裕福な商人カーストに生まれた引っ込み思案の少年
ガンディー編第2回は、ガンディーがどのように生まれ育ったかを幼少期からたどる回です。深井さんはまず、晩年のガンディーが大勢の前で原稿なしに2時間も話していたことを紹介します。
ところが若い頃のガンディーは、恥ずかしがり屋で引っ込み思案、人前ではほとんど何も話せない人だったといいます。この落差が、今回の話全体を貫くテーマになっていきます。
ちっさい頃というか、若いところぐらいまで、恥ずかしがり屋、引っ込み思案、もう何も喋れないっていう人だったんです。
ガンディーは兄弟の末っ子で、真面目なタイプでした。自伝では謙遜していますが、深井さんによれば成績は実際には結構良かったようです。
ガンディーの家は裕福で、インドのカースト制度 ── インドの伝統的な身分制度。司祭のバラモン、王侯・武士のクシャトリヤ、庶民・商人のヴァイシャ、隷属民のシュードラという4つの区分を基本としていますでは上位のヴァイシャ ── カースト制度の上から3番目の身分。商人や農民などが属するとされますにあたる商人カーストの生まれです。父親は尊敬を集める人物で、地方行政の大臣のような役職を代々務めていたといいます。
ちょっとしたボンボンですよね。
母親は敬虔なヒンドゥー教徒で、断食もよく行っていたそうです。深井さんは、ガンディーがこの母親の影響を強く受けているだろうと見ています。
タバコと肉食、少年ガンディーの「やんちゃ」と告白
真面目なガンディーにも、晩年の姿からは想像しにくいやんちゃな時期がありました。子どもの頃からタバコを吸っていたガンディーは、タバコを買うお金がなく、使用人からお金を盗んだといいます。
さらに、ガンディーの家は宗教上の理由で肉を食べない菜食の家でしたが、少年ガンディーは肉を食べてしまいます。現代の感覚ではピンとこなくても、当時の家族からすれば卒倒しかねない重大なルール違反でした。
非暴力・不服従・非禁煙、非禁煙じゃないですか。
それでもガンディーには良心がありました。お金を盗んだあと良心の呵責に耐えられず深く反省し、父親に手紙のような形で打ち明けます。
父親はガンディーの告白に対して「よくぞ言ってくれた」という趣旨の言葉を返したそうです。ガンディーはこの体験から、悪いことをしても正直に言ったほうがいいと学びます。深井さんは、この父親に恵まれていたと評しています。
過ち
タバコのために使用人のお金を盗む
反省
良心の呵責に耐えられず深く反省する
告白
父親に手紙などで打ち明ける
学び
父の言葉から、正直に言うことの大切さを知る
13歳の結婚と、妻カストゥルバへの嫉妬
ガンディーは13歳で結婚します。早く感じられますが、当時のインドでは幼児婚 ── 子どもの年齢のうちに結婚させる慣習。当時のインドでは広く行われていましたと呼ばれる慣習として普通のことでした。
妻の名前はカストゥルバ(カストゥルバイとも呼ばれる)で、深井さんは、このガンディー編のキーパーソンの一人だと紹介します。
自分が13の時だってめちゃくちゃ子供だったじゃないですか。
性に目覚める年頃に結婚したガンディーは、とても嫉妬深い夫だったといいます。妻のカストゥルバを外に出さないよう軟禁し、ある程度の暴力も振るっていたそうです。
クズ人間や。クズ人間やガンディー。
ただし深井さんは、当時の社会では女性の立場が非常に低く、その中ではガンディーはむしろ優しいほうだっただろうと補足します。そしてガンディー自身がこうした過去を自伝で赤裸々に語っている点にも触れています。
大学中退、家族を置いてのイギリス留学
ガンディーはもともと医者を目指していましたが、成績が振るわず途中でやめてしまいます。その後、家のメンター的な宗教系の人物から、これからの時代は弁護士がいいと勧められ、イギリス留学を決めます。
楊さんによれば、ガンディーはそれ以前にインド国内の大学に合格して通ったものの、英語の授業についていけずドロップアウトしていました。
でも大学の英語の授業に全然ついていけなくてドロップアウトするんですよ。だから結構負け犬なんですよね。
当時のインドはイギリスの植民地で、宗主国の法律を学ぶことは強みになりました。一方で留学には多額の費用がかかり、ガンディーは妻の宝石をすべて売らせるなど、家族に負担をかけてお金を工面します。
深井さんは、ガンディーには肩身の狭いインドから逃げたい気持ちもあったのだろうと推測します。このときすでに子どももいましたが、ガンディーは妻と0歳の子どもをインドに残してロンドンへ向かいました。
今んとこ1個もすごくないし、いいとこ1個もない。
残された妻のカストゥルバは夫の実家で暮らしており、周りは夫の家族ばかり、夫は不在で生活費も送られてこない状況でした。この話に、楊さんと深井さんはそろって「自分も人のことを言えない時期があった」と妻への謝罪と感謝を口にしています。
イギリスで「紳士」を目指し、3カ月でやめた理由
イギリスでのガンディーはまず食事に苦労します。肉食文化のイギリスで「肉を食べなければ死ぬ」と言われても、かつて肉を食べて強い良心の呵責を覚えた経験から、菜食を律儀に守り続けました。
引っ込み思案な性格も問題でした。英語を覚えなければならないのに家からあまり出ず、渡航中の船でも部屋にこもって、先輩から外に出て人と交流するよう説教されたといいます。
ロンドンに着いたとき、インドの服装をしている人が一人もいなかったことで、ガンディーは急に恥ずかしくなります。そこからイギリス人らしくなろうと、スーツを買い、社交ダンスやバイオリン、さらに英語もおぼつかないのにフランス語まで習い始めました。
エリート目指すぜって。俺これでいっぱしのエリートだっていう。
ところがガンディーは、フランス語もバイオリンも社交ダンスも3カ月ほどでやめてしまいます。深井さんは、その理由がポジティブなものだったと強調します。
彼はその彼らイギリス人になろうって思ってそれやったんだけど、気づくんですよね、途中で。なれない。自分は自分のまんまいるべきだっていうことに気づいて。
ガンディーはマナーは身につけつつ、相手に過度に寄せることはやめ、自分自身に忠実であろうと決めたといいます。深井さんはこの点を、ヒトラーとはまったく違うところだと語っています。
インドの服装を恥じ、スーツ・社交ダンス・バイオリン・フランス語でイギリス人になろうとする
3カ月ほどでやめ、マナーは身につけつつ自分自身に忠実であろうと決める
菜食コミュニティと宗教との出会いが芽生えさせたもの
ロンドンでは肉汁が少し入った料理も食べられなかったガンディーは、やがて自分で料理を作り、さらに菜食主義者のコミュニティを作ります。深井さんによれば、ガンディーはここでコミュニティ運営を学び、のちに多くのコミュニティを作る際に生かしていきます。
勉強も真面目に続ける一方で、ガンディーはこの時期にさまざまな宗教に関心を持ち、聖書を読んだり、おそらくコーランも読んだりしていたといいます。
ガンディーがバガヴァッドギーター ── 古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』の一部をなす聖典。ヒンドゥー教で最も重要な経典の一つとされますに出会ったのもロンドン時代です。西洋人がヒンドゥー教を学んで作った新興宗教的な団体(深井さんは「セオロフィスト」と表現)の会合でこの聖典を知り、強い感銘を受けました。
海外に行って初めて自分のアイデンティティと向き合う機会を得たんですよ。
ガンディーは最初のうち、インドに帰りたくてたまらず、大いに迷ったそうです。それでも耐えて留学を続けました。
一回外に出ることによって、多様性を認識することによって、自分のルーツみたいなものに向き合えたっていうことですね。
深井さんと楊さんは、ガンディーが生まれ育った土地の周りにもシーク教徒、キリスト教徒、イスラム教徒がいたと補足します。商人コミュニティにさまざまな国の商人が出入りする開かれた環境が、ガンディーの多様性への寛容さにつながったのではないかと見ています。
ガンディーは新約聖書 ── イエスの生涯や教えを記したキリスト教の聖典の、殴られたらもう片方の頬を差し出せという教えにも強く感銘を受けました。深井さんは、この時点で非暴力の思想が芽生え始めたと語ります。
バガヴァッドギーター自体は、親戚同士の戦争に悩む人に「ちゃんと戦え」と説く内容でもあります。それでもガンディーは、自分とみんなは一緒だという考え方など、非暴力につながるエッセンスをそこから抽出していきました。
弁護士資格取得と、スピーチで頭が真っ白に
ロンドン時代のガンディーは、まだ独立運動など考えておらず、普通に弁護士になろうとしていました。ロンドンに来て3年で、ガンディーは弁護士資格を取得します。
深井さんによれば、当時の弁護士資格は合格率が90何パーセントというとても簡単なものだったそうです。樋口さんは、吉本NSCの合格率とあまり変わらないと笑います。
帰国前、ガンディーは自分が作った菜食主義者のコミュニティで最後の挨拶をすることになります。原稿まで用意したものの、本番では上がってしまい、話す内容がすべて飛んで「ありがとうございます」とだけ言って終わったといいます。
それ肉食ってないからじゃないですか。
楊さんは、ガンディーのこの姿がすぐにイメージできると話します。経典を読んで深く感動し、そこからエッセンスを抽出できる繊細な人ほど、人前では上がってしまうのではないかという見方です。
インプット力が超強いけど、アウトプット力がそんなにないみたいな。でもインプット力って大事であるということは、この後この人の人生で分かってきますよ。
帰国後の弁護士ガンディー、法廷から逃げ出す
弁護士資格を取って帰国したガンディーを待っていたのは、母親の死でした。父親もすでに亡くなっていましたが、母親の死は知らされていなかったのです。
家族がガンディーに母親の死を伝えなかったのは、仲が悪かったからではありません。知らせれば心配して帰国してしまうかもしれず、遠いイギリスにいてはどうにもできないため、悲しませまいとして黙っていたといわれています。
悲しみを乗り越えたガンディーはインドで弁護士として働こうとします。しかし地元は田舎で仕事がなく、大都市ボンベイに出ても、話すのが苦手なガンディーはなかなか仕事をもらえませんでした。
ようやく受けた簡単な訴訟でも、ガンディーは反対尋問で頭が真っ白になり、一言も話せなくなります。メモを用意しても読めないほど上がってしまい、結局裁判の途中で抜けてしまいました。
弁護士で喋るの下手くそって結構致命的。
弁護士は無理かもしれないと考えたガンディーは、英語教師になろうとしますが、その面接にも落ちてしまいます。深井さんは、晩年のガンディーがイギリスの閣僚会議のような場に出ていたことに触れ、最初はこんな状態だったと対比してみせます。
兄の訴訟を悪化させた20代前半のどん底
帰国後のガンディーは、妻の宝石を売らせ、兄から借金をして留学した身でした。借金を返すために就職しなければならないのに仕事ができず、妻と子どもも途方に暮れる状況です。
私たちのあの時間は何だったのと。
そんな中、立派な職に就き、ガンディーにお金も貸していた兄が、ある人から訴訟を起こされます。兄は弁護士資格を得て帰ってきた弟に助けを求めますが、ガンディーは逆に事態を悪化させてしまいました。
兄も呆れ、周囲は絶望的な状態になります。このときガンディーは20代前半で、深井さんは、誰からもそれほど尊敬されていなかっただろうと話します。
20代前半まで。今1個もないですよ。いいところ。
樋口さんが挙げた唯一の「いいところ」は、父親に罪を告白したことでした。深井さんは、この青年が将来、暴力を使わない独立運動を展開することこそ歴史のすごさだと語ります。
影響力の大きい人ほど大器晩成?
樋口さんは、ガンディーの若き日の話に勇気が出ると言います。今25歳でうまくいっていない人でも、まだガンディーのようになれる可能性があるという受け止め方です。
深井さんは、歴史を学んでいるとよくわかることとして、影響力が大きい人ほど大器晩成だと語ります。
深井さんによれば、20代や30代で成功してそのまま進む人は歴史上の割合としては少数です。若い頃は全然ダメで、30〜40代に苦労し、50〜60代で開花する人のほうが強く、ガンディーもそのタイプだといいます。
若い頃の成功がもてはやされがちな文化に対して、深井さんはインプットが大事でアウトプットは後でいいと、歴史から見た視点を示します。
勇気もらってください。こういうの勇気もらうのが一番いい学び方です。
樋口さんが「苦労したくない」とこぼす一幕もありつつ、回は、ガンディーがこのしょうもない過去からどう羽ばたいていくのかという期待を残して締めくくられます。
まとめ
ガンディー編第2回では、晩年の偉人像からは想像しにくい、やんちゃで引っ込み思案、失敗続きの若き日のガンディーが描かれました。一方で、正直な告白、自分に忠実であろうとする決断、宗教への深いインプットなど、のちの非暴力思想につながる芽もこの時期に見えています。
- ガンディーは裕福な商人カーストに生まれ、子どもの頃はタバコや肉食などのやんちゃもしたが、父への告白から正直さを学んだ
- 13歳でカストゥルバと結婚し、嫉妬から軟禁や暴力も振るったことを、自伝で赤裸々に語っている
- ロンドン留学ではイギリス人になろうとしたが3カ月でやめ、自分に忠実であろうと決め、宗教との出会いで非暴力の芽が生まれた
- 帰国後は法廷で話せず、教師の面接にも落ち、兄の訴訟を悪化させるなど、20代前半はどん底だった
- 深井さんは、影響力の大きい人ほど大器晩成であり、インプットを大事にすべきだと語った



