方です。7歳までが幼年期、14歳までが少年期、21歳か28歳までが青春期、45歳ぐらいまでが青年期、70歳ぐらいまでが壮年期、という区切り方が上流階級に広まりました。
そこに、世界がそろそろ終わるのではないかという終末的な考え方と、自分個人を救済してほしいというニーズが重なります。人生の最後が近いと感じた上流階級の人が、多額の寄付をして修道院に入り隠遁する風習が生まれました。
年齢で人生を区切る発想
キリスト教の中に、人生を年齢でいくつかに区切る考え方があった
終末思想と救済の願い
世界が終わるかもしれないという考えから、個人的な救済を求めるニーズが高まる
修道院への隠遁
上流階級が多額の寄付をして、人生の区切りで修道院に入り、神に近づこうとする
引退概念の誕生
老いたから引退するという概念が、ヨーロッパで初めて社会に実装される
年齢で区切らないとそれができなかったから年齢で区切る必要があったっていうことになるんですかね。
逆ですね。年齢で区切り始めたから、こういう概念が出てきたってことをこの本では紹介されているわけです。
深井さんは、修道院の生活の中で初めて「老人だけの世界」ができたと話します。大家族の中に老人も子どももいるのがホモ・サピエンスの基本的な習性で、ある年齢の人だけを集めて別の生活を送らせることはそれまでなかったといいます。
樋口さんは、教育の歴史の回で扱った「子どもの発見」に似ていると反応しました。この風潮は8世紀から徐々に広まり、カロリング朝 ── 8〜10世紀にフランク王国を治めた王朝。カール大帝の時代に最盛期を迎え、現在のフランスやドイツ、イタリアにまたがる地域を支配しましたの時代に最高潮に達したそうです。
フルダ、コルベイ、サンギャル、レシュノといった大修道院には高齢者用の宿舎があり、裕福な隠遁者が修道士とともに人生を終えていきました。一方で庶民は、この時代も年齢で人生を区切ることはなく、働けなくなった人は不遇な状態にあったと考えられています。
人が衰える年齢は、昔も今も60〜70歳
年齢で区切っていなかったとはいえ、肉体が衰える時期には傾向がありました。深井さんによると、全文明を通して見ると、平均で60〜70歳ぐらいで肉体が衰え、老人として扱われるようになっていったそうです。
深井さんは、個人差がとても大きいという話と矛盾しないように補足しています。扱いは個人や社会によって分かれていたものの、その中央値をとると60〜70歳ぐらいで働けなくなる人が多かった、という意味です。
昔は30歳ぐらいとか45歳ぐらいになって、それで60歳ぐらいになったのかなって僕も思ってました。そしたら昔から、昔から60から70ぐらいだったそうです。
幼児死亡率や病気による死亡率は高かったものの、それを生き延びた人にとっては60〜70歳が転換点になっていた、と深井さんは紹介します。医学的なことはわからないので断言はできない、とも付け加えました。
楊さんは、日本でも老いと捉える年齢はほぼ重なると補足しています。律令 ── 古代の東アジアで整えられた法体系。律は刑罰、令は行政のルールを定め、日本では7〜8世紀に中国にならって導入されましたでは65歳以上、医学書では60歳以上、平安時代の宮廷儀式の文脈では50〜60歳が老年のゾーンとされていたそうです。
深井さんは、律令制が機能していた日本や、官僚制を敷いていた中国・朝鮮では、戸籍で年齢を管理していたため年齢区分があったと考えられると話します。ただし、これも研究が少なくよくわからないそうです。
楊さんによれば、中国から日本に移植された算賀 ── 長寿を祝う儀礼。日本では奈良・平安時代の貴族社会で行われ、40歳から10年ごとに祝うのが通例とされましたというお祝いは40歳で祝うもので、老いの始まりにあたるといいます。深井さんは「僕もあと少しですね」と笑いました。
楊さんは、昔の人が老いを理解していなかったわけではないとまとめています。老いは老いとして観測されていたものの、それを社会的事実として管理し、扱いを変えることはあまりしていなかった、ということです。
僕ら結構人生50年みたいな言葉があったから、もう50で死ぬから45半老いみたいな感じで。ストレッチするような感覚なんですよね。
引退と年金は、どう庶民まで広がったのか
ヨーロッパでは、上流階級だけのものだった引退の考え方が、17世紀ごろには裕福な農民にも広がります。60歳頃に相続をして引退する、ということが行われ始めました。
それでも深井さんは、裕福な農民を含めても過半数には届かず、多くの人は相変わらず個人差のある認識をしていただろうと見ています。
フランス革命の時期には、人権の考え方を背景に、老人の社会保障を法制化しようという気風が生まれました。しかし国家財政に占める軍事支出の圧力が大きく、実際にはほとんど実行されなかったそうです。
19世紀にはビスマルク ── 19世紀プロイセン・ドイツ帝国の政治家。ドイツ統一を主導し、首相として疾病・災害・老齢の社会保険制度を世界に先駆けて整えましたが老人への金銭的援助を国家政策として打ち出しました。深井さんは、ビスマルクが「なぜ労働の戦士たちが公務員のように年金をもらえないのか」と語った言葉を紹介しています。
ビスマルク以降、ほとんどの先進諸国で年金制度が導入され、国民全体に行き渡ったのが1950年頃以降です。一方、東アジアでは官僚制のもとで、かなり早い時期から年齢区分が行われていたと考えられるといいます。
楊さんは、老いの中心には生産や再生産ができるかどうかという基準があったと整理しました。国民国家の誕生とともに、働けない人を社会的に救済する考え方が生まれ、それを行政サービスとして届けるために年齢区分が重要になった、という流れです。
「アラサー」「40歳までに年収」は本当に必要な区切りか
深井さんが最後に強調したのは、聞き手自身の認知バイアスに気づいてほしいという点です。アラサー、アラフォー、アラフィフといった言い方も、年齢で人を区切る社会だからこそ生まれたものだといいます。
年齢区分をするというのは当たり前ではなかった。でも我々はそれを聞いたらそれはそうだろうと思いながら、めちゃくちゃ年齢で区分してるわけです。
精神的にも肉体的にも、衰えには個人差があります。深井さんは、中世の人から見れば、現代人は「なぜそんなに年齢にこだわるのか」と不思議に思われるかもしれないと話しました。
樋口さんが「ものさしとして使いやすい」と応じると、深井さんは一律化しやすいのは確かだと認めつつ、本来は一律ではないと返します。深井さん自身、30歳になったからどうと考えていたことに、本を読みながら気づいたそうです。
楊さんは、年金などの社会保障政策に加え、19世紀後半に知能の発達段階がわかってきたことや、誕生日を祝う習慣の定着も、暦年齢で人を判断する傾向を強めたと補足しました。その結果、一定の年齢を過ぎた多くの人を「老人」というカテゴリーに押し込むことが社会的に起きたといいます。
深井さんは、年齢区分には良い面もデメリットもあると話します。樋口さんも、20代向けと40代向けで手法が違うマーケティングのように、年齢で分けると結果が出やすい場面があると指摘しました。
次回は、社会が老人と見なした人をどのように扱ってきたのか、その分岐をたどる予定です。
まとめ
この回では、多くの社会で老人かどうかは年齢ではなく「働けるかどうか」で決まり、扱いにも大きな個人差があったことが語られました。年齢で人を区切る発想は歴史的には特殊で、中世キリスト教の上流階級から始まり、年金制度を通じて1950年頃以降に一般化したといいます。
- 野生動物はほとんど老いる前に死に、老いてから死ねる環境は人間にとっても比較的最近のもの
- 老人の扱いは社会や個人の能力によって大きく分かれ、尊敬される人もいれば捨てられる人もいた
- 肉体が衰える年齢は昔も今も60〜70歳ほどで、大きくは変わっていないとされる
- 年齢による区分は、修道院への隠遁と、国家が社会保障を届ける必要から広がった
- アラサーや「40歳までに」といった年齢の物差しも、現代社会ならではのバイアスかもしれない





