玄奘が生きたのは、どんな時代だったのか
この回は、三蔵法師玄奘が活躍した中国の時代背景を知ることから始まります。深井さんによると、玄奘は世界が古代の終わりを迎え、中世へ突入していく境目にいた人物です。
同じ頃の日本では聖徳太子が活躍し、小野妹子が日本から隋へ渡っています。深井さんは、小野妹子が隋に行ったのは玄奘がだいたい10代の頃だろうと話しています。さらに西のほうでは、ムハンマドがいた時代にあたるそうです。
深井さんの説明では、仏教が中国に伝わったのは後漢王朝の時代で、インドから入ってきました。ただし当時の中国は儒教を国教としていたため、仏教はまだ中心の宗教ではありませんでした。
仏教と、老子の流れをくむ道教 ── 中国古来の民間信仰や老荘思想をもとに成立した宗教。不老長生や神仙思想を特徴とし、仏教と並んで中国社会に浸透しましたは、どちらも民間宗教として少しずつ中国社会に浸透していきます。そして久しぶりに中国を統一した隋が仏教を保護し、仏教が栄えていくなかで玄奘は生まれました。
国として仏教を押していくんだ。
押していきます。っていうところらへんで(玄奘は)生まれてる。
戦乱と異民族の時代に、なぜ仏教が選ばれたのか
仏教の説明を引き継いだ楊さんは、まず漢の滅亡後の流れを振り返ります。三国時代のあと晋に変わり、その後の中国は長い戦乱の時代を迎えたといいます。楊さんはこの状況を、今の中東のようだと表現しています。
楊さんによれば、この五胡十六国時代 ── 4世紀から5世紀にかけて、華北で遊牧系の諸民族などが次々と国を建てた分裂の時代。その後、南北朝時代へと続きますは国がいくつにも分裂し、南北にも分かれた時代でした。漢民族は中国の南へ追いやられ、北には遊牧民などの異民族がどんどん入ってきます。
(この時代は)今まで漢民族がメインだったこの中国という土地に、いろんな異民族がバンバンバンバン入ってきて、国をポンポンポンポン建てるんですよね。
楊さんは、この混乱を「文化の多様性が増えた」とも言い換えられると話します。そしてこの多様性こそが、中国で仏教が広まっていく土壌になったといいます。
楊さんが注目するのは、漢王朝と隋・唐とでは、中国を統一するための国家的な課題がまったく違ったという点です。
漢民族をちゃんとまとめればよかった
異民族も含めた多民族国家をまとめる必要があり、互いの取引コストも高かった
多民族をまとめる共通言語として隋・唐が選んだのが、仏教でした。楊さんは、国を統治するときに共通の価値観のシステムをどこに置くかは、歴史の上でも非常に大事だと強調します。例として挙げたのは日本の明治維新で、天皇という共通の価値システムを見つけて国民がまとまったことが成功の理由だと語っています。
では、なぜ仏教だったのか。楊さんによると、インドではもともとバラモン教 ── 古代インドで成立した、ヴェーダを聖典とする宗教。祭司階級バラモンを頂点とし、後のヒンドゥー教の土台となりましたがベースにあり、その流れからヒンズー教や仏教、ジャイナ教が生まれました。これらの教義には共有する部分がものすごく多かったといいます。
(遊牧民たちも)どれかを何か大事にしたりとか信じていた部分があるので、仏教という共通の価値システムを使えば、統治コストが結構下がったんですよね。
楊さんは、仏教圏と当時の唐の領域がかなり重なっていることも影響しているのではないかと見ています。また、仏教が伝わったのは後漢でも、実際に民間へ広まったのはこの長い戦乱の期間でした。現世がつらいからこそ救いを求めるという、宗教的なニーズもあったと話されています。
釈迦の死後、仏教はどう分裂し大乗仏教が生まれたのか
楊さんは続けて、釈迦が亡くなったあとの仏教の歴史を説明します。楊さんいわく、これを知ると「世界が全然違って見える」ほど、多くの人が知らない話です。
釈迦が唱えたもっともオリジナルな仏教は、原始仏教と呼ばれます。釈迦の死から100年ほどたつと、教義の解釈をめぐって弟子たちが議論で分裂し、上座部仏教 ── 保守派の流れをくむ仏教。現在はスリランカや東南アジアに広く伝わっていますと大衆部の2つに分かれました。
楊さんが紹介した争点の1つが、信者からお金をもらってよいかどうかです。釈迦は修行中にお金を受け取らず、もらってよいとも言っていませんでした。保守派は「絶対にもらってはいけない」と主張し、改革派はお金も食べ物と同じ浄財であり、仏教を広げるための資金になると考えました。
どっちもわかるな。
仏教の分裂はさらに進み、最終的には18から20ほどの流派に分かれます。この時代を部派仏教と呼び、各派が1つの教義をめぐって、ときにはけなし合いまでする激しい議論を繰り広げたといいます。
そこに現れたのが、ヨガを実践していた一派でした。楊さんによると、ヨガはもともと心を静かに見つめて掘り下げ、悟りに至るための修行方法です。この一派が、難しい議論ばかりする部派仏教の人々を批判します。
この問題意識から生まれたのが、歴史の教科書にも登場する大乗仏教です。民衆を救うための仏教に立ち返ろうという呼びかけが、大乗仏教の出発点だったと楊さんは説明しています。
原始仏教
釈迦が唱えたオリジナルの仏教
上座部と大衆部
死後100年ほどで、お金を受け取るかなどの教義の解釈をめぐり2つに分裂
部派仏教
18〜20ほどの流派に分かれ、エリート的な議論が激化
大乗仏教
ヨガを実践する一派から、民衆を救う本来の姿へ立ち返る動きとして誕生
大乗仏教の改革の1つ目は、たくさんの仏を生み出したことです。原始仏教や部派仏教では仏は釈迦ひとりでしたが、大乗仏教には阿弥陀如来や薬師如来など多様な仏がいます。楊さんは少し俗っぽい例えだと断りつつ、いろんな信仰のニーズを拾うために「いろんなプロダクトを出した」と表現しています。
2つ目の改革は、修行のハードルを下げたことです。原始仏教も部派仏教も、個人が悟りに至ることを主眼にしていました。しかし誰もが苦行や長年の瞑想をできるわけではありません。
みんながみんな悟りを開いて仏にならなくてもいいんだという、(中略)仏になるための修行をしていれば救われるよということなんですよね。
楊さんによると、悟りに至っていない修行中の人を菩薩 ── 悟りを求めて修行する者のこと。大乗仏教では、自らの悟りだけでなく他者の救済を目指す存在として重視されますと呼ぶ考え方が持ち出され、大乗仏教が中国や日本で民衆に一気に広がる要因になりました。誰でも菩薩になれる、すでに心の中に仏がある、という考え方もあるといいます。
玄奘はこの大乗仏教の僧侶でした。楊さんは、当時の仏教思想の最先端である大乗仏教のなかでも、さらに最先端の思想である唯識をインドから持ち帰ることが、玄奘の旅のいちばん大きな目的だったと話しています。
深井さんの説明では、こうした仏教哲学は外国人が中国語に訳していたものの、それでは正確ではないと考えられていました。正しく学ばなければ広まらないし、研究もできない。そのために玄奘はインドへ学びに行ったといいます。唯識の詳しい中身は、次回に持ち越されました。
僧侶は公務員だった?国家事業としての仏教
楊さんは次に、中国の国家にとって仏教が何だったのかを説明します。楊さんによると、当時の仏教は国家事業であり、個人が勝手に僧侶になれるものではありませんでした。
お坊さんになるために皇帝の許可が絶対いるんですよ。絶対います。
深井さんが「公務員に近い」と受けると、楊さんは「公務員です」と答えています。日本でも仏教は伝来当初、民間宗教というより国の政策として、護国仏教 ── 仏教の力で国家の安泰を守ろうとする考え方。日本でも奈良時代の国分寺建立などに表れていますの形で入ってきたと楊さんは説明します。
楊さんは、隋・唐が仏教を取り入れた理由を2つに整理しています。1つは、病気や国の乱れといった災いの原因と考えられた、鬼神と呼ばれる不吉なものから国を守るためです。もう1つは、先に話した通り、多民族国家を統治する共通の価値基盤とするためでした。
災いの原因とされた鬼神を避け、国を守る安全保障政策
多民族国家をまとめる共通の価値基盤
さらに楊さんは、国を守ることは皇帝を守ることと同じだと付け加えます。国を守るという建前の一方で、皇帝自身や家族の身に最悪の事態が起きるのを避けたいという目的もかなりあったといいます。
玄奘もまた、こうした国の政策と密接に関わる立場でした。楊さんによると、玄奘は最初から公務員的な立ち位置で、民衆への説法よりも学術的な研究がメインでした。話のなかでは「学者に近い」「国立大学の教授に近い」という例えも出ています。
(玄奘は)国家公務員として、国の政策のために、国のために仏教の研究をして、しかもその説法じゃなくて、研究がメインなんですよ。
楊さんは、玄奘には大乗仏教という最先端の場にいるという自負があり、唯識という最先端の思想を極めたいという思いもあったのではないかと推し量っています。当時の仏教は国家の政策にまで組み込まれていたため、現代の仏教とは役割がまったく違うという点で、出演者の認識は一致しています。
回の終わりには、楊さんが以前に受戒しており、一応お坊さんの資格を持っていると明かす場面もありました。親戚の家で僧侶に頭を撫でられる摩頂を受けたといい、「全然修行してないですけどね。もう酒も肉も食らいますけどね」と笑わせています。次回はいよいよ唯識の話に入ることが予告されました。
まとめ
玄奘が生まれた隋の時代、仏教は戦乱に苦しむ民衆の救いであると同時に、多民族国家をまとめる統治の道具でもありました。釈迦の死後に分裂した仏教から、民衆救済に立ち返る大乗仏教が生まれ、玄奘はその最先端の思想を求めた国家公務員的な研究者だったことが見えてきます。
- 隋・唐は異民族を含む多民族国家をまとめる共通の価値基盤として仏教を選んだ
- 仏教は後漢に伝わり、長い戦乱の時代に救いを求める民衆のあいだで広まった
- 釈迦の死後、仏教は上座部と大衆部、さらに部派仏教へと分裂し、その反動で大乗仏教が生まれた
- 大乗仏教は多様な仏と菩薩の考え方で信仰と修行のハードルを下げた
- 当時の僧侶は皇帝の許可が必要な公務員的存在で、玄奘は唯識を学ぶためにインドへ向かった


